2010年6月21日月曜日

【告知】山下セイジ”1コイン”ウクレレ・ライブ



肌にまったりとまとわりつく湿り気が人によっては心地良い(僕はわりと好きなんだ、この湿気)今日この頃でございますが、そろそろ本格的な○○○○の季節であります。

○○○○に当てはまるものと言えば、そう、ウクレレですね。冬のウクレレもいいです(コタツで弾くウクレレの味わい深さ)。春のウクレレもね(花見ウクレレのにぎやかしさ)。秋のウクレレも(しみじみとポロリンコ)。しかし、なんと言っても夏のウクレレはいわゆるひとつの王道です。

ところで、僕は「ウクレレ主義」(というのがどんな主義かはまた別の機会に。ま、大した主義ではありませんが)を世の人々に喧伝したいがため、いつかウクレレ教室なんてやってみたいなあ、と思っておりました。

ひょんなことで、「やってみたら?」というお話しがあり、「じゃ、やってみようかな」ということになりました。が、ジェイクでもオータさんでもない、ウクレレプレイヤーとしては無名な僕が何もしないでは生徒さんは集まりません。

「お気楽ウクレレ・ワークショップ」という企画が一応、立ったところで、とりあえずライブでもやってみるか、ということで今週末土曜日に45分1ステージくらいのささやかな”1コイン”ウクレレ・コンサートをやります。

場所は四谷荒木町『ゆうむ』(http://willeyumu.jimdo.com/)というドリンク&イベントプレース、半地下にある和やかで落ち着いた雰囲気のお店です。この6月から新規展開、編集者、俳人、作家、ジャズ・パーソナリティ、など各界のプロのみなさんが「イベントリーダー」となり、興味深い講座イベントをそれぞれ開始、展開しております(HPを参照ください)。

その末席にウクレレの魅力を伝えたい一心で(でも、あくまで「お気楽」に楽しく)、ウクレレ教室を開設しようと画策している次第であります。ウクレレを生涯の恋人と決めて早ウン年、興味をお持ちの方(他のイベントについても)がいらっしゃれば、ちょっと覗いてみて頂けると嬉しく思います。
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山下セイジ”1コイン”ウクレレ・ライブ

■日時:6月26日(土)Open:18:30/Start:20:30
■場所:四谷荒木町『ゆうむ』 新宿区荒木町20 外苑東通り「荒木町」バス停前 ヤカタビル地下1階
■ミュージックチャージ¥500(要オーダー、ドリンク¥500/フード¥500〜)
■お問い合わせ:(有)ウィル『ゆうむ』
Tel.03-3355-8781 携帯.080-3690-7258


ー「ゆうむ」への行き方ー
丸ノ内線「四谷3丁目」4番出口を外苑東道り沿い曙橋方向に徒歩5分/都営新宿線「曙橋」A4番出口 高架道路(外苑東道り)へ階段を上がり外苑東道り沿い四谷3丁目方向に徒歩3分  *地図は画像参照

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今回はウクレレ・ソロということもあって、「猫町Jive」ではやらないオールドタイミーなポップスやビートルズなんかやってみようかな、と思っています。

2010年6月15日火曜日

【告知】本多信介●還暦祭



一夜明けて、本田株は急上昇だろう。いや、もちろん車メーカーじゃなくてさ。ところで、こちらの本多もお忘れなく。

ということで、以前からちらちらほのめかしておりましたが、元・はちみつぱいの本多信介さんと猫町Jiveの共演の話から、どんどん構想膨らみ、御大・中川五郎さんをスペシャルゲストに迎え、「ハマの溜息系」シンガー・有馬忍さん、「センチメンタル・ロッキンフォークカルテット」KURIWATAHASHI、もちろん猫町Jive、その他乱入予定バンドもちらほら、という「お祭り」ライブが実現することになりました。

今年は、本多信介の還暦、加えてライブスペースのNever Never Landの33周年(……僕ら夫婦も33周年)ということもあって、当日はにぎにぎしくも楽しい一夜にできればと思っております。カモン、レッツ・ゲット・トゥゲザー!!!
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Shinsuke HONDA 還暦祭@下北沢 Never Never Land

■日時:7月9日(金)Open:18:00/Start:20:00〜終電時刻まで?
■場所:下北沢 Never Never Land(http://www.shimokita-never.com/
世田谷区北沢3-19-3 2F /Tel. 03-3465-0737
★下北沢駅北口徒歩5分、スタジオNOAH(ノア)正面 ★

■出演者:本多信介(元はちみつぱい)
     有馬忍
     KURIWATAHASHI
     猫町Jive
     中川五郎(Special Guest)
■チャージ¥2000(ドリンク別)

*予約・お問合せは03-3465-0737(Never Never Land)まで。
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金曜日の夜ということもあって、出演者が多いわりには開演時間が遅めということはありますが、当日お店は朝の5時まで営業いたしております。深夜のセッションも可能性大いにあり、です。やや遠方の方は、この際、朝帰り覚悟でライブの参戦はいかがでしょうか。

2010年6月9日水曜日

昼まで「グーグー」だって猫である。


うーむ、いかん。介護帰省から戻って以来、そこそこ早起きを続けていたが、徐々に崩れてきて、今朝は正午少し前の起床と相成る。

早起きは心と身体にいいことを実感し、そして何より一日が長く感じられるのでキープしたいと思っているが、問題は僕の「宵っ張り好き」だ。とことん眠くなるまで起きていたいという性向をなんとかせねば。

でも、今朝の遅起きには理由がある。悲しい思い出に浸ってしまい、明け方まで眠れなくなってしまったからだ。


以前、角川のPR誌「本の旅人」にイラストを連載していたことがあって、それに連載されていたのが大島弓子の「グーグーだって猫である」だった。(現在も連載中かな。なにせ月刊ペースで4頁の連載だから物語の進行は遅い遅い。)

僕のオクさんなんか、送付されてきた「本の旅人」が届くと、僕のイラストなんか見向きもせず、「グーグーだって」を読み始めるのだった。

「グーグーだって猫である」は、すべてに寛容でおっとりした「王子系」アメショー、グーグーを中心に、近所の野良猫を保護し飼い続ける大島弓子(2008年時点で13匹の猫を飼育しているとのこと)が、自身の「猫おばさん」ぶりをエッセイマンガにしたものだ。

角川から単行本が出ていて、僕は4巻まで読んでいたが、最新5巻(http://www.amazon.co.jp/dp/404854473X/ref=pd_sim_b_6)をオクさんが図書館から借りてきていて、ちょっと含みのある言い方で「これ……、読んでみて」と言った。

そのときはさして気にもせず、二、三日ほっぽらかしていたが、昨夜ベッドに就いて、おもむろにその第5巻を読み始めた。

泣いたね。参った。

第5巻には、ラテと名付けた野良子猫を保護し、飼うことを決める話が描かれているが、ある日、ラテがよだれをいっぱい流しているのに気づき、獣医に連れていく下りを読み始めて、僕は「これはもしや?」と思ったのさ。

ラテは獣医には「単なる口内炎」と診断され、抗生物質などを処方されるが、症状は改善されず、口の中が潰瘍状態となり、食べ物を嚥下するのが難しくなってきたことから、大島さんは注射器(針を取ったもの)でペースト状の餌を与えたりするわけです。

ラテが一生懸命、食べ物を嚥下する様を「ラテは”ごっくん”を何度もくりかえし、ごはんを食べた」と大島弓子は書いていて、その「ごっくん」という表現にまた泣けた、泣けた。

「口の中の潰瘍状態は口の外まで広がり、顔の半分がくずれてきた」の一文の下に描かれてあるラテの姿の痛々しいこと。絵の下に「ごはん」と小さく書かれてあるのが、哀れなこと、もう、この辺で号泣したいくらいだったね。

結局、ラテは大島さんの介護空しく、天に召されてしまう。

状況が、僕ら夫婦が飼っていたニンニンの死とほぼ同様だったんだ。ラテの場合は子猫の内に死んでしまったのが、17年生きたニンニンとは違うし、潰瘍ができた部位はニンニンの場合は喉だったことが違うけれど、餌をペースト状にして注射器状のもの(僕らはスポイトを使った)で食べさせたあたりは一緒。だから「ごっくん」の感じがよくわかるんだ。

ともかく、読んでいてニンニンの死の間際のことが次々とフラッシュバックされて、たまらなくなってね。

ニンニンが死んだのは、2004年7月21日、もうすぐ六周忌、あれ以来、ずっと長い間、猫を飼い続けていた僕はあらたな猫を飼えないままなんです。


*この巻は、大島弓子が市役所の職員から苦情(猫が増えすぎていること)を受ける下りがあり、そのときの大島さんの対応について批判的な意見も多く寄せられているようだ。僕は猫好きなので、大島さんの気持ちがとてもよく分かるが、都市部での野良猫の在り方は年々難しくなっている現状も理解できる。去勢、避妊は猫を飼う者の責任として罰則も含めた地域条例を作るべきだとは思う。

*追記:「飼い猫の去勢、避妊の義務化(罰則も含めた地域条例)」については、野良猫のルーツを辿る難しさ(野良猫がまた野良猫を産むわけで)もあるし、地域の中で「猫養護派」と「反対派」の軋轢を生むことになるかもしれない。最近、将棋の加藤一二三さんの「野良猫餌付け」問題も報道されたし、難しいところだなあ。

街中に棲息するノラたちに、猫嫌いの方達も多少は寛容の気持ちで接して欲しいという僕の個人的な気持ちはあります。「猫勝手」な言いぐさだけど。

2010年6月6日日曜日

中川五郎Live@パラダイス本舗 2010_06_05

昨夜は、敬愛する「裸の心を持つ男」中川五郎さんのライブ参戦に繰り出した。ところはお馴染みの中央林間「パラダイス本舗」。

このところ、ライブ活動も精力的に行っている元・はちみつぱいギタリスト、日頃からお慕い申し上げている「気さくでゴキゲンなおっちゃん(でも音楽世界はリリカル&シュール)」本多信介さんをお誘いし、なにやら素敵なことが起こりそうな予感を胸に開演を待った



今日は父の日/六月の第三日曜日/でもこの父に/電話はかかってこない(「父の日」)と訥々と歌い出す五郎さん、かなり惨めな状況を歌っているのに、中川五郎の歌はあくまで柔らかく優しく聞き手の心を包み込む。


「35年前の歌を歌います」と前置きして、「25年目のおっぱい」を歌う中川五郎。柔弱な、まかり間違えばマザコン変態男(五郎さん、すみません)かと思われてしまいそうな歌世界も、中川五郎が歌えば不思議とひたむきな愛の歌として心に伝わる。彼でしか歌えない曲のひとつ。


ははーん、今夜は中川五郎流の「ラブソングの夕べ」になるのかな、と思っていたところに我らが藤田洋介がバッキングに参加。


このところ「復帰」めざましい洋介さんの演奏する姿を見て、僕は嬉しかったな。五郎さんの歌唱もしだいに熱を帯びていく。


と、ここで本多信介が「おーし、三人でやろう!」と言いながらセッションに加わる。僕が密かに期待していた「洋介&信介コンビ」が実現、それは「夕焼け楽団」と「はちみつぱい」の35年の時を経た夢のコラボの一端でもあった。


「洋介&信介」のツインギターが響き渡り、「パラ本磁場空間」はどんどん盛り上がってきた。


と、ここで、客席にいた「濱のため息系」シンガー有馬忍さんがセッションに乱入、「90センチ」で怒濤のボーカルを披露、「しのぶ乱舞」でパラ本の磁場はいよいよ濃密になる。


中川五郎の甲高い「ワン、ツー、スリー、フォー」のかけ声(僕は大好きなんだ、あれが)から始まる「ビッグ・スカイ」へなだれ込み、


磁場が最強モードに達する頃、


遂に出ました! 中川五郎の必殺技「お立ち台パフォーマンス」。


エキサイトの


ピークから、


カタルシスへ。


いやはや、大変に盛り上がったライブでした。

終演後、この日が奇しくも還暦バースデイだった本多信介さん(ハッピー・バースデイ、みんなで歌ったよ)が「五郎ちゃんは、やっぱりロックだね」とひと言。ロックとかフォークとかじゃなく、ロックは心の在り方の問題だからね。

そして、ライブ音楽のもたらす感動はテクニックじゃないな、とあらためて。パフォーマーのオーラと、場のもたらす不思議な「磁場」との理想的な融合を見たように思う。

期待に違わず、というか期待を大きく上回ったライブでございました。おれも頑張らねばな、と思ったんだ。

2010年6月5日土曜日

とりとめもないことをだらだらと6月初旬


このところ、手書きの手紙を書く機会が続いて、今日も比較的長目の手紙を書いた。ワープロやらパソコンやらが登場する前は、僕は手紙をよく書いた方だと思うし、かつては授業で使うプリントもボールペンやサインペンで手書き作成し、コピーして使ったものだ。

多くの人が同様だと思うが、パソコン文書、メール全盛になって久しい昨今、手書きで手紙を書く機会はめっきりなくなって、いざ書こうとすると漢字は出てこないわ、自分の書く字が気に入らないわ、で、便せんの反古の山を作ることになる。

そこで、いつ頃からか、手書きの手紙(というのも妙だな。手紙は本来、手書きなわけで)を書かねばならないときは、いったんテキストソフトに文面を打ち込んでから書くようにしている。「オフィシャル」な手紙の場合だけだけど。

それでも粗忽な僕はよく書き損じをするので、手紙を書くのはパソコン文書を打つ3倍くらいの手間がかかる。何か書きだせばやたら長くなってしまうのも昔から。

お昼過ぎから書き始め、ようやく便せんに5枚ほどの手紙を書き終えたのが日暮れ時、投函を兼ねて、暮れなずむ散歩ロードに繰り出した。iPod経由の散歩BGMはロバート・クラムの「チープスーツ・セレナーダーズ」のノスタルジックな楽曲の数々。

歩いていると蛙の鳴き声が聞こえ、初めは音楽のSEかと思ったが、それは青く育ち始めた稲が植わる水田からリアルに聞こえてくるのだった。水田を見れば夕闇に光る水面に鴨が二羽放たれていた。水田の蛙の声も鴨も今年初めて聞くような、見るような気がする。無農薬、有機農業に切り替えたのかも知れない。

犬の散歩をさせていた娘さんが、糞の始末をていねいに行っているところを見た。今ではそういう行為は飼い主の常識となっているが、昔はそれこそ飼い主すらいないような犬がそこらを歩き、思い思いに用を足していたわけで、「犬の糞オン・ザロード」はごく日常的な光景だった。露骨な障害者差別も昔はあった。

有機農業回帰も犬の糞の始末も差別意識の改善も、今の世の中、悲観的な見方が多いし、だから「昔は良かった」式の語り口が共感されるが、昔と比べて良くなっていることも多々あるのではないか。

そんなことを考えながら歩いていると、iPodから流れてくる音楽の数倍も大きなかけ声と床を踏みならすような音が聞こえ、それは散歩ロード脇にある中学校の体育館から聞こえてきて、なんだなんだと思って音のする方に目をやれば、開け放した体育館の中では剣道部員の立ち会い稽古が行われているのだった。

前を歩いていた小柄な年配のおじさんが、振り向いて僕に話しかけてきたようなので、ヘッドホンを外せば、「すごいね、元気だね」と体育館内の様子を指して、おじさんは言った。

「ああ、若者は元気いっぱいでいいですね」と答えたら、僕と並んで話し始め、「いやね、この近くの姪の家に行って帰るとき、道に迷って、ここまで来れば分かるだろうとこの遊歩道まで来たんですよ」と。

遊歩道(僕の言うところの「散歩ロード」)は川沿いに北は町田、南は藤沢まで繋がっているから、相当な方向音痴の僕でもさすがに迷うことはない。

「それでね、私は鶴間なんだが、このまま歩いて帰ろうと思って」(話しているロケーションは大和、一駅分をおじさんは歩いて帰るつもり)とおじさんは言い、それから自分の健脚自慢(その遊歩道を町田まで歩いて行ったこともたびたびあるそうだった)や、若い頃は陸上の選手だったことや、身長が中学生くらいのときから止まってしまって残念だったことや、母方の親類はみな背が高いのに、自分は父方の方に似て身長が伸びなかったことを並列して歩きながら僕に説明した。

70代の半ばくらいのおじさんは饒舌で足取りも軽く、確かに健脚であった。僕がUターン場所に決めている橋の手前で、「僕はここで、Uターンしますから、お気をつけて」と言うと、「ああ、そう、いやね、この近くの姪の家に行って帰るとき、道に迷ってね」とまた同じ事を僕に言うのであった。

帰る頃にはとっぷりと日が暮れて、川沿いの野球場には照明が灯り、野球青年たちが懸命にボールを追っていた。おれはそこそこ幸せな老後を送るような気がする、となんとなくそのとき思ったのだ。

2010年6月3日木曜日

学級委員辞任願いの思い出


小6の時、ヘタレ学級委員だった僕はクラスをまとめきれず、それなりに悩んで、担任のヨシダ・アイコ先生に「学級委員を辞めたい」と申し立てたことがある。「みんなが僕の言うことを聞かんけえ」というのが「辞任願い」の主な理由だった。

自習のときや掃除の時間、騒いだりする子がいれば「○○君、静かにして下さい」とか、ケンカとか始まると「○○君も○○君もケンカやめんか!」とか言うのが学級委員の務めだと思い、実践しようと努力したように思うが、もとよりリーダーシップに欠けるところがあって、僕の注意や指示をまともに聞く子はあまりいなかった。

HRのとき、ヨシダ先生はみんなに僕が学級委員を辞めたいと思っていることを告げ、意見を求めた。普段はニコニコしているヨシダアイコ先生が怖い顔をしていた。ちょっと弱気になって甘えるつもりで先生に言ったのにコトが大きくなってしまって、僕は内心、先生に弱音を吐いたことを後悔した。

クラスのみんなはシーンとして、しばらく誰も口を開こうとしなかったが、仲の良かった友達のシラサワ君が「セイちゃん(僕のこと)、やめんでもええ!」と大きな声で言って、「ワー」と泣き出した。

僕もシラサワ君の友情に感激して泣いた。すると、つられてクラスのみんなが泣き出した。クラスはなんだかわけのわからない状況になったが、ヨシダ先生は相変わらず怖い顔をして「みんな、協力せんといけんよ」と言った。

しばらく、クラスのみんなは「静かにせーや!」という僕の注意を聞いてくれたが、すぐにそのうち僕の言う言葉は軽んじられて元通りになったように思うが、その学期はとりあえず学級委員をやったかな。

このことは今でもよく覚えている。以来、僕は組織、グループのリーダーになるのは苦手だ。ヘタレ加減が僕と似ているハトヤマさんにちょっと同情する気持ちもある。まだ「やめんでもええ」と思っていた。選挙をやって後、進退を考えるべきだったと。まあ、いずれにせよ、器ではない、ということを僕のように早くに自覚していれば良かったのに、とは思う。