2014年6月19日木曜日

週刊「猫並日記」2014 (6.05〜6.07)

2014年06月05日(木)
病室に入ると母は静かに寝息を立てていた。そっと母の枕元に立ち、しばらく母の寝顔を眺めていたら、母はうっすらと目を開けて、ぼくの顔を確認すると「ああ、あんた、どこに行っちょんたんかね」と言い、一瞬物悲しい表情を見せた後、ゆっくりと微笑んだ▶「気分はどうかね?」と問えば、「あんまり良うない」と母は言ったが、表情は穏やかだった。ベッドサイドの引き出しの上に「がんばって、たくさん食べてください」と書かれた色紙があって、それは少し前に母を見舞った兄が書いたもの。「がんばってたくさん食べよるかね?」と聞いたら、母は悲しげな表情を浮かべて、かすかに首を横に振った▶母が2週間程前、移送された病院は町外れの海のそばにあって、駅からバスに乗って小一時間かかる。老人施設を併設した総合病院で、多くの職員や訪問者がいるはずだが、バスを利用する人間はあまりいないようで、バス路線の後半、乗客はぼく以外はほとんどいない。ここに来ると果ての地に来たような感じがする。ターミナルケアを売りにする病院の立地としてはふさわしいのかも。父が亡くなったのもこの病院▶母にあげたいものを思いつき、駅から病院に向かうバスに乗る前、駅ビル内の店を物色してみたら、「これこれ」というものがあったので購入した。猫のぬいぐるみ。それもちょっとリアルなやつ。母は猫好きで、ぼくが小さい頃から家に猫がいたのは母がどこからか猫をもらってきていたから。だから、ぼくの猫好きは母からの遺伝なんだ▶「母ちゃんにプレゼントを買うてきたよ」と、箱から件の猫を取り出し、母の胸元に猫を置いたら、母の笑顔が大きくなって、手でしっかりと猫を抱き寄せた。鬱病に罹って以来、何かあげても喜んでくれることがあまりなくなって、気に入ってくれるかどうかちょっと不安だったが、抱きながらゆっくりと猫を撫でている様子はまんざらでもなさそうだった▶4月末以来、母のそばに片時も離れずついているのは無表情きわまりない点滴のスタンド。いつもそばにあるからといって、点滴に親近感は覚えないだろう。物言わぬぬいぐるみの猫でも抱き寄せれば、少しは幸せな気分になるかもしれない。気立ての良い本物の猫を抱かせたかったところだが、それはね、ちょっと叶わない。

病室にやや萎びたカーネーション。母の日に母を訪ねたのは兄だから、おそらく兄が持ってきたのだろう/件の、毛並みの感触がけっこうリアルだった/前は足に点滴針を刺していたが、点滴ができる血管がなかなかなく、腕からとなった。点滴もなかなか厳しい感じ/この、おなかに電池が入っていて、スイッチを入れると笑い声を上げてくるくる回る仕掛けがある。やってみせたがあまり喜ばなかった/兄の文章の下に「いっぱい食べて、リハビリもちゃんとして、もっと長生きせんとね」と書いた。「もっと長生きって......」と90才の母はちょっと困った顔をした。

2014年06月06日(金)
5月29日木曜日の午後にこちらを発って、同日夜に下関に着き、金、土、日、月、火と母が入院している病院に日参し、戻ってきたのが6月3日火曜日の夜。水曜日は夜のウクレレ教室に備え、日中はネタ作りなんぞやって、夜間教室でポロリンコ♪ 昨日は雨降りの一日だったこともあって、終日部屋に籠もり、久々にグータラと一日を過ごした▶向こうでの食事は、病院からの帰路、駅前デパ地下の食品売り場でタイムサービスの食品類を物色し、購入、実家に持ち帰り、ビールとともにひとり静かに食すという、それが介護帰省時のパターン。デパ地下ってスーパーの食品売り場より、なんか楽しいよね。ぼくは、ひとりで食べ物屋に入って食事をするのはあまり好きではないこともあって▶下関は土地柄、海鮮系の食べ物が美味しいので、もっぱらその類いを買うのだが、時間を見計らって行くと、寿司や弁当などの3割引や半額セールなどあり、それを狙っているおばさんたちに混ざってわさわさと購入するのも、まあ楽しい。定価1000円くらいのうに弁当なんかが半額になって、買おうかなどうしようかなと思いつつ、他のところを回って、戻ってきたら売り切れていて後悔したり▶てなことで、個人的恒例の食ったものメモを。今回帰省時に主にデパ地下で買った食ったものリストを。海老カツ巻き/かつおたたき/ほたて弁当/あなご寿司/海鮮丼/ピリ辛地鶏唐揚げ/鮭箱寿司/ばってら、等々。向こうでは早起きおじさんになるので、さすがに一日一食では持たない。今回は病院が海の近くだったので、毎日、コンビニでおにぎりを買って、午後、海岸で食べた。5日間、毎日おにぎり。潮風に吹かれながら食べるのはやはりおにぎりだよね。パンではちょっと。一昨夜は秘書が用意してくれたざるそばと天ぷら、昨夜は天津丼、餃子スープ。

写真は向こうを発つ直前に食べた下関駅のうどん。これが高校生くらいのころからの好物で、帰省したら必ず食べていたのだが、駅舎の改築でしばらく休業していたのかな、ここ数年ぶりに食べた。細目の麺とあくまで薄口淡泊な出汁、美味しかった。2年までしか通わなかった高校からの帰路、よく食べたものだ。ぼくにとって、このうどんが「故郷の味」の筆頭。ほろ苦い「青春の記憶」もあってね。

2014年06月07日(土)
母は4月の終わりに誤嚥性肺炎に罹り、暮らしていた特養から救急病院に搬送された。誤嚥性肺炎は主に、嚥下、つまりごっくんすること、食べ物や食物を飲み込む機能の低下によって、気管から食べ物などが肺に入り、肺の炎症を起こし、呼吸不全や心不全を起こすという高齢者の最大の死因のひとつ。抗生物質投与等で、いったんは肺炎症状は回復しても、嚥下機能が回復しないと、しばしば再発性があるということで、難治性の病気、つまり完治するということは難しい病気、つうことなんだ▶嚥下機能が正常であれば、仮に食べ物や飲み物が気管に入ることがあっても、嚥下反射、咳反射によって気管から、食べ物や飲み物を出すことができ、誤嚥することを防ぐことができる。ぼくらが何かの拍子にむせてゴホンゴホンやるあれだね。でも、高齢になってくるとそれがうまくできなくなってくる。嚥下機能の低下というのは、そういうことで、たくさん食べることも困難になってくる。「食べられなくなったら終わり」という言い方の所以です▶母の場合は、元々そんなに食べる方ではなかったけれど、昨年あたりから、急に食が細くなり、特養でも平均的な必要摂取カロリーに足りず、栄養価の高い補助食を付けてもらっていた。それで、甘いお菓子類が好きだということで、三度の食事よりもおやつでカロリーを補うという食生活を続けていたということだった。徐々に食べられなくなっていく状況は始まっていたということだね▶で、母は、肺炎の方がほぼ完治した時点(血液検査はほぼ良好)で、再発を防ぐために食べ物をしっかり食べるための「嚥下リハビリ」というのを、最初の病院から今いる病院に転院して始めたのが5月初旬、当初は絶食、点滴のみの栄養補給から始まり、しばらくして点滴と一日一回の裏ごし食という嚥下リハビリを開始、今回帰省の最終日、一日三回の裏ごし食になった。ちなみにその日の朝食はわずか1割の摂取量、昼食も同様、そのため栄養補完のための点滴は継続している▶母の嚥下機能の状態は、主治医によると「嚥下反射の能力は落ちているが、咽頭付近の筋肉はまだ大丈夫なので、リハビリ次第では回復の見込みはある」というものだった。で、嚥下リハビリというのは具体的にどうするか、とにかくがんばって食べる、食べてもらうということに尽きるんです。それで今回、兄に続き、母に「食べさせ隊」隊員として病院まで出向した次第▶しかし、食べないんですよ、母は。促しても、促しても。裏ごし食というのは、魚や野菜類を裏ごししペースト状にしたもので、それにさらに「つるりんこ」という商品名の液状のものをドロドロにする片栗粉のようなものを入れたりもするんですが、母は「おいしゅうない」と。どれどれとぼくも味見してみたけれど、確かにうまくはない。食べ物の美味しさというのは、味だけではなく、見た目や食感というのが大事ということがよくわかる。みんなドロドロなんだものね▶食欲がそもそもないのに、これを食べるのはなかなか難しいなあと母に同情しつつ、それでも無理やり食べさせるわけだね。いくら母のためとは言え、苛めているようでこちらも辛いです。それでも、プリンや裏ごししたバナナなどは何とか口に入れてくれるので、この際、栄養のバランスなんかはどうでもいい、とにかくカロリーを摂らせようと看護士さんに相談し、おもゆに梅のペーストを混ぜたり、水ようかんを食べさせてみたり、抹茶味のプリンを食べてもらったりして、なんとか少しでも多くカロリーを摂取してもらおうとしたけれど、なかなか難しかった▶1時間以上、食事に時間をかけて少しずつ食べさせるんだけど、母は「もういい」となったら、けっこう頑固に食事を拒むんで、こちらもそれ以上は諦める。今回、5回くらい母の食事介助をやったけれど、なんとか全体の2割程度くらいかなあ、3分の1にも達しないくらいでした。まあ、点滴もしてるんで、生命維持の最低限のところはカロリー摂取はできてるのかもしれないけれど、この状態が続けば、遠からず栄養失調か脱水症状を起こして生命が危ぶまれる状況になるというわけで、厳しいところなんだ▶栄養摂取は口から食べる「経口摂取」が望ましいのだけど、それが困難な場合、経管摂取(経鼻、胃ろう)という方法があるのだけど、情報を集め、それなりの知識をつけ、兄とも相談し、友人の医者にも相談し、色々と考えた結果、今回はその決断は見送った。それについては次回、書いてみようと思ってます▶しかし、朝から晩までザンザカとよく雨が降ること。里芋、竹の子、しいたけ、人参等の筑前煮、サワラの粕漬け、ミニ・コロッケ、キャベツ、トマトのサラダ。食べられることの幸せというのは経済的な比喩的意味だけでなく、文字通りの意味もあるわけだね。

写真はある日の母の食事メニュー。前日に母はあずき餡が好物だと伝えたら、あずき味のプリンを加えてくれて、これは1個、なんとか完食した。

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