2016年1月14日木曜日

週刊「猫並日記」2016 (1.2〜1.3)

2016年1月2日(土)
結婚して以来、元日は秘書のご両親、義姉夫婦、義理の甥、姪、等と横須賀で新年会を開く慣わしだったが、昨年は義兄のお母様の逝去、今年は義父の逝去の理由で、二年続けて新年会はなかった。三年前の横須賀での新年会は秘書の両親のひ孫二人まで参加してにぎやかだった。思えば、あのときが義理の両親を中心としたひとつの家族のピークだったと思う▶幼い頃、元日に家の裏手で祖父や父が餅をつき、祖母や母がそれを丸め、角箱いっぱいに並べられた白い餅を眺めていた遠い記憶がある。その餅が雑煮になり、ぼくが餅を何個食べたかを自慢げに祖父に報告すると、祖父は「ほう、そうか、そんなに食べたんかね」と嬉しそうに言った。祖父母も元気で、両親は若く、幼いぼくはなにもかもに守られていて、とても幸せな気持ちだった。それがぼくの幸せな正月の原風景▶昨日、秘書はグループホームに暮らす義母を連れ出し、家族水入らずの元日の食事会に出かけた。ぼくは遠慮させていただいたので、ひとりで元日を過ごした。思いついて、めったに浸かることのない浴槽に湯を張り、風呂に浸かりながら濁り酒を飲んだ。その後、あまりにも天気が良かったので、近隣の川沿いをほろ酔いで散歩した。公園で父子で凧揚げをしている光景を見た。青空に凧が翻り、子どもの歓声が響く元日の公園は平和そのものだった▶散歩から帰って、HULUで「ゴッドファーザー」を観た。家族の幸せの推移というものを考えたのはこの映画のせい。ぼくたちには子どもがいないので、祖父や義父のように孫やひ孫を囲んでの正月を迎えるということは後にも先にもない。それが特に淋しいことだとは思わないが、そういう「普通」の人生を選択したもうひとりのぼくがパラレルワールドにいるかもしれない、と思った。「あんたには子どもがおらんのよね」と母は何度もぼくに言う。母はそれが少し淋しいようだ。兄に子どもや孫がいて良かったと思う▶昨日は秘書が帰路、買ってきた幕の内弁当と作ってくれた雑煮を食べた。病室の母はどんなものを食べたのだろうか。餅は出されることはないだろうが。正月に着せて欲しいと頼んだ新しいパジャマは着せてもらっただろうか。元日に母の世話をし、母に話しかけてくれる看護師さんに感謝したい。

写真(,)は昨日の散歩の折、撮ったもの。昨年は散歩を怠けた。今年はもう少し散歩頻度をあげようと思っている。新年の計のひとつ。

2016年1月3日(日)
昨夜は年始恒例「パラ本新年会」(写真,)に。ストロングなんたらとかいうアルコール度数の高いチューハイを飲み過ぎて、すごーく酔っぱらった。楽しうございました。ほとんど泥酔状態で深夜帰宅。今日はこれから兄宅へ。

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