2017年7月15日土曜日

週刊「猫並日記」2017 (3.2)

2017年3月2日(木)
1973年、20才になったばかりのころ、ぼくは東京、阿佐谷のアパートに住んでいて、一応学籍があった美術学校にはあまり通うこともなく、かといって働きもせず、親からの仕送りをあてに、ずるずると「執行猶予」の期間を、今思うと漠然と過ごしていたように思う。若い世代にえらそうなことは言えない▶自分が何をなすべきか、何を求めているのか、具体的な指標が見えず、人生のとびきり若い時期をうろうろとさ迷っていた感じ。♪若かったあの頃、何も怖くなかった(かぐや姫ですね)、ただ、自分への過剰な期待ばかりあって、その期待に押しつぶされそうになるような思いはあったような▶そんな頃、ニッポン放送「フォークビレッジ」という番組で募集していた全国規模のフォークコンテストに出たんだね。ギターを弾きながら作詞、作曲のまね事をしていた時期。アマチュアで活動していたわけではなく、自信があったわけでもないけれど、「過剰な期待」のひとつを試そうと思ったのかもしれない。応募した曲は野良猫の心情を歌ったもの▶最初のテープ審査、ラジオ局のスタジオで実際にギターを弾き、歌っての2次審査に受かり、関東甲信越大会出場10組のひとつに選ばれた。関東甲信越大会は、当時の「フォークの殿堂」、神田共立講堂で開催された。ゲストとして、ガロ、古井戸が出た。ガロのメンバーが弾くマーティンD45が眩しかった▶関東甲信越大会から1組が選ばれ、日比谷野音で行われる全国大会には出場できなかったけれど、それからしばらくして、レコード会社から電話があった。「きみの歌をニッポン放送のテープで聞いたのだけど、スタジオに来てもらって、あらためてきみの歌を聞かせてもらえないか」というもの▶で、ギターを抱えてレコード会社の豪華なスタジオに行き、何曲か歌った後、レコード会社の喫茶室で「うん、いい感じだね。レコード作ろうか」とディレクターに言われた。そのときにたまたま喫茶室にいた井上陽水さん(当時、「夢の中へ」がヒットしていた)に紹介されたというのは、ぼくの人生におけるプチ自慢▶それから、3年くらいの間、2枚のアルバム、3枚のシングルを出したけれど、レコードは売れなかった。運命の女神はいつも中途半端に微笑むのがぼくの人生。だから、70年代の「幻のフォーク歌手」のひとりという経歴がぼくにはある、というわけ▶長々と書いたけれど、ぼくがレコードを出すきっかけとなったニッポン放送「フォークビレッジ」の当時のパーソナリティがムッシュかまやつさんだった。レコードデビューのあと、彼のラジオ番組にも出させてもらった。ラジオ局の狭いブースでマイクを挟んで、かまやつさんと話した。ぼくは緊張して、かまやつさんの顔をあまり見れず、彼が組んだ手の指先ばかりを眺めていたような▶どんなことを聞かれ、どんなことを話したのかあまり覚えてないが、リリースした曲にちなんで「猫が好きなんだね」と言われたように記憶する。優しげな声だった。訃報を聞き、昔のことをいろいろ思い出した。ご冥福をお祈りします。

写真は「猫が好きだった」(今でもね)当時の別人28号。When I was twenty.

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