2011年3月31日木曜日

父・卒寿の祝いをかねての介護帰省2011春@猫岬ケアハウス滞在記 その3


3月25日(金)

僕の隣に座った大柄長身の若い男、大人しそうな青年で、それなりに気を遣って大きな体を小さくして座ってくれたのだが、それでも膝と膝は心なしか触れ合う狭さ、この環境であと13時間超、大丈夫かい?おれは、と思ったね。しかし、これは想定内、まあ、なんとかなるだろう、被災地の方々に比べれば、と、こんなときに。

その後、真夜中前に海老名サービスエリアで15分くらいのトイレ休憩、下車して煙草を一服。再び乗り込んだところで、深夜零時をもって車中消灯。これがけっこう真っ暗なんですね。事前に座席近くの読書灯がつけられると聞いていたのだが、乗客のみなさん、誰も読書灯をつける人はいない。ほとんどの乗客が寝る体勢になっている。僕の隣の若者も目を閉じてひたすら大人しくしている。とても読書灯などつけられる雰囲気ではない。若者たちで溢れているのにみなさんお行儀がいいこと。これは想定外。

実は、長い車中、読書灯などつけて本を読んだり、お菓子をバリバリ食ったりしながら、観光バスに乗った気分で過ごそうと思っていた。みなさんもそんな感じで過ごすのではないかと思っていた。ところが、満席の真っ暗な車中は静まりかえって、エンジンの音だけが響くような環境。窓は厚めのカーテンで閉ざされ、高速道路の灯りが運転席フロントガラスから漏れてくる程度。読書どころか、「お菓子バリバリ行為」もはばかれる。

想定外でした。脳裏に「ドナドナ」のメロディが流れる。荷馬車で売られていく家畜の心境、このあたりで、長距離バスに乗って帰省することに決めたことを思い切り後悔しましたね。しかし、まあ、被災地の方々に比べれば、とこればかり。

僕は普段から夜型だし、意外と繊細な(意外とね)ところもあるので、目を閉じていても、眠れそうな感じはまったくない。で、ここで大活躍したのが、計画停電に備えてオクさんが買ってきたポータブルラジオ。バスの中で震災情報でも聞けるかも、と携行してきたのだ。

いささか受信状況は良くなかったが、イヤホンでFMはそこそこ聞けた(移動しているのでキャッチするステーションは刻々、変わっていくし、選択肢も少ないけれど)。NHKのFMとかタンゴやらクラシックやら流していたが、車中の暗がりで聞くノイズ混じりの、なんであれ「音楽」があれほど心に沁みたことはない。

僕なんかの世代は音楽を聞くツールとして、まずラジオがあった。あの頃、トランジスタラジオから流れてくるアメリカン・ポップスなんかを心を踊らせて聞いていた感覚を思い出しましたよ。iPodも持っていたけれど、ラジオが良かったな。チューニングが合って、そこからかぼそい音だけど、音楽が流れてくる感じ、あれを追体験できたことが良かった。震災関連情報もときおり聞けたし。

その後、3時間おきくらいに、静岡とか大阪あたりのサービスエリアに停まり、15分程度の休憩(これも良かった。というか、これがないとホントに「ドナドナ」の世界)があって、肉まんを食べたりしながら、僕を含め、乗客のみなさんはホントに大人しく、従順に、粛々と西へ西へと向かうバスの中の長い夜を過ごしたのでした。

そのうち、岡山あたりで夜が明け、朝の広島で25分くらいの休憩、ドトールでコーヒーを買い飲む。新山口で若者(大学生だね、ほとんど)たちの大半は下車、ようやく座席を独り占めできたところで、カーテンを開け、陽光の下、バスは最終目的地の下関へ。下関着は到着予定時間どおりのお昼12時半。

下車し、少年時代からの好物で、下関に帰ると必ず食べる「駅のうどん」&いなり寿司セットを食べ、またバスに乗り、両親が居住する町へと向かったのでした。一時はどうなることやらと後悔もしたけれど、14時間のバスの旅も、終わってみればそんなに過酷でもなかったかな。年を取ったせいか、時間が過ぎ去るのがすごく早く感じることもあって。

心配していた腰は大丈夫だったけれど、少しうとうとした後、かなり首筋が凝ったことと、途中、何度か「大柄長身の若者」が、僕の肩の上に頭を乗せてくることにはやや困った。


続きはまた今度。

*画像は大好物の「下関駅構内のうどん」。これが14時間半を経て、ようやく「売られていく家畜」の身からの解放後、最初のまとも?な食事。おいしかったよ。

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