2014年12月29日月曜日

週刊「猫並日記」2014 (10.27〜11.2)

2014年10月27日(月)
昨日はウクレレ初心者対象の日曜午前クラスをオープン、10人ほどのレレに興味を持たれた善男善女をお相手にポロリンコの手ほどきを。ツカミはオッケーという感じか。続く午後の部は6月終わりに開講した初級者クラスでポロリンコ♪ こちらのクラスもまだ脱落者はいないが、グループレッスンの思うようにいかないところ、どんどん上達している生徒さんとあまり進歩が見られない生徒さんのテクニック差が目立ってきた。日々の練習量の差に負うところが大きいが、年齢によるところもある。やはり若い人は飲み込みも早いわけで。でも、これは想定内。いずれ、午前と午後でメニューを変え、クラスの再編成を行い、それぞれの生徒さんにとって楽しんでもらえるようにするつもり。なかなかしたたかな教室運営をしている山下伝道師であります。しかし、ウクレレをやってみたい人はけっこう多いんだね。小さくておもちゃみたいな楽器だから、簡単そうに見えることもその要因のひとつだろうけど、昨日の教室で「ウクレレは簡単そうに見えますが、始めてみるとけっこう難しいかもしれません。例えば、「可愛くて穏やかで従順そうな女の子と付き合ってみれば、これがなかなか落ちない。けっこう思い通りにはならないみたいな、ウクレレはそんな感じ」と言ったら、男性生徒さんはニヤニヤしたが、おばさまたちにはしらっとされた。ときとして口が滑ることがぼくの短所であります。政治家にはなれないね。一昨夜は親子丼、昨夜はカツカレー、野菜サラダ

写真は前回母見舞いミッションで撮ったアサギマダラ。渡り蝶として知られてるね(ぼくは知らんかったけど)。母がいる病院の中庭にバラ園があるのだけど、そこにちょうど訪問してきたところ。看護師さんから聞いて撮影に及んだ。さすがに日本から台湾、香港あたりまで渡るという蝶ということで、庭園内をまあ元気よく飛ぶこと。妙にひとなつっこい蝶で、ぼくが撮影しているとヒラヒラと寄ってくるんだね。肩の上に停まったり。蝶に親近感を覚えたのは初めてだな。元気が良すぎて、あまりひとところに留まっていないから撮影はちょいと苦労した。でも何枚かはグッドショットが撮れたかな。写真1234567891011

2014年10月29日(水)
<秋冷の郵便受けに何もなし>というのは父の句。以前にもこの句を紹介したことがあったが、秋が深まり肌寒さを感じるようになると、きまってこの句を思い出すようになった。深まりゆく秋の透徹さと重ねた「郵便受けに何もなし」という、老境の淋しさをきっぱりと受け入れる潔さみたいなものをこの句に感じる。この句を懐かしく思い出すのは、電話をしてきた母が、この句を声に出して詠んだことを覚えているからだ。自慢げに弾んだ声で「ええ句やろ? 父ちゃんの句よ」と母はぼくに言った。父も既に亡くなり、母の弾んだ声も、もう聞くことができなくなったが▶昨日はレレ教室午前・午後の部、ダブルヘッダー。始めて1年近くになろうかというのに、いまだ基本的なコードを押さえる指もおぼつかないという、なかなかお上手にならないのは「お達者世代」のおじさま、おばさまたち。故・赤瀬川原平さんの唱えた「老人力」はウクレレ習得にはあまり効果はないようだ。いや、上手にならなくても泰然としているところが老人力だろうか。ともあれ、どうしたらお達者世代を上手にするか、目下の課題。月曜日は外出の秘書がスーパー特売で買ってきたちらし寿司、昨夜はサンマ、ポテサラ、ナス・ピーマンの炒め物、キャベツ・豆腐の味噌汁。

写真は母のいる病院廊下窓から見える海、または病室のドアガラスに映り込む海。母が「シモのケア」にかかっているとき、ぼくは病室から出て、しばし廊下で待つことになる。夕日で光る海をぼうっと眺めながらね。

2014年10月30日(木)
10時起床。夏の間はとにかく飯食ったらすぐに眠くなってしまい、早めに寝るので、早めに起きる暮らしが続いていたが、秋の深まりとともに、最近は「本来夜型」の体質に戻りつつある。「早起きは三文の徳」と早寝早起きを奨励する人は多いが(それはそれで何かしらの「徳」はあるでしょう。でも、人それぞれ、「夜更かしの醍醐味」というのもある、というのがぼくのスタンス)▶で、ぼくの場合、本を読むのは基本的に眠る前に限られていて、夏場はベッドに入った途端、数ページも読まぬ内に睡魔に襲われ、なかなか本を読むことができないということがある。やっぱり、読書というのは大きな楽しみのひとつだよね。てなことで、最近は寝る前読書も復活。今、ダニエル・J・ロビンという認知心理学者・神経科学者(かつ、レコード・プロデューサーでもあったというキャリアの持ち主)の「音楽好きな脳」という本を主に読んでいて(ぼくは、複数の本をつまみ食いするように読むタイプです)、これがなかなか面白い▶「人はなぜ音楽に夢中になるのか」という副題を追ってのあくまで科学的な(認知心理学的立場での論考)言及をしているのだけど、音楽というのは、他の表現芸術(文学や絵画等)に比べ、それを受容する脳の部位、働きも不思議なことが多く、例えば脳に損傷を受けた指揮者の例が出てきて、彼は自分の過去の記憶も言葉もすべて失ってしまったが、音楽を聞く能力と最愛の妻の記憶だけは残ったという話があり、つまり音楽というのは「愛」というこれまた不可思議な感情を司る脳の部位に関連しているのかと思った。そもそも、ある特定のピッチやハーモニーやリズムを持った「音波」がなぜ人に気持ちよく響くのか、というのがあり、絶対音感の秘密や、ある曲のピッチやテンポやハーモニーさえも変えた「カバー曲」の原曲が、なぜほとんどの人にすぐわかるのかとか、音楽の不思議に科学的に迫ってるんですね▶「つべこべ言わずに、楽しければいいんじゃないの」と音楽をとらえる人も多いでしょうが、またそれも正論なのだろうけど、つべこべ言ってみるのも、また楽しからずや、であります。英語で「ミュージカルな人」なんて、人のパーソナリティを形容する場合があるが(例えば、アフリカ系の人は「ミュージカルな人」が多いような)、それはやっぱり脳の仕組みなんでしょう。音楽的な脳の持ち主がすべて、リベラルで平和主義者というわけではないが(著者は人の「好戦的」な部分を刺激するワーグナーが大嫌い)、政治家というのはとことんミュージカルじゃないよね(それは政治家の武器は言葉であって、脳の言語野は音楽を楽しむ部位とは関係ないらしいとか)▶ぼくは音楽はもちろん好きだけど、つべこべ言ったりするのも好きなので、ぼくみたいな脳のタイプを「ウクレレ脳」と言ってもいいかも、と思った。昨夜は水曜夜教室の「ライブ指南」に。紹介した本にはあまり脳とリズムの関係には触れてなく、そこがちょいと残念なのだけど、やっぱり音楽(ぼくなんかが志向する音楽)において一番大事なのはリズムだよなあ、とあらためて。あとは歌。リズムと歌心、それをセンスという調味料を振りかけて良い音楽は生まれると思う。へっぽこのぼくなんかが、エラソウに言うのもなんだけど、どの要素も教えるのは難しいです。焼きうどん。

写真は前回「ミッション」時、病院そばの海を散歩がてらずっと歩いて行って見つけた「海が見える墓地」。うん、墓に入るのならこういうところがいいな。でも、ぼくは墓地には入らないつもり。できれば海に散骨して欲しいとは思っている。この海でもいいな。夕日が沈む響灘。

2014年10月31日(金)
今日は10月最終日、ハロウィンでありますね。<十三夜仮面一つを借りにゆく>というのは母の句だけど、<万聖節仮面一つを借りにゆく>にしてもいいかも(正しくは万聖節前夜がハロウィンだけど)。最近、日本ではコスプレ的仮装をして、街に繰り出し、非日常的仮想(仮装)空間を楽しむ日として定着してきたみたいだね。日本人は、例えばハロウィンみたいな欧米の宗教的祭日を換骨奪胎して、単なる仮装イベントとしてしまうのはいかがなものかという批判もあるけど、いいじゃないの楽しければとぼくは思います。実際、アメリカとかでもハロウィンの宗教的バックグラウンドなんて気にせず、仮装したり、子どもたちは近所を回ってお菓子をもらったりして楽しむ風習になってるわけで。仮装というのは機会あれば、やってみると楽しいもんです。若者だけでなく、高齢者施設なんかでもやると楽しいかも。リアルで迫力のある「魔女」候補がたくさんいると思うし、本来の死者の霊が訪ねてくる日と考えれば、先立ったご亭主やご両親に会えるかもしれないし。鶏のつみれ鍋。

写真は(前にもアップしたと思うが)、80年代半ば、アメリカにいたときに当時の友人たちとやったハロウィン仮装とハロウィンにも使えるアートスクールでの「ウェアラブル・アート」の発表現場。若者たちがこういうのやりたがるのはわかる。あの頃、ぼくも若かった。ドラキュラに扮しているぼくの隣が猫に扮している秘書/30代前半かな。こんな感じで顔を塗ったのは後にも先にもこのときだけ/「ウェアラブルアート」作品タイトルは「ギフト」。迷惑な贈り物だよねえ。

2014年11月1日(土)
10時ごろ起床。「クラゲの傘」で終わった8月(<八月は水母の傘で終わりけり>という母の句から、あまり生産的でなかった月を「クラゲの傘の月」とした)が過ぎ、やや生産的にシフトした9月も過ぎ、そこそこ忙しかった10月も終わり、あれよあれよと11月となったここ数日、「忙中閑有り」というほど忙しかったわけではないが、猫並みにだらだらと過ごしております。ちゃんちゃんとやるべきこと(比較的長期的なビジョンにおいて)を、こういうときにちゃんちゃんとするような性格であれば、もう少しいっぱしの人間になっていたかとも思わないことはないけれど、スウィフトの言葉で「朝寝をする人間で、いっぱしの人間になった者など一人もいない」というのがあり、そうか、それじゃあオレはいつまでたってもいっぱしの人間にはなれないな、ふんだ、なれなくていいもん、と思うのでした。とは言いつつも、さてさて。チキン・フリッター(秘書が作る食事はやたら鶏多し。昨夜、ちらっと不平を言ったが、無視された)、水菜とトマトのサラダ、豆腐とワカメの味噌汁。

写真は前回ミッション時に撮ったローズガーデン@病院のバラ(Cマウントレンズ使用)。♪バラが咲いた〜バラが咲いた〜秋にもバラは咲く〜。3コード12小節ブルース進行の入門編として、「My Baby Baby Bala Bala」という60年代のヒット曲をレレ教室用に譜面に起こしちう。写真

2014年11月2日(日)
よう寝た。10時半起床。着実に夜型の「本来の自分」を取り戻しつつある。やはり人は本来の自分ですくっと立つべきだ。いや、すくっと立たなくてもいいが、「ああ、すいませんね、これがぼくの本来の姿なんです。こんなもんです、この程度です」と自然体で微笑もうじゃないか。若い内はこれがなかなか出来ないんだね。年を取ると、だんだん横着になってきて良くも悪くも自然体になっていく。その方が楽だから。これも故・赤瀬川原平さんの唱えた「老人力」のひとつかと。ものぐさなのもぼくの「本来の自分」だが、ここ数日、毎日、FBアップしてるでしょう? 他にやるべきこともなくはないけれど、なんだか「本来の」ものぐさ体質が自分の中で幅を利かしている昨今なのでした。ああ、ハワイに行きてーなあ。ハワイに行ってとことん自堕落に太陽を浴びてお昼寝したいなあ。ハワイにはなかなか行けないから、散歩でも行ってくるかな。チゲ鍋。

写真は前回ミッション時に撮った病院そばの「海に続く径」。今までは気がつかなかったけれど、この径、頭上を見ればクモの巣窟になっていた。クモの家族か。しかし、よく見れば食いちぎられて足だけ残っているのもある。共食いか。色々と事情はあるだろうが、クモの世界も厳しいと思われ。写真

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