2012年4月1日日曜日

母の米寿&伯母の卒寿合同祝賀会


3月25日(日)

昨年の同時期、今は亡き父の卒寿の祝賀会を行った郷里のケアハウス・ゲストルームで母の米寿と伯母の卒寿の合同祝賀会を近親者のみで行った。

昨夏の父の葬儀の際、久しぶりに再会した母と伯母であったが、そのときに今年が伯母の卒寿にあたると聞き、母と伯母と合同でお祝いをしようと計画したのだった。

母も伯母も歩行が困難ではあるが、いくぶん恍惚域に差し掛かった母に比べ、伯母は頭はしっかりしており、会話もごくスムーズ、今でも読書好きで歌を歌うことが大好きとお達者だ。

この日は、生後8か月の兄の長男の娘(母にとっては曾孫)もお母さんに連れられて参加、母との初めての対面を果たした。この赤ちゃんが生まれたとき、母は紗由という曾孫の名前を覚えるため、名前を書いた紙をベッド脇にずっと置いていた。

そんなわけで、この日は90才の伯母と88才の母に、僕や兄などの子ども世代、甥たちの孫世代、曾孫の赤ちゃんという4世代の親族が揃うこととなった。めでたい。

会に先立ち、僕が作った母の俳句集『コスモス』を母に見せ、いくつかの句について句作の背景を聞いてみた。<コスモスのコスモスでいる我慢かな>と<秋ざくらいつも我慢の娘であった>(秋桜はコスモスのこと)という句について、「どういう意味?」と聞けば「私はコスモスやけえ」と母。やせた土地でもよく生育するというコスモスに母は自分の性格を映したのだろうか。母の俳句集のタイトルに「コスモス」とつけたことは正解だった。

「それで、母ちゃんは我慢の娘やったん?」と聞けば、そばにいた伯母が「私がわがままで早くに家を出たけえ、この人(母のこと)に家のことをみんなやってもらった」と言った。伯母は長女で母は次女、その下に弟(この日は体調が悪く参加できなかった叔父)という三人姉弟の真ん中であった母は、父親を若くして亡くした母子家庭の家族の中で母親や弟の世話をよくしたらしい。

「僕は母ちゃんの俳句はけっこう気にいっちょるよ。<雨蛙コンプレックスなにもなし>とか、なかなかおもしろい」と言えば、「あの頃はようそんな俳句を作りよった」と少し遠くを見るような目をしてぼんやりと言った。「また俳句、作りいね」と言えば、「もうできん」と少し哀しげに。

お祝いの膳には昨年の父の卒寿の会のとき、仕出し屋の手違いで叶えられなかったフグ刺しもあり、華やいだご馳走となった。母の好きなちらし寿司もあり、最近やや食が細くなったと特養の職員さんから聞いたが、母はほとんど残さず平らげ、けっこうな食欲を見せた。

宴もたけなわの頃、ウクレレを取りだして、母や伯母が知っている曲ということで、僕が昔出したアルバムの中から「さかな」という曲を歌った。僕がアルバムを出した頃は母はまだ40代後半、ラジオで当時のフォークソングをよく聞き、「いろいろ聞くけど、あんたの歌が一番ええ」と典型的な親バカぶりを見せたものだった。

それと元気だったころ、僕に歌ってくれとせがんだ喜納昌吉の「すべての人の心に花を」、続いて「上を向いて歩こう」。この2曲は歌詞をコピーに取り、全員で歌ってもらうことにした。歌好きな伯母はとても楽しそうに歌ってくれ、滅多に歌など歌わない母も時折口を開けて歌っていたようだ。

米寿を迎えてのひと言を母と伯母にリクエストしたら、「年ばかり重ねております」と母。「今日はどうもありがとうございます。ほんとに嬉しいです」と伯母。にこやかな笑顔を絶やさない伯母に比べ、欝病に罹って以来、哀しげな表情が多い母。写真を撮るとき、「母ちゃん、もうちょっと笑って」と何度も言わなければならないことが少し淋しいが仕方ない。

会の最後にお二人に花束を贈呈、母が束の間笑顔を見せたところをすかさず記念撮影し、お昼過ぎに始まった会は、夕刻つつがなく和やかに終わったのだった。

そう言えば<六月や笑えと云われ笑うなり>という母の句があった。母に「笑え」と言ったのは父だろう。父はよく笑う人だった。最近特養で職員さんの指導の下、書き始めた日記が母の部屋にあり、少しページをめくってみた。内容はその日の天候と何があったかを簡単に書いた小学生の作文のようだったが、「よしおさん(父の名前)に会いたい」と書かれた文字が目に飛び込んだ。

母のコスモスを題材にしたもう一句、<コスモスの種播いておくよもつひらさか>、そう遠くない日に父に会いに行くため、イザナギが死んだ妻のイザナミを追ったという黄泉の国に続く黄泉比良坂(よもつひらさか)に、心配性の母はもうコスモスの種を播いていることだろう。そして、母が父に会いに行くころは黄泉比良坂にコスモスは薄紫の花をつけ生い茂っていることだろう。

父が亡くなって、むしろ生きる意欲が増したかのようにも思える母、2年後の卒寿まではまず大丈夫だと思う。しかし、これからは会うたびに一期一会、できるだけ親孝行に努めたいとは思っている。

祝い膳。「ふくの刺身」(下関ではフグを「ふく」と濁らずに言うのが慣わし)は奮発して、天然物のトラフグ。このケアハウスのすぐ近くにフグの卸売市場で有名な南風泊漁港がある。

余興担当のウクレレ演奏。

88才の母、生後8か月の曾孫を膝に抱くの図。この赤ちゃんは普段は人見知りなところがあるそうだそうだが、曾祖母には心を許した感じ。

きんさん、ぎんさんのように仲良く並んだ88才の母(向かって右)と90才の母の姉(左)。年を経ても姉は姉らしく、妹は妹っぽい。

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