2016年12月30日金曜日

週刊「猫並日記」2016 (11.14〜11.20)

2016年11月14日(月)
昨日は日曜レレ教室。新センターでの教室も回を重ねて、システムにもだいぶ慣れてきた。昨日は日曜日ということもあってか、駅前プロムナード付近はロック演奏もあったりと、にぎわっておった。大和文科系複合施設「シリウス」(この愛称にはまだイマイチ感があるが)も老若男女、家族連れ、けっこう混雑していて、旧センターとはまるで様変わりした感じ▶旧センターの方には行かなくなったことと、ぼくの「行きつけ」のスーパー(主にお菓子類調達、およびダイソー、衣料関連のテナント店もよく利用していた)がクローズになって、ぼくの近辺行動パターンも変わってきた。日常行動半径500メートルの「家猫」としては、まだしっくりこないところもあるが、諸々スモールチェンジの11月、というところ(プロフ画像も変えたしね。笑)

写真(,)は、昨日撮影の「シリウス」付近。

2016年11月15日(火)
1970年にリリースされたレオン・ラッセルのプロデュース、ジョー・コッカーの「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」は、ぼくの青年期の愛聴盤だった。いまでこそウクレレおじさんになりましたが、当時はマッスルショールズ系というか、スワンプ系というか、骨太で粘っこいR&Bサウンド、こういうの大好きだったんだね。ジョー・コッカーみたいに歌いたいという、まったく自分の資質を考えない憧れもあったんだ(そのうち、それは無い物ねだりであったことは十分にわかったけれど)▶「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」の中でも、「バード・オン・ア・ワイアー」がとりわけ好きで、なんちゅう良い曲だ、作ったのは誰じゃ? ということでレナード・コーエンを聴き始めるわけです。渋い渋いSSW系を聴き始めるきっかけだったかな。今度は、あれですよ、レナード・コーエンみたいな「文学的」な歌詞世界を目指したいと、背伸びして辛気臭い歌詞の曲を作り始めたり、と。青年期というものは自分の資質、才能を棚に上げて、なんとも夢見がちになるもんですね▶ともあれ、「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」はよく聴いていたなあ。「デルタ・レイディ」リタ・クーリッジの存在を通じて、当時のロック界の「スーパースター」男女相関関係とか、「ボブ・ディランの曲ってカバーがいいよね(レオン・ラッセルさんも熱唱「北国の少女」)」とか、音楽友人と語ったもんさ▶ジョー・コッカーも既に亡くなり、「バード・オン・ア・ワイアー」のレナード・コーエンも逝き、レオン・ラッセルもあの世に旅立った。淋しい限り。「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」みたいな、骨太でありつつ、しなやかなノリのある「濃い」音楽もあまり聴かれなくなったことも、淋しいように思う。

YouTubeは、件の「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」から「バード・オン・ア・ワイアー」。ええ曲だす。

2016年11月17日(木)
<たそがれて仔を咥えゆく秋の猫>というのは母の句。母猫は、子を産むと外敵から守ろうとする本能からか、育児をするのに落ち着く場所を探すことがある。猫の出産に立ち会ったことは、過去何度かあるが、こちらが落ち着くであろう場所(押し入れの中とか)をセッティングしても、母猫は何かしっくりこないのか、生まれた子を口にくわえて運び、より落ち着く場所に移動することがあった。この句は、そういう母猫の母性にしたがった行動を温かい眼差しで見つめている感じがある。それが、春でも夏でも冬でもない「秋の猫」の黄昏時であるから、より穏やかで平和な光景が目に浮かぶ。母は猫好きだった▶さて、本日より日曜まで11月ミッションに参ります。先月の兄の訪問報告によると、母は少し元気がなかったとのこと。ただ、兄がお土産に買っていった温泉饅頭はしっかり食べたということ。餡こ系、何か買ってゆくかな。

写真は以前撮った「秋の猫」。最近は散歩をしていても外猫に遭遇することはあまりなくなった。色々と問題があるのはわかるが、ぼくとしては淋しい。

2016年11月18日(金)
母を訪ねるミッションは、行きも帰りもスターフライヤーの同便を利用しているので、家から羽田空港まで、北九州空港に到着してから実家まで、ほとんど躊躇なく、無駄が一切ないムーブメントを習得したように思う。万事、スムーズな反面、旅の緊張感とか新鮮な体験とかもなく、ほとんど脳を使ってない行程でつまらないと言えばつまらない▶ただ、夕刻に主人なき実家にたどり着き、父や母が暮らしていたときのままの調度、家具、二人が残した様々な日常雑貨に囲まれた空間にひとりいると、やっぱりここは非日常的な空間だなあ、と思う。時の流れが滞っている感じ▶ぼくもここで14歳から17歳までの多感な時期を過した。その頃は、祖父も祖母も元気だった。深夜、ふと目が覚めて、何処からか、祖父母を交えた両親の団欒の声が聞こてくるような思いに駆られることがある。ちょっとしたホラーだけど、そんなふうに「非日常的」なのであります▶今日は今回ミッションの病院訪問初日。母には小ぶりのピンクの花弁の花(名前を覚えようと思ったけど忘れた)と甘納豆を買っていった。食堂にいた母は眠そうにしていたが、ぼくに気づき、微笑んでくれた。「何処から来たん?」、「今、どうしよるの?」、「お嫁さんとは仲がええかね?」といつもの会話。で、「お嫁さんとは仲はええけど、ときどき口喧嘩もするよ」というと、母は微笑む。いつものリアクション▶相変わらず、昼食はほとんど口にしなかったが、ぼくが病院の売店で買ったちらし寿司を「食べてみるかね?」と勧めたら、錦糸卵の乗った酢飯をほんの少しだけ食べた。ちらし寿司は母の好物。それが少し嬉しかった。後から甘納豆も勧めたが、こちらは二粒だけ食べて「もう、ええ」と▶前回のときのように、また「私はどうしたらええのですか?」と言うので「母ちゃんは生きとるだけでええんよ」と言ったら、母は黙った。少なくとも、ぼくにとっては、母は生きているだけで良いように思う▶帰り際、「遠くから来てくれてありがとうございます」と母は言ってくれた。今回は前回より穏やかな母に会えて良かった。明日も母のもとに参ります。

2016年11月19日(土)
昨夜はまとまった雨が降り、夜半から明け方にかけて雷鳴も轟いた。今朝になって、病院に向かうころには雨も上がり、傘もささずにすみ、良かった▶いつもは病院に到着するころは、母は食堂にいて、食事を待っているところなのだが、今日は姿が見当たらず、病室に行くと、今日は病室で食事を摂ってもらうことにした、と看護師。本人がそれを望んでいるので、と▶だってそれでは、一日中、病室にいることになるわけで(クリミールという栄養ドリンクだけの朝食と夕食は部屋で摂っている)、それはいかがなものかと、病院側に申し出た。看護師さんがいるそばで、「母ちゃん、食堂には行きとうないんかね」と聞いたら、母はしっかり頷いた。それじゃあ、ぼくの立場がないよ、母ちゃん(笑)▶母がずっと部屋にいたいのは知っているが、一日一回の(とりあえず、まともな)昼食くらいは、みなさんと食堂で摂ってほしいというのがぼくの気持ち。明日からまた食堂に連れていってもらうことにしたが、母のしたいようにした方がいいのかな、と今は思ってます▶さてと、明日病院に母を訪ね、その足で帰路に着く予定。

2016年11月20日(日)
@北九州エアポートなう。搭乗まであと30分くらいか。旅の移動は待つことが多い。移動して待って、待って移動して。今日は病院まで行くバスが時間通り来ず、30分以上も待った。ぼくは苛々してしまったが、同じバスを待つ人たち(主にご老人)は平然と待っている。田舎であります。
結局、母は今日も病室で昼食を摂った。昨日、望みどおり、病室で食べたので、もう食堂には行きたくないと看護師さんに言ったようだ。なんだか、ちょっと幸せそうに食べているので、ま、いいかと思ったのでした▶今日の母はよく話し、笑顔も見せてくれた。でも、また「私はどうしたらええ?」攻撃が始まったので、「母ちゃんは生きとるだけでええんよ」と手紙に書いて渡した▶「お正月に来てくれる?」と少女のように言うので、ぼくもにっこり笑って、「また、正月に来るけえね。元気にしちょってね」と別れた。さてさて、帰路に着くとしよう。

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