2010年11月24日水曜日

深町純さんと僕のファーストアルバム

深町純さんが亡くなられたことを知った。
http://mainichi.jp/select/person/news/20101124k0000m060060000c.html

僕は20代のはじめ、西も東もわからないうちに、ひょんなことで「メジャーレコードデビュー」をしてしまったという経歴がある。が、出したレコードはさっぱり売れず、足かけ4年程度の「フォーク歌手時代」はまったく報われることもなく、下手にレコードなど出したために、その後長きにわたって音楽をやることが素直に楽しめないという体質になってしまったのだった。

特にファーストアルバムの制作過程は、スタジオに呼ばれてわけもわからないうちに進行して、ギター一本で作った素朴な僕の曲が、当時の日本では先端的なポップ・ミュージックに変容していく様をかなりの違和感(とシンプルな驚き)を持って、スタジオの片隅で見つめるだけでありました。

深町純さんは、当時のディレクター人脈からレコーディングをお願いしたいきさつがあったと思うが、僕のファーストのほぼ全曲にわたってピアノやキーボードで参加してくれ、当時はめちゃくちゃシャイというか、屈折していた名も知れぬ若者であった僕に、いつもニコニコと微笑んで挨拶してくれたように記憶する。

あるセッションで、僕が居並ぶ(今思えば錚々たる)スタジオミュージシャンの前で、勇気百倍出して「あの、キーをあげて欲しいんですが」と頼んだことがある。Eのキーのブルース調の曲をF#にあげて欲しいと恐れ多くも頼んだのだ。その時、アレンジを担当した高中正義が深町さんに「すみません、F#でお願いします」とけっこう気を遣った口調で深町さんに言った。たぶん、深町さんに手渡されていた譜面はEキーで書かれていたと思う。

深町さんは「うーん、F#かあ」と苦笑いしながら、物の見事にワンテイクで2度上がった曲を一つのミストーンもなく演奏した。「これが、いわゆるプロミュージシャンか」と西も東もわからないアマチュアに毛が生えたくらいの僕は、けっこう感心したものだ。だから、僕にとっては深町さんは「ザ・プロミュージシャン」という印象が強い。

37年前のファーストアルバムのレコーディング以来、深町さんとは関わりを持つ機会もなく、ただただ長い時が過ぎていったが、僕のファーストアルバムには「あの深町純が参加しているんだよ」と友人たちに自慢げに語ることはあった。


最近、YouTubeでどこかの奇特なお方が、僕のファーストからの数曲をアップしていることを知った。ちょっとこそばゆくてコメントを残すようなことはしなかったが、あの時代の音楽シーンにかなり詳しい人でも、その存在を知らないくらいマイナーな僕の曲を取り上げてくれたことには素直に嬉しく思った。

僕自身はあのアルバムは自分に似つかわしくないように思っていたので、ずっと封印していたようなところがあったが、こうして聴いてみると、未熟だけど初々しく若い自分がそこに見えるようで、ただただ懐かしい記憶がよみがえる。(まだ声変わりが完了してなかったような歌声だわい……)


↓この曲では当時としては最先端キーボード「クラビネット」を深町さんが弾いている。


↓この曲では、当時日本に2台とか3台とかしかなかったと言われていた「メロトロン」を。


↓この曲では、エレピを。


たぶん、深町純さんが残したレコード音源の中でも相当レアな部類に入るということだけは自慢できるかな。深町さんのご冥福をお祈りします。

*歌の声、レコードの回転数をやや高くしたように聞こえますが、当時まだ声変わりが完了してなかったような……。

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