2010年2月4日木曜日

「生活の柄」と「山谷ブルース」の差違


昨夜10時半からNHK教育で高田渡についての番組を見た。オクさんが「高田渡があるよ」ということで。(以下、番組情報ウェブから)
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NHK教育「知る楽」というシリーズの「こだわり人物伝」 水曜日
タイトル孤高のフォークシンガー 高田渡(全4回)

第1回 民衆の心を歌に 原点は少年時代ーー2月3日(本放送)  2月10日(再放送)
第2回 “日本語フォーク”の先駆者ーーーーー2月10日(本放送) 2月17日(再放送)
第3回 反骨人生 時代に背を向けてーーーー2月17日(本放送) 2月24日(再放送)
第4回 絶頂期の死 受け継がれる歌ーーーー2月24日(本放送) 3月3日(再放送)

語り手:フォークシンガー・なぎら健壱
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第1回目であった昨夜は、「日本最初のライブハウス」京都拾得で「渡フォロワー」の若い世代のシンガーが高田渡のカバーをやっている映像から番組が始まり、デビュー時の時代背景、晩年のライブ映像などを絡めながら、家業が破綻し、岐阜から東京深川の「日雇い人夫」用の住居に父親、子ども三人で移り住むという高田渡の生い立ちに触れた。

このあたりは僕もイラストで関わった「高田渡読本」で知っていたが、高田渡の二人のお兄さんにインタビューしたとき、彼の幼い頃の写真が紹介され、成年の高田渡とは面影もない坊ちゃん坊ちゃんしていたのが面白かった。

なぎら健壱の語りは、同業者故、意外性がなく、音楽関係者より文化人が語る高田渡の方がおもしろい言い方をするかもしれない、やはり亡くなってしまった筑紫哲也あたりだったらもう少し面白かったかも知れない、と思った。

「生活の柄」は深川での「赤貧少年時代」に関わった「貧しいが実直な底辺に生きる人々」へのシンパシーががあったからこそ生まれた歌だと番組では説いていたが、僕もそう思う。

70年代中期頃、中村とうようが高田渡を「四畳半フォーク」(とうよう氏が忌み嫌う)の代表のように語り、今となれば子供じみた論争を吹きかけたが、今、中村とうようは高田渡をどう評価しているのだろうか、と思った。

で、見終わってすぐ、「今度はNHK総合で岡林をやってるよ」とオクさんが言うので、11時からNHK総合にチャンネルを合わせた。「SONGS」という番組。(以下、番組情報ウェブから)
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1月20日に美空ひばり楽曲のカバーアルバム「レクイエム〜我が心の美空ひばり〜」をリリースし、美空ひばりからの手紙をもとに作った新曲「レクイエム -麦畑のひばり-」を発表した岡林信康。今回の「SONGS」では岡林とひばりの交流を描きながら、数々の名曲を生み出したフォークの神様の今に迫る。

さらに番組では山下洋輔らとセッションで「山谷ブルース」「悲しき口笛」「レクイエム -麦畑のひばり-」といった楽曲を披露。フォークファンにとっては見逃せない貴重な30分となりそうだ。
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こちらも似たような、岡林信康のデビュー時の時代背景、野音でのハッピーエンドをバックに従えた「私達の望むものは」のライブ映像などを絡めながら、70年代に入ってからの「沈黙」の理由、美空ひばりとの交遊などについての本人へのインタビュー映像、山下洋輔を迎えてスタジオでのライブなどの構成だった。

岡林信康については、「私達の望むものは」は少年心になんだかカッコいいなと思ったし、「友よ」はフォークギターを弾き始めたころに覚えた歌のひとつだった。東京の大学に入り、帰省していた兄がそれを聞いて「何もわからんくせに歌うな」と文句を言われ、とても嫌な思いをしたことを覚えている。

72年ころの晴海埠頭の倉庫内で行われたコンサートで岡林とハッピーエンドの演奏を見たときも単純にカッコいいなと思った。

「沈黙」後は、「やっぱり演歌がいいね」なんて発言している岡林を知って、それまでロックだフォークだと言っていた団塊のお兄さんあたりが、「やっぱり日本人には演歌だね」という物言いに僕は馴染めず、「そのうち、演歌の良さがわかるよ」なんて言われもしたが、この歳になっても「演歌がいい」なんて思ったことはない。

以後、「エンヤトット」時代とかあったようだが、そういう岡林にはまったく興味がなく、最近、新聞で美空ひばりの詞に曲を付けてCDを出し、新たに活動をしていることを知って、この番組を見たわけです。

番組で「『山谷ブルース』はあらためていい曲だと思った」と岡林自身が語り、山下洋輔のピアノをバックにブルージーなジャズ風にアレンジされたそれを聞いたが、とても違和感を感じた。まあ、すごくつまらなかった。岡林の声があんなにバイブレーションのない、「色つやのない」声だったのかと再認識した。山下洋輔の伴奏が彼の歌にはもったいなく聞こえた。

ほぼ同時期にデビューした日本のフォークの「神様」と仰がれた人と「伝説」と語られた人が生み出した「山谷ブルース」と「生活の柄」、どちらも「底辺に生きる人」を歌った歌だが、この2つの曲の差違は何だろう。「山谷ブルース」は結局アジア辺境の「演歌」で、「生活の柄」はもっとグローバルなトラッド・フォークがルーツにあるように思える。「山谷ブルース」には湿った哀切だけで希望がまるでないが、「生活の柄」にはどん底を突き抜けた自由な希望が感じられる。

ハンバートハンバートは軽やかに「生活の柄」をカバーするが、「山谷ブルース」のフォロワーは少なくとも若い世代には現れないように思う。

なんだか、立て続けに高田渡と岡林という日本のフォークのアイコンのような人物の番組をたまたま見たことで、思うところあって、書きだしたら長くなってしまった。つまり、僕は演歌が嫌い、という結論なのであった。

2 件のコメント:

梓史郎 さんのコメント...

「山谷ブルース」でフォークに目覚めた私ですが、そのあとは高田渡がもっとも好きなシンガーとして今にいたっています。
 ある時期から「山谷ブルース」を歌うとき、何かしっくりこないものを感じていました。それが次の文章でこれまで胸につかえていたものがとれたような気がします。
 「『山谷ブルース』には湿った哀切だけで希望がまるでないが、『生活の柄』にはどん底を突き抜けた自由な希望が感じられる。」
 また、読ませていただきます。 ありがとうございました。

山下セイジ/山下成司 さんのコメント...

梓史郎さん、こんにちは。
以前、「高田渡読本』という本の表紙絵を描きました。
http://www.amazon.co.jp/dp/4861710251/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1345799075&sr=8-1
やや暗い印象の絵であまり評判は良くなかったのですが、彼の心の奥底にある孤高で無頼な感覚を表したかったのです。

今思えば、彼はもっと突き抜けたシンプルな
明るい人だったのではと思います。もう少し明るく描くべきだったと少し後悔しています。