2015年8月27日木曜日

週刊「猫並日記」2015 (8.10〜8.15)

2015年8月10日(月)
真夏のミッション最終日、小倉ロッテリアなう。しばらくここで涼んで、空港行きのバスに乗り、帰路に就く。今日もこちらは暑うございました。ここまでノープロブレム、ミッションは順調に推移した▶昨夜は幼なじみのまさし君に会い、小倉駅周辺の居酒屋で馬刺し、刺身の盛り合わせ、手羽先、ウィンナー、鰯の煮付け(これが美味かった)などつつきつつ、ビール、ハイボール、普段は飲まないいも焼酎など。近況報告、音楽の話、あれやこれや、居酒屋談義に花が咲いた。実家には深夜帰宅▶早朝5時過ぎから活動する迷惑な兄に起こされ(だから兄と一緒に寝泊まりするのは嫌なんだ)、やや睡眠不足。シャワーを浴び、洗濯をして、荷物を整理、トランクを駅近くのコンビニで宅急便手配、お昼前に母を訪問。午後に病院の担当者会議に兄と共に列席。血液検査も特に問題はなく、嚥下機能はむしろ以前より回復基調、体重変動もなく、取り立てて言うべきことはないようで、まず安心▶夕刻、兄と一緒に病院を後にし、下関駅で兄と別れ小倉に。やれやれの心境。母には「ぼくはこれから神奈川に帰るよ」と言ったが、兄がまた明日、病院に母を訪ねるので、いつもの「帰っちゃいけん」はなかった。次回ミッションは10月の予定▶それまで母ちゃん、元気でね、と今回はさらりと別れてきました▶さてと、そろそろ空港に向かうバスに乗るかな。早めに行って、兄が美味しかったと言っていた、空港内の九州ラーメンを食べるつもり。てなことで。

2015年8月11日(火)
真夏の炎天下ミッション終了、昨夜遅くに帰還。さてとまたこちらでの日常の歯車がぎりりと。旅のシメはラーメン、北九州空港内の「筑豊ラーメン」山小屋という店でテイクオフ前に食す。店に入ればあの匂い、当然、豚骨濃厚スープ。オーダーしたのは、昔懐かしい味「昭和ラーメン」。うーん、まあまあだったかな。

2015年8月13日(木)
今朝は雨がひとしきり降って、ほどよくクールダウン。よ〜〜〜〜〜〜寝た。昨日はレレ教室ダブルヘッダーやって、なんだかへとへとに疲れて、夕刻帰宅後2時間ほど寝て、飯食って、12時ごろには就寝、今朝目覚めたのが8時半だった▶考えてみれば、寝ている間というのはまるっきり非生産的な時間であり、過剰な睡眠は無駄と言えば無駄な時間なのだが、たくさん眠れると得した気分になるのは何故だろう▶「ご主人様、あたしらにたっぷりの休息をいたただきありがとうございます」とぼくの身体の何十兆個かの細胞が感謝し、喜んでいるように思う。ぼくは基本的に「細胞の声」を聞いて行動する人間です。で、ぼくの細胞は基本的に怠け者です▶一昨夜は冷やしたぬきそば、餃子、薩摩揚げ/昨夜はタイカレー、野菜サラダ

写真(.)はウクレレ演奏@介護病棟の模様。看護師さんが撮ってくれたもの。普段は寝たきりで食堂にも来れない方々も、看護師さんたちがベッドごと食堂フロアに運んでくれた。「アロハ・オエ」、「お嫁においで」、「浜辺の歌」、「コロラドの月」、「花〜すべての人の心に花を」の5曲、25分程度の歌と演奏を披露。母はぼくの正面の特等席、みなさんにご静聴いただいた。

2015年8月14日(金)
<掛け水に月光走る盆の墓>というのは父の句。なかなか透徹、幽玄というのか、そんな映像が浮かぶ句であります。世間はお盆休みでありましょうが、お坊さんは超忙しく走り回っていることでしょう。師走という月名は、12月ではなく8月にしたらよろしいのではと思ったりします▶個人的には「プレお盆」をミッションがてらに行い、墓参りもすませ、父の棚経もお坊さんにあげていただいたので、お盆だからといって特にやることもない▶そう言えば、前回ミッションで母と別れるとき、「お盆には来んの?」と母が言うんだね。「いや、今回帰ったのがお盆の里帰り、ちょっと早めのお盆やけどね」と母に言ったが、ちょっと理解できない感じ。「またお盆に来るのなら、帰ったらまたすぐ来んといけんけえね」と言うと少し淋しそうな表情をした。「父ちゃんのお盆のお経はちゃんとあげてもろうたけえ、安心しちょき」と言ったら、納得したのか、母はゆっくり頷いた。

写真(.)は病棟夏祭りでの母の様子。風船釣りや輪投げ、釣りゲーム等をやったが(看護婦さんに手を貸してもらって)、本人はあまり興味がない感じだった(にこりともせず)。去年は食べたというタコ焼きやかき氷もほとんど手をつけなかった。老いていくともに、だんだん楽しみが少なくなっていくというのはあるだろう。「楽しさも中くらいなり」というのが老境の有り様でありましょう。とは言え、年を取ってもいつまでも楽しい気持ちになれたらいいよね。タコ刺し、鶏大根、ゴボウとハスのサラダ、ワカメの酢の物。

2015年8月15日(土)
<認識票肌より外す終戦日>というのは父の句。「認識票」というのは軍隊において兵士の個人識別用に使用されるもの。米語スラングでは「ドッグタグ」、犬の鑑札というのはいくぶん自嘲気味だが、そういうものを生まれてこのかた、身に付けずにすんでいるぼく自身を幸福だと思う▶父は昭和17年9月に東京の大学を卒業、翌10月に大阪の大手企業に就職を果たすも、会社に在籍のまま(というか、ほとんど出社もせずに)、同月、急き立てられるように中支派遣部隊に入営、復員するのは終戦から1年近く経った昭和21年6月だった。そして、復員後、せっかく就職した大手企業を依願退職したということだ。それは、敗戦直後の焦土と化した都市部を見ての判断だったようだ。そして、さほどに戦争の傷跡が大きくなかった祖父母が住む下関にあらたな就職先を見つけ、近所に住んでいた母と見合い結婚し、その後、亡くなるまで下関で過ごすことになる▶もし父が復員後、大阪の会社に勤務していれば母との出会いもなかっただろう。もし、そうであったなら、ぼくという存在もなかったということになる。ぼくの世代の親たちは戦争経験者である場合が多い。父は戦死することは免れたが、戦争に翻弄された父の人生を思うと、特にぼくのようなわがままな人間にとっては、戦争というのは、とにかく一切受け入れることはできないものだと思う▶父は4年近くの軍隊での経験をぼくに語るようなことはなかったが、一度だけ、「父ちゃんの軍隊の隊長は敵が来そうになると、すぐに『退却! 退却!』と言って、自分たちを逃げさせてくれた。ええ隊長やった」と言ったことを覚えている。軍人にあるまじき隊長さんだが、どういう人だったか、会ってみたかったものだ。

写真は毎回毎回、母を訪ねる際に訪れる下関の安岡海岸「8月の海」。毎回、この海を見ながら、おにぎりを食べたり、ウクレレを弾いたりしてしばし過ごすのだが、今回はあまりにも暑くて、写真を撮って早々に退散した。ハンバーグ、キュウリとワカメの酢の物、冷や奴。

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