2011年5月4日水曜日

今日は母の誕生日


今日5月4日は母の誕生日。87才になる。

17才のとき実家を離れて以来、何十年にもわたって、毎年、母の誕生日には電話をしてきた。母も、僕の誕生日には電話をかけてくれてきた。

一昨年秋に父と共に暮らしていたケアハウスの部屋で大腿部骨折をして入院、そのまま車椅子生活者となり、昨年特養老人ホームに入所、母は電話をかけることも、受けることも困難になった。昨年はお互いの誕生日に電話で声を聞き合うこともなくなり、残念な思いをした。

3月末に、父の卒寿の祝いのために帰省した際、特養での母や職員のみなさんの状況を把握した上で、取り次ぎ電話であれば母と電話で話せるかもしれない、と思っていた。

午後3時に「お茶の時間」があるのだが、そのあたりの時間帯であれば母も起きており、電話の取り次ぎも比較的容易ではないかと、事前に特養の職員の方に電話、取り次ぎは大丈夫だということで、3時を少し回ったところで電話を入れた。

欝病と認知症も進んでいる母との会話は、以前と比べスムーズにはいかなかったが、僕が母の誕生日に電話を入れたことはしっかり理解でき、「誕生日やけえ、電話をくれたんかいね。あんたは優しいねえ」と嬉しそうだった。

何度も「懐かしいねえ」と母は言ったが、母とは3月末に会ったばかり。僕にまつわる記憶はすべて「懐かしい」のだろう。

喜んでもらおうと、最近本が出たことを伝えようとしたが、「よう、わからん」、昨日のオクさんのお義父さんの米寿の会についても話したが、「よう、わからん」。それでも、僕のオクさんによろしく伝えて欲しいということはしっかり言えた。

「じゃあ、また会えるときまで元気でね。じゃあね」と言っても「よう、わからんよ」と言って電話を切ろうとしない。そばに職員の方が付いているのが想像できるので、「じゃあ、切るよ」と言っても「よう、わからんよ」と言う。

「さようなら」という言葉はあまり使いたくないのだが、ゆっくりと「じゃあ、さようなら、ね」と言うと、ようやく「さようなら」と言ったので、電話を切ることができた。

画像は、小学校に入学したころ(昭和35年)の僕と母。何年か前、実家の古いアルバムを整理していたときに発見したもの。この写真を見た記憶はあるが、このときの状況はあまり記憶がない。撮影者は父以外には考えられない。なかなかいいアングルの写真だと思う。「宝物写真」のひとつ。

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