2014年8月24日日曜日

週刊「猫並日記」2014 (8.11〜8.16)

2014年8月11日(月)
昨夜、こちらに帰ってまいりました。帰省中の下関は台風11号の影響もさほどなく、昨日午前中におこなった病院内での母の卒寿の祝いも無事終了。病院のテレビで台風情報をチェック、11号が日本海側に抜けた段階でもう大丈夫だろうと判断、夕刻の新幹線に乗車、遅れることもなかった。これもポロリンコ神のご加護でありましょう▶母の卒寿のお祝いは病院内の応接室を借りての、小一時間ほどのささやかな祝いだったが、兄夫婦、兄の長男夫婦、次男、そして母にとってはひ孫にあたる3才の幼子(兄の長男の娘)もいたこともあり、いつもは沈んだ表情の多い母も、特に幼子の「愛くるしさパワー効果」は絶大で、笑顔も見られ、時折目を潤ませることもあった。母が好きだった「花〜すべての人の心に花を」もウクレレ伴奏で歌ってあげたよ▶母の状態は「底値」だが安定しており、今後の経過しだいでは普通食(柔らかめの)も食べても良いということになる見込みも出てきた。実際、今回の訪問の前日に病院内で夏祭りがあったようだが、その時に看護士が母にたこ焼きを食べさせたそうだ(タコ抜きのたこ焼きだけど)。しかも2個も。「しっかりした味がお好きなんですね」と看護士は言ったが、いや、どろどろ状のミキサー食が不味いということだけど。そんなことも聞いていたので、卒寿の祝いの席では餡こが入ったまんじゅうを小さく切って食べさせた(兄の判断で)。半分ほど食べたかな▶兄たち一行は次の予定があり、お昼ごろには病院を後にしたが、ぼくはその後2時間あまり病院に残り、母のそばにいた。母は卒寿の記念にあげた「俳句写真集」をベッドに横たわりながら、じっくりと見てくれ、見終わると何やらモゴモゴ言ったのだが、よく聞き取れないので(母はこのところ、滑舌がだいぶ悪くなった)、聞き返したら、ぼくの手を取り、ぼくの手のひらに「ありがとう」と書いてくれた。ちょっと泣きそうになったね▶帰り際、「今度はお正月?」と聞くので、「いや、これからも毎月来るよ」と約束。あとどれくらい母に会えるかわからないが、母の最晩年を少しでも幸せなものにできたらとは思っている▶今回の帰省で残念だったことがひとつあって、それは一昨日、父の法要の後、墓参りに行った際、墓地に咲くカンナの写真を撮った直後にカメラが壊れたこと。突然、フォーカスが合わず、シャッターが切れなくなった。「レンズの動作不良」とモニターに。だから昨日は写真が撮れず残念であった。修理に出すより新しいのを買った方がいいだろうな。くっそー、でございます。で、ちょっとホラーがかるが、その墓地のカンナの写真を。みなさんに少し涼しくなっていただこうとね(笑)。

2014年8月15日(金)
♪月曜日はピーマンの肉詰め〜野菜サラダに冷や奴〜卵焼きもついてたよ〜/火曜日はレレ教室でポロリンコ♪〜帰って焼きうどんを食べた〜/水曜日もレレ教室でポロリンコ♪〜帰ってカレーを食べた〜/木曜日は雨降りだったので〜部屋の中でウダウダしてた〜夕飯はイワシの南蛮漬けに〜豆腐とシメジの炒め物鮭の切り身もついていた〜/ポロポロポロポロポロリンコ〜ポロポロポロポロポロリンコ〜♪▶今朝はわりと早くに目が覚めたので朝散歩を実施。びっとりと汗をかいてシャワー後の「すっぽんぽん扇風機の愉悦」をやって、なんだか諸々やる気がしないのでウダウダしておる真夏の猫模様▶ここんとこ、ちょっとスランプ。ウクレレは上手く教えられず、やるべきことははかどらず、探し物は見つからず、諸々のことがうまく噛み合わない感じ。なんというか、時代は益々、ぼくが好ましいと思う方向からずれていくように思うし。納得できないことが多いんだな、時代にも、個人的には壊れたカメラのことにも▶さてさて、今年の夏も極みを迎える。今日は終戦の日。「あの夏」も今日のように晴れて暑かったという。<銃後てふことば忘れず百日紅>(写真)というのは母の句。終戦の日、母は21才。まだ結婚もしていないうら若き乙女に「銃後」という言葉は忘れ難く刻まれたのだろう。百日紅という花は真夏の太陽の下で勇ましく咲き誇る感じだ。乙女に託す銃後の守りか百日紅

2014年8月16日(土)
今朝もまあまあ早くに起きて朝散歩→散歩の帰り道はガリガリ君→びっとり汗をかいて→シャワー後の「スポセン」(「すっぽんぽん扇風機」ね)。今日もね、諸々やる気が起きんです。ま、♪しょうがな〜い〜クソ暑い日はしょうがな〜い〜。ところでNikon1のレンズが壊れて使えないので、以前ヤフオクで1500円で購入した5年落ちのキャノンIXYをポッケに入れて色々と散歩写真を撮ったが、やっぱりイマイチだね。安いので文句は言えないが、今どきの進化した携帯カメラと大差ない感じ。いや、iPhoneカメラの方がいいかもしれん。Nikon1はデジイチまでにはいかないだろうが、なかなか描写力があるレンズだったので、IXYではもの足らない。すごくもの足らない。全然もの足らない。いったん、裕福な生活を手に入れるとなかなか元の暮らしに戻れないというのに似てるな。まあ、ぼくは裕福な暮らしを実現できたことがないので、暮らしの方は現状で大丈夫だけど(正直、もちっと金は欲しいけどね。もちっとでいいんだけどね。)。金があれば、新しい良いカメラをポンと買うのだが、それがままならぬのがちと悔しいねえ。いや、納得ができる出費であればいいですよ。でも、レンズの修理費が新品の値段とほぼ変わらないというのはねえ。で、壊れたレンズを新品で単品で買うのとボディとセットの新品を買うのとそんなに値段は変わらないんだよ。消費社会における不合理、不条理な一面だな。だから修理は馬鹿馬鹿しいからやらないが、ボディだけあってもカメラはどうにもならん。で、Nikon1用の今まで使ってたズームじゃなくて単焦点の明るいレンズが欲しいと思ったのだけど、2万円くらいするんだ。2万円っつったら、そこそこのコンデジが買える値段だな。カメラのレンズって本来、大事に使っていればかなり長い期間使えるブツであるはずだったのが、デジタルになってわけのわからない不調が起きるから、レンズもブツとして格下げになったな。もう巷はデジタルブツで溢れかえってるから、しょうがいないから使うけどさ。やっぱりね、便利だけどデジタルっつうのはある意味、退歩だね、文化として。ま、そんなことをぐだぐだ考えながら散歩したのでイマイチすっきりせんが、ぼやいたところで良いことはあまりないので、ちゃんちゃんとやるべきことをやって前向きにいかんとなあ。ぶつくさ言ってすまんです。冷やし中華

写真はNikon1が健在だった前回帰省時のもの。下関の綾羅木海岸(写真)。シルエットの少女は一緒にいた康也くんちのプリンセス。

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