2015年2月20日金曜日

週刊「猫並日記」2015 (1.20〜1.23)

2015年1月20日(火)
昨夜遅くこちらに戻りました。まずまず天気にも恵まれ、つつがなく1月ミッションを終了。母は相変わらず食べず、会うたびに小さくなっているように思うが、とりあえず「底値安定」。帰る間際、「私のこと、忘れんでよ」と言うので、「忘れんよぉ。母ちゃんこそ、ぼくのことを忘れんでよ」と言ったら、何度も頷いた。日記も毎日つけていて、しっかりしているところもあるので、まだまだ大丈夫そうではあります▶昨日は、あまり会う機会がなかった北九州在住、4つ年下の従妹の理恵ちゃんに小倉で会って、空港バスに乗るまでの3時間余りも喫茶店で話した。母の現況を伝え、その後の話の大半はよく一緒に遊んだ子どものころのこと。お互いの家族、若かった父や母や祖父や祖母や、ぼくにとっては叔父さんや叔母さんや母方の祖母のこと。子供のころの話をすると話が尽きない。お互い年を取ったけれど、懐かしい記憶は人生の宝物という感じだね▶ところで、昨日はぼくの62回目(年齢からすれば立派な「お年寄り」だよね、自分でも信じ難い)の誕生日だったことで、たくさんのバースデー・メッセージをいただきました。空港で出発を待つ少しの時間にチェックしたらたくさん届いていたので、とても嬉しく思いました。移動中だったので返信できず、今朝チェックしたら、メッセージをぼくに送ったのにタイムラインの「お知らせ」に残っていないケースがあるようで(他の人の「いいね!」で一部メッセージを確認できたけれど)、もしかしたらぼくに誕生日メッセを送ったのに、ぼくが確認できていないケースもあるかもしれません。もしそうであれば、あらかじめお詫びしておきます▶で、いただいた誕生日メッセージの中に、30代前半のころのLA時代の友人、マイクからのものがあった。彼はぼくが通ったアートスクールの同期で、とてもナイス・バディだったんだ。彼は当時、ベースを弾いていて、一緒に音を出して楽しんだこともあった。その彼からメッセージとともに懐かしい写真が送られてきた。それは当時の彼の実家のパーティに呼ばれたときのもの。イタリア系の彼は家族同士の結びつきが強く、中でも彼のお母さんは家族思いで優しくて料理が上手という、当時ぼくが持っていた「孤独なアメリカの家族観」を覆した存在だった。お母さんの温かい人柄と彼女が作ってくれた本場のラザニアの美味はLA時代のベスト・メモリーのひとつ。

てなことで、写真はLA時代のぼくと秘書。ぼくはリッケンバッカー325(ジョン・レノンがビートルズ初期に使っていたヤツ、のコピーモデルだけど)を弾いてる。懐かしいな。昨夜は寿司セットにとりあえず誕生日だったということで、チョコケーキ。

2015年1月23日(金)
火曜晩飯は、鯛の煮付け、シシャモ、キノコと野菜、豆腐のお汁、キャベツのコールスロー、キュウリ、カブのぬか漬け。一昨日水曜日はレレネタ作りの後、夜間レレクラスでポロリンコ♪ 牛丼、味噌汁。昨日はそぼふる雨の中、国立の友人のお店に、これは仕事の打ち合わせ。彼が出版するボーカル音楽の本の表紙イラスト全般を担当することに。友人のお店で彼の奥さんからおでんをご馳走になったら、帰宅してからの晩飯メニューはおでんだった(こういうことがよくある)。"When it rains, it pours"(降れば土砂降り)という英語のことわざがあるが、忙しくなるときは見事に予定が重なり、こちらの都合はまったく考えてもらえないという零細フリーランスの辛さはあります。本日は起き抜け、一仕事片づけ、さて、次になにから片づけていこうかと思いつつ、思考が錯綜し、とりあえずFB投稿するぼくでした。

写真は今回ミッション時の往路の写真。当日はびっしりと雲が覆い、外の景色を楽しめなかったが、北九州に近づくにつれて雲が切れ、切れ間から下界が見えた。もうひとつはちょっとやってみたかった羽根空港ロビーのジオラマ風写真1

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