2011年8月12日金曜日

父の葬儀帰省後記 ーその1ー


2011年08月03日(水)
起床後、全員で我が家先祖代々の墓に行く。墓地は実家から歩いて10分もかからないところにあるが、炎天下に急坂を上らねばならず汗がどっと出る。実家は、父と母が暮らしたケアハウス、現在母が暮らす特養がある場所に比べ、駅方面に向かうバス(バス停、コンビニ、スーパーも至近)も頻繁にあり、先祖代々の墓も至近という便利な場所ではある。

先祖代々の墓には、僕の祖父、祖母、死別した父の実母(祖母は後妻)、祖父と祖母の子ども(父の腹違いの弟、幼少で病死)のお骨が納められている。僕はこの歳まで、はなはだ無信心に生きてきて、まめに墓参りなどしてこなかったが、それはあまりいいことではなかったかもしれないと少し反省した。

その後、父の菩提寺であるお寺さんへ遺骨と位牌を納めに行く。四十九日、納骨まで、誰もいない実家の仏壇に遺骨を置いておくのは気がひけ、菩提寺で預かっていただくことにした。

親子の住職と面談し、御布施を渡す。話し好きの息子と同様、話し好きの老和尚。辛気くさいことは一切話さず、ごくくだけた世間話に終始、父の死が「天寿」であったことにもよるだろう。どちらかと言えば多くを語らなかった父に、この点では似なかった僕はよく「語る人」となったが、それは母に似たか。

今回、父の葬儀内容については兄との異論はなく、常識的な範囲で簡素を旨に執り行い、結果的に聞かれる相場より費用は抑える形になったが、それでも御布施を含め、なにもかもひっくるめるとかなりの金額になった。葬儀の形は今後変わっていくと思われるが、正直、ちょっとお金がかかりすぎるのではないかという思いがする。ごく普通に何百万というのはね。

僕が死んだら、葬儀は不必要、法的な問題はあるが、できれば海に散骨してもらい、墓もいりません。近しい人に時々、思い出していただければそれでけっこう。だんだん忘れられていって、それでけっこう。♪おいら、死んだら風になるよ〜、というのは大昔出した僕のレコードの中の歌の一節(「千の風になって」よりだいぶ前に作った歌だよ)。そんな感じで。

菩提寺を後にしたところで、兄の次男とお別れ。下関の唐戸というところにある市役所内食堂で昼食、うどん定食を食べた。ちょっと忘れたけど「タベテミレーヤ、オイシカローヤ」とかいう下関方言をもじったイタリアン・メニューがあったのは脱力した。

さて、それから父の死に際しての諸々の手続きにかかった。こうしたことをとんとんとやっていくのは僕の性格がなせる技ではなく、兄の性格。彼は何事もきっちりとしていて事細かく、僕の大ざっぱな性格とは大違い。だから、こうしたことはすべて兄の指令で動くわけで。

面倒なのが、既に認知気味な母に代わって諸々の手続きをすること。母は要介護度4、かろうじて自分の名前は書けるが、それ以外の書類手続きに関することはほとんど何もできない。役所に諸々の母に関する書類を申請する場合、母の代理人として申請せねばならず、これがなかなか大変。ただでさえ、役所の手続きというのは理不尽に面倒なところがあるのだが。

兄からウィンドウズのノートパソコンを借りたので、無線LANサービスのある唐戸のホテルでメールチェック。こういうことは初体験、便利な世の中になったもんじゃい。携帯も持てば便利さを痛感する。もっともこういう状況だからなのだけど。

葬儀会館に行き、葬儀費用の支払いを済ませる。担当した女性職員に「葬儀のときの故人へのお別れの言葉には感動しました」と言われた。僕の「父ちゃん、聞こえるかね?」は周囲にも好評だったようだ。お世辞でも嬉しかった。

市役所の支所へ出向き、代理人として母に必要な書類の手続きを行う。その後、再度実家へ。実家のそばにいかにもひなびた食堂があって、そこは僕が子ども時代からあるところなのだが、今まで一度も入ったことななかった。兄たちと入ってみることに。

そこで僕はカツ丼を食べたが、「つゆだく」のカツ丼で、牛丼ならまだしも、カツ丼の「つゆだく」はあまりいただけない。と、店を出て言ったら、兄が「下関では、カツ丼や親子丼はごはんにたっぷり汁がかかっているのが普通」と言われた。そうなのか、知らなかった。下関については知らないことがまだまだ多い。

食事の後、父と母が住んだケアハウスに向かう。この日はそのケアハウスのゲストルームに宿泊することになっていた。二年前の父の米寿、今年春の父の卒寿のときも利用した海に面したリゾートホテルのようなゲストルーム。その建物に隣接してあるのが、母が今住む特別養護老人ホーム。

その特養に母を訪ねたとき、母の弟(僕の叔父)のMさん夫婦が来ていた。父亡き後、「わしがこれからちょくちょく来るから、安心してくれ」と叔父は言ってくれた。叔父は母より6歳くらい年下で、80歳を少し過ぎたところだが、まだまだかくしゃくとしていて、自分の車を運転して北九州から来てくれた。母は三人姉弟の真ん中、弟である叔父に子どもの頃から優しく接していたらしい。

叔父夫婦を見送り、兄夫婦、オクさんとでケアハウスのゲストルーム泊。波の音を聴きながら、この日も夢も見ず、ぐっすりと眠れた。


画像上左:先祖代々の墓がある墓場にすっくと咲いていた、これは百日紅か。ピーカンの夏空をバックに濃いピンクが鮮やかだった。お盆も近くなれば死者も色めき出す。
画像上右:菩提寺の石段を父の遺骨を抱えて上る兄。
画像下:市役所の支所の前にあった僕の生地、彦島の地図。彦島のことは以前にも日記に書いたことがあるが、島の形がちょっと耳が小さめなミッキーマウスに似ていると思いません?

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