2015年2月26日木曜日

週刊「猫並日記」2015 (2.16〜2.20)

2015年2月16日(月)
北九州空港なう。搭乗手続きも終え、フライトを待つばかり。空港バスに乗り込んだら、雨が振りだした。今回も天気に恵まれた。母ちゃん孝行をウクレレ神様は見てござる、かな。さてさて。

2015年2月17日(火)
昨夜遅く、2月ミッションから帰還。下関最終日の昨日は、帰路が遅い飛行機ということもあって、一日を「実家にあるもの把握」に充てた。兄から「今の内にそろそろ実家の整理にかかった方が良い」との提案があったことにもよるが、父と母が長く暮らした実家に何が残されているのか、おおよそのところは把握していたが、古い家なので「開かずの箪笥」やら、もしかしたら「お宝が眠るかもの床の間上部の袋戸棚」やら、「秘境の仏壇の下の納戸」やらあって、これまで、詳細にチェックしたことはなかった▶「お宝が眠るかもの床の間上部の袋戸棚」については、父が生前、「ウチにはたいしたものは何もない」と言っていた(「何でも鑑定団」の影響から、「お宝」の存在を聞いたことがあった)ので、期待はしていなかったが、期待してなくて良かった(いくつかの書画の掛け軸はあったが、長年の「何でも鑑定団」の視聴により培われた鑑識眼からすると大したものではないと断定できる代物であった▶袋戸棚には他に新聞紙に包まれていた皿らしきものがあって、それはぼくが高1のときに美術の授業(たぶん)で描いた絵皿であった。皿の裏面に書かれてあった自分のサインでそれとわかったのだが、ほとんど記憶はなかった。絵についてはもうちょっと上手だったと思っていたので、少しがっかりした。あと、筒に収められていたのが、ぼくの中学校の卒業証書と美術の賞状。これについても、ほとんど覚えていなかったが、中学時代は美術以外もそこそこ成績は良かったと思っていたので、少しがっかりした▶その他、父の書棚の奥からぼくの幼稚園、小学校、中学校のときの卒業アルバムを発見、これらも大人になって以来、初めて見たように思う。これは懐かしかった。捨てずに取っておいた両親に感謝いたそう。あと、母が同人であった俳句雑誌のバックナンバーを数年分、発見。母が投稿した俳句も多く掲載されていて、これは、以前、手作りの母の句集を作ったときの出所とは別のもの。この発見が一番嬉しかった▶そんなことをしている内にあっという間に夕刻となり、飛行機の時間に遅れてはいかんとけっこう焦って実家を後にした。これだから飛行機は嫌だ。飛行機より、きままに乗れる新幹線の方が好きなのだが、「前割り」で予約すれば新幹線よりずっと安いので、飛行機を利用しているわけで(ま、飛行機も上空からの景色は楽しいけれど)。出発前、好物の下関駅の天ぷらうどんを食べて帰ったら、秘書が用意していたのは天ぷらうどんだった。

写真は昨夜の東京湾上空、及び件の絵皿、件の賞状(プチ自慢になるかな)。夜の飛行機の楽しみは都市部の夜景。機内からは窓の反射もあってなかなかきれいに撮れない。実際は宝石をちりばめたようで、ホントにきれい/60年代の終わり、イラストレーションという言葉が出てきて、そういうものに影響された作品だと思う。黒の部分に絵の具の剥離があるけど、何十年もあまり退色もなく、「保存状態」はまずまずといったところ/うーん、こういうのをもらったことはまったく記憶がない。絵はそこそこ得意だったという記憶はあります。

2015年2月19日(木)
前回ミッションのとき、実家の庭に咲いていた山茶花を摘んで病室の母に持っていったら喜んでくれたので、今回ミッションでは実家の梅の枝を手折り、母が使っていた萩焼の一輪挿しとともに病院へ持っていったのだった。実家の梅の花はまだつぼみだったが、それはそれで風情があると感じた▶母が最後に実家に戻ったのは、2011年の父の四十九日の法要のときだったと思うが、そのときは車椅子の母を介護タクシーに乗せて、車椅子のまま、家の中に運びこんだりでけっこう大変だった。もう、母は実家に戻ることはないだろうから、庭に咲く花等を見せてあげることは、母に実家の様子を想像してもらう意味もある▶「庭の梅を持ってきたよ」と母に告げると、母は少しばかり微笑んで黙って頷いた。一輪挿しに水を満たし、適当に梅の枝を挿し、ベッドサイドに置いたら、「ええ、挿し方やね」と母は言った。看護婦さんが「きっと咲きますよ」と言ってくれた▶つぼみの梅は病院を訪れた三日間の間にも膨らんできて、最終日はピンク色の花弁がほころびそうな感じになった。つぼみの梅を病室に持っていったのがおよそ1週間前、もう、母のベッドサイドの梅は咲いただろうか。そして誰にも見られることがない実家の庭の梅も咲いただろうか。ししゃも、チキン南蛮、コンニャク田楽、ひじきとゴボウのサラダ/チゲ鍋

写真は件の病室の梅。色味を変えた最後の2枚は病院訪問最終日のもの、今にもほころびそうでしょう? 写真

2015年2月20日(金)
ものぐさです。若い頃はそうでもなかったと思うが、年を取るにしたがって「いろんなことが面倒くさオヤジ」になってきた。だから整理整頓は苦手です。で、「いろんなものをよく忘れるオヤジ」にもなってきた。だから、しょっちゅう、いろんなものを探してます。ぶつくさ言いながら探してます▶2月ミッション帰還後、2点ほど見当たらないものがあって、ひとつは病院から渡された月例の母の容体報告書、それとタブレットのUSBケーブル。起き抜けから探しにかかったが、見つからないのでが、今回も忘れてきたようだ。毎回、コロボックルか、アリエッティかの仕業かなんかでなにかしらのブツを下関の実家に忘れてくる。すぐ取りに戻れる場所ではないので、嫌になる▶病院の報告書は「先月とほぼ同様」という内容だったので、いいとして、タブレットのUSBケーブルがないと充電できないし、ファイル転送もできない。で、似たようなケーブルをいろいろ試すが、ほんのちょっとの規格サイズの違いで使えなかったする。あれが腹が立つ。デジカメとか他の電子機器とか、みんな一緒にして欲しい▶そんなこともあって、正月以来、積層化を極めていた机の上の整理をした。ついでに本箱周辺とかも。そんなことをしてると、以前、やはりぼくの部屋に住むコロボックルかアリエッティかなんかの仕業で紛失していたデジカメの予備バッテリーが見つかった。捨てる神あれば拾う神あり、整理整頓が報われた▶部屋が少しはきれいになって、少しはほっとして、ウクレレを弾こうとしたらチューナーが見当たらない。探したら普段は入れないバッグのポケットに入ってた。ウクレレを弾き始めたら、爪が引っかかるので、爪磨きを使おうとしたら見当たらない。それを入れているはずのウクレレ小物袋が見当たらない。探し物はエンドレス。しょっちゅう探し物をしつつ、老いて行くんだろうなあと思った。ギョーザ、薩摩揚げ、ほうれん草のお浸し、子持ちイカ、ほうれん草と豆腐の味噌汁。

写真は2月ミッションの往路、ヒコーキの離陸から着陸まで。写真を早送りにして見てくだされ。ここのところ、毎回利用しているのが黒い機体のスターフライヤー。フライトアテンダントは制服も黒が基調で、ジャジーで大人っぽくという路線で化粧濃いめ。機内サービスのコーヒーにチョコレートがつくのでチョコっと嬉しい。今回、たぶん初めてタラップからの搭乗となった。あれはいいね。飛行機に乗るというわくわく感があります。バスからの撮影。この後、タラップから搭乗した/離陸直前/以前はこの浮遊感がすごく嫌だったが、慣れました/高所恐怖症だけど、このくらいの高さになるとけっこう平気/下界江ノ島! 初めて機上から確認できた/富士山は反対側、残念/山口宇部空港着陸間近。これは岩国基地みたい/てなことで、今回はまっことローカルな雰囲気漂う山口宇部空港に着陸。

週刊「猫並日記」2015 (2.9〜2.15)

2015年2月9日(月)
昨夜は恒例「パラ本フォークデー」に。今回は我がウクレレ軍団のひとり、タノサンが3月に千葉に異動ということで、♪次の辞令が来たらぼくは〜この街を離れ〜遠く〜とキヨシロー・バージョン「500マイル」ならず、「50マイル」(大和から千葉までの距離)を切々と歌ったり、若い新入部員の方々、常連さん、等で盛り上がった。ぼくもこのご時世にどうしても歌いたかった歌、「イマジン」を歌った。毎回「フォークデー」は外れなし。3月14日にはこのフォークデーの常連、のだっち夫妻と「ラジオのように。vol.2 」ライブをパラ本でやる予定。4月にはフォークデー5周年イベントを予定と竹島部長。パラ本良いとこ、一度はおいで。鍋焼きうどん。

写真は昨夜の模様。渋めの竹島部長に合わせ、渋めのモノクロにしてみたっち。(曽根田アッキーくんとくみこさんの写真がないのは一緒に演奏してたから。すまんね)
写真1101112

2015年2月10日(火)
ウクレレ教室、火曜日の昼間クラスの生徒さんたちが、カラオケボックスで親睦会をやるというので行ってきた。ぼくはカラオケというのはあまり好きじゃないのだけど、普段、教室では恥ずかしがってソロ歌声を披露してくれない(というより、ウクレレを弾きながらだとあまり歌えないということがあるようだが)生徒さんたちがどんな曲を歌うのか興味があったし▶で、みなさん、まあ歌うこと歌うこと、思っていたよりずっとお上手な生徒さんもいたんだね。ぼくも昼間からビールなんぞ飲み、成り行きでビートルズなんぞ歌った。でも、やっぱりカラオケは好きじゃないな。オケに合わせるという時点でつまらない。伴奏というのは歌に合わせるのが本筋だからね▶ともあれ、昼間から、みなさん、まあそれは楽しそうで、教室のときよりもずっと楽しそうだったのが、ぼくとしてはちょいとあれだったけど。で、おじさん、おばさん世代のカラオケ人気楽曲、ムード歌謡系をいくつか課題曲にしようかと。Jポップをやるよりは抵抗がないし、ウクレレ・ムード歌謡は楽しいかも▶でも、今日、ムード歌謡を色々聞いて、あれってほとんどが不倫の歌だなと思った。♪逢う時にはいつでも 他人の二人、夕べは夕べ、そして 今夜は今夜(「他人の顔」)、なんてモロだよね。こういう歌がヒットして、紅白とかで歌われていたわけだよね、一緒に見る子どもとかもいるのに。不謹慎だよなあ(笑)。鱈鍋、秘書が知り合いからいただいてきた鹿児島の高菜漬け、おいしゅうございました。

写真は、前回ミッション時の冬の薔薇,@病院内バラ園。

2015年2月12日(木)
ISILの「執行人」とされるアブデルーマジェド・アブデル・バリーのニックネームの「ジハーディ・ジョン」はジョン・レノンから取ったということだ。天国のジョンもさぞかし苦々しく思っていることだろう。今から40年以上も前に作られたこの歌が今もなお、あるいは今になってさらに意味を深めることは悲しむべきことだね。
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Imagine@パラダイス本舗

想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単だよね?
地面の下に地獄なんて無いし
ぼくたちの上には ただ空があるだけ
想像してごらん みんなが
ただ今を生きているということを
想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないよね?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているということを
ぼくのことを夢想家だと言うかもしれないね
でもぼく一人じゃないはず
いつかきみもみんなと仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ
想像してごらん 何も所有しないって
きみなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うということを
ぼくのことを夢想家だと言うかもしれないね
でもぼく一人じゃないはず
いつかきみもみんなと仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ
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2015年2月12日(木)
<つくしんぼ汝も競って出でしかな>というのは母の句。今日はE天気、春の息吹が感じられる。さて、これから「母を訪ねて500マイル+」ミッションに参ります。帰還は来週頭の予定。白菜と豚肉のうま煮、鱈汁、ポテサラ/カレイの煮付け、豆腐とキノコのお汁、ウインナーとキャベツの炒め物、コンニャク田楽。

写真は母がいる病院から送られてきたもの。お多福のお面を被っているのが母。

2015年2月12日(木)
下関なう。今回は、山口宇部空港経由でやって来たので、帰郷感が1割増し。機上から江ノ島が見えたよ。やれやれ、さてさて、これから買い物、明日から病院詣で。

2015年2月13日(金)
下関2日目。今日は天気は良かったけれど、風が寒うございました。母はほとんど食べないのは相変わらず。とろけるクッキーとか持っていったけど、口にしてくれない。まあ、仕方ない。前回、実家の庭の山茶花を持っていったことを喜んでくれたので、今回は、まだつぼみの、しかしもうじきにほころびそうな庭の紅梅を手折って持っていった。実家にあった、母が気に入っていたと思われる萩焼きの一輪挿しも。病室の梅の花が咲くと良いのだけど。

2015年2月14日(土)
下関3日目。今日は良い天気で、昨日より暖かでありました。母が「あんたについていきたいけど、なんもできんけえ、ついていけん」とか言うんだね。帰り際、また「帰っちゃいけん攻撃」があったので、日もとっぷり暮れるまで、病院におりました。息子の落としどころがようわかっちょる母であります。

2015年2月15日(日)
下関4日目。今日は終日、降りそで降らずの曇天、でも暖かでした。母の病院詣で最終日、帰り際、「明日は来んの?」「うん、明日は来られん。飛行機に乗って帰るけえ」という会話の5分後、また「明日は来んの?」「うん、明日は来られん」、これを十回くらい、繰り返すことに。眉を八の字に曲げて、それは悲しそうに言うんだね、「明日は来んの?」、別れが辛うござったです。さて、明日の夜には帰還予定。

週刊「猫並日記」2015 (2.2〜2.8)

2015年2月2日(月)
ここのところクソ忙しくてご無沙汰でございますが、だいじょぶ、山下は元気です。よろしくポロリンコ♪

2015年2月5日(木)
ホッケ、ウィンナーの天ぷら、コロッケ、ゆで玉子、キャベツサラダ/肉豆腐、春雨サラダ/ハンバーグ、ほうれん草ソテー、じゃがいも、キャベツサラダ、ワカメと豆腐の味噌汁/カレー、ポテトサラダ/牛挽き肉のポロネーゼ、ハムとチーズのブリトー、クラムチャウダー/豆腐とキノコの餡かけ、コロッケ、キャベツ、ポテトサラダ/焼きうどん、豚汁/鶏水炊き/ししゃも、肉じゃが、ゴボウと山芋サラダ、モヤシお浸し、豆腐味噌汁/チキン唐揚げ、じゃがベーコン、水菜サラダ、キュウリとカブのぬか漬け/豚肉と豆腐、野菜鍋、ゴボウサラダ/恵方巻き(昼食@コンビニ)、ブリの煮付け、イカ天、卵焼き、コンニャクとゴボウのきんぴら、カボチャ、野菜味噌汁、金時豆/天津丼、春巻き、ワンタンスープ。以上、最近の晩飯メニューでごじゃる。秘書よ、ありがとうでごじゃる。ようやく少し暇になったでごじゃる。写真は南天でごじゃる。うーむ、あらたな観点で諸々の難点を克服せねば。なんてんね。
*追記:写真の赤い実をつけた樹木について、南天ではなく「クロガネモチ」では、というご指摘をいただきました。そうみたい。早とちりするのがぼくの難点です。

雨は雪へと変わったみたい。兄はユキエと変わる、というのはボキャブラ天国の傑作。母がいる下関の病院あたりも雪が降っているだろうか。写真,は前回ミッション時、実家の庭に咲いていた山茶花を母に持っていったのだった。

2015年2月6日(金)
E天気。少し暖かくなるとほっとする。「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」、この時期になると思い出す言葉、小学校6年のときの吉田愛子先生から教わった。卒業シーズンを前にした教職関係者のみなさんは特にこの言葉に実感があることだろう。ぼくもガッコウ講師をやっていた頃は、このシーズンの時が急流のように流れていくのを感じたものだ。ただでさえ、この年になると足早に過ぎ去る日々でございますが、年度末というのは、とりわけ、あれよあれよと過ぎていく感じがありますね▶ところで、ぼくの好きな言葉に、「不労所得」だとか「悠々自適」、「楽観主義」、「明日は明日の風が吹く」等があるが、「半額」という言葉も大好きだ。「3割引」というのも好きだけど、やはり「半額」のきっぱりとした割り切り感が清々しいと思う。むしろ「ただ」よりも好きだ。「ただ」はそれなりに後からペイしなければいけない部分を内包している言葉で、「ただより高いものはない」という言葉もあるわけで。

写真は前回ミッションの折に食ったもの。総額500円未満。笑/下はあなご弁当、ちょいと高い品物が半額だと半額パワーが効いて、さらに嬉しい/実家に行くと、地元食品を食べたくなる。上はフグのタタキ、これが美味いんだ。右の薩摩揚げ、やや甘口でこれも美味いんだ。下の「ヒラソ」(ブリと同族の魚ということで味もブリに似ている)の刺し身、これも美味いんだ。そして地元の豆腐、これも美味いよ)。「半額」や「2割引」のシールが嬉しいじゃないか(「半額シール」が貼られていない商品もあるが、これはデパ地下のタイムセールで実際には半額だった)。病院に母を訪ね、帰路、駅前スーパーやデパ地下に立ち寄ると、タイムサービスのちょうど良い時間になるわけで、おばさんたちに交じり、おじさんも獲物を狙う鷹の目つきでサービス品を購買するんだね。そして「戦利品」を実家に持ち帰り、ビールとともに食すのだが、これが美味いんだね。ミッション時の楽しみのひとつ。チゲ鍋。

2015年2月7日(土)
ぼくが80年代初めに渡米して、LAでアートを学び、日本に戻ってきたのは1990年。日本がバブルの頂点から転げ落ちる頃だ。その間、一度も帰国しなかったから、帰ってきた当初は様変わりした街に面食らったものだった。まさに浦島状態。その頃、駆け出しのイラストレーターとして人脈もほとんど持たない中、人づてに紹介いただいたのが音楽評論家の中山康樹さんだった▶当時、彼はスイングジャーナルの編集長を辞め、スイートベイジルという音楽雑誌に関わっていた。スイートベイジルは短命の雑誌だったが、A4判型の、ページレイアウトもきれいで、音楽好きのイラストレーターなら是非、仕事をしてみたなるような雑誌だった。中山さんと会ったのはそのスイートベイジルの編集室▶ぼくは中山さんがマイルス(デイヴィス)・フリークであることを知らず、たまたまアートスクール時代に描いたマイルスの絵を見せたら、その絵を抱きかかえるようにして、「ああ、これ欲しい!」と言って笑った。そのマイルスの絵を中山さんにあげることはしなかったが、そのとき見せたぼくの作品群を彼は気に入ってくれ、即、仕事の発注をいただいたのだった▶それが90年のことで、駆け出し時代の仕事のひとつとなった。それから随分経った2004年に、彼が記事を書いた宝島社のマイルスのブートレック特集ムックで、イラストを使ってもらった。その後、2008年に、彼の代表的な仕事のひとつ、「マイルスを聴け! vol.8」(超分厚い文庫本)の表紙、その他のイラストに起用していただいた。そして、昨年、「マイルス・デイヴィスとジミ・ヘンドリックス」のカバーにぼくのイラストを使っていただいたのだった▶特に「マイルスを聴け! vol.8」については、中山さん自らが編集者さんにぼくのイラストを指名して使っていただき、しかもぼくが仕事以外で描いたマイルス(ぼくもマイルス好き)も使用してもらって、ぼくとしては「不労所得」の恩恵を与えられ、まことに嬉しい気持ちになったものだ▶中山さんの音楽評論はジャズをまたぎ、ビートルズ、ボブ・ディランと広範囲だが、著作を読むと音楽的な嗜好については、ぼくに似てるなあと思うことが多々あった。世代的にも同年代で親近感を覚えていた。その中山康樹さんが1月28日、亡くなった。ご冥福をお祈りします。
http://www.sankei.com/entertainments/…/ent1502060017-n1.html

画像は中山さん関連のイラスト作品群(もっぱらマイルスだけど)。これはアートスクール時代のもの。スピーカーは壊れたラジカセかなんかから取り出した本物を絵にはめ込んだ。こういうことをやるのが好きだった。これ、まだ持ってます/中山さんが編集長だった「スイートベイジル」に掲載されたアート・ブレーキーのポートレート(1990年)/同じく「スイートベイジル」掲載(90年)のブルース・スプリングスティーン。記事は中山さん。「明日なき暴走」は、ぼくも大好きなアルバムのひとつだった/厚さ5センチはあろうかという分厚い文庫本「マイルスを聴け! vol.8」のカバー。タイトル文字は金色の箔押しで迫力があった/「マイルスを聴け! vol.8」の扉用イラスト2点「マイルスを聴け! vol.8」のバックカバーと最終ページ。これは仕事以外で描いたもの/「マイルス・デイヴィスとジミ・ヘンドリックス」表紙。60年代から70年代に移る時代のジャズ/ロックの音楽シーンが、マイルスとジミヘンを軸に語られていて興味深い本です。初めてお会いした中山さんが「これ、欲しい!」と言ってくれたアートスクール時代のマイルスの絵から、アナログで描いていた駆け出しのときのイラスト、デジタル初期のころ、そして去年のものまで。チキン・フリッター、水菜、トマト、人参、玉子のサラダ、豆腐とワカメの味噌汁。

2015年2月8日(日)
こちらは冷たい雨降りの日曜日となった。ぼくは基本的に冬は嫌いだけど、冷たい雨が降る冬の日は一番嫌いだな。いっそ雪でも降らんかな。昔、新聞配達をしてたことがあって、こういう日が一番嫌だった。だから、こういう天候の日はいつも、新聞配達のみなさん、ご苦労さまと思う。今夜はレレ軍団とパラ本フォークデーに出向こうと思っているので、それまでにこのファッキング・レインは止まんかな▶先月ミッションから戻ってきてから先週半ばまで、けっこう忙しかったが、ここ数日、すっかり猫並になっております。今朝は久々の爆睡遅起き、起きたら11時近くだった。「寝る子は粗雑」はFBフレンド、直井ちゃんの不朽の名作だが、粗雑であっても「寝る子と食う子は無敵」と思う。日々の生活において何が一番大事かと言えば、食うことと、寝ることに尽きる。そのどちらも満たされていない母のことを思うと不憫であります▶ところで、生活が猫並になれば、ウェブ・ショッピングであれこれ買ってしまう僻がある。寝起きにぼんやりと「あれ欲しいな」と思いつき、色々とウェブ上でリサーチして購入するというパターン。で、つい先日、使ったことのないウクレレ弦1セットを購入、昨日早速、試したが、見事に失敗だった。ウクレレはギター(スチール弦)に比べ、弦の影響を受けやすい楽器だが、色々と試したくなる時期があるんだね(「弦交換の旅」と称す)。でも弦に関しては試し弾きということが出来ないのが問題なんだね。そんなわけで、ぼくは「イマイチ弦」を靴箱いっぱいに持っておる▶もうひとつ、つい昨日届いたのが、磁石で装着する仕掛けのコンタクト・ピックアップ。ウクレレのピックアップ装着については、以前からのぼくの大きなテーマで、ぼくはそもそもウクレレという楽器のお尻にケーブルジャック穴があるというのが好きじゃないんだ。で、ボディに貼るタイプは出力が弱く、アンプリファイさせなければいけないわけで、その時点でナチュラルな音質を失ってしまう感じがあるんだね。だからマイクで音を拾うのが一番いいかな、と思っているんだけど、演奏するときにマイクの前にウクレレを持っていくのは邪魔臭いんだね▶で、以前から写真のピックアップに目を付けていた。そこそこの値段だし、なんかでか過ぎるし、購入してイマイチだったら嫌だなあというのがあって、ためらってたが、思い切って購入に及んだわけ。これは一昨日届き、ウクレレに装着してアンプから音を出したりした。結論から言うと、これいいです。裏面にもってくる磁石を追加すれば複数のウクレレにも使用できるし。パッシブだけどプリアンプがいらないくらい出力があります。なにより簡単に脱着できるのがいいね▶でね、すごい強力な磁石なんだけど、コタツで装着作業してたら、ピックアップ裏面にもってくる磁石(直径2センチほど)が見当たらなくなって、大探しした。忽然となくなったのが不思議で不思議で、また件の「パンツ紛失事件」のときのように、「アリエッティ」の仕業としか思えなかったんだ。結局、見つかったのはそのとき食ってたお菓子の袋を留めていたクリップの先。なにかのはずみでクリップにしっかりとくっついていたんだね。それに気付かず、そのお菓子をしまっちゃったから、捜索は困難を極めたというわけ。失せ物探しはホントに嫌だ。他にもこの前買ったデジカメの予備バッテリーが消えうせて見つからない。これはいまだに捜索中。カレーライス、マカロニサラダ。

2015年2月20日金曜日

週刊「猫並日記」2015 (1.20〜1.23)

2015年1月20日(火)
昨夜遅くこちらに戻りました。まずまず天気にも恵まれ、つつがなく1月ミッションを終了。母は相変わらず食べず、会うたびに小さくなっているように思うが、とりあえず「底値安定」。帰る間際、「私のこと、忘れんでよ」と言うので、「忘れんよぉ。母ちゃんこそ、ぼくのことを忘れんでよ」と言ったら、何度も頷いた。日記も毎日つけていて、しっかりしているところもあるので、まだまだ大丈夫そうではあります▶昨日は、あまり会う機会がなかった北九州在住、4つ年下の従妹の理恵ちゃんに小倉で会って、空港バスに乗るまでの3時間余りも喫茶店で話した。母の現況を伝え、その後の話の大半はよく一緒に遊んだ子どものころのこと。お互いの家族、若かった父や母や祖父や祖母や、ぼくにとっては叔父さんや叔母さんや母方の祖母のこと。子供のころの話をすると話が尽きない。お互い年を取ったけれど、懐かしい記憶は人生の宝物という感じだね▶ところで、昨日はぼくの62回目(年齢からすれば立派な「お年寄り」だよね、自分でも信じ難い)の誕生日だったことで、たくさんのバースデー・メッセージをいただきました。空港で出発を待つ少しの時間にチェックしたらたくさん届いていたので、とても嬉しく思いました。移動中だったので返信できず、今朝チェックしたら、メッセージをぼくに送ったのにタイムラインの「お知らせ」に残っていないケースがあるようで(他の人の「いいね!」で一部メッセージを確認できたけれど)、もしかしたらぼくに誕生日メッセを送ったのに、ぼくが確認できていないケースもあるかもしれません。もしそうであれば、あらかじめお詫びしておきます▶で、いただいた誕生日メッセージの中に、30代前半のころのLA時代の友人、マイクからのものがあった。彼はぼくが通ったアートスクールの同期で、とてもナイス・バディだったんだ。彼は当時、ベースを弾いていて、一緒に音を出して楽しんだこともあった。その彼からメッセージとともに懐かしい写真が送られてきた。それは当時の彼の実家のパーティに呼ばれたときのもの。イタリア系の彼は家族同士の結びつきが強く、中でも彼のお母さんは家族思いで優しくて料理が上手という、当時ぼくが持っていた「孤独なアメリカの家族観」を覆した存在だった。お母さんの温かい人柄と彼女が作ってくれた本場のラザニアの美味はLA時代のベスト・メモリーのひとつ。

てなことで、写真はLA時代のぼくと秘書。ぼくはリッケンバッカー325(ジョン・レノンがビートルズ初期に使っていたヤツ、のコピーモデルだけど)を弾いてる。懐かしいな。昨夜は寿司セットにとりあえず誕生日だったということで、チョコケーキ。

2015年1月23日(金)
火曜晩飯は、鯛の煮付け、シシャモ、キノコと野菜、豆腐のお汁、キャベツのコールスロー、キュウリ、カブのぬか漬け。一昨日水曜日はレレネタ作りの後、夜間レレクラスでポロリンコ♪ 牛丼、味噌汁。昨日はそぼふる雨の中、国立の友人のお店に、これは仕事の打ち合わせ。彼が出版するボーカル音楽の本の表紙イラスト全般を担当することに。友人のお店で彼の奥さんからおでんをご馳走になったら、帰宅してからの晩飯メニューはおでんだった(こういうことがよくある)。"When it rains, it pours"(降れば土砂降り)という英語のことわざがあるが、忙しくなるときは見事に予定が重なり、こちらの都合はまったく考えてもらえないという零細フリーランスの辛さはあります。本日は起き抜け、一仕事片づけ、さて、次になにから片づけていこうかと思いつつ、思考が錯綜し、とりあえずFB投稿するぼくでした。

写真は今回ミッション時の往路の写真。当日はびっしりと雲が覆い、外の景色を楽しめなかったが、北九州に近づくにつれて雲が切れ、切れ間から下界が見えた。もうひとつはちょっとやってみたかった羽根空港ロビーのジオラマ風写真1

週刊「猫並日記」2015 (1.12〜1.18)

2015年1月12日(月)
(いつも)笑顔で歌うへっぽこ@パラ本 2015.1.12
写真

2015年1月15日(木)
昨日、一昨日とレレ教室ダブルヘッダー。ドタバタとポロリンコ♪いたし、親子丼(日)/ビビンバ、ギョーザ、生姜野菜スープ(月)/牛タン、チキンスープ、カニカマサラダ、ゴボウとコンニャクの煮付け、竹の子の煮付け(火)/さてと、本日これから「母を訪ねて500マイル1月ミッション」に行って参ります。帰還は来週月曜日夜の予定。母ちゃん、♩Hold on, I'm comin' すぐに行くけえ待ってておくれ。

写真は前回訪問時の母(今年、91才になんなんと)写真

下関初日、下関駅前ロッテリアなう。こちらも天気はすっきりしないが、雨は上がった模様。今日はこれから実家に向かい、近所のスーパーで買い物などして、明日からの病院参りに備えまする。やれやれ、さてさて。

2015年1月16日(金)
下関2日目、駅前ロッテリアなう。朝のうちに病院訪問、母の顔を見て、午前中に母の病院担当者会議に同席。担当医師、婦長、担当看護師、栄養士といったみなさんからの報告を聞き、こちらからの要望もつたえる。結論から言えば、昨年来からの「底値安定」は変わらず。目に見えて良くもならないが、悪くもならない。相変わらず食べないが、体重は数ヵ月前からの30キロ弱をキープ、血液検査結果も良好。皮膚湿疹は改善、食べ物も好きなもの、ケーキとか、であればそこそこ食べるようだ。今回、口どけの良さそうならくがんを持っていったが、いまいちだった。母の好みにかなうのは難しい。ただ、病院での生活も慣れてきたようで、精神的にはまずまず安定している感じ。いろいろと心配な点はあるが、とりあえずあまり先のことは考えず、今できることで母にとって最善になるようなことをしようと思っています。帰るとき、「帰っちゃいけん」と言われるのがちとツラいです。今日は暖かかったが、明日からぐっと寒くなるようだ。母ちゃん、またあした。

2015年1月17日(土)
下関3日目、駅前ロッテリアなう。今日は風が強く寒い一日となった。病院に行く前、実家の庭に咲いていた山茶花の花を二枝手折り、母に持っていった。「ウチの庭に咲いちょったのを持ってきたよ」と言ったら、母の顔がぱっと明るくなって、「山茶花やね」と嬉しそうに言った。花の匂いを嗅いで「ええ、匂い」とも。看護師さんからお借りた小さなグラスに活け、母のベッドサイドに置いたら、母はずっと二輪の山茶花を眺めてたよ。本日の「思い付き孝行」、ヒットして良かった。買っていったイチゴショートケーキも少しだけど、食べてくれました。ベッドのそばで少し眠そうにしていると「ここで寝ていき」と。それはできんよ、母ちゃん。

2015年1月18日(日)
下関4日目、駅前ロッテリアなう。暖かくて穏やかな一日だった。今日が今回最後の病院訪問になったので、日がとっぷり暮れるまで、母のそばにおりました。「帰っちゃいけん、って言わんよ。あんたを待っちょる人がおるけえね」、なんて母が言うんだね。そう言うわりには、帰り支度を始めたら、「もう行くん?」と哀しい顔をするんだ。「私は甘えん坊よ。そばにいてくれるだけでええの」、とかね。息子の心を揺さぶる殺し文句をよう知っちょる母であります。また、来月にくるけえ、元気にしちょりいよ、母ちゃん。さてと明日は帰還予定。晩飯買って実家に向かいまする。

週刊「猫並日記」2015 (1.5〜1.9)

2015年1月5日(月)
年末から新年にかけての時間というのは、年をまたぐということもあって心理的に長く感じるけれど、実際の時の流れは年中変わらないわけで、あれよあれよと正月も5日となり、今月は介護ミッションもあるし、諸々お尻に火が点いてきました。年始の目標などまじめに考える習慣がなく、そもそも行き当たりばったりに生きてきて、「そのときはそのとき、なんとかなる」でそんなに大きな問題も発生しない人生を歩んで参りましたが、ウクレレ教室の生徒さんもお陰様でだいぶ増え、それなりに事前にちゃんちゃんとスケジューリングをやってないと諸々不都合が生じるわけで、そういうことが生来苦手なぼくは、このあたりの改善を今年は少し図りたいかな、というのを今年の目標のひとつにしたいと、かように考えております。しかし積層化した部屋の掃除も、結局年内にできず、ようやく昨日になってやったという「先送り体質」は、はたして改善できるかということだね。ま、今年もドタバタと過ぎていくんだろうなと予測はできます。炒飯、中華スープ。

しつこく続く本日の年またぎ日替わり動画は『猫町ジャイブ』。大正〜昭和期の詩人、萩原朔太郎の短編「猫町」に触発されて作った曲。使用しているウクレレはウクレレでは珍しいリゾネーター・タイプで、昨年初頭ナショナル製のこれをセール特価、89800円でゲットしましたが、同じものが先日20万超で店頭に出ているのを発見、嬉しくなったという報告を。

2015年1月6日(火)
今朝は妙に暖かく天気も良かったのだが、さきほどから雨が降り出した。でもちょっと暖かいのはほっとする。昨日は買い物と散歩がてらに近所の神社に初詣で。あまり信心深くないぼくも初詣では毎年行っている。いつも三が日過ぎて人出も収まったころだけど。今年はぼくにしては奮発して50円のお賽銭を投じた(いつもは10円とか。苦笑)。神様に願うことは毎年一緒、「家内安全、無病息災、商売繁盛」。この3つの四字熟語で人生完璧だよね。おみくじも、毎年とりあえず引いている。ここ数年は小吉とか末吉とか地味な結果だったように思うけれど、今年は「吉」を引いた。「運勢」文中、「明日の建設は今日の運営による」という文言、「明日できることは今日無理にしなくていいや」という「先送り体質」の改善を年始の計にしたことに重なるような。はいはい、分かりました神様、そのように心がけて善処いたしまする。あと、「交際」の項に「口数の多いのが災いしている」と。はいはい、神様、ぼくは口数の多い人間です。今年はちょっと慎みましょう。さてさて、と。サバの塩焼き、挽き肉入り卵焼き、野菜汁。

写真は件のおみくじと昨日の近隣神社の模様(写真)。最近、ヤフオクでゲットしたデジカメ、IXY3の「トイカメラ・モード」、「ジオラマ・モード」を使って撮影。小さくて遊べるカメラ、楽しいよ。

2015年1月8日(木)
<松の内過ぎても毎日日曜日>というのは母の句。父が年金生活に入り、夫婦で句作をしたり、旅行をしていたころの句だろうか。母が「この頃は幸せやったよ」と言っていたのが思い出される。ぼくとて生活に不自由がなければ「毎日日曜日」の暮らしに明日からでも入りたいものだが、労働のウィークデーがあればこそ日曜日の幸せもあろうかと。もっともぼくは土日祭日関係のないフリーランス生活が長いので、関係ないっちゃ関係ないですけど▶昨日はレレ教室のネタ作り。夜は水曜夜間教室に本年初レッスン。仕込んだばかりの和音階を使った新春ネタなど。比較的年齢層が高い昼間クラスに比べ、このクラスは生徒さんたちの上達が早く、中級向けのネタもどんどん使えそう。教え甲斐があるクラスで嬉しいかぎり、と言うと昼間クラスのみなさんに失礼だな。ゆっくりはゆっくりでそれも良し。一昨日は餅入りチゲ鍋、昨日は残ったチゲ鍋にうどんを投入して食す。正月過ぎればつつましき我が食卓。

動画は ”I'll See You In My Dreams”  iMovieクリップエフェクト機能を使って、映像を「ドリーム」に、音声を前半「電話」にしてみた。夢の中でぼくは君を抱く/誰かが君をぼくの腕の中から奪っていった/でも、ぼくはまだ君に夢中/かつてぼくのものだった君の唇/君の瞳はやさしく輝き/ぼくの行く道を照らしてくれる/夢の中で君に会う

2015年1月9日(金)
<人日や失せ物探し始まりぬ>というのは父の句。人日(「じんじつ」五節句の一つ。1月7日。)を過ぎたあたりから、世間はゆるりと「ハレ」(非日常)から「ケ」(日常)に時間軸が転換していく。「失せ物探し」は父にとっての日常、それはぼくも遺伝形質としてしっかり引き継いだ。しょっちゅう色々な「失せ物」を探している。今朝は靴下を引き出しから出し、それをどこに置いたか忘れ、しばらく探した▶ところで、昨年11月に介護帰省し、帰宅してから小さなミステリーがあった。持って行ったはずの新しいパンツが一枚、見当たらなかったのだ。持っていったトランクの中にも、鞄の中にも入ってなかった。秘書が洗濯してどこか別のところに入れたのではと疑ったが、彼女も知らないと言う。今までも色々実家に物を置き忘れた「実績」がある(実は前回も充電器を置き忘れた)が、パンツに関しては忘れてきたようにどうしても思えなかった。ベランダに干していたのをどこぞの変態が女物と間違えて盗んだのかとまで考えたが、ウチは2階だし、まあそれは可能性としては低い▶で、正月に、12月に実家に行き、母に会ってきた兄と会ったわけだが、そのときにまず置き忘れた充電器を渡され、「あと、おまえ、パンツを忘れていたぞ」と。「どこにあったの?」と聞けば、「居間のカーテンの裏側」と。どうして件のパンツがカーテンの裏側にあったのか、かすかに思い当たるフシがなくもない。こうして昨年来の小さなミステリーは解明されたのだった。ちゃんちゃん。しょうもない話をここまで読んでくれた方、すまんな。

写真は昨日、久しぶりの散歩をして(このところ、サボりがちになっている)撮った散歩コースの公園の時計。新春とは少しずつ日が長くなってくる節目の時節。春よ来い、早く来い。昨夜は白身魚のフライ、串揚げ各種、イカ刺し身。当夜はおでん:薩摩揚げ、ガンモドキ、ゴボウ天、ナルト、竹輪、玉子、コンニャク、大根、等&マカロニサラダ。

週刊「猫並日記」2015 (1.1〜1.4)

2015年1月1日(木)
こちらは小雪舞う元日となりました。元日のしかも初雪、なかなかオツなものでありますね。毎年元日は秘書のお姉さん宅で親戚一同、集まり、美酒美肴の宴に招かれていたのですが、今年は義兄のご母堂が103才の長寿を全うし他界されたので、宴は中止となったのでした。秘書と結婚して以来の慣わしだったので、元日を自宅で過ごすのは随分と久しぶり。しかも秘書はお義父さん、お義母さんのところへ行ったので、元日を部屋の中で、ときおり窓から小雪が舞うのを眺めながら、雪見酒などやりつつ、ひとり静かに過ごしております。これもまたオツであるなあと。

さて、年またぎ日替わり動画をアップいたします。曲はチャーリー・チャップリン作曲の「スマイル」笑ってよ/たとえどんなに心が痛むときでも/微笑んでみて/たとえ心が折れそうでも/空が雲で覆われていようとも/君はうまくやれるさ/不安や悲しみも/笑っていれば/きっと明日には晴れるというもの/笑顔でいれば人生は捨てたもんじゃない/笑っていれば大丈夫/スマイル!

2015年1月4日(日)
一昨日、1月2日は、ぼくが「レレ沼」(ひとたび足を踏み入れるとずぶずぶと深みにはまっていくという、ウクレレ沼ね)に引きずり込んだ熊本在住、義理甥のヤスナリくんのたっての希望で御茶ノ水界隈ウクレレ・クルージング(ウクレレ専門店巡り)を決行。お休みの店もぱらぱらとあって、当初プランの専門店全店踏破はならなかったが、ウクレレ・プラネットとクロサワ楽器ウクレレ・フロアを訪問、所狭しと展示されていた高級機、ビンテージを目の保養とし(「目の毒」とも、いくつか試奏、店員さんとウクレレ話に興じた。ヤスナリくんは「ショーウインドーに飾られたトランペットをキラキラした目で見つめる黒人少年」状態になっていた▶ウクレレ・クルージングの帰路、年始恒例「パラダイス本舗」新年会にヤスナリくんを連れて参加。常連さんと飲んで歌ってへべれけになって深夜帰宅。まっこと楽しうございました。

写真は、ウクレレ・プラネットで「あ、これ欲すい〜〜」と目が合ったデュポン製、Fホール、マカフェリ・ウクレレを試奏してゴキゲンな伝道師

昨日はLAから一時帰国した兄宅の新年会に秘書と連れ立ってのお呼ばれ。兄の長男夫婦のプリンセス(3才)の愛嬌が宴に華を添え、次男もフィアンセを連れてきたのでいっそうおめでたい宴席となった。さらに兄の友人夫婦とその子どもたちも来訪、近年にないにぎやかで楽しい正月の集まりとなった。今年は秘書実家の新年会はキャンセル(身内の不幸あり)となり、恒例の元日のご馳走にはありつけなかったが、兄宅ではご馳走いただき、新年らしい幸せな気分に浸ることができた。あけましてごっつあんでした。

写真はご馳走のメインメニュー、フグ刺しフグちり、下関出身者としてはやっぱり「フク」(下関では「フグ」ではなく「フク」と言います)だね、お正月は、ということ。さて、今年は「フク多き年」でありたいもの。