2013年12月28日土曜日

WeeklyTweets 2013 (11.18~11.24)

2013年11月18日(月)
レナード講演@門司(門司の精神科病院での発達障害に関する講演のことですが)&「コスモスの君」(母親のことですが)来訪、九州・西日本方面四泊五日の旅から無事帰還しました。テレビもネット環境もない主なき実家(時間も父と母が暮らしていたときから止まっている、そういう空間)に、たったひとりで寝泊まりするのは、ちょっと非日常な気分になるんだね。時々はいいかも。でも、まあ、四泊五日くらいが限度かな。帰りの飛行機は夕刻出発、飛行機から煌々と輝く満月を見ることができた。5日ぶりの秘書の晩飯はれんこんひき肉はさみ揚げ、味噌汁。

写真は「翼よあれが東京の灯だ」。飛行機からの満月は機内の明かりのために上手く撮影できなかった▶♪旅に出るなら〜夜の飛行機〜、という下田逸郎の歌があるが、夜の飛行機はLAに行ったとき以来。着陸前、機内の明かりを落とすんだね。綺麗でした。羽田沖を望む「翼よ、これが東京の灯」▶▶左側の光は飛行機の主翼に灯るライト、右側が月。機内の明るさでどうしても窓に写り込みができて上手く撮れなかった。名古屋上空あたりかな。
01:11:29

2013年11月19日(火)
ぼくの幼友達でまさし君という人物がいて、今年の3月にン十年ぶりかで再会を果たしたことは、その時のFBに投稿した▶彼は門司にある比較的大きな精神科病院で内科医&精神科医として勤務しているが、彼から「ウチの病院で発達障害に関する講演をやってくれないか」と依頼があったのが今年の春ごろ。ぼくが出した発達障害に関する本を何かの機会で彼が読んだことがきっかけだった▶そんなわけで随分と前に講演依頼があったのだが、オッケーをした上で特に何も準備することもなく日々は流れ、直前になってあれやこれやと思いつき、先週は頭からウクレレ教室スケジュールと重なりドタバタしたのだった▶門司は下関と海峡を挟んで目と鼻の距離、せっかくの機会だから帰省も兼ね、講演と特養にいる母の様子を見ることのふたつだけに絞り、今回、4泊5日の西日本方面へのトリップをしたというわけ▶まさしドクターのことは以前アップしたFBに少し書いたが、趣味がボクシングとラリー、パンク系のロック好きという、まあ、医者らしからぬ人物で、講演の前日、北九州空港まで出迎えに来てくれたが、乗っている車は白の2シーター・コンバーチブル、ホンダS2000、ロックなお医者さんであります▶講演は100人くらいの病院関係者を前にしてやりましたが、結果的に言うとイマイチだった。ぼくのトークの出来のことだが、あまり上手くできなかった。人前で話すことは特に苦手というわけではないけれど、オーディエンスは日ごろ、精神疾患の患者さんに仕事として接している方々、医者は参加していないということだったが、ナースさんや臨床心理士、介護士、事務系の人たちというみなさんで、そういう人たちを前に精神疾患と共通性もそれなりにある発達障害について語るということがあってね、そこらへん、迂闊な見解を述べるわけにも行かず、難しいところでした▶あと、あれだね、ぼくはおしゃべりだけど、会話においてそうなのであって、一方的に、しかも壇上からしゃべるというのはどうも居心地がよろしくない。これは予想していたが、話しているうちにどんどん話題が逸れて、自分でも何処で着地していいかわからなくなるんだね。で、話したいことはたくさんあるが、まとめきれなくなってしまうと。今回もそんな感じだった。1時間半の時間を与えられたんだけど、3時間くらいあれば話したいことは話せたかな。時間が足りなかった▶この病院は、時折、ゲストスピーカーを招いて病院関係者を対象に講演をやるそうだが、その講演会のタイトルが「心に残る講演会」。ぼくみたいな素人が発達障害を語るという謙遜はもちろんあって、「心に残る」ような名講演は無理だと思っていたから、講演の最後にウクレレを弾きながら歌ったよ。ぼくのオリジナルで高機能自閉症の生徒のことを歌った「Dっち」という曲▶まあ、各界の立派な方々が過去にこの病院の講演会でスピーカーとして立たれ、「心に残る講演」をされたのだろうが、ぼくは講演の内容がへっぽこだと自覚してたから、歌でも歌おうと。聞いてくださったみなさんの心に残ったかどうかはわからないが、少なくとも「印象には残った」ことでしょう▶終了後、まさし君と小倉の牛タン屋でビール。楽しいときを過ごした。ぼくもこういうところの講演会に招かれる人物として似つかわしくないだろうが、彼もまた多くの病院関係者の中で、見事に「浮いて」いて、それは格好とか物腰とかだけど(でも、基本、彼はごくまじめな人物です)、なんだか同じような匂いがする者同士、とても心強かったし、まさしドクターのお友達はやはりそんな感じの人物だったと、彼は周囲に思われるんだろうが、そんなことをまったく気にしていない彼が好ましかった▶12月の中旬にまた機会があって、日野市の方で発達障害に関する講演をやることになっているが、それに備えての経験にはなったかな。思っていたよりも上手くできなかったことが、せっかく招いてくれたまさし君にはちょっと申し訳なかったが、ま、こんなもんだ。とりあえず、ここ数週間、懸念の大仕事を一応やり終えた。やれやれさてさて、の心境。

写真は「心に残る講演会」の模様(写真)、まさし君が撮ってくれた。後ろのスライドはぼくの本のインタビューに答えてくれた生徒たちの自画像。こうして機会あれば、彼らのことを伝えるのが今のぼくの役割だと思っている▶ところで、この日はちょうどポール・マッカートニーの博多公演、&山下達郎の博多公演の夜だったということで、オーディエンスの病院関係者のみなさんの中にも「ホントはポールの公演が見たかったのに」という方がいらっしゃったと思う。うーん、そういう空気も感じたような......。

2013年11月20日(水)
下関の実家のすぐ近く、歩いて2分くらいのところには24時間営業のセブンイレブンがあって、実に便利なんだ。飲み物食べ物日曜雑貨、夜中でも早朝でも必要なときにすぐに手に入る。むしろ、今住んでいる大和の住居よりもそういう点では便利。5分も歩けば鮮魚、生鮮食品があるスーパーだってある▶ぼくは一人でどこかの食べ物屋に入って食事をするのがあまり好きではなく、家の中でゆっくり食事をするのが好きなので、今回の実家滞在中もお腹が空いたときにコンビニに行って、その時に食べたいものを買い、実家に持ち帰って食べた▶普段、秘書が作る夕飯を(ありがたく)いただいておりますが、正直、「またこれか」とか「これは今はあまり食べたくないなあ」とかあるわけで、食べたいものがどんぴしゃと夕飯に出ることはそんなにあるわけでもない▶母がいる特養は実家からバスを乗り継いで行く不便なところにあるのだが、母と会ってその帰りにいったん下関駅方面までバスで向かい、wifiが使える駅前ロッテリアでしばしメールチェックやウェブをやって、駅前デパ地下でその日の夕食総菜を買って実家に戻って食べるというのが、実家に戻ったときの食事に関してのよくやるパターンだ▶ぼくは普段は買い物とか面倒で、食料品なども買うべきものだけを目指して買うという感じだが、帰省時は、例えばデパ地下の食料品売り場などを、あれこれ見ながら徘徊するのがすごく楽しくなる。時間の流れ方が違うのでそういうことも楽しめるんだね▶さてさて何を食べようかな、と食料品売り場を端から端まで、美味しそうな食べ物が陳列、林立、露呈されている店頭をそれこそなめ回す舐め回すように眺めつつ、ときどき勧められるまま試食なんかもして、逡巡しながら抜けていくのはなかなか幸福なひとときでありますね▶で、人だかりがするところがあって、それはタイムサービスの半額セールだったりして、「お、海鮮ちらし寿司が900円のところ、450円か」とか「エビの天ぷら2尾、300円は安いなあ、美味そうだなあ」となって、ぼくも人だかりの一群に混じっていたりするんですね▶そうして、ようやくお目当てを買いこみ、バスに乗り、実家の近くのコンビニでビールのロング缶を買って、ビールをぐびぐびしながらたった一人の夕餉をいただくと。古びた、時間が止まっているような家の中で、食べることだけに集中できるような環境で。これがけっこう美味しい。食べたいものを食べたいときに食べてるからね▶で、テレビがないから、ラジオを聴きながらの夕餉。それで、NHKとかに選局してると、島倉千代子の「東京だよ、おっ母さん」とかが流れてくるんだね。普段、聞くことは滅多にないよね、「東京だよ、おっ母さん」。でも、そういう状況でたったひとりの夕餉を迎えつつ、聞いていると、「東京だよ、おっ母さん」がけっこう胸に沁みたりするんだ。もうね、目頭が熱くなってくる。普段であれば考えられない感受性になってたりするんだね▶今夜の秘書メニューは肉ジャガ、揚げワンタン、けんちん汁。これはまあいつも通りの感じ。自分用のお土産に買ってきた「萩産天然刻みワカメ」と手作り粒ウニを食べた。これは美味かった。

写真は今回帰省時の夕餉メニュー2種。一つはデパ地下で買ったチラシ弁当&うに飯、母の特養に行く途中の昔ながらのパン屋で買ったメロンパン。もう一つはやはりデパ地下で買った穴子飯(1000円のところ、タイムサービス半額で500円)&近所のスーパーで買ったフク(下関では「フグ」と言わず「フク」と言います)のタタキ。これは初めて食べた。しこしこした食感でとても美味でした。1パック480円なり。安いよね、さすが下関。
03:11:53

2013年11月21日(木)
昨日は水曜夜間レレ教室でポロリンコ♪ 妙齢女性の新規生徒さんが加入。日本のウクレレ界では有名な三井さんというルシアーのハンドメイドのウクレレ(マホガニー)を持っていらっしゃって、まあ、そのウクレレの音の良いこと。痺れるくらいに甘い深い音なんだ。でも、ご本人、ウクレレ熱はちょっと冷めぎみのようで、それを聞いたぼくは、またウクレレ熱をがっつり注入しようと張り切って、いつものように熱いレッスンを展開したら、すこしびっくりされたよう。ぼくの教室は他のとちょっと違うようなのだが、どこが違うのかはわからない。でも、楽しかったと言ってくれ、教室も続けてくれそう、ありがたい。中華丼。

ところで、例えば、群馬県前橋市とか栃木県日光市とか、知名度は高い市町村があって、名前は知っていても、ある程度正確に日本の白地図にそれらの場所を示すことができる人は(地元の人以外に)そんなにはいないと思う▶ある地域の知名度は高くなくても、日本におけるその場所は本州の西端の山口県の、さらに西端の下関市の、さらに南端の地域と言えば、地元出身のぼくでなくても、日本列島の白地図において、山口県と北九州地域がごく狭い関門海峡で接している地点をピンポイントで指さすことができるだろう。そこがぼくの生地の下関の彦島というところ▶島っつうぐらいで島なんですが、「本土」下関地域と川を隔てたくらいしか離れてなく、大昔から道路状の橋と繋がっており、僕自身は島育ちという実感はない。ま、下関市内の高校に通うようになって、彦島のことを「ヒコットランド」と揶揄するように言うヤツがいて、下関のなかでもちょっと特殊な地域かもしれない▶下関出身の有名人はパラパラといたりしますが、彦島出身の有名人は古くは往年の女優、木暮実千代(小学生のころ、学校に来たよ。ぼくの小学校の卒業生)、新しいところで「ロンドンブーツ」田村淳、という古いのと新しいのと主だった有名人は二人しかいませんが▶かつては造船業などでそこそこ栄えたところなんだけど、多くの地方の町同様、今はもうかなり寂れて、帰るたびに思うのだけど、夜になれば町中が暗くてね。でも、その暗さがぼくにとっては懐かしく、ぼくが子どもの頃にあった建物もそのまま残っていたりで、そういう寂れ加減が嫌いではないんだな▶何年か前に帰省したときに、下関海峡タワーというのに上り、高いところから彦島を生まれて初めて見て、おお、なるほどね、と思ったのだが、今回は彦島の高いところから関門海峡でも眺めてみるかと思い立ち、彦島の老いの山公園というところに行ってみた。母がいる特養に行く途中なんで、門司で講演をやった次の日、天気もそこそこ良かったから、バスを途中下車して行ってみたんだ▶比較的最近、NHKBSで火野正平が自転車で全国を旅する番組があり、彼が下関を訪ねたとき、この老いの山公園に行ってそこから関門海峡に落ちる夕日を見るというシーンがあり、それを見たのね。で、いつか帰省したときに行こうと、そして夕日をそこから見ようと思っていたというわけ▶その老いの山公園、ほんの子どもだったときに家族で花見に何度か行ったっきりの場所で、ずっと長い間、行く機会がなかったところ。今回行ってみて、けっこう坂がきつかったことは覚えていたが、あとはまあ、印象としては初めて行ったところだった。比較的最近、公園のリニューアルをしたのかな、子どもの頃の記憶にある面影はナッシングでした▶バス停からけっこうな長い坂をふーふー言いながら上り詰めて、公園のてっぺんから見る周囲四方、眼下に海は見えるが、「広いな大きいな」の海ではなく、ちまちました海峡なもんで、「島育ち」でありながら「我は海の子」的な要素(つまり、海育ちの鷹揚さみたいなものとか)がぼくにはないことがわかった次第▶こんな風景に囲まれて育ったんだなあ、♪あれから〜、どのくらい〜経ったのか(友部正人の歌ね)と、公園口の坂下にあった古びた佇まいの、昔ながらのパン屋で購入したパンをほうばりながら、ちょっと感傷してみた。ミニミニご近所・センチメンタル・ジャーニーでした。

写真はその「老いの山公園」でのスナップ(写真123)▶上り詰め、たどり着くと、まあ、なんともあっさりした公園でありました。記憶の中ではわりと狭い場所に桜の木が立ち並んでいたような▶下関駅方面、なんちゅうか巨大な道祖神のような形状の海峡タワーと関門橋が見える▶向こうは北九州、手前は彦島の造船所、その間にある細長い小さな島が、知名度はけっこう全国区な武蔵と小次郎の決闘場所、巌流島であります▶遠景は北九州、手前の市街地は下関駅方面、その手前の彦島と下関の間の海はまあ運河みたいな感じだね▶子どもの頃、よく行った西山海水浴場が見えた。今は「ひこっとらんどマリンビーチ」と言って、海浜公園みたいになっている。かつての面影ナッシング▶海峡を抜ける船、船。「午後の曳航」という三島由紀夫の小説を思い出した。クリス・クリストファーソンが出た同名映画も観たなあ。

2013年11月22日(金)
いやあ、昨日はよく寝た。夕食(豚肉の唐揚げ、味噌汁、野菜サラダ)を食べて、こたつでうたた寝をしてしまい、そのままベッドに。たぶん12時前。それで今朝目が覚めたのは10時頃。10時間くらい寝たことになる。若者並みだな。ずっとそれなりに疲れが溜まってたんだろうか。しかし、この年でこれだけ眠れるっつうことはおれもまだ若いな、と少し嬉しくなったりしたよ。最近の記録であります▶今回の帰省では、実家でぼくが見たことがなかった古い家族のアルバムをたまたま発見した。父が学生の頃や兵隊の頃の写真。父がリタイアした頃、母と全国各地を旅行していた頃の写真。二人で俳句をやっていた頃の同人での集まりの写真の類。中にはぼくの中学生の頃の写真もあり、それはほとんどぼくの記憶にないものだった▶その中から母と父が若かった頃の写真を見繕い、特養にいる母に見せようと持っていった。以前も古い家族写真を実家から持っていき、母に見せたことはあって、母は懐かしそうにそれらを見てくれたから▶人間、いよいよ年を取ると古い写真類にもあまり興味を示さなくなるというが、母はゆっくりとそれらの写真を時間をかけて見てくれた。父が若い頃の写真を差して「これは誰?」とか言うので、「それは父ちゃんやないの」と言いながら、写真の中の父は髪の毛がふさふさとあり、ぼくにとっても父とは別人のようであったが▶俳句の仲間であろうか、ぼくの知らない女性と母が仲良さそうに写っている写真があって、「この人は誰?」と聞いたら、「植村さん」(だったかな)としっかり答えた。「友達だったよ」と。「その人はまだ元気なんかねえ?」と聞けば、母はしばし黙りこくって、「若いね」と自分を差して言った▶ぼくが中学生の頃の写真を見せたら、「これはせいちゃん?」と言うので、「そうよ、中学生の頃やね」と言ったら、「可愛いね」と言い、指で写真の中のぼくを撫でるようにした。しばらくして「ボタンが取れとる」とぽつりと言った▶最後に父の写真をじっと眺めながら、「もうおらんよ」と言った。切なかったね。

母は写真の中の人物を指さしながら見ていたよ(写真1)▶写真の中の自分を「若いね」と言った(写真12)▶父の写真を見て、「もうおらんよ」と▶これがぼくが中学、たぶん、3年の修学旅行のときの写真かな。カメラ(父のカメラだな、これは。コニカだったと思う)持ってるから。思い出した。担任の先生が撮ってくれたんだと思う。「ボタンが取れとる」。

2013年11月23日(土)
<清貧を勤労感謝の日と申す>というのは母の句。金持ちにはならないだろうという予感は若い頃からあって、好き勝手に、まあ、生きてきたからだけれど、アートスクール時代の先生が「君ら、ちょっと売れたからって生活のスタンダードをあげるなよ」と言ったことがしっかりと記憶に残り、ちょっと売れたとしても質実に生活しようと思いつつ、ちょっと売れることもいまだなく、でも、なんだかね、ちょっと売れたいとも思わなくなって、しかし、好きなことをやってなんとか生活しているわけで、「清貧」というほど清らかなものではないけど、あまり金に執着しない安上がりな性格になって(まあ、少しは欲しいけど、くれるんだったらまったく拒まないけど)、秘書と二人でともあれ健康に暮らしているわけで、それは本当に神様に感謝だな、と思いつつ、それなりに勤労をね、ちゃんとちゃんとやっていかねばなと思っている、今日は勤労感謝の日でありまして、日々、いろいろと大変なお仕事をされているみなさん、ご苦労様です▶門司レナード講演前からバタバタしておって、帰ってきてちょいと余裕があるかと思って、しばしだらだらとしておりましたが、はたと気がつけば、来週からまたしばらく、それなりにバタバタと日程が詰まっており、ぼくの場合、はたしてそれが勤労と言えるのかどうか、単なる飲み会、お楽しみ会じゃないかと思われるスケジュールもあったりしますが、なにしろ「猫並み」がデフォルトの設定の人間なので、ちょっと忙しくなると、諸々やるべきことのプライオリティつけがたく、本来先にやるべきことを後回しし、後からでも良いようなことに時間をかけたりするぼくは時間の使い方が下手だなあと自認しますが、特にこの時期、時間の経過の「あれよあれよ感」がすさまじいので、このままだだだーっと今年も終わってしまうのだろうなあという加速化される時の流れに身を任せつつ、それなりにちゃんとちゃんとせねばと思ってます。ぶりの照り焼き、ゆで玉子、野菜サラダ、キャベツと油揚げの味噌汁(買ってきた郷土の味噌「彦島味噌」使用、うんまかった)。

写真は、主なき実家の庭のもみじがひそかに紅葉していたの図(写真)。

と・こ・ろで、「居酒屋セッション」というのをやります。12月1日(日曜日)、午後6時から。食べて飲んで歌ってお楽しみ料金は3千円。場所はぼくがサンデー・レレ教室でお世話になっている荒木町「ゆうむ」▶地図

「居酒屋セッション」というのは、2005年あたりから都内各所で開催していた「双方向ライブ」のことで、つまり、参加者がギター等の楽器を持ち寄り、誰かが歌い出せば誰かがそれに唱和し、伴奏をつけ、気がつけば全員で楽器をかき鳴らし、歌を歌っているという、つまり、歌声喫茶のロック・フォークバージョン(GS、昭和歌謡もあり)と言いますか、つまり、生演奏で飲んで騒いでという趣向の催しです。ひところは盛り上がり、ぼくもこの催しの「丸投げ隊長」として活躍しておりました(いや、一番でしゃばって歌うのがぼくだということで)▶今回は巷で評判の「ヨコシマーズ」メンバーを迎え、かつての居酒屋セッション仲間も集えればいいなあ、と思いつつ、「丸投げ」する人物もおらず、ばたばたしていて告知が遅くなってしまいました。音楽好きの諸兄、音楽はやってなんぼです。もし、12月1日、空いておりましたら、是非、カム・トゥゲザー! 参加されたい方はぼくにFBメッセージをください。てなことでよろしくポロリンコ♪

全盛期の「居酒屋セッション」の写真がありました。これは6、7年前になるかな。現在、FBでもキープ・イン・タッチしているセッション・メンバーの(恥ずかしい)姿もちらほらと。楽しげでしょう? ぼくはこの頃はまだギターを弾いておった、そう言えば(写真1234)
16:11:00

2013年11月24日(日)
昨夜も飯食ってこたつでうたた寝、12時ごろにはバタンQ。今朝は9時起床。ここのところ、よく眠れます。「寝る子は粗雑」とFBフレンド、直井ちゃんが言ったが、人間の出来方が粗雑なのでありましょう▶さてと、今日はこれから根津方面へ。レレの愛弟子たちのユニット、「ヨコシマーズ」のライブを見に。ヨコシン理事としてはしっかりと見届けねばと思ってね。カレーライス。

写真は今回の帰省の往路、まずまずの天気で地上の光景を見ることができた。窓際に座れる限り、飛行機の旅も悪くないね。機長アナウンスで「進行方向左手に富士山が見えます」と言われたが、あいにく、ぼくが座っていたのは進行方向右側。でも、そのとき(たぶん)南アルプスの山々は上空からしっかりと見えた。雲から突き出ていたのは日本で二番目に高い北岳(3193m)だろうか。(間違っていたら、どなたか指摘してくだされ)▶ああ、写真を撮っていたら、「良い写真が撮れそうですか?」とちょっと可愛いJALのスチュワーデスからにっこりと話しかけられた。次回もJALにしようと思ってる(写真124)。

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