2011年4月9日土曜日

父・卒寿の祝いをかねての介護帰省2011春@猫岬ケアハウス滞在記 その5


3月26日(土)

さて、父の卒寿の会、当日。午前中、ケアハウスの食堂ロビーで行われる「デイ・ケアの方々と合同レクリエーション&フィットネスの時間」を見学した。父は週2回ほど、この催しに参加しているとのこと。

デイケアの方々はさすがにお元気で、ケアハウス入居者だけだと日々、ごく静謐でまったりとした時間が棟内を流れているが、デイ・ケアの方々が加わると、そこそこにぎやかになっていい感じ。

「合同レクリエーション会」の前半は、参加者各々が自由に、塗り絵や各種ゲーム(さすがにアナログ系)、パズルなどの用意されたキットを選び、職員の指導の下、各々のペースで楽しむという時間。僕がかつて行っていた境界児向け授業と基本的には同じ感じ。

父は、比較的簡単なジグソーパズルに取り組んでいたが、それほど楽しそうな感じでもなく、淡々と取り組んでいた。時間が押し迫っても完成できないのを、デイケアのお元気なお年寄り男性が手伝ってあげていたが、それでもなかなか完成できない。つい、そばでその様子を見ていた僕が手を貸したら、「あんたは頭がいいねえ」とそのデイケアお爺ちゃんに言われた。父は特に完成させることに執着していなく、まあ、どうでもいい感じ。

父は昔から囲碁、釣り、絵画、俳句とたしなみ、まあ、趣味人と言える人であったが、俳句は地方の俳壇で賞を受賞したりと、そこそこの域に達したものの、その道を極めるといったことはなく、そのあたり、僕と類似していいるところがある。

レクリエーションタイムが終わり、次は体操の時間。職員の指導の下、みなさん、椅子に座っての「老人体操」を行う。手足の屈伸、ストレッチ、昼食前の「咀嚼準備運動」等が主なメニュー。

椅子に座ってなら、父も足を上げたり下げたりはできる。ただ、指導員が見本を示しながら、「右足を上げて」と言うと、左足を上げ、「左を向いて」と言うと右を向く。「父ちゃん、右足だよ」とそばにいた僕は父に話しかけるが、聞こえていない。

ははーん、父は耳が遠い故、指示の言葉が聞こえず、指導員のやることのミラーイメージで体操を行っているんだな、と気がついた。まあ、左右違っていても、体操の効果は同じだろうが。

午後になり、兄夫婦、上の甥夫婦、下の甥、下関在住の兄嫁のお母さん(この方は母より二つ三つ年下の方だが、足腰達者でおそろしく元気が良い方)が続々とケアハウスに到着。母がいる特養をみんなで訪ね、車椅子の母を隣接したケアハウスに搬送、夕刻、兄が手配した仕出し弁当が届き、2年前の「米寿の会」と同様、ケアハスのゲストルームで「卒寿の会」がスタート。

父は会の冒頭、「なんだかぼんやりとしているうちに、卒寿を迎えることとなりました。なかなかお迎えが来ないから仕方ない」みたいなことを述べた。母はただただ大人しくしていた。

宴もたけなわの頃、僕は、父が知っていることを期待しながら、戦前ポップスの『コロラドの月』(この曲にまつわる素敵な光景を後日、目にすることになるのだが)をウクレレを弾きながら歌ったが、父はこの歌を知らなかったようだ。「竪琴のような音がするのぉ」というのが父のウクレレを聞いての感想。そして、昔、母が大好きだった喜納昌吉の『〜花〜すべての人の心に花を』を歌った。「母ちゃん、この歌、好きやったよね」と母に声をかけたら、こくりとうなずいたものの、母の反応はイマイチだった。

ビールと日本酒をそこそこに飲んで良い気持ちになったのか、父が突然、アカペラで「ズンドコ節」を歌い出した。ドリフのではなく、「正調ズンドコ節」というのか、その歌。父はけっこう歌うことが好きなのだった。齢90、耳、足腰がめっきり弱くなったとは言え、歌を歌う気持ちが残っていることには嬉しく思った。

久しぶりに会った兄嫁、甥っ子などと、つい震災の話が盛り上がり、あとからあの席では慎むべきだった、と少し後悔した。父の誕生日は3月12日、父も「あんなことがあったときに卒寿とは気がひける」というようなことを言っていた。

被災地とは遠く離れ、ごく平和に見える本州西端の地に夕日が落ち、あたりが暗くなる頃に宴は終了し、「食欲だけは旺盛」な父と母は料理もよく食べた。父母、各自の居所に戻り、ゲストルームで夜更けまで兄嫁たちと震災の話に終始して一日が終わった。


*画像は宴の仕出し弁当。本来これに「フグ刺し」が付くはずだったが、手違いで付いてなかった。翌日、兄は弁当屋にクレームをつけたところ、おわびに全員分の下関名産「粒ウニ」をゲットすることになった。

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