2011年8月14日日曜日

父の葬儀帰省後記 ーその3ー


2011年08月05日(金)
実家の隣、築40年木造二階建て三戸という父所有のアパートの住人の方々に、父の訃報を伝え、今後のことなどをお知らせする。父は家賃の取り立てなども鷹揚になりがちだったようで、結果、家賃を払えなかったり、支払いが滞ったりするような、どちらかというと社会の片隅でひっそり生きるような店子が集まった。

父の容態が悪くなった時点で、アパートは今後管理していくことが難しいことと、建物の老朽化もあり、兄と相談し、申し訳ないが、住人の方々には近いうちにアパートを立ち退いて頂くようお願いしていた。こちらとしてはいずれ建物を解体し更地にする予定。こういう交渉事は気を遣う。

午後に墓石の業者と墓場の駐車場で落ち合い、父の納骨に間に合うよう墓碑の彫刻、骨壺を乗せる台のようなものについての検討、見積もりをお願いする。墓碑に刻まれる享年は数え年となるので、父の場合は享年91歳となる。祖父が88、祖母も88。卒寿の祝いのとき、父は「(自分は)88までは生きるやろと思うとったが、ぼんやりとしていたら90になってしもうた。なかなかお迎えが来んから仕方ない」と言っていた。

実家から、アパートの件でお世話になっている不動産屋に立ちより挨拶、その足で母のいる特養に向かう。母は父の臨終、通夜、葬儀、前日の伯母の訪問などの目まぐるしい出来事を体験し終え、少し放心した感じだった。

兄が持ってきたのか、ベッド脇に置かれた封筒に父の生前の写真がたくさん入っていて、それを母に見せると、母は一枚一枚丹念に時間をかけて見ていた。句会の集まりなどの集合写真では、母は僕に「父ちゃんはどこにおるん?」と聞くので、「ここにおるねえ」と写真の中の父を指させば、母は父の姿を指でとんとんと叩きながら「父ちゃん、あなた」と呟いた。

母と別れ、特養があるバス停から下関駅まで向かい、オクさんと駅構内の食堂でビールを飲みながら皿うどんを食べた。九州の名物、ちゃんぽん、皿うどんは下関でもポピュラーな食べ物。

その後唐戸へ出て、海響館(しものせき水族館)へ。子どもの頃は何度も行った旧水族館が近年、新しく改修されているのは知っていたが、中に入るのは今回初めて。夏の間は「夜の水族館」という趣向で夜間も開館しており、夜のイルカショーや暗い水槽を赤い光の懐中電灯をかざしながら魚の夜の生態を見たりと、なかなか楽しかった。下関と言えばフグということもあり、各種様々なフグの展示は面白かった。フグは魚の中でも癒し系の形態、胸びれを小刻みに動かしながら泳ぐさまもかわいい。

夜も更けかかった頃、実家に戻り、シャワーを浴び、就寝。帰省中、ずっと晴天夏日が続いていたが、夜に少しお湿りがあった。

2011年08月06日(土)
やや遅めにゆっくりと起床後、実家にあるものを少し確認、たらたらと午前中は過ごし、近所のコンビニからトランク一個分を宅配依頼。2時過ぎの新幹線でバックトゥ神奈川。

地図好きのオクさんは地図帳を片手に熱心に車外の風景を見ていた。車内で駅弁を食べ、ビールを飲み、ちょっとウトウトしたらあっという間に新横浜着。夜8時前にはホームタウンに到着。駅前プロムナードでは盆踊り大会で賑わっていた。


画像左は父と母が結婚した昭和22年(1947年)に撮影されたもの。そして右側はその62年後、一昨年の父の還暦(2009年)祝いの時に撮影されたもの。父と母は64年の間、共に暮らしたことになる。右の写真は額に収め、特養の母の部屋に飾った。

YouTube動画はオクさんと見たイルカショー&泳ぐフグ、見つめるフグ@夜の下関「海響館」

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