2010年6月9日水曜日

昼まで「グーグー」だって猫である。


うーむ、いかん。介護帰省から戻って以来、そこそこ早起きを続けていたが、徐々に崩れてきて、今朝は正午少し前の起床と相成る。

早起きは心と身体にいいことを実感し、そして何より一日が長く感じられるのでキープしたいと思っているが、問題は僕の「宵っ張り好き」だ。とことん眠くなるまで起きていたいという性向をなんとかせねば。

でも、今朝の遅起きには理由がある。悲しい思い出に浸ってしまい、明け方まで眠れなくなってしまったからだ。


以前、角川のPR誌「本の旅人」にイラストを連載していたことがあって、それに連載されていたのが大島弓子の「グーグーだって猫である」だった。(現在も連載中かな。なにせ月刊ペースで4頁の連載だから物語の進行は遅い遅い。)

僕のオクさんなんか、送付されてきた「本の旅人」が届くと、僕のイラストなんか見向きもせず、「グーグーだって」を読み始めるのだった。

「グーグーだって猫である」は、すべてに寛容でおっとりした「王子系」アメショー、グーグーを中心に、近所の野良猫を保護し飼い続ける大島弓子(2008年時点で13匹の猫を飼育しているとのこと)が、自身の「猫おばさん」ぶりをエッセイマンガにしたものだ。

角川から単行本が出ていて、僕は4巻まで読んでいたが、最新5巻(http://www.amazon.co.jp/dp/404854473X/ref=pd_sim_b_6)をオクさんが図書館から借りてきていて、ちょっと含みのある言い方で「これ……、読んでみて」と言った。

そのときはさして気にもせず、二、三日ほっぽらかしていたが、昨夜ベッドに就いて、おもむろにその第5巻を読み始めた。

泣いたね。参った。

第5巻には、ラテと名付けた野良子猫を保護し、飼うことを決める話が描かれているが、ある日、ラテがよだれをいっぱい流しているのに気づき、獣医に連れていく下りを読み始めて、僕は「これはもしや?」と思ったのさ。

ラテは獣医には「単なる口内炎」と診断され、抗生物質などを処方されるが、症状は改善されず、口の中が潰瘍状態となり、食べ物を嚥下するのが難しくなってきたことから、大島さんは注射器(針を取ったもの)でペースト状の餌を与えたりするわけです。

ラテが一生懸命、食べ物を嚥下する様を「ラテは”ごっくん”を何度もくりかえし、ごはんを食べた」と大島弓子は書いていて、その「ごっくん」という表現にまた泣けた、泣けた。

「口の中の潰瘍状態は口の外まで広がり、顔の半分がくずれてきた」の一文の下に描かれてあるラテの姿の痛々しいこと。絵の下に「ごはん」と小さく書かれてあるのが、哀れなこと、もう、この辺で号泣したいくらいだったね。

結局、ラテは大島さんの介護空しく、天に召されてしまう。

状況が、僕ら夫婦が飼っていたニンニンの死とほぼ同様だったんだ。ラテの場合は子猫の内に死んでしまったのが、17年生きたニンニンとは違うし、潰瘍ができた部位はニンニンの場合は喉だったことが違うけれど、餌をペースト状にして注射器状のもの(僕らはスポイトを使った)で食べさせたあたりは一緒。だから「ごっくん」の感じがよくわかるんだ。

ともかく、読んでいてニンニンの死の間際のことが次々とフラッシュバックされて、たまらなくなってね。

ニンニンが死んだのは、2004年7月21日、もうすぐ六周忌、あれ以来、ずっと長い間、猫を飼い続けていた僕はあらたな猫を飼えないままなんです。


*この巻は、大島弓子が市役所の職員から苦情(猫が増えすぎていること)を受ける下りがあり、そのときの大島さんの対応について批判的な意見も多く寄せられているようだ。僕は猫好きなので、大島さんの気持ちがとてもよく分かるが、都市部での野良猫の在り方は年々難しくなっている現状も理解できる。去勢、避妊は猫を飼う者の責任として罰則も含めた地域条例を作るべきだとは思う。

*追記:「飼い猫の去勢、避妊の義務化(罰則も含めた地域条例)」については、野良猫のルーツを辿る難しさ(野良猫がまた野良猫を産むわけで)もあるし、地域の中で「猫養護派」と「反対派」の軋轢を生むことになるかもしれない。最近、将棋の加藤一二三さんの「野良猫餌付け」問題も報道されたし、難しいところだなあ。

街中に棲息するノラたちに、猫嫌いの方達も多少は寛容の気持ちで接して欲しいという僕の個人的な気持ちはあります。「猫勝手」な言いぐさだけど。

2 件のコメント:

may-mama さんのコメント...

まったく同感です。自然界の中で人間なんてちっぽけな存在に過ぎません。みんなもっと優しく生き物【植物も含め】に接して欲しい。猫嫌いな人は、ノラチャンの自由奔放な姿に、きっと嫉妬しているのでしょう。

とても感動的な日記でした。

本田さんから紹介されて読ませて頂きました。

山下セイジ/山下成司 さんのコメント...

may-mamaさん、こんにちは。

最近、「地域猫」という野良猫と人間の共生を理念とした活動(地域の人たちが餌やりをしながら、去勢・避妊手術などをお金を出し合って行い、糞の始末、掃除などもする、というもの)もあって、関わっている人の話を聞くこともあるけど、これはこれで反対派との溝を深める行為になるようです。

「去勢・避妊は飼い主としての責任」と僕は書いたけど、生物としての最も基本的な能力を人間の都合で奪うわけですから、本来、そんなにさらっと言えるようなことではないですよね。

僕は動物好きというか、とにかく猫が好きなわけで、同じように蛙が大好きな人もいるでしょう(そんなにいないか)。それで蛙マニアの隣人が飼っている蛙が僕の家のドアの前にやってきたら、やっぱり嫌だなあ、と思うわけで、難しいですよねえ、こういう問題は。

「共生」という考え方は、例えば障害者問題でも多く語られるテーマですが、肝心なのはやっぱり寛容の気持ちだと思います。糾弾する方が先進的だと考える人が多くなってきたのかなあ。今の時代、欠けてると思います、寛容の精神。猫の糞くらいたいしたことないって、僕は思うんですよ。でも、その猫の糞の先に身勝手な人間の所業が透けて見えるから、腹が立つんです。人はね。