2013年6月27日木曜日

WeeklyTweets 2013 (6.17~6.23)

2013年06月17日(月)
昨日はぼくのレレ教室の生徒さんたちのユニット「ヨコシマーズ」のデビュー・ライブがあったのでした。みなさん、下町情緒あふれる根津が地元。その根津で70年代からオープンしている酒場「アルタイ」で地元仲間達を集めての演奏、入りきれないお客さんが路上にまで溢れるという大盛況でありました▶ま、アルタイというお店がかなり小さなお店だったということもあるが、熱気むんむん、おそらく根津界隈では最も楽しいオーラを放っていた場所ではあるまいか。ベリー・ビギナーさんもいた「ヨコシマーズ」メンバーにレレ指導を始めてまだ1年足らず。愛弟子の成長ぶりにセンセーは目頭が熱くなったよ▶これもぼくの熱い指導の成果(というのはあれですが)、大盛況はなにより「ヨコシマーズ」の仲間たちの絆、そしてその絆を繋ぐウクレレという楽器のマジックではなかろうか。「楽しいことをとことん本気でやる」ヨコシマーズの前途を祝福するとともに、今後も陰ながらお手伝いしていきたい所存。
posted at 15:59:52
 
昨夜のライブのチケット。これにもヨコシマーズの本気度が現れてますね。 ▶これは「ヨコシマーズ」特製缶バッジ(のひとつ)。描かれているのはヨコシマーズのキャラクター「横島津」。ぼくもキャップにつけてちょっろとライブ参戦したよ▶そしてこれが噂の「ヨコシマーズ」の面々(ウェブ顔出しオッケーということで了承済み)。当然、ユニフォームは横縞。 
posted at 16:08:22
 
これが「ヨコシマーズ」デビュー・ライブのオープニング曲&テーマ曲「ヨコロップ」。50’sのアメリカン・ポップチューン「ロリポップ」の替え歌です▶これは「森のくまさん」。最初のころのレッスン曲で、この曲でヨコシマーズ団長Mさんに「ウクレレの神様」が降臨して、急にウクレレが上手くなったという曲でした。楽しげでしょう?▶そしてこれが「やんなっちゃった節(アルタイ・バージョン)」。カードをめくっていく様子はボブ・ディランの「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」のビデオの手法だね▶で、これがヨコシマーズ内の別ユニット(つまり、モーニング娘の「ミニモニ」みたいな)「どんぐりーず」。歌は「なんとなくなんとなく」。*全員が動画フレームに入りきれなかったのは、お店の狭さのせいであります。メンバーのみなさん、悪しからず。
posted at 17:35:52

2013年06月18日(火)
<天網の疎へ六月の猫が跳ぶ>とは父の句。「天網の疎」とは「天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏らさず」という老子の言葉の引用か。意味は「天の張る網は広くて目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ天罰をこうむるということ」だと▶その「天網」にもかからず、やすやすと自由に跳ねる猫を思う。猫は自由な生き物だ。ぼくの猫好きもその自由さに憧れるところがあるから。この句は父の句の中で難解なものだと思うけれど、好きな句のひとつ。鰯の南蛮漬け、鶏唐揚げ、野菜サラダ。
posted at 02:51:49
 
画像は大昔に描いた空跳ぶ猫。跳んでいるのはかつての飼い猫、ニンニン。それを見上げているのもかつての飼い猫、マック(真っ黒だから)とその弟のヨーダ。一応仕事で描いた絵で、可愛く描いてというクライアントに要望にぎこちなく応えた感じの絵。
posted at 02:59:53

2013年06月19日(水)
なんだか真夏だね。夜更けてもざわざわと湿った生暖かい風が吹いている。なんだか気持ちもざわざわとしてくるような。ざわわざわわの丑三つ時、艶めかしい美女の幽霊でも訪ねてきたら、一緒にビールでも飲みたい夜だな。
posted at 02:26:06
 
火曜夜のレレ教室@大和でポロリンコ♪ 今回のメニューは予定では違う曲だったけど、行く直前になってハワイアン系に変更した。暑かったんで少しまったりと曲をやりたくなったんだ。ぼくはハワイアンはあまりやらないけど、ウクレレに合うんだね。悔しいけど、っていうのも変だけど▶夏場は海辺で野外レッスンとかしたら気持ちいいだろうね。うん、マジで考えようかな、ウクレレ合宿。ガッコウ講師時代、毎年夏には真鶴で生徒たちと合宿をやってた。元は民宿だった建物が合宿所だった。今はもう取り壊されてしまったけれど。天津丼、焼売、野菜サラダ。
posted at 02:46:59
 
昨日、昔描いた空飛ぶ猫絵をアップしたので、さらに昔描いたもうひとつの空飛ぶ猫の絵。これはぼくの1stアルバムのジャケットとして使われた。当時飼っていたプーという猫がモデル。今のぼくの絵のタッチからするとちょっと意外かも。素朴な絵だね。
posted at 02:55:44

2013年06月20日(木)
水曜夜のレレ教室@大和でポロリンコ♪ このクラスはなんだかとてもリラックスできるので、レッスン前後に茶飲み話に興じてしまった。そこに気の置けない仲間とウクレレがあれば、ぼくはかなり幸せな時間を過ごせるね。ウクレレは微笑みの楽器。平和な楽器だとつくづく思うよ。麻婆ナス、春雨サラダ。
posted at 01:20:39
 
ロサンゼルスにいたときに、ひょんなことからメスの迷い猫を飼い始め、それが子どもを産んだ。三匹。その内、一匹の黒い子は生まれたときから他の子より頭ひとつ分でかかったが、そのわりには他の子より動作が鈍く、ちょっと頭も足らなそうだった▶他の二匹はもらい手がついたが、そのでか黒は売れ残った。それでけっこう大きくなっても歩けないんだね。匍匐前進みたいな感じでずりずりと移動する感じ。病院に連れて行ったら、股関節が外れていると。筋肉がついてくれば歩けるようになるかもしれないけれど保証はできない、と医者から言われた▶それで、「スリープさせますか?」と言われたんだ。安楽死だね。ぼくたちにはそれはできなかった。家に連れ帰り、このまま歩けないんだったらスリープさせた方がこの子にとってもいいのかなあ、と思いつつ日々は過ぎて、いつの間にか歩けるようになったんだ。ちょっと内股気味だけど、特に問題もなく▶それが黒猫マック。そして同じ母猫の2回目の出産で生まれてきたのが灰色のヨーダ。こいつももらい手がなかった売れ残り。ヨーダは変な猫だった。あまり感情の起伏がないんだ。意思の疎通もあまりないんだな。でも兄ちゃんのことは大好きでいつもマックのそばにいた▶母猫は2度出産して避妊手術を受けさせたらどこかへ行ってしまった。で、その後にやって来たのが白黒ニンニン。マックとヨーダはニンニンのことがあまり好きじゃなかった。でもケンカはしなかったよ。その三匹をアメリカから連れ帰ったんだ。もう三匹とも「虹の橋」を渡り、天国で暮らしているけれど▶てなことで、連日の猫絵を。これはマック(上)とヨーダ(下)。マックが死んで、すぐ後を追うようにヨーダも病気で死んだ。ホントに仲が良い兄弟だったよ。
posted at 02:15:02

2013年06月21日(金)
うーむ、夕飯食ってうたた寝をして夜中に目が覚めちまった。ぼくは基本一日一食(+お菓子類)という食生活なので、夜、ご飯を食べてしばらくすると血糖値が急に上がり、急に眠くなること多々ある。大体夜10時過ぎあたりに「食後睡魔」は訪れる▶で、小一時間寝て、午前1時くらいに目が覚め、パソコンに向かい、たらたらと時間を過ごし、ベッドでポテチとかを食べながら本を読んだりして夜明けの時分に今度は本格的に寝るといった生活が多い▶健康志向の人は眉をひそめる暮らしぶりだろうが、なに、こういう生活を長年続けていたって健康、要はけっこう好きなように時間を使っていて、またそれがある程度できる状況にいるわけで、おそらく精神的に適っている暮らしなので肉体的な健康にも奏功しているのではないかと、勝手に思ってます▶病院、行かないですねえ。歯医者以外(あ、それと腰痛関係)で病院に通ったことは20代の前半の風疹経験以来、ほとんどないです。風邪も引かない。それが自分にとって健康的な暮らしだと信じているのがいいんじゃないかな。ハンバーグ、野菜サラダ、オニオンスープ。
posted at 04:19:41
 
画像は連日の「猫絵」シリーズ。ニンニンとマック。マック、でかいでしょう? マックのでかさを誇張して描いたわけじゃないんだ。マックは最盛期には体重が10キロあった。ホントだよ。このマックはちょっと怖そうだけどすごく気の優しい猫だった。
posted at 04:25:51
 
かつての飼い猫、マックは体重が10キロあった。「それは太り過ぎ」という声も聞こえてくるが、ガタイもでかかったんだ。これが証拠写真。マックを抱いてるウチの秘書は小柄(身長154センチ)だけど、でかさがわかるでしょう? ビッグ・マック。笑
posted at 12:53:14

2013年06月22日(土)
ここんとこ梅雨らしい梅雨であったが明日の天気はハレルヤとの予報。実はここんとこ散歩をサボり気味。去年の春くらいから、ほぼ毎日てくてくと歩いてきた「歩くホーガン」であるが、ちとほころびが見え始めた。散歩コースもいろいろと踏破し尽くした感がある。近隣花関係も一通り見尽くした感がある▶ぼくの弱点は継続だ。昔からそれが弱点だった。なんらかの新しい楽しみを散歩に見いださなければならないな。音楽を聴きながら歩くのは既にやっているから、本でも読みながら歩くか。二宮金次郎だね、って言っても若者は知らんか。あとはウクレレを弾きながら歩くか。目立つな、それをやると。
posted at 02:54:54
 
マックは引っ越しの直後に死んだ。マックとヨーダとニンニンをペットは本来、飼えない相模原のマンションで飼っていて、鳴き声を聞いた同じマンションの住人が管理会社に報告、管理会社から退去通告が来たのでやむなく引っ越しをしたのだった。ちょうど福生に友人の親の所有マンションがあってそこに▶引っ越しは暑い夏の盛りで、荷物を運送屋のトラックで運び込んだ後、友人の車で三匹を運んだ。友人はピカピカの新車に乗っていて、シートが汚れるのが悪いからトランクに三匹を入れたケージを積んだ。トランク内は暑いかと思ったが、室内と繋がるタイプだったのでエアコンの冷気が回るだろうと思った▶相模原から福生まではかなりの距離だ。猫等を運搬中、様子を気づかったが、そのときは大丈夫そうだった。新しいマンションに着いて、猫等を部屋に入れたところ、ヨーダとニンニンは変わりはなかったが、マックの様子がおかしい。呼吸が荒く、苦しそうにしている▶エアコンを入れ部屋を涼しくしても苦しげな様子は変わらなかった。目を虚ろにして喘ぐように息をするばかり。水を与えても飲むことができない。これはやばい、病院に連れて行かねばと思ったが、なにしろ越してきたばかり、電話回線すら繋げていなかった。運んでくれた友人は既に帰った。しかも夜▶オクさんと手分けをして、近所のコンビニの公衆電話から電話帳で近隣動物病院の番号を調べ、片っ端から電話して夜間の往診ができる医者を探した。来てくれる医者が見つかり、状況を説明、まだかまだかと到着を待った。あのときくらい時間が経つのが遅く感じたことはない▶マックは荒い呼吸を続けながら、時折ものすごい野太い声で鳴いた。助けて助けて、と叫んでるようだった。脱糞もした。ぼくはマックの身体をさすりながら、マック、マック、しっかり、しっかりと呼びかけることしかできなかった▶永遠のような時間のあと、医者と二人の看護師が酸素ボンベを担いでやってきて、すぐにマックに呼吸器をつけ、応急処置をし病院へ車で搬送したが、病院に着く前にマックは死んでしまった。突発性の心不全。でも車のトランク内での運搬によるストレスが原因だったことは明らかだ▶既に深夜だったので遺体の引き取りは翌日にして、ぼくらは引っ越したばかりのまだ荷物も解き終えてない部屋に戻った。泣いた泣いた。泣きながら寝て、目が覚めるとまた泣いた。涙がいくらでも出た。あんなに泣いたのは今までのぼくの人生において後にも先にもない。マックにすまなくてすまなくて▶翌日、マックの遺体は医者の紹介で、高尾の動物霊園に運び、荼毘に付された。マックの享年は10才。最愛の兄を失ったヨーダは急に老け込み、その夏が終わり、秋になり、冬の寒い日に突然具合が悪くなり亡くなった。ヨーダは眠るように穏やかに死んでいった。享年は同じく10才▶この絵はマックとヨーダが元気に生きているときに描いたものだが、なんだか暗示的な感じがする。こうやっていつも一緒に寝てたんだ。虹の橋の向こう側、星降る夜に、今も一緒に寝てると思うよ。

やれやれ夜明けタイムになってきた。去年の今ごろはそこそこ早寝早起きだったように思うが、今年の夜型はなかなか崩れないなあ。親子丼、ポテトサラダ、味噌汁。
posted at 04:29:37

2013年06月23日(日)
LAにいた頃に飼い始めたマックが死んだのが1994年の夏、ヨーダが死んだのが翌年1995年冬、そしてニンニンが17才で死んだのが2004年の夏、以来猫を飼っていない。「猫いない歴」がもう10年近くになる▶子どもころから猫が好きだった。なんでこんなに猫が好きなのかわからない。子どものころから猫が周囲にいて、大人になってからも代々猫を飼ってきた。猫はぼくにとって愛情を注ぐ対象であり、飽きることのない遊び相手であり、時折間抜けな所作に心を和ませ、毛並みや肉球や濡れた鼻の感触を楽しんだ▶子猫は理屈抜きに愛くるしいし、老いた猫の肩口に漂う哀愁感もぐっとくる。わがままというのじゃない、ただ自分が望まぬことはしない、そして心地よい場所を魔法のように見つける。人に媚びることもへつらうこともせず、努力もさしてせずに三食昼寝つきを易々と獲得する(飼い猫の場合だが)▶ぼくが「生き方の基本は猫に学べ!」を提唱する所以である。最後の猫、ニンニンの死による「ペットロス症候群」が癒えぬまま年月が経って、気がついたら今度猫を仮に子猫から飼えば、猫より先に死んでしまうかもしれない年になった。そんなわけで、最近もう猫を飼うことはないかなと思うようになった▶ここんとこ、連日猫絵をアップしてきたが、とりあえずこれがラスト。マックとヨーダとニンニンの三人組。ここ数日、ぼくの猫話に付きあってくれた方々、ありがとう。もし良かったら「ぼくの猫遍歴」
posted at 00:58:12
 
<あの雲は崑崙行きか籐寝椅子>とは父の句。崑崙(こんろん)中国古代の伝説上の山岳、仙人が住むという。午後散歩。今日は照ったり、曇ったり、少し雨がぱらついたりと猫の目天気だったけど、空模様の変化がドラマチックだったので、空を見上げながら歩いた。カレイのみりん干し、ゴーヤ豆腐、納豆。
posted at 01:52:51

写真は、ふと、振り返りたくなる「一本道」。散歩ロードのこのポイントも好きなんだ。ちっちゃいちっちゃいホーガンがカーブミラーの中に一応。ほとんどわかんないけど。
posted at 01:56:39

2013年6月21日金曜日

WeeklyTweets 2013 (6.10~6.16)

2013年06月10日(月)
亡くなった卒業生の告別式に参加。自宅葬だということで近親者+αくらいの葬儀かなと思っていたら、けっこう多くの人たちが集まった。襖などを取り払い、2部屋続きの空間に祭壇をしつらえ、室内に入りきれない人たちは庭からの参列、故人を多角から囲むような形態で、親密感が増すように思った▶昨年2月に発症し、いったん回復に向かったが、今年2月に病状が悪化、最期は家で看取るという方針のまま、出棺も自宅からというのにご家族はこだわったようだ。家に戻ってきたことを、A学院の彼女の友達などは病気が良くなったと解釈し、それがぼくに伝わっていたので今回の訃報には驚いた▶享年は34才、若い人の葬儀は不憫でならない。ご家族の嗚咽を目の当たりにし、こちらも涙腺が緩んだ。読経の後、出棺、火葬場にも行き、ご自宅に戻り、会食。A学院の生徒たちも亡くなった子の同期を中心に7名ほど参加、久しぶりに会った彼らが随分しっかりしていたので、そのことは嬉しく思った▶お母さんと少し話をしたが、最期は本人も痛みを感じない状態だったそうで、それがせめてもの救いだったと。臨終直前、ご家族が見守る中、突然「ああ」と声を上げたそうだ。「ありがとう、って言いたかったんだと思います」とお母さんが言った▶亡くなった卒業生の自宅は、私鉄駅からバスに乗り、細い坂を上ったり、下ったりする住宅地の一角にあった。写真はその家に向かうとき、目を引いた深紅のゼラニウムが咲く石段の光景。黄泉の国へ導く石段のように見えた。
posted at 01:29:34
 
2013年06月11日(火)
<派兵論梅雨のこの路抜けられる>とは父の句。かつての自衛隊のイラク派遣についての句であろうが、難解な句だ。この俳句をぼくなりに「意訳」すれば、「梅雨の時期に傘をさして歩いていて、ふと抜けられる道があるのに気がついた。派兵論というものはそういう抜け道のようなものだ」という感じか▶自衛隊のイラク派遣は03年から09年にかけて行われたが、そもそもイラク戦争の大義が疑われている今となれば、結局日本はアメリカの追随をしなければ成り立たない国であることの歴史的事実だけが刻まれた出来事であったように思う。喧々諤々の議論も、結局「抜けられる路」があるという事実▶句集に戦争にまつわる俳句もいくつかある父は「穏やかな反戦主義者」だったと信じている。憲法を改正しようとする現政権について、父はどういう俳句を詠んだろう、とぼんやりと考えた。抜け道を探すのに聡い連中が揃っていそうだが、かんたんに抜けられては困る。親子丼、青菜の酢みそ和え。味噌汁。

写真は近所のお気に入りスポット徳善寺に咲いていたシモツケ。徳善寺で写真を撮っていると住職夫人(おしゃべりな婆さま)から話しかけられるようになったが、その婆さまこの花の名前を聞かれたので、得意げに教えてあげた。たまたま知っていたんです。 ▶で、こちらがナナカマド。これは婆さまが「ナナカマドも咲いてますよ」と教えてくれた。婆さまは境内の掃除をマメにしていて境内はいつもきれい。人の良さそうな方だが、話し相手になってあげると延々と話してくるのがちょっと難点。
posted at 02:32:23

2013年06月12日(水)
レレ教室昼間部火曜クラス@大和でポロリンコ♪ 夜はレレ教室夜間火曜クラスの生徒さんお二人と飲み会@大和、レレ話となんだか自分史語りを生徒さん相手にぶっこいてしまったな。いや、おじさんは昔話が好きなんだ。サッカー見ながらうたた寝して、岡崎のゴール直前で目が覚めた。明日もレレ教室。
posted at 03:25:26

2013年06月13日(木)
レレ教室の生徒さんに電話で起こされる@朝8時。シニア世代のその生徒さんはぼくの朝8時は一般的時間帯の夜中の3時ごろだとはお知りにならない。結局起きて、レレ教室水曜昼間部クラスでポロリンコ♪ 新規生徒さんのために午前中に「ウクレレ・はじめのはじめレッスン」をやった後、午後クラス▶初心者さん(シニア世代多し)対象ポロリンコ・レッスンでみっちり3時間、楽しくやれたと思うけれど、ちと疲れた。夕刻帰宅して夜まで「夕寝」。以前、ウクレレ教室の生徒さんのお一人(おばさま)が生まれて初めてのマイ楽器となるウクレレを娘さんに買ってもらった話を書いたが、今度はおじさま▶もう3回ほどレッスンを続けている無口で渋めの団塊世代男性、レッスン終了後、ウクレレを購入しようと楽器屋に行ったがどれにするかアドバイスをと、ぼくにウクレレのカタログを見せた。その方ははっきり言ってかなりチープなウクレレをお持ちだった▶いくつかの候補から単板材のものをお勧めして、「はっきり言って、今お持ちのものよりはるかに良い音がすると思うので、練習にも身が入りますよ」と言ったら、普段難しい顔をしていることが多い彼は、にっこり笑って「父の日にね、息子がプレゼントしてくれるっていうものだから」と。良い話じゃない?▶山下は最近ウクレレ教室、頑張ってるんじゃない? と思われた方、はい、好調に推移しておるよ。さてと、ざんざかざんと雨が降っております夜の底。カレイの煮付け、青菜とタケノコのガーリック炒め、豆腐の味噌汁。写真は葡萄の幼子@近所の葡萄畑。
posted at 03:28:35

2013年06月14日(金)
ぼくは携帯というものを長い間、持たなかった。それは「主義」というわけではなく、単に必要性を感じなかったからだ。2000年代前半、携帯普及率が50パーセントを超えたあたりは学校講師時代の後期で、生徒たちを連れて合宿授業や社会科見学に行く機会等には、携帯があれば便利だと思ったが、生徒の携帯を借りて(ちゃんとお金を払って)用件を済ませた▶携帯の普及率が100パーセント近くになる頃には、フリーランスに戻って自宅で仕事をする生活だったから固定電話とPCメールがあれば事足りた。持たない主義の人が言う「どこにいても連絡があるというのは嫌」というのも理解できたし▶まあ、携帯というのは他者のために持つという側面もあるが、ぼくが携帯を持つことを望むような他者はぼくにはあまりいなかったので、持たずとも誰からも不平を言われることはなかった▶ただ、2年前父が亡くなって、母も特養に移り、実家の家電を解約した段階で、帰省した際、電話をかけたり受けたりすることがはなはだ不便になり、必要性に迫られて携帯を持つことになった。ただし、通話のみの基本料金が一番安い契約で、現在も年に数回帰省するときくらいしか使う機会はあまりない▶でも、人と待ち合わせて外出するときは一応持っていき、それなりの安心感と利便性は感じる。ときどきは使って、10年前携帯を使い始めた人のように「携帯って便利だなあ」と思ったりする。あと、目覚まし時計&万歩計(そういう機能がある)代わりにも使っていたりもする▶だから月々の使用料金はほとんど基本料金だけだが、ついこの間、契約電話会社名義の7千いくらかの使用料が口座から引き落とされていたんだね。ぼくはそういうのに無頓着だからウチの秘書が見つけた。「この7千いくらの使用料ってなーに?」と。ぼくにも秘書にも心当たりはなかった▶その月の基本料金は別の日に落ちてたし、不審に思ってまず契約電話会社に連絡した。電話会社担当から「家族の他の誰かの使用料金、何か新規の回線等の契約料金、あるいは口座カードの第三者による不正使用」という可能性を指摘された。カードの不正使用であればまずい事態だ。他は心当たりはない▶電話会社は引き落とした金額の明細を調べるのは難しいと。そして何度も「あなた以外の家族であなたの携帯を使った人がいるのでは」と聞かれた。そんな人間は秘書以外におらん。また最近カードを紛失したことあるのかとも。それはないので、なんらかの方法でカード情報が盗まれたのかもしれないと▶とりあえず電話会社には「調査の対象」にしてもらい、次にカード会社に連絡したら、「発生した金額は電話会社の請求によって落とされたもので、もしカードが不正使用されたのなら調べるのに数週間かかる」と言われた。カード番号を変えることも考えたが、変えたとしてもいったんその番号で他者が電話会社と契約し、料金を支払ったらまた同様なことが起きるとも言われた▶調査には時間がかかるので、電話会社の回答を待った方がいいかもしれないとも。利用者が心当たりのない金額を引き落とされ、その明細が双方の会社にはすぐには把握できないという、まったくふざけた話だ▶それが4日前のこと。それで電話会社、カード会社双方からここのところ毎日電話があり、調査経過の報告や調査のための質問に答えていた。そして双方の会社とも慇懃な物言いの中に利用者(ぼくのことだが)の勘違いなり、ミスを疑っているフシがあった。私どもはそのようなミスをすることはない、と▶ぼくも大手電話会社や銀行がミスをするとは考えにくかったから、カードが不正使用された可能性が高いと思うようになり、困ったことになったもんだ、どーんと不正使用されたらどうしようと秘書と心配していた。その場合の保証については聞かされたが▶で、昨日、銀行カード会社から電話があり、「誠に申し訳ない、○○カード会社の請求ミスでした」と。いったん引き落とされた金額については本日付けで振り込まれたが、まったくもう、という話でありました。特に銀行の担当氏が慇懃無礼なやつだったので、ねちねちといじめてやろうかと思ったがやめた▶電話会社の方にはカード会社のミスであったことを連絡。一件落着となったが、ぼくよりはマシとは言え、秘書もお金にわりと無頓着(ビンボーなのにね)、引き落としが気がつかなかったケースも十分ありえたんだ。これって「安全神話」を妄信していたどこかの組織に似てるなと、いうことでチャンチャン。
posted at 02:32:57
 
関東地方だけ雨の日だったのか。今もしとしとぴっちゃんの夜の底未明。チキン・フリッター(ウチは鶏肉の出動回数多し)、レタス&ポテトサラダもずくの味噌汁、キュウリとカブの糠漬け。写真は♪この実なんの実、木になる実〜。赤きグミがなる初夏▶ねっとりと湿気がまとわりつくような午後の散歩。でもぼくはこういうじめじめした空気が意外と好きなんだ。というのは、7年ぶりにLAから日本に帰ってきたのが6月で、空港を出た瞬間にじとっとした空気がまとわりついてきて、ああ、これだこれだこれが日本の空気だ、とすごく懐かしかったんだね▶それ以来、日本の湿った空気が好きになった。LAは年中乾燥してるからね。でも、ジトジトが好きというのはちょっとマイナーかも。てなことでジトジトの本日の空シドレミファwithちっちぇえホーガンも夏仕様半ズボン▶散歩ロードのこの木が好きでね。水分をたっぷり含んだ空気を吸って青々とした若葉を風に揺らしている。この写真、じっと見ていると雲がわずかに動いているように見えない? 木々草木、花昆虫、生命の息吹に窒息しそうなくらいの散歩ロード周辺。
posted at 19:35:11

2013年06月15日(土)
<青蛙コンプレックス何もなし>というのは母の句。母が老人性鬱病に罹る前、もう10年近く前になるが、そのとき実に13年ぶりくらいに生地の下関に帰省したのだった▶なかなか気安くふるさとに帰れなかった理由があって、それは高校時代のトラウマ的な体験からだが、とにかく、帰りたいという気持ちにならなかった。両親はぼくが長い間、帰省しなかった時期も時折、上京してぼくや兄を訪ねたから両親に会いたくなかったということではなかった▶ひさしぶりに訪ねたふるさとは、町並みもかなり様変わりして、高校時代の忌まわしい記憶も蘇ることはなかった。むしろ久しぶりに出会うふるさとの人々の懐かしい言葉や所作をとても好ましく思い、ようやくその記憶の呪縛から解かれたような思いがしたものだ▶両親はまだまだ元気で、父は油絵を楽しみ、母は俳句作りにハマっていた。母は「あんたも俳句をやらんかね。楽しいよ」とぼくに俳句作りを勧めたものだった。「母ちゃんはどんな俳句を作りよるん?」と聞けば、「青蛙コンプレックス何もなし」と朗らかな口調で言い、「ええやろ?」と微笑んだ▶「俳句ってそんなんでええの?」と言えば、「わたしは古くさい普通の俳句やらあまり好かん」と笑った。ぼくも母のその句の、ちょっと突拍子もないが生き生きした描写が感じられて、なかなか良いではないかと思ったものだ。そんな楽しげな母が10年前は、確かにいたのだ▶その翌年の春に母は鬱病に罹り、ぼくは介護帰省することになるが、あまりの母の変貌に少なからずショックを受けた。それから10年を経て、結局母の鬱病は治ることなく、身体的にはかなり衰えたと言ってもシリアスな病気もせず、なんとか「底値安定」で特養に暮らしている▶あのときの13年ぶりの帰省は、だから、心身ともに元気だった母に会えた最後の機会だったことになる。もちろん今の母もぼくの大事な母に変わりはないのだけど。画像はFB友、直井氏撮影による青蛙。確かにこやつ、コンプレックスなど何もないようだ。
posted at 02:53:24

ここのところ、花にばかり目が行き、空写真をあまり撮らずにいたが、昨日の空はこれぞ六月の空という感じだった。てなことで写真は昨日の「六月の空シドレミファ」と黄色いバラ中華丼、イワシの南蛮漬け。 
posted at 03:28:54

2013年06月16日(日)
<青柿よわが青春の瓢吉よ>というのは父の句。「瓢吉」というのは尾崎士郎「人生劇場」の主人公、青成瓢吉のことだろう。読んだことはないが、この大河小説のオマージュと言われているのが五木寛之「青春の門」で、「青春の門」なら映画を観たことがある。あれで一時、大竹しのぶのファンになった▶映画「青春の門」の大竹しのぶ、良かったなあ。主人公との別れの夜に、その、一晩だけの「愛の夜」にだね、主人公の男に「して!」って言うんだよね、デビューしたての大竹しのぶが。あのシーンは良かったよ。あの感じがぼくの理想の「愛の夜」だな。話が横道に逸れた▶ともあれ、「人生劇場」も、主人公の青成瓢吉の青春期から、「愛の夜」とかいろいろあって人間として成長していく過程、それこそ「人生劇場」が綿々と語られているのであろう。この小説が単行本として最初に刊行されたのは昭和10年というから、父が若い頃の愛読書であったのだろう▶青成瓢吉は田舎から大学生として上京し、「人生劇場」の青年期を送ることになるが(読んでないけど)、父も同様に田舎から大学生として上京し、大学生活を送ることになる。その頃の話は父の口から聞いたことはなかったが、句集を自費出版した際、巻末にそのころの楽しかった日々のことを書いていた▶青成瓢吉は仁侠の世界に関わりを持ちつつ、作家の道を志し(読んでないけど)、「青春の門」の主人公、信介は戦後の活気に充ちた日本を紆余曲折しながら逞しく生きていく感じだったけど、父の青年期は彼らとはだいぶ違っていて、父は大学卒業と同時に中支方面に兵役に就くことになるのだった▶そして終戦を迎え復員、翌年に母と結婚する。こうした父の経歴も彼の口から聞いたわけではなく、句集の巻末の「略歴」に記載されていたことでぼくは知ることができたのだが。ともあれ、大学生になって結婚するまでの期間は、普通、振り返れば懐かしい青年期であろうが、父はその青年期の大半を戦地で過ごすことになったわけで、それは残念な青年期の過ごし方ではなかっただろうか▶それでも「瓢吉」を「わが青春」としたように、父にも懐かしい青春時代があったのだと思う。たとえ、それが戦争の足音が聞こえる暗い時代から戦火の時代であったとしても▶それは父と同世代の多くの高齢の「戦争体験者」の人たちにも共通する「青春」だと思う。彼らは声高に反戦を叫ぶことはしないだろうが、戦後生まれの政治家の「若造」が戦争について、したり顔で放言するような今の風潮をどう感じているのだろう。「知る者は言わず、言う者は知らず」、老子の言葉。
posted at 01:28:54
 
父が亡くなってから、むしろ父のことを多く考えるようになった。もっと父と話したかった。父ちゃん、天国の居心地はどうかね? 今日は父の日だ。牛丼、コールスロー、青菜と椎茸、豆腐の吸い物。写真はウチの前の家の「青春期」の青柿
posted at 01:33:53
 
さてと今日はこれからレレ教室@荒木町「ゆうむ」。根津ウクレレ団「ヨコシマーズ」のデビュー・ライブは今夜。一応音楽ディレクターとしてライブ直前の諸々をアドバイスする予定。楽しみだな。写真は梅雨空のアゲハが飛び立つところ。
posted at 12:22:15

WeeklyTweets 2013 (6.3~6.9)

2013年06月03日(月)
昨日は午後から荒木町「ゆうむ」でポロリンコ♪ 根津ウクレレ団「ヨコシマーズ」は、♪うちら陽気なヨコシマ娘〜の三人娘(「ヨコシマーズ」傘下のユニット「どんぐりーず」、ああ、ややこしい)を中心に今回もますます盛り上がっていて、なんとも楽しいレッスンだった▶で、その噂の「ヨコシマーズ」、根津界隈では大ブレイク中だと。ピアニカ、パンディーロ、トランペット奏者も巻き込んで、ブレーメンの音楽隊もかくやという盛り上がり。50年代ポップス「ロリポップ」を下敷きにしたヨコシマーズのテーマソングもできて、もはやどうにも止まらない状態であります▶これが「ヨコシマーズ」のマスコット・キャラ「横縞津」、「鹿児島出身のまだ幕下力士で、気は優しくて力持ち、自分のことを『おいどん』と言う。趣味はウクレレ」by団長M女史。。缶バッジ、暖簾、湯飲み等のグッズを企画中。横縞本舗も設立準備中。
posted at 02:05:15

レレ教室から帰宅して牛丼、ゴボウの天ぷら、味噌汁。写真は植物と昆虫の、今が盛りの蜜月関係現場写真。粛々とやるべきことはやる自然界。
posted at 02:25:46

2013年06月04日(火)
ごめんよ、お取り込み中のところを。蝶々のつがいを発見。これがホントの蝶番(ちょうつがい)。粛々とやるべきことはやっている昆虫界。手前が♂か。しかしこの体位というのか、なんというのか、あのその、だなあ▶梅雨入りかと思えばレレ日和が続く。梅雨入り宣言とかする必要はあるのか。茸、野菜、ひき肉のオムレツ、竹輪とほうれん草の煮物、豆腐とワカメの味噌汁。食後のアイス、最近のお気に入りは「しろくま練乳アイス」。本日の空シド、六月の薔薇
posted at 02:41:57

2013年06月05日(水)
レレ教室@大和夜間部Bクラスでポロリンコ♪ このクラスは、ぼくが現在持っているクラスの中では一番レベルが高いので毎回ちょっと緊張する。でもそもそも講師ががへっぽこなので開き直ってやっておる。なんとなく今までの感じだと、ひとつのネタで30分かかるところが、10分でクリアされる感じ▶譜面作りもだいぶ慣れてきたが、そこは「我が辞書に完璧という文字はない」ぼくのこと。間違いもすぐに指摘される。一応お金をいただいているので、これはあってはならないことだが、心の広い生徒さんたちは許してくれているようだ▶そんなこんなで、反省することしきりだが、とにかくお金を払って時間を割いて来てくれている生徒さんのために、へっぽこなりに一生懸命やろうとしている熱意は通じるものと信じております。もっともっと精進せねばと強いモチベーションを与えてくれる良いクラスであります▶てなわけで、世間がサッカー中継に熱中していたちょうどその頃、ポロリンコとやっていたので、帰宅してからスポーツニュース等で結果を確認するにとどめた次第。おそらく明日の新聞各紙の一面は日本代表のWC出場決定のニュースで飾られるのだろうが、正直そんなすごいことかとも思う▶昔から集団の熱狂というのが苦手ではあった。ロックコンサートなんかで立ち上がって歓声を上げるというのも苦手。アマノジャクなんだろうね。サッカーを含め、スポーツ観戦は嫌いじゃないけどね。帰宅してちらし寿司、お吸い物、ナス田楽。
posted at 01:57:36
 
六月のアジサイ越しの空シドレミファ、三景。これは遠景に鳥(カラスかな)、陽光を浴びるまだ青春期のアジサイ▶おや、ハチが勤労にいそしんでいるなと思ってパチリとやったら▶急にこちらにブーンと。びっくらこいた。
posted at 02:05:02

2013年06月06日(木)
レレ教室@大和夜間Aクラスを終え帰宅。A学院のかつての教え子から連絡あり、女子卒業生の一人がガンにより今朝方亡くなったとのこと。まだ30代の半ば。だいぶ前にガンに罹ったことは聞いていたが、順調に回復しかなり元気になったということを、最近、伝え聞いたばかり。残念だ▶明るくてお喋りな子だった。かえすがえす残念だ。写真は八重咲きの白バラの一種。
posted at 00:44:24

2013年06月07日(金)
昨夜はなんだか疲れてしまって早くに寝入って朝早くに目が覚めた。で、朝から卒業生たちから電話があったり、別件でも午前中に電話が相次ぎ、それはぼくにとってはとても珍しいこと。普段であれば午前中の電話には出んわ、のぼくなのだが▶亡くなった卒業生のお母さんと電話で話した。彼女が在籍中はぼくはまだ時間講師だったので担任を持っておらず、お母さんとお目にかかったのは卒業式のときくらいだと思うが、ぼくがA学院の講師だったことを伝えるとぼくのことも覚えていてくださった。彼女の口からぼくの名前を度々聞いていたらしい▶彼女が在籍した学年はA学院の絶頂期で、学院の20年余の在校期間の中で最も多い生徒がいた学年だった。彼女が入学してきたのは1994年で、その年、毎年恒例の新入生の春合宿というのにぼくは参加した。イラストレーターとしての仕事も続けていたが、A学院の仕事にどんどんハマっていった時期だ▶新入生の春合宿というのは年間を通じて4,5回行う合宿授業の中で、色々な意味において最もヘビーな合宿だった。生徒たちにとっては慣れない合宿、先生たちにとってはまだ生徒個々のことをあまり把握していない時期での寝食を共にする機会ということで、様々な問題が発生しないことは一度もなかった▶特にこの年、1994年の春合宿は、40人近くの新入生を20人ずつのグループに分け、3泊4日を一日の休日を挟んで2連続、延べ10日間近くのそれはそれは非日常な時間と空間を経験した▶夜はぼくともう一人の男の先生とで20人の生徒を預かることになっていたが、参加生徒の一人が高熱を出し、もう一人の先生が車でその生徒を病院に連れて行くという事態となり、ぼくひとりで20人の生徒たちの夕食後から、風呂に入らせ、布団を敷かせ、眠りに就かせるまでのケアをしたのだった。その間も色々な問題は多発して、てんやわんやの状況だったことを記憶している▶下級生から上級生まで揃う普段の合宿では、合宿慣れした上級生がこういうときには頼りになるが、春合宿はただでさえ幼いところがあるA学院の生徒たちがまだ中学を卒業したばかり、自分の身辺のこともしっかり出来ない子が多かったので、それそれは大変だった▶あの合宿で鍛えられたなあ、と振り返ってみても思う。それから卒業するまでの3年間、亡くなった卒業生の授業に関わった。普通の学校よりは多少濃い関係を先生たちと生徒たちが築くような学校だったので、彼女を含め一人ひとりの記憶は今に至っても鮮明だ。また記憶に残るような子が多かったんだ▶彼女は卒業してからも他の卒業生の友達と一緒に学校に遊びに来た。よく笑い、よく喋る子だった。お姉さん然としたところがあり、後輩の女子に好かれていた。お母さんが「あの子はA学院が大好きでしたよ」と言ってくれた。その言葉は嬉しかったし、悲しかった▶画像は彼女のクラスの面々の自画像。卒業記念のテレフォンカードの図柄にした。美術を教えていたのでぼくの指導によるもの。それなりにお上手に見えるのは、この頃は手を貸し過ぎていたから。それは反省しているのだが、まあ、それぞれよく似ている。
posted at 02:08:44
 
長い一日だった。炒飯、レタス入りの中華玉子スープ。写真は花びらを咲かせたばかりの若い若いガクアジサイ。少し頼りなげだが、瑞々しい希望をまとっているではないか。これだよ、今の日本に欠けているもの。
posted at 02:49:46

2013年06月08日(土)
亡くなった卒業生のA学院時代の写真はないものかと、古い写真をごそごそやっていたらこんなものが出てきた。96年の夏合宿の夜のゲーム大会の一コマ。左の格好でまず生徒の前に登場し、しばらくして右の格好で再登場する。リアル「間違い探し」だね▶こんなアホなことをやっているのはぼくだ。これは受けたね。「あ、水鉄砲の色が違う!」とか、「スイカのボールの代わりに網を持ってる!」とか、生徒たちは我先にと答えようとするんだな。ちょっと難問も混ぜていて、シュノーケルを左右逆にくわえているのはわからなかった生徒が多かったような▶昨日、A学院の新入生春合宿がいかに大変であったかについて書いたが、毎年海辺の町の合宿所で行われる夏の合宿は楽しかった。海で泳ぎ、プールで遊び、公園でフィールドゲームをし、、バーベキューをやったり、カレーを作ったり、夜は花火大会をしたり、こういう室内ゲームに生徒たちと興じた▶生徒たちを寝かしつけたあとは、参加した先生たちと「反省会」と称して毎晩酒盛り。その日あったことの話のネタは尽きないからお酒が進む進む。調子に乗って明け方近くまで飲むことも度々だった。朝は早いので、ほとんど寝ないで翌日のスケジュールをこなすこともあった▶亡くなった生徒が在籍していたころの生徒数が多かった時期の夏合宿は、10数人1グループ三白四日1セットを5連続セットなんてこともあったように思う。各グループ終了時にはオフの日は設けていたけれど、ほぼ、ひと夏びっちりとひとつ屋根の下、生徒たちと一緒に、何というか、濃厚な夏を過ごした▶まあなんともよくやったなあ、と我ながら感心するが、生徒たちと過ごしたそれぞれの夏の記憶は、A学院の思い出の中でもぼくにとって特別なものだ。おおげさではなく、ぼくにとっては人生の宝物のような記憶のひとつ。生徒たちにとっても夏合宿が一番楽しかったのではないかな▶ぼくはそういう夏の合宿を含め、合宿授業というものを100回くらいは経験した。振り返ってみて、ぼくみたいな迂闊な人間が合宿時の生徒指導にあたり、大きな事故が一度も起きず(後日笑えるような失敗は数多くやったけれど)、無事にすべての合宿を終えたことは神のご加護があったとしか思えない。
posted at 02:10:27
 
はて梅雨はどこに行ったのだろうという天気が続くね。ブリの照り焼き、しいたけと豆腐、玉子の炒め物。写真はガクアジサイの変種なのかな、「隅田の花火」というヤツ。中央の花(本来の)の部分から放射状に装飾花が咲いている様が「花火」なんだね。
posted at 02:44:12

2013年06月09日(日)
午後、アメリカにいたとき仲良しだった友達と秘書交えて再会@桜木町。在米40年の女性Aさんと在米30年にして数年前に帰国した女性Eさんで、Aさんが1年に1度帰国するたびにこのメンバーで会うことになっている。それぞれ積もる話が尽きず、会えばいつもノンストップ・トーキング状態になる▶それぞれ当時と気持ちはあまり変わらないが、さすがにだいぶ年を重ねてきた。「元気なうちにみんなでハワイ・クルーズの旅に出かけよう」というAさんの提案があったが、「元気なうちに」という言葉がリアリティを持つようになる年になったということだ▶ぼくとしては元気なうちにハワイ・クルーズの費用が溜まる必要があり、そこのところが厳しい。「宝くじでも当たったらね」と答えたが、ぼくは宝くじとか買ったことがないのだった。鱈の煮付け、竹輪の磯部揚げ。写真は少し前の雨に濡れたヤマボウシ
posted at 02:10:14

2013年6月14日金曜日

レレ教室日記(2013年5月)

5月7日/レレ教室(夜の部火曜クラス)@大和:素振り系練習「シャッフルによるブルース進行」、「シンコペーション」、練習曲「ペーパー・ムーン」▶たぶん、ぼくが教えている生徒さんの中で一番お上手な生徒さんが参加するクラスなので、へっぽこ講師としてはけっこう緊張する▶「ペーパームーン」はその生徒さんからのリクエスト。この曲はコード進行から適当にソロに仕立ててやっていた曲なので、譜面作りにそれなりの時間がかかった▶こういうことがないとなかなか譜面作成ソフト(これがなかなか使いこなすのに厄介な代物なんだ)も慣れないので、そういう意味では勉強になる▶譜面があるレッスン・ネタも中級者用のはまだあまりないので、今後充実させていかないといけないなあ、と。ぼくにとっては刺激になるクラス。

5月8日/レレ教室(昼の部)@大和:素振り系練習「親指単音弾き」、「クロマチックによる左手トレーニング」、練習曲「カエルの合唱」、「ハッピー・バースデー」▶新規生徒さんが2名加入。この初心者さんクラスもだいぶ充実してきました▶年齢層もやや高めなので、とにかくていねいにゆっくりと自分に言い聞かせてのレッスン。でもつい熱くなって終わりはいつもバタバタ。

5月12日/レレ教室@ゆうむ:素振り系練習「左手トレーニングのための3つの小曲」、練習曲「クレージーG」、「ロリポップ」、ライブに向けての復習▶ちょっとした左手のトレーニングために「トワイライト・ゾーンのテーマ曲」、あの有名なロック・リフがある「スモーク・オン・ザ・ウォーター」、エレキ・クラシック「ワイプ・アウト」などをしょっぱなに。ウクレレの小ネタ的に使って欲しいところ▶「ロリポップ」は50’sのアメリカン・ポップスだが、これは生徒さんからのリクエスト。伴奏用のコード譜を作成、この曲は口に指を入れて「ポン!」とやる効果音がポイントになってるのだが、これをみんなで練習していて、爪を伸ばしている右手でやると口中がとても痛くなることが判明、爪をしっかり切っている左指でやるべきだね▶ともあれ、6月のライブに向けて盛り上がっている生徒さんたちの熱気に当てられてついこちらも熱く楽しくレッスン終了。レッスン後のビールが飲めるのはこのクラスだけになってしまったが、これは格別。

5月15日/レレ教室(夜の部水曜クラス)@大和:素振り系練習「シャッフルによるブルース進行」、「シンコペーション」、練習曲「東京ブギウギ」▶クラシックギターをやっているOTさんはちょっとシンコペーションが苦手。考えてみればシャッフルとかシンコペーションが命のジャズ系の音楽は音楽の歴史の中でも新しい部類▶とは言ってもアフリカでは大昔からシンコペーションに限らずポリリズムなどの複雑なリズムを奏でていたわけで▶でも未だに日本人には難しいリズムセンスなのかなと▶「東京ブギウギ」は、生徒さんには初っぱなイントロからかなり難しいみたいだったが、左指トレーニングにはなるはず。がんばってものにして欲しいところ。

5月21日/レレ教室(夜の部火曜クラス)@大和:素振り系練習「各種フィンガーピッキング」、練習曲「ペーパー・ムーン」▶新規生徒さんが加入、すでにかなりの腕前でこのクラスのレベルがまた上がった感じ▶ぼくと同じようにギターからウクレレのスイッチャーのようだが、これまでまったくの独習でウクレレを弾いていたと。それにしてはさすが▶ま、考えてみればぼくも誰からも教わったこともなく恐れ多くもウクレレ講師なんてやってるわけで▶譜面に弱いと言っていたが、それはぼくも同様、なに、音楽なんて譜面じゃないし、むしろ譜面が読めなくて偉大なミュージシャンはいくらでもおります。例えばビートルズ▶ただ、リズム譜やタブ譜、基本的な譜面はある程度読めた方がいろいろと都合がよろしい、けれど。

5月22日/レレ教室(昼の部)@大和:12時から「ウクレレ・イントロダクション」、午後1時半から、素振り系練習「ドレミの音階」、「親指単音弾き」、練習曲「カエルの合唱」、「森のくまさん」▶参加希望者が思いの外集まり、ぼくとしては嬉しい悲鳴状態。12時から新規生徒さんだけでウクレレの「はじめのはじめ」を▶午後1時半から今までのクラスと合流してグループレッスンとなった。全員で13名。まあ何とかみなさんには楽しいレッスンには仕立てたつもり▶しかしさすがに疲れました。次回から2クラスに分ける予定。

5月26日/レレ教室@ゆうむ:素振り系練習「シンコペーション」、練習曲「クレージーG」復習、「テキーラ」、ライブに向けての復習▶生徒さんのメインは根津ウクレレ団「ヨコシマーズ」、6月のライブに向けて盛り上がってるのなんのって、てな感じ▶「テキーラ」では楽しくかんたんな楽器の代表格「カズー」を使っての練習を▶この曲、意外とウクレレに合うんだね。ただ。リズムがそれなりに難しくカッティング、ストローク練習に最適だと思う。アンサンブルで多人数でやるとサイコーに面白いよ▶このクラスはとにかく、「ヨコシマーズ祭り」という感じで教えていてもとても楽しい。

5月29日/レレ教室(夜の部水曜クラス)@大和:練習曲「東京ブギウギ」、「テキーラ」▶前回、「東京ブギウギ」はちゃんと教える時間がなく、触りだけで終わったので、今回はじっくりと。イントロも3連が続くリズムと運指がやや難しいと思うが、ブギのリフを使いながら「歌う」というのが生徒さん達には難しいみたい▶ぼくは歌好きなので、基本的にはウクレレも歌の伴奏楽器として捉えているが、ソロがお上手な人も歌を謳いながら弾くというのは苦手という人もいるんだね▶ぼくはギターにしても、ずっと歌を歌うための楽器だったから、むしろ歌なしのソロだともの足らない。歌を歌うって音楽の一番の楽しみ方だと思うけどね▶このクラスはみなさん、歌好きなので歌いながらのウクレレ演奏をきわめて欲しいと思っております。

2013年6月6日木曜日

WeeklyTweets 2013 (5.26~6.2)

2013年05月26日(日)
<老眼にモネのひかりの青葉騒>というのは父の句。モネは「光の画家」と言われたが、絵画の中に「光を封印する」という試みに生涯執着した人だよね。印象派の中の印象派の人。そしてモネが追求した光は春から夏にかけての陽光だろうな。「老眼」にもまぶしいきらめくような陽光▶今、まさに「青葉騒」という季節、植物がいやらしいくらいその生命力を誇示しているような季節になった。植物こそスケベな生命体だなあと思うよ。焼きうどん、茄子の煮浸し、ほうれん草の味噌汁。写真は「青葉騒」状態のタンポポ
posted at 03:17:32

2013年05月27日(月)
今、午前4時半。早起き鳥たちがピーチクパーチク鳴いている。これから寝るいつものパターンではなくて、午後10時過ぎに寝てさっき起きたのだった。いや、早起きをする必要があったわけではなく、午後10時過ぎにテレビをつけっ放しで眠りに落ち、さきほど目が覚めたわけですが▶昨日は午後からレレ教室@荒木町「ゆうむ」でポロリンコ♪ このところ、6月ライブに向け大いに盛り上がっている根津ウクレレ団「ヨコシマーズ」の面々を中心にレッスン。ライブのセットリストもほぼ決まってきて、昨日はそのライブ演目のブラッシュアップが主な内容▶ウクレレ楽団と言うと概ね演目はハワイアン系かお洒落なスイングジャズ系、異端なところでロック系とあろうが、「ヨコシマーズ」はそのいずれでもなく、今のところのレパートリーは「森のくまさん」から「サン・トワ・マミー」、「涙そうそう」から「テキーラ」に至り「銀座の恋の物語」もあり、と▶つまり、節操がないところがポリシーなのであって、いやポリシーというものも特にないが、とりあえず今まで練習曲にしたものの中から「観客にウケそう」ということだけを考えてピックアップされたライブ演目候補曲なのであった。主な仕切りはM団長、ぼくはあくまで「音楽ディレクター」の立場だが▶そんなわけで昨日もほぼ3時間、ライブに向けての高揚感の中、いつものように楽しく濃いレッスンを行った。帰宅してカレーライス食って、テレビ見ながら沈没は前述の通り。写真は「ヨコシマーズ」関連グッズ、ヨコシマ・ユニフォーム、ヨコシマ・マラカス、そしてマスコット・キャラ「横縞津」▶ああ、これが「ヨコシマーズ」マスコット・キャラの「横縞津」。M団長原案、団員のイラストレーターSさんがブラッシュアップ制作。これで缶バッジを作ることも予定。これ、いいでしょう? ぼくは大好きだなあ。
posted at 05:37:06

うーむ、早起きをしたのに二度寝しちまった。結局いつもと同じような時間に起きた。なんだか残念だ。スケベな夢を見たように思うがほとんど忘れた。それも残念だ。写真は、以前FBフレンドが写真をアップしていて、実物を見たかったコバンソウ、発見。 ▶「コバンソウ」はイネ科の普通に見られる雑草の一つ。小判に似た形の小穂をつけることから名付けられた」とウイキに。近所の路上脇にフツーに生えておりました。今後、お金に縁があるかもしれん。なあ、お金の神様、たまには。
posted at 12:32:05

2013年05月28日(火)
26日付けの朝日「天声人語」だが、80才で三度目のエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎さんの話題にちなみ、高齢の人には三つのタイプがあると。それは「まだ若い人、昔は若かった人、そして一度も若かったことがなかった人」。「一度も若かったことがなかった人」というのは思い当たる人種がある▶それは永田町あたりを根城にしている人たち。まあ、エラソなことを言うわりには人間としての奥行きも深みもないという点は「まだまだ若い」とも言えるけど。鯵の南蛮漬け、若布の味噌汁、野菜サラダ、納豆。写真はサクラウツギ。これは初々しく若い花。
posted at 02:49:54

2013年05月29日(水)
<陽光の中朽ちてゆく躑躅あり> なんか無茶苦茶エロじゃない? イカフライ、野菜サラダ、茸の味噌汁。 
posted at 03:17:50

J.J. Cale - Money Talks

Money talks, it'll tell you a story
金がものを言う、君に物語を語ってくれるというわけだ
Money talks, it says strange things
金がものを言う、奇妙なことを言うんだ
Hey money talks, very loudly
金がものを言う、でかい声でね
You'd be surprised
びっくりするかもね
The friends you can buy with small change
小銭で買える「あの」友達のこととか

They say, "It's the root of all evil"
そいつは悪魔の源、とか
They say, "Gold is the king"
黄金は王のように君臨する、とか
Hey money talks, you'd better believe it
金はものを言う、信じたほうがいいぜ

All that gold
黄金?
Don't mean a thing
そんなものは意味ないね

Rich people, I hear those pockets jingle
ポケットをじゃらじゃらさせてる金持ち
Spare change, I hear the down and outers cry
小銭をめぐんでくだせえ、と叫んでいる素寒貧

Money talks, they tip-toe up behind you
金はものを言う、君の背後から忍び寄り、囁く

'Cause they steal what they can
やつらができることは搾取することだから
Off the cuff or on the sly
袖の下から狡猾にね

Money talks
Money talks
Money talks
...

2013年05月30日(木)
レレ教室夜間Aクラスでポロリンコ・レッスン。このクラスはメローに熟したオーバーフィフティおよびアラカン(アラウンド還暦ね)世代の生徒さんたちなので、いつも和やか穏やか平和なウクレレの音色をそのまま表したような雰囲気なのでぼくもとてもリラックスしてレッスンができるんだ▶冗談半分に出した「宿題」(演奏を録音してくること)もちゃんとやってくるしね。生徒のOMさん、「宿題を忘れたら廊下に立たせるんですか」と笑いながら。いやいや、それは「ウクレレ主義」的な指導ではないかな。にっこり笑って、「宿題は誰のためでもない、自分のためにやるんだからね」と、真綿で首を締めるようにやんわりとプレッシャーを与えるのが「ウクレレ主義」であります▶それはさておき、生徒さんたちの宿題録音を聴きながら、ぼくは幸せだなあと思ったね。ライブをやっていい感じに演奏できたときの幸福感とはまた違う種類の嬉しさ。僭越ながら「育てている」という幸せ感だね▶ウクレレを教え始めて3年近くになるが、ほとんどボランティア状態の時期が長かったんだ。まあ、教える側がへっぽこだからしょうがないけど、だんだんいい感じになってきたよ。ずっと音楽は自己表現のひとつであって、それが音楽的なゴールだと思っていたけれど、こういう満足の仕方もあるんだな▶まだまだ教える立場としてはへっぽこだから、精進せねばと思ってはおりますが。そんなわけで今夜も楽しくレレ教室を終え、帰宅してキーマカレー。写真は何と言っても初夏の花の王者と言うべきバラ。バラは薔薇と漢字で表記するのがふさわしいね。

2013年05月31日(金)
やれやれ、早起き鳥が鳴き出した。デイブレイクの時間だがぼくにとってはクロージングタイム。梅雨空が続くね。それもまた風情。ハスの天ぷら、モヤシとウインナー炒め、冷や奴、味噌汁。写真は六月のゼニアオイ(まだ五月だけど)。ぼくはゼニハナイ
posted at 04:49:00
 
梅雨の晴れ間に久々の昼時散歩。久々の本日の空シドレミファ with(ちっちゃい)アルク・ホーガン▶今日はザ・初夏日和。あ、急にソーメン食いたくなった。久々のカーブミラー・ホーガン帽子買ったよ。近所のリサイクルショップで新品(デッドストックにつき若干のホコリ付き)500円(で、レジに持っていったらさらに3割引セールだったみたいで、350円!)。安物買いなら任しておくれ。

2013年06月01日(土)
「ゼニアカイ」(昨日アップの「ゼニアオイ」の駄洒落、ⒸN氏、「赤字」ってことだね)なぼくのお気に入りショップにリサイクル・ショップがある。最近はヤフオクもそこそこ値がつくようになり、かつてのように掘り出し物商品もあまりなくなったが、リサイクルショップにはときどきあるんだね▶今使ってるキャノンのプリンターもほぼ新品同様、インクも一杯の状態で3500円くらいで買って、もう1年近く使ってるけどノープロブレム。衣服、時計、ブーツ等、買ってきては秘書に安物買い自慢をするんだ。ついこの間も新品のしかもなかなか気に入ったキャップを350円で買ったりした▶で、昨日また掘り出し物を見つけたんだ。スキャナーの透過原稿ユニット(ネガやポジフィルムをスキャンする機器)ってやつ。エプソンのね。型番もぼくが使っているのに合いそうだし、前から欲しかったんだ。7,8年落ちくらいのやつだけど箱もきれいだったし、店員さんが明けてくれたらなんと未開封▶いくらだった思う?(秘書に聞いたら「わかんないけど5千円くらい?」と)…なんと680円! ま、型落ちの透過原稿ユニットをどれだけの人が欲しいかってことだけど、ぼくはアメリカのアートスクール時代の作品の多くをポジで撮影して、現物は現地で処分したりした経緯があってね。欲しかったんだ▶持ち帰って、早速昔のポジをスキャンしてみたらばっちりだったよ。てなわけで、アートスクール時代の作品を初公開しようと思う。ぼくも随分久しぶりに見たから懐かしい。これは1988年頃の作品かな。モデルは現在のウチの秘書、オクさんであります▶さっきのが「Day Version」で、これが「Night Version」。実は、後にも先にもウチのオクさんをモデルにして描いたのってこの2枚だけ。ちょっと恥ずかしいが、彼女も若かったなあと。ホント、懐かしゅうござるよ。
posted at 01:50:48

<無いものは映さぬ春田わらっている>というのは母の句。散歩ロードの田んぼも「笑っている」感じだね。豚カツ(なんか棒状のヤツ)、ナスと竹輪の煮物、もずくの味噌汁、納豆。 
posted at 02:32:41
 
6月に入ったということで、散歩ルックも夏仕様に。今期お初の半ズボン。ところで、昨日アップした久々のカーブミラー・セルフポートレイト、もうひとつのミラーにも映っていれば面白いのにとのフォロワーさんからのリクエストあり、挑戦。どうじゃ▶栗の花越し、6月の空シドレミファ<梅雨空にエロスなにほい立ちこめて> 女性からの「いいね!」はもらえんだろうな。
posted at 17:41:40

2013年06月02日(日)
絵を描く者は大体自画像というものを描いてみるものだが、ぼくも過去において何枚も描いた。最近は自分の顔を鏡で見ることもあまりなくなったが、若い頃は自己愛もそれなりに強かったので、無意識にあるいは意識的にかくあるべき自分の内面というものを表そうとしたと思う▶この絵はアートスクール時代の終わり頃、30代の半ば、1989年あたりのもの。ほぼ等身大の作品。裸の上半身にネクタイ、ジーンズのジッパーをこれ見よがしに開けているのは、それがロックっぽいと思ったのか。まだ腹は出てないな。
posted at 01:39:59
 
<生老病死うつ伏して死す躑躅> 桜の散り際ははかなく美しいが、ツツジは老醜を晒し花弁ごと落ちて土に還る。花弁ごと落ちるのは椿と同様だが、ツツジはみな一様に身を伏せた形で落花している。桜のように潔く散れなかったことを恥じているようにも▶どういうふうに散っていくか、それは人間にとっても、ね。<終焉をいかにいかにと明易し>という父の句があった。(「明易」は「あけやす」、6月の季語で「短い夜」のこと。)鶏の南蛮漬け、レタスとトマト、菠薐草の酢みそ和え、シメジの味噌汁。 落ちツツジ
posted at 02:30:38