2015年5月15日金曜日

週刊「猫並日記」2015 (5.4〜5.7)

2015年5月4日(月)
今日、5月4日は母の誕生日。大正13年生まれだから、今年で91才になった。昨年の母の誕生日はちょうど母の病院を訪問していて、病室でウクレレを弾きながら「ハッピー・バースデー」を歌ってあげたのだった。あれ以来、毎月のように母を訪ねているから、母は「底値安定」という印象があるが、1年前は今よりだいぶ元気だったようにも思う▶もう随分昔から、毎年の母の誕生日には母に電話をしていた。母が誤嚥性の肺炎に罹り、入院する前は、母がいた特養に電話をかけ、職員さんに取り次いでもらい、母と話をした。病室でほぼ寝たきり状態の今の状況ではそれも叶わない。母の誕生日に母の声が聞けないのは、ここ数十年で初めてかもしれない▶今年は最近撮った菜の花の写真に母の俳句を添えたカードを作って、手紙を添えて送った。おそらく、看護婦さんからぼくの手紙を手渡され、誕生日のお祝いの言葉ももらったことだろう。母の好物のちらし寿司やイチゴのショートケーキをほんの少しでも食べさせたかった。「母ちゃん、誕生日おめでとう。また会いに行くけえ、元気にして待っちょってください」 鱈のフリッター、スクランブルエッグ、レンコンとヒジキの煮付け、豆腐の味噌汁。

2015年5月7日(木)
FBが「2年前の今日を振り返ろう」と言うので、振り返ってみた(これ、けっこう周囲にウケたような)。地元で初心者対象ウクレレ教室をスタートしたのも2年前のこの頃、おかげさまで順調に展開しております。ありがとう、レレ神さん。

昨夜は水曜夜間クラスでポロリンコ♪ 帰宅して天津丼、豆腐中華スープ、シュウマイ/月曜日は豚肉の唐揚げ、キャベツサラダ、ほうれん草の味噌汁/火曜日はカレーライス、コールスロー

週刊「猫並日記」2015 (4.27〜5.3)

2015年4月27日(月)
<春深く机の上が波立ちぬ>というのは母の句。昨日は日曜レレクラス、明日、明後日もレレクラス。間を縫って、あれやこれや、同時進行しているこのところ。あれをやらねばと思いつき、ああこれが先だな片づけねばとプライオリティが錯綜し、気ぜわしいがはかどらない春深しの感あって、ぼくの机の上も「波立ちぬ」ごとく、積層化しております。で、ずるずると流れる一日の句読点を打つための投稿。冷やし中華

写真は、母がかつて生まれ変わるならなりたいと言っていた野水仙の群生と「仲間に入れてよ」と話しかけるチューリップ。Cマウントレンズで撮影。

2015年4月30日(木)
<ひと叢の花菜あかりへ急ぎけり>というのは母の句。「ひと叢(ひとむら)」は一群という意、花菜は「菜の花」の別称。なぜ、母は菜の花の一群に向かって急いでいたのか。春の夕日がすっかり落ちる前に、黄色く灯る「花菜あかり」のそばに行きたかったのだろうか。こころが何かに支配され、わけもなく急く気持ちに、ときおり人はなるわけで▶火、水と昼間レレ教室ダブルヘッダー。依頼され、ミッションからの帰還後、ウクレレ教室の間を縫うように制作していた甥の結婚式用「ウェルカムボード」が急遽、式前日までに搬入ということになり、昨夜遅くに仕上げて、さきほど宅急便営業所まで自転車でキコキコと明日必着で会場に送付手配。そんなことをやっている間の間を縫って、新規ジャズ本関連2件の仕事をこちょこちょと。同時進行のウクレレモード、お絵描きモード、別件仕事モード、元来単一志向性の性格故、切り替えが難しく、時折、何から手を付けて良いのか混乱し、頭の中のように机上は積層化し、失せ物探しは相変わらず(昨夜、直前まであった「ウェルカムボード」のフレームを止めるビスが見つからず、しばし探したら床の上に落ちていた▶「なんでいつもなくなるんだ!」、深夜の独り言。明日は仕事打ち合わせで東京方面、土曜日は前述の甥の結婚式、日曜日はまたレレ教室、あれよあれよの4月最終日であります。

月曜日は目刺し、サワラの塩焼き、油揚げ、コンニャク、人参の煮付け、エビとブロッコリーのマヨネーズ和え、キャベツの味噌汁、お土産にいただいた京都のちりめんじゃこ/火曜日は秘書外出につき、塩豚肉弁当、シュウマイ、薩摩揚げ、ポテサラ/昨夜は鶏肉とダイコンの煮付け、昆布の佃煮。

写真は「ひと叢の花菜あかり」、Cマウントレンズで撮影。

2015年5月2日(土)
夕刻から御徒町にある出版社で撮影の立ち会い。ジャズ・ジャーナリストの小川隆夫さんの著作(3部作)の表紙イラストを担当することになり、そのイラストアイデアが「名盤ミュージシャンになった私(小川さん)」というもの。現代美術家の森村泰昌の「~になった私」シリーズ(http://www.morimura-ya.com/gallery/)だね。森村さんと違うのはそれをぼくが絵に描くという点▶ベースになるのはそれぞれジャズ名盤のマイルス・デイヴィス「Kind of Blue」、バド・パウエル「The Amazing Bud Powell volume 1」、ソニー・ロリンズ「Newk's Time」。最初は、編集者さんがiPhoneで撮った小川さんの写真を元に、ぼくが名盤ジャズ・プレイヤーに似せて描くという方向だったが、いまいちオリジナルの雰囲気(照明や微妙なアングル、表情等)と違っていたので、撮影に際し、少し細かい指示をお願いしたら、じゃあ本格的に撮ろうということになり、元プロカメラマンという出版社社員の方がカメラ担当、本格的な照明機材も持ち込み、本日の撮影となったというわけ▶初めてお会いした小川隆夫さんは温厚な感じのちょっとシャイな方で、「〜になった私」を演じることには照れがあったようだが、なかなか楽しい撮影だった。撮影終了後、御徒町の居酒屋で編集者A氏と炉端焼きつつきながらビール、ハイボール、歓談。帰宅後、おにぎりとカップラーメン/昨夜はホッケ、竹の子煮付け、ほうれん草お浸し、キャベツコールスロー。さて、明日は甥の結婚式、午前中の式なので朝早くに出かけねばならん。もう寝なければならん。

画像()は、小川さんが「〜になる」予定の名盤ジャズ・ジャイアンツの3人とその中のバド・パウエルに「なろうとしている」小川さんの撮影風景。

2015年5月3日(日)
昨日は甥(兄の次男)の結婚式@表参道に行ってきた。ハレの日は文句のつけようがない晴れ。初夏のような気持ちの良い日差しの中、式場は明るいガラス張り、戸外オープンテラスがあるオシャレなスペースでの結婚式は、若い二人にふさわしく、とても良い雰囲気だった。結婚式というのはいいね。ラブ&ハッピー満載の二人のおこぼれいただき、こちらも幸せな気分になる▶新郎は若手弁護士、友人・知人で持つべきは医者とロイヤーというのがアメリカ等であるが、親族に弁護士がいて、なんとなく心強い(いや、ぼくは法的にやばいようなことは「ほとんど」してきませんでしたが……)。新郎、新婦は高1からのクラスメイトの関係で、知り合って結婚に至る15年間のお互いの過去はよく知っているという、若い恋の成就という点でもほほ笑ましい(新郎の両親、つまりぼくの兄夫婦も高校の2学年の差の先輩、後輩の関係ということがあった)▶そうそう、彼らは婚姻届を役所に提出する際、本籍を彼らの愛の誕生の地、ふたりの母校の住所にしたとのこと。そんなことができるんだね。なかなかロマンチックなことをするではないか、と思った▶@披露宴会場、新郎、新婦いったん退場の前、ビール、シャンペン、ワイン等を飲みつつ、普段食べられないご馳走をお気楽に味わっていたほろ酔いの最中、会場アナウンスがあり、「……かつてはミュージシャンであり、今回のウェルカムボードを描いていただいたイラストレーターでもある……」と聞こえ、「あれれ? なになに、オレのこと?」と一瞬慌てたが、それは新郎を会場外にエスコートする役割を、叔父であるぼくがやるということで、そのことをまったく事前に聞いてなく、新郎のちょっとしたサプライズの仕掛けだった。ものの見事にサプライズした叔父であったが、嬉しかったよ▶「新郎がギターを弾き、歌を歌ったりするのもこの叔父さんの影響で……」という下りもあったかな。甥が少年だった頃、ギターを教えたりして、その後、彼はザ・フー並びにストレートなパンク系ロックのファンになり、フェンダー・ジャズマスターなんかを買ったりしたギター青年になったのだった。披露宴パーティに流される楽曲の選曲も、そんな彼ならではで、好ましかった。最後に流れたのが矢野顕子と忌野清志郎のデュエットで歌われる『ひとつだけ』。離れている時でも わたし(ぼく)のこと すぐに呼び出してほしい ねえ おねがい♪ ラブ&ハッピーの二人にふさわしいラブソングだった▶ウェディング終了後、兄夫婦やもう一人の甥夫婦(こちらは結婚7年、愛くるしい3才の長女も式に参列)、下関から駆けつけた88才になる義姉のお母さん(お元気)、弟さん夫婦等で、オシャレな街のオシャレなカフェでお茶を飲み、解散。新郎の祖母(つまり、ぼくの母)は式に参加することは叶わなかった。今度、母に会ったら写真を見せてあげよう▶帰宅後は、前日あまり寝てなかったこともあって、夕食食ってバタンQ、今朝目覚めたのが9時半ごろ、9時間は寝た。「寝る子は粗雑」(再三引用、直井ちゃんの名作)だが、「寝る子はラブ&ハッピーに育つ」と思う。各種フレンチなオードブル、ウニが入ったスフレ、ラム肉ソテー、デザート各種等のご馳走@披露宴、帰宅後にざるそば、巻きずし。

写真(10,)は件の結婚式の模様。

週刊「猫並日記」2015 (4.20〜4.25)

2015年4月20日(月)
起床後、シャワー、洗濯、部屋の掃除機がけ、近隣スーパーでおみやげ用のお菓子類購入。夕方から雨が本降りになると言うので、早めに実家を後に。下関駅近くのコンビニでトランクの発送を終え、いつもは下関の駅うどんをミッション最終日の常としていたが、気が変わり、小倉に向かって、九州ラーメンを食べたのが先程。で、WiFiがある小倉ロッテリアなう。遅い時間の飛行機なのでまだ時間はたっぷりある。さてさて▶今回のミッションは行く前からの持病の「粗忽症」が思わしくなく、何かヘマをしでかすのではないかと心配していたが、ここまでノープロブレム。強いて失敗したなと思うのは、先ほど食った九州ラーメンがあまり美味しくなかったこと。九州で食べる九州ラーメンがすべて美味しいわけではないということを知った。下関のうどんにしておけば良かった▶夕方から雨脚が強くなると予報では言っていたが、むしろ、小雨も上がり、ここ(ロッテリア)の窓から見えるアスファルトも乾いている@小倉。東京方面は夜から荒れるとも天気予報で。荒れ模様が予想される夜の飛行機に乗るわけで。ちょっと嫌です▶iPadになって、タイピングも随分楽になった。変換もアンドロイドよりいい感じ。得意の長文もこれならそんなに苦にならない。ワンセグのテレビ受信機も活躍、行く前にダウンロードしていたポッドキャストや青空文庫、ゲーム各種、等で本を持たずに済む。iPad大活躍の今回ミッションであった▶であった、と過去形で書いたが、家にたどり着くまでがミッション。懸念していた大ヘマもこれからやるかもしれない。遅い飛行機だからとのんびりしすぎて乗り遅れるとかね。さて、そんなことがないようにそろそろ空港行きのバスに乗るとするかな。いや、まだ時間はたっぷりとある。ワンモア・カップ・オブ・コーヒー・フォー・アイ・ゴー。
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北九州空港、20時20分なう。前に羽田に向けて出発した飛行機が強風のため、羽田空港に着陸できず、引き返し、関西空港に着陸したとアナウンスあり。こちらからの出発便も遅延が出てる模様。いまのところ、ぼくが乗る便(21時5分発)は定刻通りの出発とのことだが、羽田に着陸できない場合は北九州空港に戻る場合もあるとのこと。さてどうなることやら。以上、実況はへっぽこ山下でした。
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ぼくが乗る飛行機は定刻より15分遅れで出発の模様、だったが、さらに遅れる可能性も、とただいまアナウンスあり。で、羽田到着もどんどん遅れるわけで、ここまでノープロブレムできていた今回ミッション、羽田からの帰りの電車問題も出てきた。やれやれ。以上、実況はへっぽこ山下でした。
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結局、ヒコーキは1時間ほど遅れて北九州空港を離陸、1時間ほど遅れて羽田に着陸。あたふたとヒコーキを降り、空港から最終品川行きに乗車したのが午前0時近く、京急蒲田で横浜行きに乗り換え、横浜に着いたのが午前0時25分頃、相鉄への乗り換え通路で「最終海老名行きが発車します」とアナウンスが聞こえたので、ダッシュ、しかし眼前で電車の扉は無情にも閉まったが、肩で息をしている哀れなおじさんを駅員さんが見かねたのか、ドアを開けてくれたのでなんとか最終に間に合った。いったん閉めたドアを開けてくれる電車はそんなにないと思う。相鉄いいね! 駅員さんありがとう!▶てなわけで、珍しく粗忽も忘れ物もヘマもなく、順調に終わるかと思えた4月ミッション、でも万事順調というのは、やっぱり、ぼくらしからぬことということか。最後の最後に慌てた。「家に帰るまでがミッション」、やれやれ、なんとか無事に家にたどり着きました▶しかし、羽田に着いたとたん、むっとするような湿気と暑さを感じ、ここはハワイか沖縄かと思ったよ(小倉は肌寒いくらいだった)。東京、横浜、嵐の後の痕跡を感じつつ、ホームタウンの大和にたどり着くころは雨もすっかり上がり、今、午前2時、外はウソのように深閑としております。長い長い一日でありました。へろへろです。

2015年4月24日(金)
水曜日は夜間レレクラスでポロリンコ♪ 昼間クラスでやった「春シリーズ」(「春の小川」、滝廉太郎「花」、「朧月夜」)や、「さんぽ」(「トトロ」で使われた曲)を、そして「Bye Bye Love」(エヴァリー・ブラザーズの)、ビートルズ「Black Bird」、「世界は日の出を待っている」、「ムーン・リバー」、さらに生徒さんリクエストの「憧れのハワイ航路」、などを準備していて、童謡、唱歌、アニメ楽曲、アメリカン・ポップス、ビートルズ、ラグタイム、スタンダード・ナンバー、昭和歌謡、と何でもありの様相を呈してきたが、やらないのはハワイアンというウクレレ教室▶昨日はジャズ本の表紙イラストの依頼いただき、その打ち合わせ&飲み会に神保町へ。神保町は「楽器クルーズ」でもよく歩いた街だが、好きな街。編集者A氏はぼくより10才年下だが、70年代文化の見識深く(団塊世代嫌いで、彼らに対抗するためにということがあるらしい)、楽しく歓談、中華つまみつつビールもすすんだ▶「ミッション」以来、早起きが続いており、昨夜の帰路は酔いもあって、眠くて眠くて、帰宅してすぐにバタンQ。8時間ノンストップ・スリープで今朝は8時起床。よく眠れるのはいいことだが、実は「ミッション」最終日の大慌て出来事の余波で腰痛が続いていて(ぎっくりではないので大したことはないですが)、ガラスの腰を撫で触りつつ、あれやこれやとやって、You Gottaとなりぬる。

火曜日は天丼、小うどん、冷や奴、キャベツの甘酢、干瓢サラダ、茎ワカメ/水曜日はオムライス&マカロニサラダ/昨夜は特大ギョーザ(美味だった)、中華おつまみ各種(辛いのやら、甘酸っぱいのやら、しゃきしゃきしたのやら)、青島ビール@中華レストラン、帰宅後、寿司セットにカップヌードル(酔っぱらうと大食いになる)。

写真()は今回「ミッション」期間中、実家の庭のツツジやそこらの野の花を母の病室に日替わりで持参した図。母への手土産はこれが一番。

2015年4月25日(土)
気持ちE天気。起き抜けのアイスコーヒーがうまい季節になった。年中、コーヒーは飲むけれど、この時期くらいから秋口までが「アイスコーヒー期」、冬場から春先にかけては「ホットコーヒー期」となっていて、三日前くらいから今年のボージョレ・アイスコーヒー解禁日を迎えたところ。もうしばらくすればボージョレ・半ズボン解禁日となるのが待ち遠しい。ものぐさのぼくにとって一日中、半ズボンとTシャツでいられるシーズンが一番好きなんだ▶ところで、ぼくの「ミッション時」における最大の楽しみ(になった感あり)は、デパ地下やスーパーの割引タイムセールで食品をゲットして、家に持ち帰り、ビールとともに食すこと。昔から一人で食堂などに入り、食事をするのが苦手で、それは食事はとことんリラックスして、ふしだらに食べたいから。寝ながらベッドで食べるのが一番好きだったりね▶あと、そのとき食べたいものを食べる、というのがいいよね。だから、デパ地下やスーパーの総菜売り場をぐるぐる巡りながら、あれにしようか、これにしようか、うーむ、うーむと逡巡しながらの食品を選ぶのはけっこう楽しい。ふだんはあまりそんなことする機会はないし、この行為は「ミッション時」に限られるのだけど▶で、3割引、半額でゲットした食い物がうまかったりすると、とても幸せな気分になる。ひとり実家の茶の間で「戦利品」を広げて、ビールを飲みつつ食しつつ、「うーん、んまい!」とか言っちゃうものね。地元下関のそうした食い物、こちらと比べてうまいと思う。安いし。しかし、こうしたことで幸せになれるぼくはホント、安上がりな人間だと思います。アジフライ、キャベツサラダ、マグロ刺し身、イカの煮付け、竹輪、彦島味噌(ぼくの地元の味噌、今回買って帰った。好きなんだ)の味噌汁(ダイコン)、モズク酢

てなわけで、写真は「ミッション時」に食ったもの。左上の定価780円2割引のにぎり寿司セットはウニの軍艦巻き入りで、こちらのスーパーで売られている同価格帯のものよりはるかにうまい。右上は割引シールが貼られてないが、デパ地下で半額でゲットしたもの。あなご寿司980円が半額の440円、んまかったです。

週刊「猫並日記」2015 (4.13〜4.19)

2015年4月13日(月)
うっかりセイ兵衛の粗忽、ドタバタ、やきもき劇場といった先週から週末、本日にかけてでございました(文章、だらだらと長いです。すまんです。)▶さて、顔料インクプリンターが壊れ、ヤフオクでゲットしたのが先週初め、だがノズルの詰まりがあり、クリーニングをしているうちに、マットブラックがなくなり、アマゾンにオーダーしたが、週末までには必要なプリントアウト作業、到着が待ち切れず、自転車で20分くらいかかる家電量販店に行き(以前は近くにあったのが移転してしまった某Y電器)、インクをゲット、装着したが、まだ2色に詰まりがあって、「強力クリーニング」をかけたら、あっちゅうまにマットブラック以外の全色(9色)がなくなり、量販店で買えば1万円以上、本体値段(1万5千円+送料)に迫る価格になるので、うーむ、どうしたものかと思案したのが先週半ば、で、ヤフオクをチェックしたら該当プリンター用の中古純正インク9色セットがオークションにかけられているのを発見、しかも翌日終了という期間、週末印刷に間に合うかもと、とにかく落とす、という勢いで新品価格の半値、4500円程度で落札、即入金したが、相手から連絡なくやきもきしつつ、一両日中に連絡遅れのお詫びと発送の知らせがあり、インクが到着したのは土曜日の午後4時過ぎ、即インクを充填、結局2色の詰まりはプリンターの元の持ち主が純正ではなく、代替インクを使っていたことが原因と判明、プリンター会社の陰謀であれなんであれ、プリンターインクは純正に限る(特に顔料系は)と納得しつつ、とりあえず満足のいく印刷結果に胸をなで下ろしつつ、速攻で頼まれていたCD-Rのジャケを印刷、ジャケ用にカットして、あたふたと5時半には吉祥寺に向かったのは、友人の武田さんホストによる「ヴォーカル・ナイト」@吉祥寺「MEGU」に参加することになっていて、印刷を焦っていたのは、このイベントの参加者プレゼント用のCD(武田さんセレクトのボーカル曲のコンピレーション、ジャケットは本のイラストに使ったシナトラ・レコードのパロディ)を彼に頼まれていたことがあったのだった▶半年ごとに開催されるこの催しは今回で23回目というロングラン・イベントだが、今回は武田さんの本「ヴォーカルはいつも最高だ!」(表紙イラストを担当したもの。昨日付け朝日の書評欄「扉」で紹介されているので、よかったらチェックしてみて)の出版記念もかねていたことからか、いつも以上に大盛況で店内は超満員の状態だったが、事前に「ゲストとしてちょっと演奏してくれない?」というオファーがあったので、「(へっぽこ)シンガーソング・イラストレーター」はウクレレ担いで吉祥寺まで行って参ったが、久しぶりのアウェイ(ホームはパラ本)での演奏、しかも50センチ眼前に迫る黒山のような過密オーディエンスという状況で、柄にでもなく上がってしまい(演奏直前まで何でもなかったのに、「黒山の圧」を感じた途端、指が動かなくなった)、さらにジャズ喫茶特有の暗い店内、譜面の文字も老眼でかすみ、ミスを連発(ま、いつものことっちゃいつものことですけど)、耳が肥えたマニアの巣窟でちょいとお恥ずかしい演奏をしたのでそれが心残りとなったが、5才の頃から知っている武田さんのお嬢さんに、随分久しぶりに会い、彼女は目を疑うような奇麗な「大人の女性」に変身、彼女に再会できたことが嬉しく、それなりに楽しい夜を過ごし、それでも週末の夜の満員小田急線にうんざりしつつ、深夜帰宅したのだった▶ところで、その夜はもう一人のゲストである胡弓(あの中国の弦楽器ね)奏者とも共演したのだが、お名前が小林和生さん、その名前をひっくり返して「林小和生」、そう、かのRCサクセションの初期から絶頂期にかけてのベーシスト、リンコ・ワッショーさんであって、彼は武田さんの古くからの友人で、話せば(書けば)長くなるが(書くけど)、武田さんという人はRCサクセションの前身、「THE REMAINDERS OF THE CLOVER」(だから、RCサクセションの「RC」は「REMAINDERS OF THE CLOVER」のRC)の元メンバーであって、岩手生まれ国立育ちの武田さんとリンコさんとは「歩いて30秒(つまりお隣)」の関係で、キヨシローとも歩いて数分のご近所関係故、彼らは2年先輩の武田さんちによく遊びに来ていたということであって、RCサクセションの歴史を語るときに知る人ぞ知る人物なのであって(武田さんはその後、「日暮らし」というグループを率いて、ヒット曲も飛ばしたという人物なのだが)、そんなことで武田さんの旧友のリンコさんが、最近ベースから持ち替えたという胡弓の奏者として、当夜のゲストとして登場したのだった▶で、武田さんから「リンコが『りんご追分』(キーはBbm)と『フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン』)キーはF)を胡弓でやるので伴奏してくれないか」いう相談が事前にあり、「いいよ」と答えたことが共演のきっかけで、「りんご追分」(美空ひばりの古い曲)は独特の間があり、伴奏は難しいなあ、胡弓だけに呼吸を合わせるのが難しい、とかしょうもない駄洒落を考えつつ、それなりに練習して、ぶっつけ本番で伴奏に臨んだが、最初の音出しで「あれ? キーが違う」というのがあり、BbmではなくGmだったということが判明、リンコさんは「え? そうなんですか」とのんびりと仰り(ロック系のミュージシャンは意外とこういうことがある。でも、初対面のリンコさんはとてもいい感じの人でしたけど)、ぼくはその場で慌てて移調に及び、ちょいとしどろもどろがあったが、なんとか伴奏を終え、次の曲は「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」というところで、ぼくは「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」を(なぜか)「ムーン・リバー」だと当初から勘違いしていたことに気がついて、いやはや、なんともはや、先入観の恐ろしさ、急遽、MEGUに置いて合った歌本に「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」のコード譜があったので、それを老眼で見ながら伴奏に及ぶという、しっちゃかめっちゃかだったが、なんとか伴奏の役割を終えたのだった▶そんなこともあって、演奏が上手くできずくったくったになった土曜日の夜が明け、日曜日は朝からレレ教室、こちらは特に失敗もなく終えたが、夕刻に帰宅し、さすがにくたびれてコタツでうたた寝、昨夜はプリンター関係、「ヴォーカル・ナイト」、レレ教室、一連のやれやれが過ぎ、久しぶりにゆっくり眠り、今朝、当夜の武田さんからお礼の電話あり、いろいろと長話しして、受話器を置いた途端、電話あり、「あの、今日のスカイプ・レッスン、どうなってます?」とスカイプ・レレレッスンの生徒さんからで、やや、うっかり、スカイプレッスンを今日の午前中にやることを忘れておって、時間は10分も過ぎていたのだが、平謝りし、即、スカイプレッスンを開始、お昼くらいまでポロリンコ♪をやったのでした。元々、そういう資質があるのは承知しているが、最近、うっかり粗忽の傾向がひどくなったように思う。うーむ、どうしてくれようか。金曜日はまぐろ刺し身、豆腐と竹輪、キノコのお汁、鶏と大根、サヤエンドウの煮付け、イモ天、おから/土曜はラーメンとおにぎり/昨夜はカレーライス

写真()は一昨夜の「ヴォーカルナイト」@吉祥寺MEGUの模様。

2015年4月16日(木)
<山笑う日を待ち便りせずにいる>というのは母の句。「山笑う」は春の季語。桜も散り、春もたけなわ、若い青葉が眩しい季節になる。遠くにかすむ山肌の緑も日増しに濃くなって、くすくす、ふふふ、ほほほ、はははと笑うがごとくの明るい春の山の様子が「山笑う」。春になるまで「便りせずにいる」のは、春の陽気な笑い声とともに便りを届けたいから、かな▶さて、本日より来週頭にかけて、母を訪ねて1千キロ、4月ミッションに参ります。このところ、花冷えのぐずついた天気が続いていたが、今日あたりから春の陽気に列島は覆われそう。山笑う季節の今回のミッション、母ちゃんへのお土産に陽気な笑顔を鞄に詰めたところ▶昨日、一昨日とレレ教室でポロリンコ♪ こちらも練習課題に「おぼろ月夜」、「春の小川」、滝廉太郎の「花」(生徒さんリクエスト)と春の三題噺で。フツーにやったのではつまらないので、「春の小川」、「花」はハワイアン・シャッフルバージョンでやったり。月曜日は塩サバ、キャベツ炒め、かんぴょうと油揚げの煮付け、刺し身コンニャク、豆腐とワカメの味噌汁/火曜日はほっけ、卵焼き、茄子の煮浸し、大根なます、ひじき/昨夜はチキンと玉子の甘酢煮、おから

写真はもうだいぶ散ってしまったけれど、ちょっと前の源平桃@ウチのすぐ前の家。紅白の花弁をつけるから「源平」。とは言え、合戦をするわけでもなく、あくまで平和に紅白が共存する花木

2015年4月17日(金)
「光のどけき」春らしい一日でありました@下関。実家の庭にピンクのツツジが咲いていたので、ひと枝手折り、母への手みやげにした。
「どこに咲いちょったん?」
「家の庭に咲いちょったよ」
「どこに咲いちょったん?」
「家の庭に咲いちょったよ」
以上の会話を五、六回、繰り返して、母はうなづきながら、ツツジをしばし眺めておりました▶今日の昼食はここのところで、一番多く食べたかもしれない。と言っても全体の二割程度だけど。けっこう元気で安心した。ウクレレを弾いてとせがまれて、ついこの間、教室でやった「春の小川」や「花」(春のうららの隅田川、ね)とか歌って聞かせた▶母が元気だったころ、父と東京にやってきて、一緒に隅田川の桜を見物したことがあった。「覚えとる?」と聞いたら、「あんまり覚えとらん」と。母は今を生きる人。

2015年4月18日(土)
暖かい穏やかな一日でありました@下関3日目。昨日、持っていったツツジがしおれていたので、病院近隣散歩のついでに、道端そこらに咲く春の野の花アラカルト、摘んで、母のベッドサイドの一輪挿しにテキトーに活けた。中でも母はヒナゲシの花がお気に召したよう。食べ物、お菓子類、おみやげに持っていっても、まったく口にしなくなったので、路傍の花のプレゼントは我ながら良い思いつきであった。タダだしね。今日も母のそばにずっといて、ぼくも幸せでした。

2015年4月19日(日)
今日は朝からぐずついた一日であったが、雨も大したことはなく、そんなに寒くもなく、濡れて参ろうの春雨も、ま、よかろうくらいの@下関4日目▶母との逢瀬最終日、会話が途切れての刹那、母が大きなはっきりした声で言ったんだね、「ここにいてください」。後ろ髪を引かれる思いで、母と別れて参りました▶帰路、綾羅木「ビートカフェ」に立ち寄り、雨にけぶる綾羅木の海を眺めて参った。友達の藤田くんとも会って、ビール。Akikoさんに下関駅まで車で送っていただき、ラッキーだったよ。

週刊「猫並日記」2015 (4.9)

2015年4月9日(木)
<花吹雪あつまる夢の現住所>というのは母の句。花びらが風にそよいで、たどり着いたところが現住所。人間だって、風に吹かれるように生きてきて、そこかしこにたどり着く。ぼくとて、なぜ今の住み処にたどり着いたのか、いろいろあって今に至るとしか言いようがない。散った桜の花びらも、また風が吹けば「住所変更」をするかもしれないが、やがて終の住み処に落ち着き、そこで朽ちるわけで。ぼくも考える、ぼくの終の住み処は何処だろうかと。ここではない、何処か、それが「夢の現住所」▶昨日は散った桜の花びらに雪が降りかかったところもあるかもしれない。ラジオでそのうち春夏秋冬ではなく、夏冬夏冬になるかも、なんて言ってた。異常気象が異常でなくなり、世界もどんどんまっとうではなくなっていくように思う。でも、<だいじょうぶだいじょうぶと唱え春日影>(拙句)と願っていたい。

昨夜は夜レレ、帰宅してカツ丼、キノコと豆腐のお汁、大根なます、ほうれん草の酢みそトッピング、煮豆/日曜日はオムレツ、イカ天、かんぴょうと油揚げの煮付け/月曜日は八宝菜、、ワンタンスープ/水曜日は鶏つみれ鍋、ヒジキ

写真(.)はすぐ近所の「花絨毯公園」(と勝手に命名)の模様。これはあまり人が立ち寄らなかった頃(4,5年前)に撮った写真。毎年、桜が散る頃には撮影を試みるが、最近は桜の時期、子どもたちが多く集まるようになり、散った花びらも蹴散らされるのでこんなふうにはならなくなった。

週刊「猫並日記」2015 (3.30〜4.5)

2015年3月30日(月)
E天気。定冠詞”The"を付けた春のレレ日和。桜も一気に満開に向かうことでありましょう。木曜日、そして日曜日とレレ教室。教室に使用している学習センターの部屋の窓から見える桜の花を愛でながら、練習課題にした「さくら さくら」を生徒さんたちみんなで演奏した。「和の響き」を出すため、マイナー6thや9thを使って、コードを付けたので、初級レベルの生徒さんたちにはちょっと難しかったようだが、雰囲気はばっちり。あでやかに咲く桜のはかない一面も表されていて、あの曲は日本が世界に誇るべき名曲だなと思った(昔はそんなことちっとも思わなかったけど)▶ところで、ぼくは生徒さんたちからいろいろなものをいただく。お菓子とか食べ物が多いけど。ちょっと弦交換をしてあげたお礼にとか、ちょっとウクレレに関する情報を教えてあげたお礼にとか、特に何でもないのに「これ、作ったから食べて」とか。ありがたい。水曜日には和菓子、チョコレート菓子、昨日も小田原の「揚げかま」とかをいただいた。ありがたいそういう生徒さんの中で、ほぼ毎回の教室で、お菓子や食べ物をくださる生徒さんがいた。ぼくよりちょっと年配のSさんというおばさま。で、いただくものは銘店の包装紙に包まれたようなものではなく、自宅で作ったおにぎりとか、おはぎとか、豚肉の角煮とか、コストコとかで売ってるようなでかい缶入りのチョコレートとか(いただくものはいつもけっこう量が多い)で、こじゃれたものはあまりなかった。それも、教室が終わって、ぼくが自転車にまたがって帰ろうとするところに、小走りでやってきて、「先生、これ食べる?」とちょっとぶっきらぼうな感じで渡してくださるのだ。そして、お礼を言おうとすると「いいの、いいの」と照れた感じで足早に去っていく感じ▶Sさんは、学習センターで教室を開講してほどない一昨年夏前ごろに加入してきた生徒さんで、フラダンスを長くやっていたというハワイ好きだが、ウクレレはビギナーとして教室に入ってきた。ハワイで買ったというカマカ・ソプラノをお持ちで、せっかく良いウクレレを買ったから、ものにしたいというのが教室に入ってきた動機だった。でも、なかなか上達に至らず、昨年の5月に「体調を少し崩したので、しばらくお休みさせて」ということになった。だからSさんが教室に通ってきてくれたのはおよそ1年間足らずの期間▶ウクレレという楽器はみかけによらず、弾きこなすのは案外難しい楽器(ほとんどのビギナーさんたちがそう思うみたい)で、挫折して辞めていく生徒さんたちもけっこう多くいるんだね(ぼくの教え方が良くないせいもあるけど、ぼくはそれが残念で、もっとていねいにゆっくり教えようと日々、教え方の改善には留意しているつもり)。Sさんも体調が回復してもなかなか教室に復帰できないのは、ウクレレ、あきらめちゃったかな、残念だな、と思ってた▶そのSさんが今月お亡くなりになったことを、Sさんのお知り合いの生徒さんから聞いた。癌を患っていたそうだ。まだ70才ちょっと。お葬式に参列したその生徒さんから聞いたところによると、祭壇にぼくがペグ交換をしてあげたカマカが飾られていたそうだ▶最初のころ、Sさんから「チューニングがうまくできない」という相談を受けたことがある。カマカはペグはあまり良くなくて、チューニングし辛いんだね(今のカマカはギアペグになったけど)。で、新しいペグ(ゴトー製)を買ってもらって、ペグの交換をしてあげたんだ。取り付け手間賃として現金をくださろうとしたので、それは固辞し、「その代わり、ぼくの教室に今後10年は通ってください」と冗談を言ったら、「これから10年も生きてられないわ」と返されたので、あれ? と思ったことを覚えている。その後くらいから、毎回の教▶でなにかしら、ぼくにプレゼントをしてくれようになったんだ▶朴訥な感じで飾らない性格の良い人だった。Sさんをもっとお上手にしてあげられなかったことが心残り、哀しいです。合掌。金曜日はメンチカツ、しいたけの天ぷら、モヤシと水菜のサラダ、ワカメと豆腐の味噌汁、大学イモ、土曜日は焼きうどん、昨夜はマグロぶつ切り、ジャガイモと玉葱の甘辛煮、だて巻き、大根なます、ネギとワカメの味噌汁、いただいた小田原揚げかま。

写真は近隣遊歩道のほころび始めた桜の木の下で、ひっそりと地面に咲いていたサクラに似たニワウメ。Sさんが偲ばれるように思った。

2015年4月1日(水)
iPadを手に入れて以来、便利な道具を手に入れたサルのようにモニター画面をなで回している。色々と面白いアプリはあるが、グーグルの音声認識による検索機能、認識精度もけっこう高く、なかなかのもの。書き物などしていて、フリーハンドで検索できるのがいいね。ただ、周囲に人がいるときには検索がはばかれるジャンル(ま、エロ系ですけど)について、音声検索をするのはちょっとあれだけど(秘書がそばにいないのを確認してiPadさんに「おっぱい画像」と語りかけたら、まあ、出るわ出るわ、各種色とりどりのおっぱいが)▶で、思いついたんだ、昨日の深夜。もしかしたら、ある言葉(特に自分に親和性のある言葉)を強烈に念じてテレパシーで送ったら認識できるんじゃないかと。これこそ、究極の検索方法ではないかと。やってみました。とりあえず、ぼくにとってとても親和性の高い言葉「ウクレレ」をマイクアイコンを目の前に心の中で一心不乱に唱えてみた。ウクレレ、ウクレレ、ウクレレ、ウクレレ、ウクレレ、ウクレレ、ウクレレ、ウクレレ、ウクレレ、ウクレレ。ウクレレにまつわる思いつくあらゆるイメージも心に浮かべながらね。ウクレレ、ウクレレ、ウクレレ、ウクレレ、ウクレレ、ウクレレ、ウクレレ、ウクレレ、ウクレレ、ウクレレ。念仏のようにね▶小一時間も続けてたら、急に画面が切り替わり、なんとウクレレの関連サイトが出てきたんだ。ホントなんだ。なんかできるんじゃないかと妙な確信があったのだけど、さすがに目を疑ったね。すごい発見だと心臓がドキドキした。これを発表したら、スタップ細胞並みのセンセーションになるなあ、どうしよう、テレビ出演依頼もくるなあ、どうしよう、とか思って昨夜はほとんど眠れなかった▶はい、ここまで読んでくれた方(おわかりでしょうが)、いわゆるひとつの4月馬鹿であります。てなことで、4月となった。あれよあれよだ。今月は来週あたりから忙しくなりそう。あれや、これや、ちゃんちゃんとやっていかねば。月曜日は豆腐とキノコのチャンプルー、水菜。キャベツ、キュウリ、モヤシ、ハムのサラダ、薩摩揚げ、オクラの胡麻和え、昨夜は、鶏の唐揚げ、ほうれん草のお浸し、ほうれん草の味噌汁、玉子かけごはん

写真()は一昨日、久々のヒット・ザ・散歩ロードでの桜。

2015年4月2日(木)
<箸立に鉛筆一本花ぐもり>というのは母の句。ぼくは筆記用具として鉛筆が一番好き。で、部屋のいたるところに鉛筆が置いてあるのだが(はずだが)、使おうと思うと手元になく探すことが多い。見つけるとたいてい、二、三本まとまって置かれてある。使ったら使いっぱなしで(何でもそうなのだが)、元あったとことに戻さないから、いつも探すことになる(秘書からよく言われる、分かっている)。でも、この性分はなかなか直らない。最近、もう直らなくていいや、と思うようになった。カレーライス

写真(,)は近隣坂道道路脇の枝垂れ桜。三日ほど前撮影。

2015年4月4日(土)
<白湯のんで毒を消しましょ春の宵>というのは母の句。母が好む飲み物は少しだけ砂糖を入れた白湯。緑茶でも紅茶でも、ココア、コーヒーなどではなく、白湯。白湯がいいんだと。つましく、つつましくシンプルな飲み物、白湯。言葉の響きも清しく、柔らかい、さゆ、白湯。「毒消し効果」も高いのかもしれない。生きていれば心に毒が溜まる。コーヒーにも飽いたので、さっき白湯を飲んでみた。母を真似て少し砂糖を入れて。ほんのり甘いただの白湯の味。身体が少しきれいになる気がしないでもない。少しは毒は消えただろうか▶先月は兄がLAから帰ってきたので、兄が母を訪ねた。まずまず変わりはないようだ。安心した。木曜日はシュウマイ、キノコとほうれん草、豚肉の炒め物、卵焼き、めんたいこ/昨夜はチキンフリッター、水菜と人参のサラダ、豆腐とワカメの味噌汁、刺し身コンニャク/今夜はガーリックバター・チキン、コールスロー。ウチのメニューに鶏肉多し。

画像は散歩ロードの桜、今日現在。久々にCレンズで撮影。いろはにほへとちりぬるを。

2015年4月5日(日)
「きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない」というのはカミュの「異邦人」の出だしだけど、「きょう、プリンターが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない」、正確に言うと「きょう(ではなく、二日前)、プリンターが死んだ(ことを確認した)。もしかすると、昨日(ではなく、前回インク切れの直後の三ヶ月ほど前)かも知れないが、私には(原因が)わからない」▶死んだのはE社のPM4000PXというA3ノビ、顔料インクの機種で、発売されて10年以上も経つ古い機種。発売時に購入し、10年来使用してきたものが壊れ、一昨年末にヤフオクで同機種中古(そこそこ美品)を購入、だから今回「死んだ」のは二代目。この二台目の二代目は、結局、あまり使用することもなく、そこそこ奇麗なお顔のまま、息を引き取った▶「死因」はインクカートリッジの認識不良。イエローが切れていたので、アマゾンで純正を購入、装着しても認識しなかった。インクカートリッジ側に問題があるのかも(でも、純正インクが認識されないのはプリンター側の問題じゃないかとも思ったが)と、アマゾンに返品交換を要求、で、交換された純正インクを再度装着しても認識はされない。プリンター側のインク認識センサーの不具合が原因のよう(E社サポセン担当者によれば)▶この機種はとっくに修理サポートを終了していて修理はできない(もっとも修理できたとしても、プリンターは修理するより買ったが安いブツの代表なので修理するという選択肢はハナからないが)。初代PM4000PXはけっこう長期間愛用したが、紙送りができなくなり、「臨終前」は印刷中、紙を「手動」(「手差し」ではなく、手を添えて送り込む感じ)で、送りつつ、なんとか印刷をしていたが、最終的にはギーギーガタガタと異音を発し、紙をまったく送れなくなるという凄絶な最期であった▶だから、初代については身体がガタガタになるまで懸命に働いてもらって(外観もぼろっちくなって)「看取った」わけだから、壊れても惜しむことはあまりなかったが、2代目については、つい最近まで元気だったのに突然死して、しかも「死因」がよくわからないという最期だったので、惜しまれる。しかも、初代同様、けっこうの数の遺児(交換インクのことね)を残しての突然死だったから、そのことを考えるとさらに惜しい気がする。E社サポセンのアドバイス、及びウェブに記載されている「インク認識不良」の際の手段はすべて試したが、蘇生は叶わなかった。返品購入したばかりの未使用純正イエローの遺児が特に哀れだ▶で、今週末までにA3サイズでプリンター出力をしないといけない作業がある。なので早速、A3ノビ、顔料インクタイプのプリンターをヤフオクで落札した(ちょうど良さげな出品があった)。PM4000PXはずっと名器だと言われていて、ぼくも印刷結果に満足はしていたし、今でもヤフオク等に整備品の中古を見つけることはできる(いまだに1万円前後)が、もうこの機種を追うのはやめた。今回落札したのはC社のもの。E社はアートプリントユース、C社はビジネスユースという巷説があるが、格安で買ったC社のA4汎用機がE社に比べ、けっこう使いやすく、安い代替インクをばんばん使っても壊れもしないので、C社の一応、顔料系10色カートリッジ、「ハイアマチュア向け」機中古を落札した。もうじきに手に入ると思う▶ぼくにとって、パソコン及び周辺機器、電子機器の不調はもっともストレスが溜まる原因のひとつ。それは不調の原因がよくわからず、自分でなんともしようがないからだが、こういうときに身の回りのアナログなブツ、たとえば椅子や机やかばんや鉛筆やはさみや自転車なんかを見て、おまえたちは良いヤツと思う。特にアコースティック楽器のウクレレたち、おまえたちはホント、いいヤツ▶ああ、今、この文章を打っている小型キーボード、もう10数年、毎日のように使っていて、キーの文字もかすれてきた。コーヒーもこぼした、タバコの灰もたくさんかぶった、猫の毛玉入りの吐瀉ブツでさえも。でも、まったく壊れない、叩き心地も変わらない。おまえはいいヤツ。

画像は満開の桜の下、ひっそりとしかし可憐に咲いていたハナニラ