2011年4月19日火曜日

父・卒寿の祝いをかねての介護帰省2011春@猫岬ケアハウス滞在記 その8



3月28日(月)

ー承前ー 
父は産婦人科受付窓口前のソファに座っていた。「なんだ、父ちゃん、来たんかね」と言えば、「いや、これを買いとうてのぉ」と病院の売店で買ったらしい室内履きを僕に見せた。「これが一番履きやすいのやけど、わしが持っとるのは色がついちょるけ、好かんやった。白いのはここしか売っちょらんけえ」と父は言った。

父がケアハウスでこのところ愛用している室内履き(体育館履き)は、爪先のゴムあてが青い色のもので、「あれは子どもが履くようやけえ、好かん」ということだった。なに、心配になったので一人、タクシーを呼んで来たのだった。

「歩くのも大変なのに、来んでもええのに」と僕は言ったが、そもそも、父が母を病院に連れて行くのが無理になったので、滞在を延ばして、母の病院搬送ミッションを受け持ったのだ。もっとも、父がなんとか母を連れてきたところで、耳が遠く、医者の言うことがほとんど聞き取れないので付き添いはこなせない。母は耳は良いが、別の問題でそうしたことの理解は既に難しいわけで。

結局、車椅子の母と歩行がよたよたの父の二人を見ていなければならなくなった。この日の朝、父は「わしも行こうかいのぉ」と言っていたが、「父ちゃんは来んでもええよ。そのために僕が連れて行くんやけ」と何度も言っておいたのだが。こういうところが父にはある。

母は思いがけない父の登場にも特に何と言うわけでもなく、大人しく診察の順番を待っていた。「久しぶりに車に乗って、どうやったかね?」と聞けば、「懐かしかった」と。

12時半の診察予定だったが、1時間近く待っても名前を呼ばれない。順番的にそろそろ次かなあ、という頃、母が「トイレに行きたい」と。診察前にトイレを済ませておきたいという気持ちだったようだ。

これは想定内で、僕は事前に特養の職員による母のトイレ介助を見学させてもらっていた。ただ、見ただけで、実際にやってみるようなことはしなかった。トイレ介助というのは僕の人生において未経験。何度か中度の生徒の便の始末はしたことはあったが。

とりあえず、障害者用のトイレに車椅子を押していき、手すりに手をかけさせ、母をうしろから抱きかかえて便座に座らせようとしたとき、母は「なんかついちょる」と言って座ろうとしない。見れば便座が古く、ところどころペンキが剥げ、小さなゴミが付いているように見える。母は耳も良いが、目も良く、極端に神経質なので、そういう微細なゴミも気にするのだった。

「母ちゃん、これはペンキが剥げちょるだけ」と言えば、「ゴミもついちょる」と。よくよく見れば確かに便座に小さなゴミが付いていた。母を支えながら、そのゴミを拭き取って、ようやく座らせることができた。母の体重は30キロくらいしかないが、完全に身体を委ねられているので、想像していたよりずっと重く感じ、僕は腰に爆弾(ぎっくり腰)を抱えていることもあり、ちょっと冷や汗が出た。

で、母は「小」を済ませたかと思えば、「大」の排泄に及び始めた。それで、僕に「お腹を揉んで」と言う。思えば、母の下腹部を直に触るなんて生まれてこのかた、初めてではないだろうか。母のお腹は頼りないくらいふにゃふにゃして乾いていた。

「もっと強くして。やっぱり男やとダメやね」と母。「そう言うたって、僕はこんなことするの初めてやけ」と母に言ったが、母は不満そうだった。

ことが終わり、お尻を拭いてあげたが、母のお尻を拭くのももちろん初めて。というか、自分以外の人間のお尻を拭くというのがそもそも初体験。お尻の肉はそげ落ちていて、哀れな感じがした。尿漏れ用のパッドをあてがい、パンツを上げたりするのも、本人が動作にあまり協力的ではないので、一苦労。僕の介助は、母には満足がいくものではなかったようだが、それはしょうがないだろう、初めてなんだから、なあ、母ちゃん。

なんとかトイレを済ませたものの、今度は水を流すコックが見あたらず、困った。「手をかざすと水が流れる式」だったが、ああいうのは老人はとまどうのではないだろうか。

初めて息子にトイレ介助をしてもらって、なにがしかの感慨を母が感じていたのかは不明。ありがとう、とも言うわけでもなく、ごく淡々としていた。

トイレから戻ってくると、ようやく診察が始まり、診察時間はたかだか15分。「特に問題はありません」ということだった。

会計窓口で支払いを済ませ、また介護タクシーを呼ぶとすぐに来てくれ、父が一緒にいることを知って、「お父さんも乗せて行きましょう」と。父の歩行器をたたんで車内に入れ、足元のおぼつかない父を抱えて座席に座らせてくれた。介護タクシーの運転手さんにも余計な労力をおかけすることになった。

特養に母を送り届けたときは、既に午後3時を回っていた。母は特に疲れたような様子はなかったが、「また1年後くらいに検査に来てください」と言った医者の言葉をしっかり聞いていて、僕に何度も「また病院に行くやら、せんよ、私は」と言った。

その後、しばらく母のそばにいたが、突然、母は「父ちゃん、弱ったやろ?」と僕に聞いた。「うん、足がだいぶ弱うなったね」と正直に言うと、「父ちゃんのことが一番、心配」と言う。「いつも、父ちゃんのことを考えるのよ。この先、どうなるんやろ」と心細げに言った。

話題を変えようと、前日に父が「今度、生まれ変わったら、まず車の免許を取りたい。車が運転できんかったので不便やった」と言ったことを思い出したので、その話を母にした。

母は父の言葉への感想は言わず、「あんたは生まれ変わったらどうしたいんかね?」と僕に聞いた。しばらく考えて「うーん、結局、今とあんまり変わらん生き方をするかねえ」と答えた。「母ちゃんはどうかね、生まれ変わったら?」と聞けば、「私も今と同じようになるやろうね」と言った。

母に別れを告げ、ケアハウスで父と夕食を共にした。父と食事をするときは、ケアハウスの方で、食堂から海峡がよく見える広い窓際に席を設えてくれる。二人で海を眺めながら黙々と食事をした。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
画像はケアハウス食堂から見る海峡。

0 件のコメント: