2010年11月27日土曜日

なんだこりゃ〜?!

いろいろめんどくさいことはありましたが、光回線導入も無事終わり、ネット環境もだいぶ快適になりました。特にYouTubeは最近重くなってイラつくことが多かったが、けっこう改善された感じ。

ところで、一昨日の光ケーブル導入工事の際、クリビツテンギョウすることがあったのでご報告を。

工事の人から、ウチの住居の場合、光ケーブルを部屋に引き入れるのはエアコンダクトから通す方法でやります、と、じゃそうして下さい、と。

この住居に越してきて以来、未使用のダクトがあり、それはプラスティックのカバーで覆われていたんですね。

工事の人が配線準備をしているとき、僕もお手伝いをと思い、そのカバーを開けると何やら灰褐色のものが穴に詰まってるんですね。

こういうダクトというのは何か詰め物をしてるんだなと思い、工事の人に見せたら「普通はぽっかり開いてるんですけどね」と言いながら、「うん? ハチミツの匂いがしますねえ。あ! これハチの巣ですよ」と。

それを聞いた瞬間、去年の夏の終わりの「ハチ騒動」のことが思い起こされたのだった。

ハチ騒動顛末 Part 1
ハチ騒動顛末 Part 2

ハチの巣はけっこう穴全体にびっちりくっついていて、取り除くのにドライバーでこそぎ落とす必要があったが、取り出されたそれは紛うことなきハチの巣、それがアシナガバチの巣であることは確認しなくても体験的にわかるというもの。

僕はあれ以来、ちょっとした「ハチフォビア」になってしまい、生来のクモ嫌いに加えてハチ嫌いになっていたので、巣(もちろん廃棄された巣で「空き家」ではあったが)の除去にも怖気が走る思いだった。

なぜ去年の夏、ウチのベランダに頻繁にハチが飛来し、ベランダの植物に大量に密生していたか(十分に)納得したのだった。(今年の夏はハチの飛来はほとんどなかったが。)

もし、光回線を導入するということがなければこの巣は発見されることはなかったと思うがが、ひょんなことから今年最大の「発見」となったのでありました。

このダクト、外からしっかりとパテで塞いでもらったことは言うまでもない。

カバーを取った状態のエアコンダクト






これが去年の夏の「ハチ騒動」の元凶。

2010年11月24日水曜日

深町純さんと僕のファーストアルバム

深町純さんが亡くなられたことを知った。
http://mainichi.jp/select/person/news/20101124k0000m060060000c.html

僕は20代のはじめ、西も東もわからないうちに、ひょんなことで「メジャーレコードデビュー」をしてしまったという経歴がある。が、出したレコードはさっぱり売れず、足かけ4年程度の「フォーク歌手時代」はまったく報われることもなく、下手にレコードなど出したために、その後長きにわたって音楽をやることが素直に楽しめないという体質になってしまったのだった。

特にファーストアルバムの制作過程は、スタジオに呼ばれてわけもわからないうちに進行して、ギター一本で作った素朴な僕の曲が、当時の日本では先端的なポップ・ミュージックに変容していく様をかなりの違和感(とシンプルな驚き)を持って、スタジオの片隅で見つめるだけでありました。

深町純さんは、当時のディレクター人脈からレコーディングをお願いしたいきさつがあったと思うが、僕のファーストのほぼ全曲にわたってピアノやキーボードで参加してくれ、当時はめちゃくちゃシャイというか、屈折していた名も知れぬ若者であった僕に、いつもニコニコと微笑んで挨拶してくれたように記憶する。

あるセッションで、僕が居並ぶ(今思えば錚々たる)スタジオミュージシャンの前で、勇気百倍出して「あの、キーをあげて欲しいんですが」と頼んだことがある。Eのキーのブルース調の曲をF#にあげて欲しいと恐れ多くも頼んだのだ。その時、アレンジを担当した高中正義が深町さんに「すみません、F#でお願いします」とけっこう気を遣った口調で深町さんに言った。たぶん、深町さんに手渡されていた譜面はEキーで書かれていたと思う。

深町さんは「うーん、F#かあ」と苦笑いしながら、物の見事にワンテイクで2度上がった曲を一つのミストーンもなく演奏した。「これが、いわゆるプロミュージシャンか」と西も東もわからないアマチュアに毛が生えたくらいの僕は、けっこう感心したものだ。だから、僕にとっては深町さんは「ザ・プロミュージシャン」という印象が強い。

37年前のファーストアルバムのレコーディング以来、深町さんとは関わりを持つ機会もなく、ただただ長い時が過ぎていったが、僕のファーストアルバムには「あの深町純が参加しているんだよ」と友人たちに自慢げに語ることはあった。


最近、YouTubeでどこかの奇特なお方が、僕のファーストからの数曲をアップしていることを知った。ちょっとこそばゆくてコメントを残すようなことはしなかったが、あの時代の音楽シーンにかなり詳しい人でも、その存在を知らないくらいマイナーな僕の曲を取り上げてくれたことには素直に嬉しく思った。

僕自身はあのアルバムは自分に似つかわしくないように思っていたので、ずっと封印していたようなところがあったが、こうして聴いてみると、未熟だけど初々しく若い自分がそこに見えるようで、ただただ懐かしい記憶がよみがえる。(まだ声変わりが完了してなかったような歌声だわい……)


↓この曲では当時としては最先端キーボード「クラビネット」を深町さんが弾いている。


↓この曲では、当時日本に2台とか3台とかしかなかったと言われていた「メロトロン」を。


↓この曲では、エレピを。


たぶん、深町純さんが残したレコード音源の中でも相当レアな部類に入るということだけは自慢できるかな。深町さんのご冥福をお祈りします。

*歌の声、レコードの回転数をやや高くしたように聞こえますが、当時まだ声変わりが完了してなかったような……。

2010年11月20日土曜日

バイバイ! ももちゃん、ちーちゃん、みゃーちゃん。

僕らの部屋の隣にトヨコさん夫婦と雄猫のちーちゃんが越してきたのは7,8年くらい前になる。まだウチのニンニンも元気だった。

トヨコさん夫婦はすぐにどこかからもう一匹の雄猫を連れてきて、ちーちゃんと一緒に飼い始めた。それがももちゃんだった。

二匹は元気いっぱいで、ウチのオクさんと隣のトヨコさんが、お互いの部屋のドアを開けっ放しにして玄関先で立ち話をしていると、どどどっと僕らの部屋に入ってきて、そこら中を駆け回って遊んだ。

最初の頃から、間取りがほとんど同じであるせいか、「勝手知ったる他人の家」、僕らのところへ何の躊躇もなく、どどどっとなだれ込んできては、ごくリラックスして遊んでいった。

ニンニンは二匹の侵入をとても嫌がって、「なんであいつらをボクのオウチに入れるの?!」と奥の寝室に逃げ込んでふてくされていた。

そのうち、ニンニンは病気になって、車を持っていない僕らのために、トヨコさんは何度もニンニンと僕らを車に乗せて、動物病院に連れていってくれた。ニンニンが死んだとき、トヨコさんもご主人も涙を流して悲しんでくれた。

ニンニンが死んでからしばらくして、トヨコさんんちにさらにもう一匹、今度はちっちゃな白黒の猫が仲間入りすることになった。その猫は僕らの棟の前でビービー泣いていた捨て猫だった。

トヨコさんは、ガリガリに痩せてノミだらけだったその捨て猫を、病院に連れて行き、一通りの手当をしてもらって、飼うことにした。僕らが飼うこともちょっと勧められたが、ニンニンを亡くした傷心が癒えず、新しく猫を飼うことはできなかった。

みゃーちゃんという名前をつけられた雌猫は、正直に言って、とても貧相でブスだったが、トヨコさんは他の二匹と同じようにすごく大切に可愛がった。みゃーちゃんも小さい頃は、ウチに遊びに来てそこら中を飛び回って遊んだが、年頃になると人見知りになって、あまり僕らのところへ遊びに来ることはなかった。

が、ちーちゃんとももちゃんは、相変わらず、ウチのオクさんとトヨコさんが玄関先で立ち話をするときには、どどっと僕のところへなだれ込んできて、部屋中を歩き回り、しばし遊んで帰っていった。

ニンニンを亡くして寂しい思いをしていた僕らにとっては、「猫欠乏感」を癒すのに、彼らの訪問は大歓迎だった。

三年ほど前、トヨコさんの九州の実家に住むお母さんの具合が悪くなって、彼女は何度も九州までお母さんの看病に帰るような時期があり、ご主人も夜遅くまでの仕事をしていたので、留守中の三匹の猫等の餌やりを僕らが担当することになった。

トヨコさんは申し訳なさそうに、僕らへ猫たちの世話を依頼してきたが、「いや、いや、むしろ猫たちに会えるので嬉しいくらい」と僕らはトヨコさんに言った。それは心底、本当のことだった。

そうして、昨年トヨコさんのお母さんが亡くなるまで、しばしば僕らはお隣猫たちの世話をした。隣の部屋に行き、しばし三匹の猫たちと過ごすのは僕らにとってもとても楽しいことで、僕らは三時間くらいお隣で猫と過ごすこともあった。

僕はなぜか、三匹の内のももちゃんに好かれて、行くたびにももちゃんから絶大なる歓待を受けた(「マウントポジション」での顔舐め攻撃等)。「ウチの主人より、ももちゃんは山下さんの方が好きみたい」と僕はトヨコさんから言われた。よその猫だけど、ニンニンも含めて僕が飼ってきた歴代の猫の中で最も(なぜか)僕のことが好きだった猫のように思える。

トヨコさん夫婦は今週末、引っ越しをすることになっていたが、今日、一足先に新居に猫たちを連れて行くということになって、夕方三匹の猫たちとお別れをした。僕はももちゃんをしばらく借りて、今宵限りの別れを惜しみながら、膝の上に載せて撫で回したが、ももちゃんは嬉しそうにゴロゴロ言っていた。ももちゃんをトヨコさんに戻して「バイバイ!」と言うと、ももちゃんは僕の方をじっと見ながら、バイバイを言うように「ニャッ!」と言った。本当なんだ。


左からみゃーちゃん、ちーちゃん、ももちゃん。


「猫の餌当番」現場


ももちゃん


バイバイ!

2010年11月12日金曜日

パンク顛末&ライブ告知

二日前、図書館に行こうとしたとき、自転車の前輪タイヤがパンクしていたことから始まり、「誠に感じの悪い」自転車屋に行くことにためらっていることなどについて、たらたらと「つぶやき」を重ねておりました。

今日の夕刻、煙草を買いがてら、またぞろパンクしたままの自転車を押し歩き、最初に、修理に2,3日かかると言われた某ダイ●マ自転車修理部へ行った。小生意気そうなあんちゃんに「パンクの修理をして欲しいのですが」と告げると、「お名前は?」と言うので名前を言ったら、修理予約の台帳みたいなのを繰り始めて「見あたらないですねえ」と言う。

「いやだからこれから修理をお願いしようと」と言えば、「ああ」と憮然とした表情であんちゃんは言い、それならそうと先に言え、という表情をしたが、僕ははっきり先にそうと言ったのだ。「修理には3日かかります」としらっと言われ、それは知っとる。このあたりでこのあんちゃんの接客態度に少々むかついていた。

修理予約票に名前や電話番号を書いて渡すと「パンク修理は最高で4千円かかりますけれど」とまたしらっと言われた。「え? 4千円もかかるの?」と言えば、「チューブ交換の場合ですけど」とあんちゃん。「ここにパンク修理680円から、って書いてますけど」と店内の修理代金表を指しながら僕は言った。

「それはパンク箇所が一カ所だった場合。いくらかかるかは見てみないと」とめんどくさそうにあんちゃん。「見積もりはしてくれるの?」と言えば「お客様が電話してくれれば」と、このおっさん、めんどくさい客だなという表情であんちゃんは言うのだった。その態度に僕はさらにむかつき、「じゃあ、いいや自転車屋に持っていきます」と僕は言ったのだ。

しょうがない、昨日定休日だったあの「誠に感じの悪い自転車屋」に持っていくかと、もう何度も心の中でくり返した煮え切らない思いを胸に、その「誠に感じの悪い自転車屋」に行きかけたが、そこは方向が真逆でけっこう遠いし、日も暮れてきたので、ま、今日はいいか、と思いつつ家まで帰ってきた。

そんなわけで僕の自転車の前輪タイヤはパンクしたままだ。


ところで、唐突ですが、今度ライブをやります。今回は猫町Jiveではなく、僕のソロ・ライブ。昔、ギター一本抱えて歌っていた頃に立ち返った気持ちでやってみようかな、と。ウクレレだけじゃなくギターも弾くつもり。既に「つぶやき」で発表済みの33年前(このとき、24だよ、おれ)の「レア音源」(http://twaud.io/qpgd)からの曲もやったりしてみようかな、とか。

でもソロはやっていてあまり楽しくないのと、聞く方も楽しくないかもしれないので、バンドメンバーののだっちにはちょこっとサポートしてもらおうかな、と思っています。場所はお馴染み、中央林間「パラダイス本舗」。以下に詳細を。

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山下セイジ●ソロ・ライブ@中央林間「パラダイス本舗 」

■日時:12月4日(土)Open:17:00/ Start:19:30(2ステージ)
■場所:中央林間「パラダイス本舗」(http://www.niginigi.jp/)
大和市下鶴間1541-5 〒242-0001
Tel/Fax 046-274-3948 
★小田急線、田園都市線 中央林間駅 徒歩 6分★
スーパー サミットを過ぎてクリーニング屋さんと新聞屋さんの間



■料金:投げ銭
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♪お暇なら来てよね。