2010年5月29日土曜日

When She Was Just Seventeen



入院中の母に見せたいものがあって、それはまだちゃんと見せていなかった母の古い写真の数々だった。30数年前、結婚した頃、オクさんと一緒に帰省したときの写真や、それから何度か帰省したときの母を写した写真、父と母が何度か上京したときの写真、6年ほど前の母が欝病に罹る直前に帰省したときの写真(まだ笑顔に溢れた表情の)などだ。

今回の帰省前、それらに、昨年の父の米寿祝いのときの写真や僕の最近の写真を加え、リプリントし、ベッド脇に置いておけるような写真額ファイルに収めた。心も身体も元気だった頃の母の姿を見せることによって、少しでも母の気持ちを明るくすることができるかもしれない、と思ったのだ。

母を病院に訪ねた一日目、その写真額ファイルを母に見せつつ、「これは花祭りのとき、これは墓参りのとき、覚えとるかね?」などと聞いたが、母は「あまり覚えとらん」とさしたる感慨もなさそうにぼんやりと、それでも一枚一枚じっくりと写真を眺めていた。

写真の中に若い姿の僕のオクさんや兄嫁や伯母などがあると「これは誰?」と聞くので、「伯母さんやないの、母ちゃんのお姉さん、忘れたの?」と言えば、悲しげな表情で「忘れた」と。

さすがに自分や父の姿を見て「これは誰?」とは言わなかったが、古い記憶も怪しくなっていることを知り、また、それらの写真を見せても、さして母の表情が変わらなかったことに僕はちょっとがっかりした。


帰省二日目の夜、父とその話をしながら、もっと古い写真はないのかを父に訊ねた。随分昔に、僕の幼い頃の写真は何枚か持ち帰り、手元にあるのだが、父や母の若い頃の写真を子ども時分に見た記憶がある。しかしそれはおぼろげな記憶であり、もう一度それらの写真を見たくなったのだ。

父は「ケアハウスの部屋にはないが、実家にまだあるだろう」と言った。ケアハウスからバスで20分ほどにある実家は、父と母がケアハウスに入居した5年ほど前から空き家になっていて、まだ多くの家財道具や荷物類を残したままの状態だ。僕は子どもの頃に見た記憶のある母の若い頃の写真を探すため、翌日の午前中、実家に向かった。

実家は、僕が中学のとき建った築40年以上の古い家だが、まだまだ家屋自体はしっかりしており、父が時折来ては細かい修理などをさせているようで、家主が去った後も朽ちた感じはない。ただ、上がり込めば、そこは時間が止まった空間で、上京以来あまり帰省することがなかった僕にとっては、中学から高校にかけての思い出がよみがえる場所だ。

古いアルバムを保管している場所をはっきりと思い出せなかった父だったが、僕は場所に心当たりがあり、母や父の若い頃の写真を収めたアルバムはすぐに見つかった。母の幼い頃、小学校、女学生の頃の写真や、父の子どもの頃、学生時代の写真、父と母の結婚写真、祖父母の結婚写真まで見ることになった。母と幼い僕を写した写真もけっこうあり、その内の何枚かは初めて見るようなものだった。

これこそ、今の母に見せるべき写真だと思い、その家族の最も古い写真を収めたアルバムを抜き取り、その日の午後、母の入院する病院まで持っていき、それを母に見せたのだった。おそらく母も長い間、それらの写真を見ていないと思われた。

最初に父と母の結婚写真を見せたとき、母の表情が穏やかに緩んだ。「ああ、これはT川(母の生家)の家よ。この写真を撮る前にようけ泣いた」と母は言った。「結婚するのが悲しかったんかね」と聞けば「そうやったようやね」と母は頷いた。言われてみれば角隠しを被った母の目はやや腫れぼったいように思えた。

それから母は、アルバムをめくりながら、4歳か5歳くらいの母のそばに立つ男の子を「この子は幼なじみの子」と言い、小学校のクラス写真の中の母をすぐに言い当てた。母の生家の庭に佇む若い母を写した写真の後にいる猫を指して「これは飼っていた猫、猫が好きやった」などと僕が促す前に語り出した。

「これは結婚する前に行った洋裁学校の仲間と一緒に写った写真」、「これはあんたが幼稚園のときの写真やね、あんたはここにおる」、などと言いながら、「これ、可愛い」と僕が5歳くらいの、デパートの食堂かどこかで、ストローでジュースを飲んでいる写真を指して少し微笑んで言った。

父の髪がまだふさふさとあった時代(父は若禿げ傾向のあった人)の写真を見せるとき、「僕は父ちゃんの髪がこんなにある姿を初めて見たかもしれん」と言うと、母はかすかに声を上げて笑った。祖父母の結婚写真(これは僕は初めて見た)を「これはええねえ」と微笑んで言った。

少し驚いたのは、僕が小学校の頃の友人と写った写真があって、その友人の名前を僕自身がよく覚えていなかったのを「これ、○○君やろ?」と母の方が言い当てたことだった。「そうそう、○○君や。よお覚えちょったねえ!」と僕は言ったものだ。半世紀以上も前の記憶の方が今の母にとっては鮮明になっているのだ。

古い写真を見ている間、母は少し饒舌になり、穏やかな表情をたくさん見せた。僕の心も少し救われた。僕は父にことわった上、そのアルバムを持ち帰り、一枚一枚スキャナーにかけ、退色や汚れ、キズをフォトショップで修正し、デジタル画像を作成した。僕がこの世界に存在する少し前の、遠いセピア色の時代の若い母に会ってみたいというおとぎ話を思う。


*アップ画像の写真の裏には青いインクで「チュン子、十七歳」と書かれてあった。母は1924年生まれだから、この写真が撮られたのは1941年、太平洋戦争勃発の年になる。「チュン子」というのは母の女学生時代のあだ名であろう。

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