2017年2月4日土曜日

週刊「猫並日記」2017 (1.19)

2017年1月19日(木)
ぼくが年をとって髪も薄くなったころ
まあずいぶんと先の話だけどね
そのときになっても、きみからのバレンタインのチョコとかも欲しいな
誕生日にはワインを1本、ね
ぼくが夜遊びをして、夜中の3時前になっても帰ってこなかったら
家に鍵をかけちゃうかい?
まだぼくを必要としていて欲しいな
まだぼくにご飯を食べさせて欲しいな
ぼくが64才になっても
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ビートルズのWhen I'm Sixty-Fourだね。中学生のころだったか、この曲を聞いて、中学の英語力でもそんなに難しくない歌詞だったので、意味はだいたい理解できたように思う。ずいぶんと「マイホーム主義的」な(ビートルズにしては)保守的な、のどかなラブ・ソングだなあ、と思った。コードもかんたんだったので、ギターを弾きながら歌ったもんさ▶この曲(前半部)はポールが十代のときに作ったものらしく、つまり、まだとびきり若い年代の若者が、自分の老後の愛のあり方を想像して作った曲ということなんだね。なんとも老成した感覚をポールは持っていたということですね。ジョンが20代前半で作った曲「イン・マイ・ライフ」とあわせて、ビートルズというのはとても老成した感覚を持っていたバンドだったとも言えるかも▶ともあれ、中学生だったぼくは、この曲を聞いて自分が64才になるころを想像したように思うが、曲の後半にあるように、奥さんが暖炉のそばでセーターを編んでいたり、自分は庭の草むしりをしたり、孫たちに囲まれて生活したりするという未来は、自分にはそぐわないように思えたんだね、中学生のころから。自分はそういうふうにはならないだろうという予感はあった▶もっとも、自分が64才になったころどうなっているのかよくわからないし、あまり考えたくもないという感じだったかな。ぼくが中学生だったころ、64才というのはもう立派なおじいさんで、腰が曲がり、杖をついて歩いていても不思議ではないような、とにかく押しも押されぬ「老人」というイメージ。そんな老人に自分がなっていくというのは、中学生のぼくには想像を超えていたかもしれない▶今日、ぼくはその64才になった。When I'm Sixty-Fourという曲を中学のときに知った経験もあって、ぼくが64才になったということは還暦を迎えたときよりも感慨があります。この歌のように、確かにぼくの髪は薄くなったけれど、ぼくは庭の草むしりなどはしておらず、奥さんは暖炉のそばでセーターを編んだりもしていない。孫たちもいない。でも、奥さんはいまだにバレンタインのチョコをくれることもあるし、(たぶん)いまだにぼくを必要としてくれているし、なにより、ぼくにご飯を食べさせてくれている。幸せだと思う。♪ウェナ〜イム・シクスティ・フォー、ちゃんちゃん。

写真()は、昨夜の教室で生徒さんからバースデープレゼントとしていただいた時計。文字盤にぼくがデザインしたウクレレ教室のロゴマークをあつらえてくれた。嬉しいじゃないか。

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