2011年7月14日木曜日

WeeklyTwitts 2011 (6.20~6.26)

2011年06月20日(月)
ウクレレ・ワークショップ。「黄金の循環コード」C-Am-F-G7をベースにストロークを中心に展開。IZ、オータサン、ジェイク、ビル・タピア翁から「魔術師」ロイ・スメックに至るウクレレ動画DVD(自作)を見せたり。和やかに終了後、来てくれた友人と新宿「思い出横丁」で生+もつ煮込み。
posted at 03:24:48

父の日翌日の今日、このところ急に衰えてきた父の介護のため、これから帰省します。帰宅は週末の予定。さてさて参ろう介護の戦地へ。
posted at 12:02:48


以下、帰省中の日記

2011年06月20日(月)
ばたばたと身支度、旅支度。昼すぎの新横浜発ののぞみに乗車。車中、父が5年前に自費出版した句文集『波』を読み返す。大学卒業と同時に中国方面に徴兵された父の人生前半は、自分の意志とは関わらず波乱含みだったようだが、僕の人生は概ね自分の意志によって波乱に至ったように思う。

下関駅からバスに乗り、夜8時前、父が居住していた下関彦島のケアハウスに到着。「老人の館」は既に深閑として、職員のみなさんもおらず、そそくさと父の部屋に。明日のことを考え、早めに眠ろうとしたが、普段の夜型生活のためあまり眠れず。思いつき、窓を開けての「リアル波の音」(ここは海を臨むケアハウス)を聞きながら目を閉じていると、少しはうとうととした。

2011年06月21日(火)
6時起床。シャワーを浴び、7時半頃のバスで駅方面へ向かう。下関駅からさらにバスに小一時間揺られ、ようやく父が入所した老人介護施設のある病院に着いたのは9時過ぎ。

父は施設内ロビーで車椅子に乗せられていた。3月末の「卒寿の会」以来の父との面会だったが、少し面変わりしていて違和感があった。話しかけるが、呆然とした感じで僕を認識できなかった。

予約していた介護タクシーに父を乗せ、MRI検査のため、20分ほどの距離にある別病院へ向かう。MRI検査は11時過ぎに実施。介護タクシーの中、病院で検査を待つ間も父は呆然としていて、話しかけてもコミュニケーションを取ることはできなかった。エアコンが効いた病院内でひと言「寒い」と言ったので、看護士にバスタオルを借り、肩からかけてあげた。

検査前、眼鏡や入れ歯等の金属類を外すよう指示されるが、入れ歯を外してあげることはできなかった。検査技師が「入れ歯を外してもらえませんかね」と父に言うと、「無理ですな」とぼそっと父は答えた。結局、検査技師は「まあ、いいでしょう」ということで検査台に父を移動させようとするが、父は車椅子にしがみつき、難儀であった。

検査後、担当医はごく事務的な口調で検査の結果を僕に伝えた。検査の結果は事前のCT検査で予想された通り。

再び介護タクシーに父を乗せ、老人介護施設へ戻る。父は少し遅めの昼食(肉野菜入り茶そば、オクラ、ゴボウの煮付け、すいか)を摂るが、箸を持つ手がおぼつかない。食事介助をしてやるとけっこう旺盛な食欲を見せ、特にゴボウは美味しそうに食べた。

前回帰省の際、生まれて初めて母のトイレ介助をしたが、今回は生まれて初めて父の口元に食べ物を運ぶことになった。

父は介護用のエプロンをしていたが、父はそのライン状の模様(茶そばの切れ端に似てはいる)を何度も箸でつまもうとする。「父ちゃん、それは模様だよ」と父に言うが、理解できず。

昼食をほぼ完食し、職員が片づけているそばで「美味しゅうございました」と父がぽつりと言った。

父の側にいたときに、北九州に住む母の弟夫婦、僕の叔父、叔母だが、父の見舞いに来訪。僕にとっては実に何十年ぶりかの面会だった。父はやはり彼らを認識できなかった。30分ほど、父の様子を見てもらい、お互いの近況について話をし、別れた。

職員に父をベッドに寝かせてもらい、ようやく落ち着いたところで、「父ちゃん、僕がわかるかね?」と顔を近づけて言うと、父は急に僕の肩を抱き、僕を見て微笑んだ。一瞬だが、僕のことがわかったようだ。嬉しかった。

夕刻、病院を出て、下関駅までバス。駅ビル内のラーメン屋でラーメンとビール。ケアハウスに到着後、隣接している特養にいる母と面会。以前より元気そうで、表情も豊かになった。笑顔もよく見せるし、よく喋る。「父ちゃんはどうやったかね」と心配そうに訊ねるので「まあ、ちょっと弱っちょるけど、がんばっとるよ」と嘘をついた。

ケアハウスの部屋に戻り、各方面へ電話。夜半、突然歯痛が始まり、よく眠れず。

2011年06月22日(水)
7時半起床。朝方小雨、そのうち晴れ、真夏日となる。

父の病院には行かず、午前中はケアハウス退居に関連する各方面へ電話連絡。

午後、ケアハウスの責任者、Fさんにケアハウス退所の旨伝え、手続きを行う。職員の方々に父の状況を説明。4月の誕生会では、父は「寿限無」を暗唱し、みなに披露したとのこと。ケアハウスでの父は「本当に優しい人柄」とみなさん、口を揃えて。

父の見舞いに母を連れていこうとしたが、母のいる特養で感染性の疥癬の症状が出た人がおり、母は症状は出ていなかったが、他病院への感染を防ぐため、申し訳ないが母を連れて行くことはできない、とのこと。父の現況を母に見せるのはためらいもあったため、それを聞いて安堵する気持ちも正直あった。

2011年06月23日(木)
7時半起床。

特養の母としばし面会した後、父のいる病院へ。昼すぎに到着、父はちょうど介助してもらいながらの昼食中であったが、食べ物がほとんど咀嚼できない状態だった。朝はなんとか食べたとのこと。呼びかけには頷いたりはする。「成司だよ」と耳元に口を近づけて言うと、「せいじ」とくぐもった声で呟いて僕を見たが、僕を見る目は虚ろな感じだった。

父を緩和病棟に移送するプランを病院相談員の方から聞く。1,2週間以内には緩和病棟に移れる予定。緩和病棟の医師、師長と面談。

父は痰が絡み苦しそうであったので、介護士を呼び、痰の吸飲をしてもらう。しかし、吸引機での吸引は見ていても不快そうであった。嗚咽のような声を上げる父。

ケアハウスに午後6時半着。事務所のパソコンを借り、メールチェック。特養ハイムに母を訪ねたのは、母が就寝前の8時過ぎ。

2011年06月24日(金)
7時起床。晴天、朝から暑い。
赤帽から段ボールが届いていたので、ケアハウスの荷物移送の準備にかかる。
特養ハイムに母を訪ねてから、バスで30分ほどの実家に行って諸々の用事を片づける。実家は主を失ってから6,7年経つが、家の中は時間が止まったように何も変わってはいない。

夜、特養の母と面会。「懐かしいねえ」と言うので、「こっちに来てから何度も会いに来よるやないの」と言えば、「毎日会っても懐かしいよ」と母は言った。

ケアハウスのFさんに書類を提出する際、日付を記入したとき、この日がオクさんの誕生日であったことに気がついた。夜、オクさんにバースデイ電話。

2011年06月25日(土)
7時半起床。少しクールダウンか。
部屋の荷物の箱詰め。実家に持っていくべき物、神奈川に別送すべき物、捨てるべき物の判断に時間がかかる。急に病状が悪化した父の場合、部屋の主が突然失踪したあとのような様相で、父がケアハウスを出なければいけなくなることを予期して、何かしら準備していた形跡は一切ない。ついこの間までそこそこ元気にこの部屋で暮らしていたのだ。

父が使っていたテレビを神奈川に送るため、運送業者に取りに来てもらうよう手配。昨夜、母が鉛筆と手帳が欲しいと言っていたので、父の持ち物から鉛筆を数本、使っていない手帳もあったので、それらを特養に持っていく。

午後3時に病院に向かい、到着したのは4時半頃。ちょうど土砂降りの雨に遭い、折りたたみ傘を持っていたが、ほとんど役に立たないくらいの豪雨だった。ゲリラ豪雨というやつ。バス停から病院まで歩く数分の内にずぶ濡れとなる。

たった今まで海中に潜んでいた半魚人のように、廊下に濡れた足跡を付けながら病院内に。父はベッド上で仰向けに寝ていた。ときおり、手をひらひらさせ顔の方に持っていったり、何かうわごとのようなことを言うが、何を言っているのか意味不明。

摂食不良のため、昨日から点滴を始めたとのこと。朝は7割程度は食べることができたとのこと。ベッドから車椅子への移動が困難になったよう。職員二人がかりで何とか。短い期間だが、来るたびに急速に衰えていく父。

緩和病棟には火曜日に移送できることを伝えられる。

歯痛もあり、心の状態もあり、どこかで落ち着いて食事を摂る気にもなれず、駅のコンビニで買ったおにぎり、サンドイッチ等を、帰路バス内で食す。滞在中の食事はずっとそんな感じ。

午後8時過ぎにケアハウス、その後、就寝前の母に面会。
火曜日の緩和病棟移送まで滞在を延ばすことを決めた。

眠れず。

2011年06月26日(日)
7時起床。曇り。

昼頃から雨が降りそうだということで、赤帽から荷物移送の時間を1時間ほど早めませんか、という提案電話があり、承諾する。で、9時ちょうどに赤帽さんがやってきた。

助手なしだったので、赤帽のおじさんと二人でどたばたと荷物を軽トラに詰め込み、車で20分ほどの実家まで二往復二時間で荷物移送完了。

実家で荷物整理、その他やって、夕刻、ケアハウス着。父のベッドも運んだので、ケアハウスから簡易ベッドを借りる。疲労困憊、簡易ベッドで一眠りした後、神奈川に送る荷物作り。

夜、特養ハイムに母を訪ねる。母はよく喋るようになった。寝る前の薬(眠剤)を介護職員からもらい、水を飲ませてもらい、横になると、一見ぶっきらぼうな印象のその女性介護士が「はい、背中とんとん、ね」と母に語りかけながら、母の背中を何かのまじないのように軽く叩いた。

「それ、何かのまじないですか」と僕が聞けば、「はい、毎晩眠る前にはこうして欲しいって言うんです」と彼女は言った。「あとは、頭を3回撫でてあげて終わり」と微笑みながら彼女が続けた。

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