2016年8月19日金曜日

週刊「猫並日記」2016 (6.27〜7.3)

2016年6月27日(月)
昨日は「センターまつり2016」の本番ステージを無事終了。なかなかいい感じのステージができたんじゃないかな。出演したみなさんも楽しんでくれたと思う。終了後、カラオケボックスで生徒さん有志と打ち上げ。その後、居酒屋で二次会。さらに、お一人の生徒さんと別の飲み屋で深夜までウクレレ談義に及ぶという長い一日だったが、とても幸せで楽しい一日でありました。

写真(,)はへっぽこ含め、総勢50名ほどのウクレレ・オーケストラを指揮するへっぽこマエストロのステージ模様と終演後の記念撮影(鈴木由紀子さん撮影)、ベース担当、フジタ・よっちゃ・ヨシコさんとのツーショット。今回のへっぽこのステージファッションのコンセプトは「かわいいレレおじさん」。赤い蝶タイはダイソー100均で購入したフェルトで工作した。スパゲティ・ナポリタン、サラダロール巻き

2016年6月28日(火)
今回のセンターまつりステージを終え、生徒さんたちから「楽しかったです! ありがとうございました」というメールをたくさんいただいた。いやいや、感謝したいのはこちらの方、ぼくも楽しく幸せなときを過ごさせていただいた。
若い頃、音楽をやっていて楽しいと思うことはあまりなかった。未熟で実力も経験もないのに、ひょんなことからいきなりレコードを出すことになったが、見事に売れなかったことで、音楽に対して屈折した思いを抱き続けることになったんだね。長い間、人前で歌うこともなかった▶今、こうして生徒さんたちに「楽しんでやりましょう!」と常々、言うのは、その頃のぼくに対して、ある意味、「落とし前」をつけているのかもしれない。売れなかったころ、売れている連中に対する嫉み、やっかみなんかもあって、いつか自分の曲が受け入れられたら、という願いはあった。落とし前をつけたい、ということだね▶プロの世界で落とし前をつけることは叶わなかったけれど、ぼくが関わる、リタイア世代になり、初めて楽器に触り、生まれて初めて聴衆を前に演奏するという人たちに、音楽の楽しさを知ってもらうということが叶えられてきて、つまり、若かりしころの屈折した音楽への思いへの、良い意味で落とし前がつけられて、ホント良かったなと。この年になってね。幸せだと思う。赤魚の煮付け、グリーンピースの天ぷら、オクラ、湯葉、シメジのヌタ和え、貝柱甘酢、茄子煮浸し、ゴーヤ豆腐、海藻サラダ/

ところで写真()のお二人、今回の選曲のひとつ、「ラブ・ミー・テンダー」を歌っているところ。この曲には男女3組6人の方々がそれぞれ歌詞のワンラインをソロで歌うという設定をした。それぞれのカップルは夫婦でも恋人同士でもないけれど、練習で「お互い恋人同士の気分になってもらって、できれば時々見つめあって歌ってください」と、まあ冗談交じりに注文した▶で、一番、ぼくの期待に応えてくれたのがこのお二人。男性は並木さん、女性は八重さんという方々。並木さんは今年で81歳になるのかな、クラス全体で最高齢。この方、もう3年以上、教室に通って来ていただいているが、ぼくの大好きな人。オシャレでしょう? あるとき、教室から帰りがけの並木さんに「これから帰って、奥さんと晩酌ですか?」と言ったら、「母ちゃんはもう先に逝っちゃったよ」と淋しそうに笑ったことを覚えている。訥々と歌う感じも良かった。この写真、いいなあ。

2016年6月29日(水)
<額あじさいやがて星になるつもり>というのは母の句。説明不要の乙女チックな句だね。あじさいの季節もそろそろ終わりだけど、ぼくはいわゆる西洋あじさいより額あじさいの方が好きだな▶さて、ばたばたと6月は過ぎ去ろうとしているが、今日これから母を訪ねて1千キロ、6月(から7月にかけての)ミッションに参ります。帰還は土曜の遅い夜の予定。西国はちょっと雨が心配だけど。母ちゃん、会いにいくけえ、待っちょってね。

写真()は「やがて星になるつもり」の額あじさい、隅田の花火。

2016年6月30日(木)
昨日の夕刻、下関に着き、このところの睡眠不足を解消するように、実家でよく眠れた。心配していた雨に降られることもなく、今日は病院に母を訪ねた▶前回訪問のときはやや元気がなく、少し心配だったが、会うと嬉しそうににっこり微笑んでくれ、「底値安定」変わらずという感じで安心した。午後から病院の担当者会議に出席。医師の所見も「変わらず安定」ということ▶今日はリハビリの日ということで、お手玉投げや魚釣りゲームなどに付き添った。魚釣りゲームというのは、絵にかかれた各種魚を床に並べ、マグネットが付いた竿で釣り上げるというゲーム。母がけっこう楽しんでやっていたのが嬉しかった▶魚の代わりに千円札(絵で描いたもの)というのがあって、その千円札をめぐって、母と隣りに座ったおばあさんがバトルを繰り広げたことが面白かった▶帰るときに「あんたはええ子やねえ。ありがとう、ありがとう」と涙ぐんでぼくの手を握るので、もらい泣きしそうになった。明日も母に会いに行きます。

2016年7月1日(金)
夕刻に少し雨が降ったりしたが、午前中はよく晴れ、西国は夏日となった。母の化粧水やシャンプー、ポリデント等を購入して、病院へ▶病院の食堂には七夕の飾り付けが始まっていて、笹の葉に下げられた短冊には入所者さんの願い事が書かれていた。「たくさん食べられるますように」とか、「早く退院できますように」とか。看護師さんが「セツ子さんも書いたら?」と短冊を持ってきてくれた▶「母ちゃんも願い事を書こうよ」と母に促すが、母は気乗りしない様子で、「あんたの願い事を書いたらええ」と。「ぼくは書かんでもええよ。母ちゃんの願い事を教えてくれたら、ぼくが代わりに書いちゃるけ」と言えば、しばし考えて「早く元気になりたい」と、母は言った▶短冊に「早く元気になりたい」と書いてあげ、「名前は自分で書いて」と短冊を母に渡したら、「早く元気になりたい」の文に「です」の文字を足して、「山下セツ子」と署名した。なかなかしっかりした筆跡だった。「なんだ、書けるやないの」と▶「早く元気になるためには、もうちょっと食べんと」と母に言ったが、母は相変わらず、小鳥のようにしか食べないのだった。明日も母を訪ねます。

2016年7月2日(土)
@小倉なう。下関最終日、今日は午後から降ったり止んだり。蒸し暑い一日となった。起床後、実家の掃除をしたり、シーツ、タオル等洗濯、荷造りして、毎回、何かしら置き忘れてくるので、「居間、よーし、台所、よーし、電気、よーし、水道元栓、よーし」と指差し点呼をして、実家を後にした▶午後、病室で母と話をしていたら、いきなり火災警報が鳴り響き、火災発生のアナウンスが流れた。すぐに看護師さんが「警報の誤作動のようです」と言いながら病室に入ってきたが、焦ったぜ、まったく。ホントの火事であれば、要介護度5あたりの人ばかりの病棟、大変なことになるわけで▶で、母はと言えば、泰然自若、なんのことやら理解が及ばないようで。他の入所者さんたちもそんな感じ。これぞまさに「超老人力」かいな、と思った▶ともあれ、今日はよく話しもしたし(ぼくが黙っていると、「何かお話しして」とせがむのだ)、今回は前回訪問より少し元気になっていたように思う。また来るけえ、それまで元気にしちょってね、と指切りして別れた▶母が誤嚥性肺炎に罹り、この病院に入ったのが、平成26年7月3日、まる2年になる。以来これまで、ある時期は毎月、兄と交互に2ヶ月に一度、母の病院を訪れてきた。ずっと、いつまでこの状態が続くのだろうかと思ってきた。いつまでも続くわけではないが、いつまでも続いてほしいという願いはある▶さてとこれからバスに乗って、おなじみになった北九州空港に向かいます。

2016年7月3日(日)
今日はぼくの講師時代の教え子3人と会ってきた。R子さんはダンナの実家に嫁入りの形で入籍、姑さんとはまあ上手くやっているとのこと。Sさんは2歳児の母、彼女の実家でご両親とダンナと暮らしている。だから、Sさんのダンナはマスオさん立場。Kくんは卒業以来、クリーニング工場で勤続20年。まだ独身だが、付きあっている彼女はいるとのこと。R子さんは40歳、SさんとKくんは38歳、学年はそれぞれ1年ずつ、先輩、後輩の関係。
「クラス会をやるつもり」とSさんから連絡があったのが二ヶ月も前だろうか。「先生も是非来てください」と言われていたのだ。Sさんとしてはもっと多くのクラスメイトに集まって欲しかったようだが、諸事情あり、集まったのは、卒業しても連絡を取り合っているこの3人だけになったようだ▶3人に会うのは随分久しぶりだったが、ついこの間会ったような感じで、そんなに懐かしいという感じはしなかった。3人ともまあ、いい年ごろになったが、見かけが若く、学校にいた頃とそんなに変わってない感じがしたから。ま、当時からすれば、すっかり爺ちゃんになったのはぼくかも▶ともあれ、学校時代の話に花が咲いて、楽しいひとときを過ごした。みんな真面目に誠実に生きていることが言葉の端々に伝わってきて、嬉しかった。ぼくは昼間からジョッキ生を3杯くらい飲み、夕刻、ほろ酔いで帰宅。帰路、今日のあまりの暑さにめまいがしそうになった。熱中症予防の水分補給はビールだと逆効果というのを身をもって知ったのだった。

写真はファミレスでの帰り際、Sさんの提案でVサインをお互いくっつけ合って記念写真。もう一枚の写真は、女性講師のみなさんと一緒に写って幸せそうな、講師時代のちょっとヤングなワタクシ(たぶん90年代半ば)。

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