2013年12月31日火曜日

WeeklyTweets 2013 (12.23~12.29)

2013年12月23日(月)
昨日はレレ教室@荒木町「ゆうむ」でポロリンコ。前回、初心者体験レッスンを受けていただいた新しい生徒さんがお二人ともマイ・ウクレレを購入。なんかね、「落とした」って感じで嬉しいね。「ウクレレってどんなんだろう? ちょっと体験してみようかな」と思って、ぼくの教室に来ていただいた人を本気にさせて、ウクレレを買っていただく(それもけっこうしっかりしたものをね)というケースについては、かなり高い確率で成功してます(ウクレレを持っていない人にはぼくが持っている安ウクレレを貸してあげるんです)。ぼくの「ウクレレ伝道師」としての腕はかなりのものではないかと。ちょいと自慢になるけど▶3時からのレギュラークラスは年末でみなさん、お忙しかったりと参加者はおひとりだけ。ちょっと淋しかったけれど、それも良い機会、みっちりと個人レッスンをしました。ぼくの教室は休んだとしてもお金とか取らないんだよ。良心的でしょう? しかも、相場よりかなり安いレッスン料だと思う。まあ、講師がへっぽこだからという(謙遜だけど)理由もあるけど、これで暮らしが成り立つというところまではいってない。でも、好きなことをやってるから、まあ、それはいいけどね。むしろ、ありがたいと思ってるんだ。好きなことをやってお金をいただくくらい幸せなことはないからね▶昨夜は帰宅して、鶏と玉子の甘酢煮を食べて、テレビを見ながらコタツでうたた寝。明け方近くまでコタツで寝ちまった。それでも風邪は引かない。健康な身体に感謝だな。最近は感謝、感謝の日々だよ。クリスマスも近いし、ここは殊勝に神様に感謝しておこう。ありがとうね、神様。

写真は、ちょっと前に撮ったものけど、ウチのすぐ近所のクリスマス・デコレーション(写真12345)。もうずいぶん前から、年々、飾り付けが豪華になってたんだけど、震災以降、飾り付けをやめてた。今年は、だから3年ぶりの復活になるのかな。ぼくは商店街とか街の通りのクリスマス・デコレーションには心は動かないけれど、こういうのは好きだな。

2013年12月24日(火)
今年のクリスマスはこんな気分かな。悪しからず、ね。

2013年12月26日(木)
一昨日、昨日とレレ教室@大和午前・午後クラスでポロリンコ♪ レレ関連お仕事の仕事納めとなった。大和の学習センターを借りての教室は今年3月に夜間クラスのみ、生徒さん4名でスタートしたが、4月に昼間クラスを開設、5月に市広報に教室案内を掲載してもらって以来、生徒さんがどんどんと増え、現在、夜間クラスが2つ、昼間クラスが4つ、これに四谷荒木町のクラスを合わせると生徒数は60名を超えるまでになった。ありがたや▶振り返れば、今年は春以来、日々ポロリンコ♪ ウクレレがメインの年であったような。もっともウクレレを教えることとその準備に時間を割いてきたので、ぼく自身のウクレレ・テクニックに関してはさして進歩がないようにも思う。これが反省点と言えば反省点。しかし、ぼくには何事も自分に都合よく解釈する傾向があって、ウクレレという楽器の本質はお気楽にポロリンコと弾くものであって、バリバリバラリンコと超絶テクニックを披露する楽器ではないと思うんだね(すまんな、ジェイク)▶そういう解釈で言えば、ぼくは十分にウクレレの楽しさを教えるだけのテクニックは、まあ、あるかなと。日々の生活の中で、ウクレレという愛らしい楽器を手に取ることで生活が潤うこと、抱えるストレスが癒されること、愉快なときを過ごす時間が多くなること、微笑むことが多くなること。そういうことがね、ぼくがウクレレを通して一番生徒さんに身に付けて欲しいことなんだ▶あとは、ぼくはウクレレって「寛容の楽器」だと思うところがあって、ギターとか他の楽器と違って、仮に下手くそな演奏を聞かされてもウクレレだと許しちゃうところがあると思うんだ。ウクレレの持ち味は「可愛さ」にあると。拙くても可愛いければ許しちゃうでしょう? ちょっとした瑕疵というのか、少しの欠点、欠陥、足らない点、そうしたことは、しょうがないな、ま、いいか、と許してあげる。その寛容の精神がウクレレに触れることで育まれるのではないか、というのがぼくの考え▶そんなことを考えるのは、今はすごく無寛容な世の中になっているように思うから。確かに理不尽なことが多すぎる。でも、そうしたことの根底に「いつまでたっても愚かな人間」という人間の業というか、宿痾というか、「暗くて深い」人間の負の資質が潜んでいることを考えるべきだと思うんだ。「体制」に対してあくまでカウンターであったり、反骨であったりするのが「ロック」だとすれば、「ウクレレ主義」はあくまで「共生」を志向するわけで。それがぼくの理想とするところだな▶自分自身がいかに良い感じで生きるか、そのためにはどうしたらいいか考える、それが一番大事じゃないかな。そんなことをつらつらと考えつつ、秋口くらいからそこそこ忙しかった日々もちょいと区切りがついて、しばらく思い切りだらだらしたいなと考えている。自分に寛容なのも「ウクレレ主義」なんだよ。ローストチキン、野菜サラダ、トマトスープ。

写真は寒のコスモス。「し」の字になって、青虫くんが花びらに乗っかって昼寝をしていた。もっとあったかいところがあるだろうに。人様々、虫も様々。

2013年12月27日(金)
冬ざれてくるとずっしりと重く暗い歌が心に沁みるようになる。例えば早川義夫の一連の曲。60年代後期、ジャックスというグループを率いて「からっぽの世界」というこれでもかというくらい「ずっしりと暗い歌」(そして狂気じみた歌)を歌っていた人だ。70年代に入り、彼は音楽活動から身を引き、本屋の店主となる。そして、90年代半ばに音楽活動に復帰して今に至ってる。彼のアルバムのタイトルでもある「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」という言葉は、クリス・クリストファーソンの「ミー&ボギー・マギー」の一節、「自由というのは失うものが何もないこと」と並んで、ぼくが若い頃、印象的で影響を受けた言葉だ▶昨夜、NHKで「ハロー&グッバイの日々~音楽プロデューサー・佐久間正英の歩みと闘い~」というのを見た。佐久間正英は多くのバンドを商業的に成功させたプロデューサーとしての顔を持つが、かつて四人囃子でベースを担当したミュージシャンでもある。彼は最近、自身が末期の胃がんであることを公表した。番組は闘病の傍らで「Last Days」と名づけたプロジェクトに取り組む佐久間の現在の姿を追う、という趣旨のものだったが、ぼくよりひとつ年上の彼の姿は高齢の老人のように痛々しいものだった▶その佐久間正英が「自分はこの人のために音楽をやってきたんだと思う」と番組中に言った「この人」というのが早川義夫だ。そして、自身が末期癌であることを公表するに至ったのも早川義夫の「自分の言葉で伝えたほうがいい」というアドバイスがあったからだという▶そんなわけで、今日はYouTubeにけっこうアップロードされている早川義夫と佐久間正英の動画をじっくりと見たのだった。そして早川義夫のもうひとりの最強のパートナーであったHONZIとの演奏。HONZIは早川義夫が最も愛したミュージシャンの一人だったが、惜しくも2007年にこの世を去った。ぼくは彼女の存命中は彼女のことは知らず、そのことが残念に思う▶「からっぽの世界」を早川義夫の歌とピアノ、佐久間正英のギター、HONZIのバイオリンで演奏したテイクがある。鬼気迫るという言葉がふさわしい演奏だ。ずっしりと重く悲しみに満ちているが、歌の底には湿った温かいものがある。

2013年12月28日(土)
♪き〜のぉ〜は〜 コタツの〜 中で寝た〜。ここんとこ、飯(一昨夜はチゲ鍋、昨夜はブリの照り焼き、キャベツと玉子の味噌汁、昆布の佃煮、カンピョウの煮付け)食って、頂き物のチョコレートなどの甘いものをむさぼり食って、テレビをつけっぱでコタツでうたた寝をして、その後、よたよたとベッドに潜り込むというケースが多い▶食べると急に眠くなるのは、秘書曰く、一日に一度しか食べないので血糖値が急激に上がるから、だということだが、ぼくは日がある内はいっこうに食欲が湧かず、ゆえに夜にかため食いをするという妙な体質なので、血液の方も大慌てで栄養を取り込もうとするのだろうか。こういう食生活は一般的に悪いとされているが(太りやすいとも)、なーに、こんな感じで十数年、ごく健康でありますから、だいじょぶなんです。体重もね、さして変わりませんが、こりゃちょっといわゆるメタボじゃな、やばいなと意識した2,3年前よりは落ちてる▶要はね、食べたいときに食べる、寝たいときに寝るということを基本的に実践していて、それは生活のリズム観点から言えば不規則この上ないのだけど、結果的に自分の身体が健康であればいいんじゃないの、ということであります。元々、身体が頑強なんでしょう(力はないけど、根性もないけど)。親に感謝だな、この点は▶ところで、昨日、今日とFBのタイムラインにちょこちょことぼくのブログのリンクが上がっているのでお気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、ぼくは日々雑感ブログというのを旧ブログも含めれば2005年くらいからわりとマメに続けていて、大体がミクシーやFBで投稿したことのコピペなのだが、ちょっと日々を振り返るとき、役に立ったりするので、ほぼ自分のためにやってるんですね。(FBの過去投稿のサーチ機能がもう少し便利だといいんだけど)▶だったら、リンクをFBに上げなくてもという人もいるかもしれませんが、それなりに「読者」の目を意識してるところもあるわけで、こうして「晒す」ことが、自分のなにかしらの表現行為のモチベーションになっているわけです。また、これをやってると久しぶりに会った友人(ぼくのブログを読んでくれている友人ね)に近況を報告する手間が省けるという利点(?)もあるわけで▶で、11月くらいからそれなりに忙しくなって、ブログの更新が滞ってしまって、コピペと言えども溜まってしまえばメンドーになって、で、更新が滞っていても誰からも文句は言われないのだが、年内分は年内にやってしまわねばと昨日からブログ更新をやっているというわけ▶現在、ようやく、12月に入ったところ。読み返していると、自然に一年を振り返ることになります。これがね、今朝起きて、今日中に片づけてしまおうと思ったこと。

写真は、ちょっと前の「黄落期」の銀杏@近所の神社。はらはらと散っていく葉とそれらを静かに受け止める地面

2013年12月29日(日)
「やっぱりウクレレだね」という1年であったかな。還暦を迎えた年でもあった。来年からはオフィシャルには「老後」ということなんだろうが、そんな気はさらさらしないよ。


FBにアップしてなかった今年の写真ネタで「ディープ小倉」っつうのがありました。11月に門司で発達障害に関する講演のため九州に行った際、小倉駅周辺を散策したときに撮ったもの。年内出来事だから、年内にアップしようと▶ぼくは下関出身だけど、子どものころから、列車で関門トンネルをくぐり、二駅の小倉に行くと下関より都会だからわくわくしたものだった。中学のとき、悪友と学校で見ることが禁止されていた007シリーズの映画を観たのも小倉(ほら、地元だと何かと)。高校のとき、やはり悪友と生まれて初めて「成人映画」を観たのも小倉(忘れもしない武智鉄二監督の「黒い雪」だった。基地問題がテーマの「社会派」かつ「アート」な映画だったが、高校生にとってはそんなことはまあ、どうでもいいわけで)。高校入学に際し、叔父さんに腕時計を買ってもらったのも小倉。やはり高校のとき、憧れのフォークギター(カスガというメーカー)を買ったのも小倉の楽器店▶で、のぞみを利用して帰省するときは小倉まで行って下関に戻る方が早いので、いつも小倉、新横浜間の切符を買うんだ。そんなわけで、小倉はぼくにとってなじみのある街ではある。でも、狭い関門海峡を隔てて、下関はやはり山口文化圏、小倉は北九州文化圏、言葉もだいぶ違っていたり、街の雰囲気も人間の資質もちょっと違う感じ。そして、小倉の方がすっとディープな感じはあるね。小倉の人にはすまんが、今、日本で一番「やばい」(発砲事件とかね)ところでもあるのかな、北九州は。新宿・歌舞伎町辺りよりも、今はね▶小倉の駅周辺は魚町銀天街というアーケード商店街があって、郊外型大型店舗隆盛の昨今にあって、地元密着型の商店街が今なお繁盛してる感じのところ。その銀天街を抜けたあたりに「旦過市場(たんがいちば)」っつうのがあってね。ここがけっこうすごい。ひとたび、足を踏み入れば、そこは昭和。めくるめく食のラビリンスっつうのか、いまどきのオシャレなセンスは一切なくて楽しいんだ。あとね、ディープなスポットにありがちな昭和なエロも健在だったり。鶏の唐揚げ、ポテトサラダ。

写真はその辺の「潜入ルポ」。
旦過市場の入り口付近。小倉駅から魚町銀天街を抜けてすぐです▶ウナギの寝床のようは細い路地がうねうねと続き、食品類が店先に溢れている。この「ごった煮感」が楽しい▶デパ地下の食品群とは異質だね。「市場」だからね▶商品に埋もれるように店主のおばちゃん。ぼくが子どものときの「市場」の雰囲気とほぼ変わらない▶これはクジラ肉の専門店。調査捕鯨の時代となり、価格はぼくが子どものころに比べ、バカ高いけれど▶市場の中の喫茶店。これは「昭和」を意識した店構え。店内にコタツがあるのはいいとして、碁盤があるのが印象的。で、コタツに入り、碁盤をじっとにらんで一人で碁をやっている若い女性がもっと印象的▶肉屋。鈴木常吉の歌で「鈴木精肉店」というのがあるが、それを彷彿。コンクリートの看板は軽く50年は経ってそう▶なぜ10年前のポスターがいまだに市場内に貼られているのか。特別出演「京唄子」(笑)▶驚くべきはここが小倉駅から徒歩3分のロケーションであること▶同じく駅から徒歩3分でいきなりディープなスポットに。「A級」と言うからには「B級」や「C級」があるのか。怖いもの見たさで「C級」を見てみたい。いや、見たくないかなあ▶しつこいけど、この向こうはすぐ小倉駅です▶画面右に注目▶「アトラクションに参加して......」、どんなアトラクションなのでしょう、ご存知の方はひそひと。いやいや、入りませんでしたよ▶「君と僕の情報発進基地」(「発信」ではなく「発進」)、どんな情報なのか、その情報は「発信」するものではなく、「発進」するものなのだろうが。いやいやいや、そういう情報はぼくは必要としとらんて。


FBの「2013年のまとめ」っつうのをやってみたら、FBフレンドのナワタさんから、ぼくの母の女学生写真が衝撃的だったというコメントをもらった。で、年も押し迫った慌ただしいときになんだけど、「ぼくの母ちゃんの少女時代は可愛かったんやぞ」という子どもじみた自慢がしたくなったので、何枚かをアップします▶これは母が5歳とかの頃かな。隣にいる男の子はたぶん親戚かなんかの▶これは以前アップした母の女学生時代の写真の別バージョン。この写真の裏に鉛筆で「チュン子」と書かれてあった。女学生時代の母のあだ名であったらしい▶これは母が20くらいの頃かな。向かって左は母の弟、つまりぼくの叔父さん(今も達者です)。真ん中の子は不明。

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