2010年6月5日土曜日

とりとめもないことをだらだらと6月初旬


このところ、手書きの手紙を書く機会が続いて、今日も比較的長目の手紙を書いた。ワープロやらパソコンやらが登場する前は、僕は手紙をよく書いた方だと思うし、かつては授業で使うプリントもボールペンやサインペンで手書き作成し、コピーして使ったものだ。

多くの人が同様だと思うが、パソコン文書、メール全盛になって久しい昨今、手書きで手紙を書く機会はめっきりなくなって、いざ書こうとすると漢字は出てこないわ、自分の書く字が気に入らないわ、で、便せんの反古の山を作ることになる。

そこで、いつ頃からか、手書きの手紙(というのも妙だな。手紙は本来、手書きなわけで)を書かねばならないときは、いったんテキストソフトに文面を打ち込んでから書くようにしている。「オフィシャル」な手紙の場合だけだけど。

それでも粗忽な僕はよく書き損じをするので、手紙を書くのはパソコン文書を打つ3倍くらいの手間がかかる。何か書きだせばやたら長くなってしまうのも昔から。

お昼過ぎから書き始め、ようやく便せんに5枚ほどの手紙を書き終えたのが日暮れ時、投函を兼ねて、暮れなずむ散歩ロードに繰り出した。iPod経由の散歩BGMはロバート・クラムの「チープスーツ・セレナーダーズ」のノスタルジックな楽曲の数々。

歩いていると蛙の鳴き声が聞こえ、初めは音楽のSEかと思ったが、それは青く育ち始めた稲が植わる水田からリアルに聞こえてくるのだった。水田を見れば夕闇に光る水面に鴨が二羽放たれていた。水田の蛙の声も鴨も今年初めて聞くような、見るような気がする。無農薬、有機農業に切り替えたのかも知れない。

犬の散歩をさせていた娘さんが、糞の始末をていねいに行っているところを見た。今ではそういう行為は飼い主の常識となっているが、昔はそれこそ飼い主すらいないような犬がそこらを歩き、思い思いに用を足していたわけで、「犬の糞オン・ザロード」はごく日常的な光景だった。露骨な障害者差別も昔はあった。

有機農業回帰も犬の糞の始末も差別意識の改善も、今の世の中、悲観的な見方が多いし、だから「昔は良かった」式の語り口が共感されるが、昔と比べて良くなっていることも多々あるのではないか。

そんなことを考えながら歩いていると、iPodから流れてくる音楽の数倍も大きなかけ声と床を踏みならすような音が聞こえ、それは散歩ロード脇にある中学校の体育館から聞こえてきて、なんだなんだと思って音のする方に目をやれば、開け放した体育館の中では剣道部員の立ち会い稽古が行われているのだった。

前を歩いていた小柄な年配のおじさんが、振り向いて僕に話しかけてきたようなので、ヘッドホンを外せば、「すごいね、元気だね」と体育館内の様子を指して、おじさんは言った。

「ああ、若者は元気いっぱいでいいですね」と答えたら、僕と並んで話し始め、「いやね、この近くの姪の家に行って帰るとき、道に迷って、ここまで来れば分かるだろうとこの遊歩道まで来たんですよ」と。

遊歩道(僕の言うところの「散歩ロード」)は川沿いに北は町田、南は藤沢まで繋がっているから、相当な方向音痴の僕でもさすがに迷うことはない。

「それでね、私は鶴間なんだが、このまま歩いて帰ろうと思って」(話しているロケーションは大和、一駅分をおじさんは歩いて帰るつもり)とおじさんは言い、それから自分の健脚自慢(その遊歩道を町田まで歩いて行ったこともたびたびあるそうだった)や、若い頃は陸上の選手だったことや、身長が中学生くらいのときから止まってしまって残念だったことや、母方の親類はみな背が高いのに、自分は父方の方に似て身長が伸びなかったことを並列して歩きながら僕に説明した。

70代の半ばくらいのおじさんは饒舌で足取りも軽く、確かに健脚であった。僕がUターン場所に決めている橋の手前で、「僕はここで、Uターンしますから、お気をつけて」と言うと、「ああ、そう、いやね、この近くの姪の家に行って帰るとき、道に迷ってね」とまた同じ事を僕に言うのであった。

帰る頃にはとっぷりと日が暮れて、川沿いの野球場には照明が灯り、野球青年たちが懸命にボールを追っていた。おれはそこそこ幸せな老後を送るような気がする、となんとなくそのとき思ったのだ。

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