2015年6月26日金曜日

週刊「猫並日記」2015 (6.11〜6.14)

2015年6月11日(木)
<派兵論梅雨のこの路地抜けられる>というのは父の句。おそらく小泉政権時、自衛隊のイラク派遣が実施された頃に作られた句だろう。意味深な句なので、この句に託した心情を聞いてみたかったところだが、今はもうそれは叶わない。「抜けられる」という語句は憲法九条の解釈によって自衛隊の戦地派遣も可、という意味合いにも取れる。このときは「イラク特措法」などという本質的には集団的自衛権行使と変わらない法律によって、自衛隊がイラクに派遣されたわけだが、「イラク復興支援」という名目の下、現在、紛糾している「平和安全法制整備法案」ほどあからさまではなかったので、結局実施され、その後のイラク戦争加担の大きな反省も政府から聞けずじまいになっているわけだけど▶さて、大学を卒業後、大手企業に就職が決まった直後の昭和17年に中支派遣部隊に招集され、復員するまでのほぼ4年間を軍隊で過ごした父は、今の状況についてどう思うだろう。「安倍さんがやろうとしとることは良うないねえ、いけんねえ。いけん、違憲」と意外と駄洒落好きだった父は、苦笑しながら言うだろうと思う。

一昨日、昨日とレレ教室ダブルヘッダー。先週金曜日は餃子、冷や奴、ほうれん草の胡麻和え、中華風春雨サラダ/土曜日は塩鮭、焼きナス、春巻き、ほうれん草ソテー、きんぴらゴボウ/日曜日はざるうどん、薩摩揚げ/今週月曜日は鯵の干物、冷や奴、ピーマン炒め、ニラ卵焼き/一昨日は鶏つみれ汁、大根と鶏肉の煮付け、竹輪の磯部揚げ、ほうれん草お浸し/昨夜はまぐろ漬け丼、竹の子とフキのあんかけ、キノコのお吸い物

写真は近隣、「あじさい小道」。この道を抜けて、ウクレレ教室を行っている学習センターまで参ります。街を歩けばあじさいだらけの今の季節。今年はことのほか、存在を主張しているようにも思えます。

2015年6月12日(金)
終日、ホームページ作りとか、譜面作りとか。秘書夜勤につき、冷食炒飯、中華スープ。写真は「隅田の花火」、久しぶりにメルヘンしてみた。

2015年6月14日(日)
日曜レレ教室。ウクレレ教室なのにハワイアンはほとんどやらないというへそまがりですが、今日は定番中の定番「アロハ・オエ」を課題曲に。季節柄、「冷やし中華始めました」よろしく「ハワイアン始めました」。ちなみにアロハっつうのは、こんにちは・ありがとう・さようならなど、ハワイで挨拶全般に使う言葉だけど、これにあたる日本語は何かなと思ったら「どうも」だね。で、「オエ」ってのはユーということだから、「どうも、あなた」ということになりますね、「アロハ・オエ」。ヒラマサ(下関の方では「ヒラソ」)の塩焼き、ピーマンとナスの味噌炒め、コンニャクとゴボウのきんぴら、焼きタラコ、キャベツとキノコの味噌汁、イモ天/焼きうどん/ハヤシライス。
写真は散歩ロードのあじさい

週刊「猫並日記」2015 (6.2〜6.5)

2015年6月2日(火)
<この子らを世の光に>というのは本日朝日「折々のことば」(鷲田清一・選)。「社会福祉の父」と呼ばれた糸井一雄さんの言葉。糸井さんは、戦後混乱期から知的障害のある子どもたちの福祉と教育に尽力し、日本の障害者福祉を切り開いた第一人者として知られた、ということ。1968年没▶「『この子らに世の光を』ではない。逆である」と鷲田さん。重度の障害児に対して、「世の施し」を授けるのではなく、この子たちの存在こそが「世の人々に対する施し」であると解釈できる。この子たちに「与える」のではなく、この子たちから「与えられる」という考え方ですね▶「重度の障害児が『だれととりかえることもできない個性的な自己実現』をしているのを目撃した糸賀は、この子らと家族がもし不幸であれば、私たちの社会もまた不幸であると考えた」と本文。このことは「重度の障害児」を社会のエッジに生きる社会的弱者と置き換えてもいいかもしれない。弱者に厳しい社会は幸福な社会とは言えないだろう▶ぼくもかつて発達障害児に関わる仕事をしていたが、「現場」から離れて、普段はあまり「この子たち」の存在を思わなくなった。ときおり、こういう言説に触れると、そうだよなあ、わかるなあ、と身を正す思いにかられる。

昨日はサボり気味の散歩をひさしぶりに。サバの味噌煮、野菜かき揚げ、ひじきとレンコンの煮付け、大根なます、煮豆、豆腐とほうれん草の味噌汁/ざるそば、薩摩揚げ/塩サバ、豆腐しんじょ、キュウリとこんにゃくの酢の物/ピーマン肉詰め、ブロッコリー、トマト、人参のサラダ、フキと油揚げの煮付け、もずく酢


写真はシロツメクサ越しのサンデー@ザ・パーク。シロツメクサ(白詰草)の名前の由来は、「1846年 (弘化3年)にオランダから献上されたガラス製品の包装に緩衝材として詰められていたこと」(Wiki)だと。帰化植物のひとつだが、「根粒菌の作用により窒素を固定することから、地球を豊かにする植物として緑化資材にも用いられている」(Wiki)だと。

2015年6月4日(木)
<かたつむり原罪かるく背負いたり>というのは母の句。新美南吉の「デンデンムシノカナシミ」では、背負っているのは(誰もが背負っている)悲しみであったが、母の句の場合は「原罪」。旧約聖書的に言えば、エデンの園において、禁断の木の実(「善悪の知識の木」、絵では大体リンゴみたいに描かれてますね)を、蛇に「この実はうまいぞ、食え、食え」とイブがそそのかされ、食ったわけですね。で、「おいしいわよ、あなたも食べたら?」とそばにいたアダムに勧め、「そうかい? んじゃ、おれも食ってみっかな」とアダムも食ってしまったことから人類に受け継がれた罪、ということになるんでしょう▶で、二人が禁断の実を食ったあとに、イブが「あら、私たち素っ裸じゃない。まあ、恥ずかしい。どうしましょう」と、イチジクの葉っぱで腰を覆い、アダムもそれに倣ったと。羞恥心というものが芽生えるわけですね。そして、禁断の実を食った罰として、楽園であった「エデンの園」を追われ、女には産みの苦しみを、男には「働かざるもの食うべからず」みたいなペナルティを神から課せられるというわけです。それが原罪。「イブさん、なんであんとき、神様から食っちゃいかんと言われてた実を食っちゃったの?」とぼくは言いたい。イブが禁断の実を食わなければ、今ごろもぼくらは一年中温暖な土地で素っ裸で暮らし、食べ物もそこらで取り放題の安楽な生活ができたのにと▶ともあれ、母の句の場合、人類だけでなく、かたつむりも「原罪」を背負っているわけだが、「かるく」背負っているわけで、ぼくらもまあ、そういうめんどくさいものは軽く背負うくらいにしたらよろしいのでは、と思います。昨夜はレレ教室でポロリンコ♪ ウクレレは軽いので背負うのもらくちん(笑)/一昨夜は豚肉生姜焼き、冷や奴、野菜サラダ/昨夜は牛丼、ハムポテトサラダ、ほうれん草の味噌汁。

写真は何年か前に投稿した「道ばたに自らの道程を記すかたつむり」。「この距離を歩むのにどれくらいの時間がかかったのだろうか。遅々とはしているが揺るぎない意思の軌跡」と投稿文に書いた。うん、「かるく」原罪を背負っているようにも見える。

2015年6月5日(金)
<額あじさいやがて星になるつもり>というのは母の句。メルヘンな句だね。母の少女趣味があらわれている。老いてなお、心に少女が棲むのが女であるならば、年を取っても少年の心を失いたくないと思うのであります。くもり空の今日はいくぶんクールダウン、こんな日があじさいに似合うと思う。カレーライス、野菜サラダ

週刊「猫並日記」2015 (5.28〜5.29)

2015年5月28日(木)
<ちっとも病気しませんが、どこかおかしいんじゃないでしょうか>というのは、はらたいらさんの言葉@本日付朝日「折々の言葉」。「医療機関の検査を受けて「基準値」との照合から健康度を測る、そんな風潮を漫画家はちゃかす」と選者の鷲田清一さん。ぼくもお陰様で、ちっとも病気をしない。どこかおかしいのかもしれないが、ありがたい。「金欠病」という持病はあるが、それはしょうがない▶「胃がんになるのが怖ければ、胃を摘出するのが一番」なんてことも書かれた、このはらたいらさんの言葉は、朝日、03年の4月掲載の記事からの引用ということだが、この3年後の06年に、彼は肝臓癌で亡くなる。63歳没。無類の酒好きで元々肝硬変だったというはらさんは、「どこかおかしい」ということを、この記事を書いた時点で確実にわかっていたと思うが、あえて「ちっとも病気しません」と書いたわけだね。で、Wikiによると「はら自身は亡くなる前、医師の忠告を無視して酒を飲み続けた末の63歳の死について『不服はない。本望だ』と言っていた」ということ。ロックな死生観でありましょう。

日・火・水とレレ教室。合間に課題曲のネタ作りやら諸々雑用。小一時間でできると思うことが半日かかり、今日中にこなそうと思うことが二日、三日かかり、先送り課題がどんどん増える。ちっとも病気はしないが、「怠け病」もぼくの持病のひとつ。アジフライ、ししゃも、筑前煮、エビとマカロニ、ブロッコリーのサラダ、キュウリとキャベツの酢漬け牛肉炒め、モヤシと人参、焼きナス、冷や奴、野菜サラダ/麻婆茄子、ほうれん草の味噌汁天丼、ざるそば、フキと油揚げの煮付け、フライドポテト/鱈の煮付け、豚肉とキャベツの炒め物、春雨サラダ、冷や奴、煮豆、キュウリとカブのぬか漬け焼きうどん、おから、春雨サラダ鯵の南蛮漬け、ししゃも、キュウリと昆布、春雨の酢の物、エビとマカロニ、ブロッコリーのサラダ

写真は向かいの棟の猫。ときおり、こうして窓際に座って姿を現す。以前飼っていた猫「ニンニン」によく似ている(ニンニンは鼻が黒かったけど)。一日、レンタルしたい。ウチのベランダから撮影。

2015年5月29日(金)
<薔薇と云う字がバラバラに睡魔来る>というのは母の句。眠れないときは薔薇という字をじっと見つめるといいかもしれない。躑躅(つつじ)なんかもいいかも。髑髏(しゃれこうべ)とか魑魅魍魎(ちみもうりょう)とかは、字面も意味もおどろおどろしいので逆効果かもしれないけど▶ここのところ、夕飯食べてぼんやりとテレビなど見ていると、すぐに眠くなる。だから朝も人並みに早く起きるようになった。昨夜は12時前には寝オチして、今朝は7時に目が覚めた。毎年、夏場はそんな感じ。今日は少しクールダウンしたけど、今年は夏が前倒しに来た感じだからね▶基本的に早く起きなければいけない生活ではないので、眠りに落ちる前のひとときを読書などして楽しみたいのだが、数ページも読むと「バラバラに睡魔来る」。昼間はあまり本を読む気にならないので、ぼくにとって早寝早起きは読書量がぐっと減るということがあります▶オムライス、ハムサラダ

写真は以前撮った薔薇()。マイベイビーベイビーバラバラ、っつう歌もあったね。

週刊「猫並日記」2015 (5.21)

2015年5月21日(木)
<節変えてみる老鶯の思い付き>というのは母の句。ウチの近所にウグイスがいて、繁殖期の春から梅雨のシーズンくらいまでの折々、法法華経、ケキョ、ケキョ、とさえずるんだね。もう5、6年くらい前からかな。いつぞや、声が聞こえる木の下あたりでカメラを構え、声の主を撮ろうとしたのだけど、朗々とさえずるわりにはシャイな鳥らしく、なかなか姿を現さない。ウグイスはその名前からウグイス色のメジロとかと間違われることがあるが、実際はごく地味な茶色っぽい鳥。だから、木の枝に隠れてしまうと見つけるのが難しい。結局、ウグイスの写真は撮れなかった▶そのウグイスくん(蝉と一緒で鳴くのはオス、メスに対する求愛の声だからね)、以前はウチから50メートルくらい先の角の家の庭に住み着いていて、そこからホーホケキョと声が聞こえていた。2年くらい前にその家が取り壊されて、住み処を追われてどうしたかなと思っていたが、昨年から、すぐウチの前の家の庭に引っ越して、そこでさえずるようになった。今日のような天気が良く、気持ちが良い日は朝から絶好調。思いついてウチの窓際から録音してみた(最後まで聞いてみて)。

シゴト関係、一段落して、昨夜は水曜夜間レレ・クラスでポロリンコ♪ 日曜日はイカフライ、コールスロー、玉子かけご飯/月曜日はドライカレー、オニオンスープ/火曜日は焼きそば、味噌汁/昨夜はマグロ漬け丼、シイタケとワカメの味噌汁、玉葱とワカメのぬた和え、大学イモ。



週刊「猫並日記」2015 (5.12〜5.17)

2015年5月12日(火)
昨日は日曜レレ教室をやって、夕刻から水曜夜間クラスのメンバーと軽く練習、夜は恒例、中央林間「パラダイス本舗」フォークデーに参戦。朝から晩までポロリンコ三昧、ビールとウクレレがあれば他に何がいるだろうか、という思いがしたが、翌日になれば、他にもいろいろとあればいいものもたくさんあるなあ、「お金はやっぱりある方がいい」なあ(「「みんなの願いはただひとつ」by 上田正樹&有山じゅんじの歌を歌った方がいたので)とか思っているへっぽこレレおじさんであった。

木曜日はチキンと玉子の甘酢煮、野菜サラダ/金曜日は甘鯛の粕漬け、タコのぶつ切り、ゴボウと玉葱のマヨネーズ和え、肉ジャガ/土曜日はブリの照り焼き、イカの酢味噌和え、きんぴらゴボウ、ポテサラ/日曜日は豚丼、ほうれん草のお浸し/月曜日はスパゲティ・ナポリタン、ウィンナーのポトフ

写真(101112)は昨夜のパラ本フォークデーの模様。

で、昨夜の動画も早速YouTubeにアップ。これは「Georgia On My Mind」ポロリンコ♪バージョン/これは水曜夜間クラスの生徒さんユニット「ピンク・デ・ポロリンコ」と一緒にやった「愛の絆〜Amazing Grace」/愛の絆」はあのなぎら健壱さんの「らしからぬ」作詞。後半、セカンドラインでAmazing Graceをやるところ、イカしとるじゃろ?

2015年5月14日(木)
初夏というか夏だね。一昨日、昨日とレレ教室ダブルヘッダー、合間を縫ってお絵描き仕事、ちょいと一段落。開け放した部屋の窓から、♪晴れた空〜そよぐ風〜、あ〜あ〜あ〜憧れのハワイに行きたいな。誰かアゴアシ付きでハワイに招待してくれんかな。

火曜日はかき揚げ丼、ヒラマサの刺し身(下関では「ヒラソ」、やっぱり下関の方が全然うまいけど)、竹の子の煮付け、ゴボウと人参のマヨ和え、ざるそば/昨夜はハンバーグ、焼きナス、ほうれん草ソテー、キャベツとキノコのスープ、ポテサラ。

写真は前回ミッション時に撮った、ダイコンノハナ(ハマダイコン)の群生〜オーバー・ジ・オーシャン(下関安岡の海)。

2015年5月15日(金)
<昨日今日あたまの中は芥子坊主>というのは母の句。細かい記憶は定かではないが、赤塚不二夫「天才バカボン」の絶頂期、70年代初頭の少年マガジンに掲載されたもので、バカボンのパパが登場人物(ハタ坊やデカパン)の頭をかち割って、脳みそを納豆や豆腐のおからに詰め替えるというのがあった。で、脳みそをおからにされた登場人物たちは、呆けた動作をしながら、「オカラ〜、カラッ、カラッ〜」と叫び回るという、今思えば、なんともアブないギャグであった。当時、高校に入ったばかりのぼくは本屋でその号を立ち読みしていて、思わず吹き出し、そのギャグの強烈さに「すげーなあ」と思ったのだった。今だったら、すぐに各方面からクレームが付き、出版はできないだろう、この種のギャグ▶で、母の「あたまの中は芥子坊主」、深読みすればアブない俳句だ。芥子はご存知のようにヘロインの材料、芥子坊主(実)の樹脂から精製される。だから、「あたまの中は芥子坊主」というのはヘロインによる幻覚症状を呈しているということだと解釈できるわけで。うーむ、これは禁断の俳句ではないか▶もっとも、母の句の「芥子坊主」はヘロインの材料になるオピウム(アヘンゲシ)ではなく、毒性のないポピー(虞美人草、ひなげし)の方だろう。ひなげしの花弁が落ち、「坊主」になったさまは、精彩を欠いてみすぼらしい。頭の中がそういう状態になっているということで、決してヘロイン中毒の状態になっているということではない(と思う)。でも、前述の「天才バカボン」の強烈でアブないギャグに似たニュアンスを、母の句に感じてしまったのだった。

今日も夏日、お絵描きシゴトはほぼ終了。自転車に乗って買い物でもしてくっかな。キャベツと挽き肉のあんかけ丼、ほうれん草味噌汁、春雨サラダ。

写真はアヘンゲシでも、いわゆるヒナゲシでもなくて、同じケシ科のナガミヒナゲシの群生。帰化植物で「オレンジ雑草」というありがたくない別称もある。繁殖力が強く、迷惑な植物のひとつだとされているようだ。今の時期、こいつが坊主になってあちこちに繁茂している。前回ミッション時に撮影。

2015年5月16日(土)
レレ教室の生徒さんたちと昨年10月にやった「大和センター祭り」ステージ、今年もやることになったよ。10月11日(日)、まだだいぶ先のことだけど、ぼくにしては珍しく、今の段階でいろいろと考えておる。藤山コン美の相棒、よっちゃにベースのサポートをお願いしたら、快くオッケーしてもらった。前回ステージが好評だったので、今年はさらに楽しいものにしたいと、かように思っておる。塩鮭、大根のあんかけ煮、モヤシとピーマン炒め、薩摩揚げ、刺し身コンニャク。

昨年のステージ、生徒さんたちにDVDを作ってあげた動画をYouTubeにアップしました。長シャクなので、テキトーにはしょって見てくださると嬉しいかな。

2015年5月17日(日)
<「うまく生きる」ことには役立ちません(たぶん)。けれども「よく生きる」ためには欠かせないものです(ぜったい)。>というのは、本日付け朝日新聞、鷲田清一「折々のことば」から。大嶋義実さんというフルート奏者のことば。何のことかというと、音楽のことを言っているんですね▶うん、良いことば。ぼくなんか、人生を振り返り、身をもって音楽が「うまく生きる」ことに役立たないことはわかる。でも、「よく生きる」ためには欠かせないこともよくわかる。今度、ウクレレ教室の生徒さんたちに引用しよう。

E天気、久々に散歩でもしてくっかな。豚天丼、鶏ささ身、トマト、水菜トッピングのざるうどん。

写真は芥子坊主に蝿留まるの図。前回ミッション時の撮影。