2011年4月17日日曜日

父・卒寿の祝いをかねての介護帰省2011春@猫岬ケアハウス滞在記 その7

3月28日(月)

7時半頃起床。ケアハウスのゲストルームは、棟の地下1階にある(と言っても、建物は海沿いの高台にあるので、窓から眼下に海を見下ろすことはできる)が、高級そうな家具、ソファーや広いダイニング・テーブルが置かれた二十畳くらいはある応接・リビングスペース、それに続く陽光が降り注ぐ床から天井までの大きなガラス窓がついたオール電化のキッチン、奥に八畳の和室、隣り合わせて浴室付きのツインベッドルーム、という間取り。他にも、家族で入れる大きめな浴室、トイレが2カ所あり、応接スペースから、海を臨む広々としたベランダや中庭に出ることができる。

そうしたアッパーミドル用の住宅のサンプルのような場所は、僕には完璧に分不相応であり、またそうした場所にたった一人(土曜から日曜にかけては兄たちも宿泊したが)で連泊するのは、正直なところ、快適だとは言い難い。置かれている調度品や家具なども、いかにもプチブルテイストのそれで、僕はそういうのも嫌いだから。広いリビングの暖房費は宿泊費(これは安いです。2900円)に含まれてはいるが、ちょっと寒くても貧乏性の僕は暖房も入れず、毛布を膝元にかけて、ひとり大型液晶画面のテレビを見るのだった。

この日は、母を車で30分くらいかかる市の病院に連れて行かねばならなかった。母は「子宮脱」の症状があり、器具を入れて症状が出るのを防いでいるが、その定期的な検査のために病院に行く必要があった。病院には12時頃の診察を予約していたので、10時過ぎには特養の母を訪ねた。

事前に車椅子で搬送できる介護タクシーを11時に回してもらえるよう予約していたが、大腿骨骨折し、その後車椅子生活者となった母は、この前日の父の祝いに参加するため2,3分外に出たのが特養入所以来、初めてということだったので、問題なく病院に連れて行けるかどうか、少し不安だった。本人は、それこそ不安のかたまりでできているような人間だし。

12時頃の診察を予約していたことで、母の昼食の問題もあった。特養の昼食は11時半頃から始まり、1時を回ると食品衛生上、取り置きができないとのこと。食べてから行くには早すぎ、帰ってから食べるのは遅すぎる。当初は病院の売店でパンか何か買って、待合室で食べてもらおうと思っていたが、母は「パンはいや」だと。では、タクシーで行く途中にコンビニに寄ってもらっておにぎり弁当のようなものを買うかな、と思っていたところ、母は「私はいつもおかゆを食べてる」と。

職員に聞けば、母は「おかゆでなくても食べられますが、たぶん、食べるのに楽だから、おかゆにして欲しいと言うんです」ということだった。「母ちゃん、おにぎりとかでもええやろ?」と聞けば不承不承に頷いた。僕なんかは、こういう状況の時、昼食を抜くなり、後から食べるなりするわけだが、たぶんに自閉的なこだわりが強くなった母は、ある程度決まった時間に食べないと気が済まないわけで。

11時に予定通り介護タクシーが来て、病院に直前に電話を入れると診察時間を12時半にしてくれと。タクシーの運転手にその旨告げると、ちょっとムッとした感じで、これから出るには早すぎる、また12時頃にあらためて来る、と言われた。平謝りして、ふと、出発12時だったら、母がお昼を食べる時間があるではないか、と。特養の昼食は欠食を告げていたので、その日の母の昼食の分はない。特養から急な坂下にある食料品店があるのだが、そこまで走ったね。往復で15分くらいか。母の好物の巻き寿司の弁当を買った。

で、母に食べさせ、職員に「行く前のトイレ」介助をしてもらい、12時に再度やってきた介護タクシーに乗せ、市の総合病院まで。母は特に不安な様子もなく、かといって、久しぶりであろう外の景色を懐かしむ感じでもなく、淡々と介護タクシーに乗っていた。当初はぶっきらぼうな感じの運転手さんも、かつて神奈川に住んでいたらしく、やたらと話しかけてきて、母と会話することができず、少し困った。

診察予定時間の12時半少し前に、病院に到着、車椅子を押して、婦人科の受付窓口に行くと、そこにはなぜか、ケアハウスの自分の部屋にいるはずの父がいた。

つづく






画像左:このソファは見かけよりすわり心地があまり良くなく、革張りなのでずりっと滑ったりするので、あまり感心しない。後の絵(このケアハウスはオーナーの好みなのか、いたるところ、やたらに油絵が飾られている。)は、僕に言わせれば「やあ、お上手ですね」とアマチュア画家に言うような感じ。
画像中:部屋から「パティオ」に出れたりする。ここんとこがリッチな感じ。
画像右:明るいキッチン、高所恐怖症の僕は窓のすぐそばには立てない。

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