2009年7月31日金曜日

ハーレムナイツvol.8@横浜ランドマークホール


オクさんが新聞の懸賞でチケットを当てた(でかした! 糟糠の妻)ので、昨日は二人で「ハーレムナイツvol.8」なるライブ公演を見に、横浜ランドマークホールへ。

ハーレムナイツとは、NYのハーレムのライブをイメージして、各席でソウルフードを食べつつ、ビールなど飲みつつ、ライブを楽しむという、なんというか、”ザッツ・ブラック・エンターテインメント”パッケージ・ショー、なのであった。
http://harlemnights.jp/

熟達プロ軍団ソウルバンドの演奏が始まるやいなや、ステージ左方のライトアップされた紙箱を蹴破って現れたのが、いなせなあんちゃんルックスのタップダンサーで、これでもかの派手なパフォーマンス、それが終われば黒いバービー人形のようないでたちのキュートな歌姫登場、二部に入るとカーティス・メイフィールド・ルックスのおじさんが、ソウルフルにまあ歌い上げること、歌い上げること、続いてJBが乗り移ったような豆タンクのようながたいのお兄さんが100パーセント計算されたR&Bシャウト系パフォーマンスで会場を盛り上げること盛り上げること。それはそれは見事なエンターテインメントでありました。

うん、楽しめたんだけど、僕にはさしたるものは残らないだろうな、音楽的な意味合いにおいて。

音楽って一口に言っても、けっこう棲み分けというのものがあって、こういう「ザッツ・エンターテインメント」は、僕にとってあまり居心地がいい場所ではないなあ、と思ったのでした。

でも、それなりに凄かったよ。それ以上でもそれ以下でもない凄さ、ってことだけど。

タップのあんちゃん


画像:撮影禁止だったので「ソウルフード」の写真を。バーベキュー・ポークとバッファロー・ウィングとジャンバラヤ

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2009年7月26日日曜日

中川五郎バースデイ・ライブ@ ラ・カーニャ


昨日は、中川五郎バースデイ・ライブat ラ・カーニャ『華の中の一』と題したライブを見に下北沢ラ・カーニャに。

『華の中の一』というのは、ライブのはじめに五郎さんが説明していたけれど、「華」という字は六つの「十」とひとつの「一」でできていると。昨日は、彼の60歳の誕生日なので、六つの「十」となるのだが、そこでまた「一」から始めたい、新たな一歩を踏み出したいという気持ちで臨んだライブ、だということだった。

開演迫る頃には満席。ベテランから新進まで世代の違うサポートメンバーに囲まれ、たっぷり2ステージを彼はしなやかにこなした。そして終始会場は穏やかな熱気に包まれていた。「穏やかな熱気」というのはやや矛盾した言い方だけど、中川五郎その人が「穏やかな熱気を孕む人」なので、そういう雰囲気だったのだ。

ピースフル、ジェントルにしてホットでエキサイティングという二律背反はステージングにも現れていて、柔らかで優しく内省的なトーンの歌語りがあるかと思えば、甲高い声での「ワン・トゥー・スリー・フォー!」から始まるテンション全開パフォーマンスが続く。そのどちらもが現在の(還暦を迎えた)中川五郎であって、びた一文「はったり」のないステージングに、僕はいたく感銘した。

今月15日にあった有馬忍さんのCD発売記念コンサート(@横浜サムズアップ)でゲストとして登場した中川五郎を見て、マジでぐっときて、「すごいじゃないか、熱いじゃないか、いいな!いいよ!中川五郎!」と一緒にステージを見たウチのオクさん、我がバンドメンバーであるよっちゃことフジタ・ヨシコと席で盛り上がったのだった。

そのとき、よっちゃが僕を五郎さんに紹介してくれ(彼女は以前、五郎さんと対バンステージがあったらしく顔見知りだった)、少しだったがお話しをさせていただいた。なんと、彼は30年以上前に出した僕のアルバム(見事に売れなかった)のことを覚えていて、リップサービスだとしても「好きでした。けっこう聴いてましたよ」と人なつっこい笑みをたたえながら言ってくれたのでした。

そんな個人的な彼からの嬉しい言葉もあって、昨日のライブは「行かいでか!」と小鼻膨らませながら参戦したのだった。期待が大きいと往々にして期待が裏切られる場合があるが、昨日のライブは裏切られるどころか、彼の歌世界に思い切り抱きしめられたようで(優しく、しかし熱く)、今日は起きてからずっと中川五郎のことを考えていて、それはちょっと恋をした感じに似ているのだった。ああ、恥ずかしい。

彼の歌はとびきりインパクトがあるわけでもなく、演奏テクニックに圧倒されるわけでもないのだけど、この強力な歌の包容力はいったいなんだろう、と考えていたのでした。外連見というのがまったくない、というのがポイントだなあ、と思った。そこが「優しげで熱い」パワーに繋がるのだと。

演奏がはねて、帰り際ひと言二言声をかけ、握手してもらい、ラ・カーニャを出た。いろいろお話しをさせていただきたいと思っていたのだが、そこは恋をしてしまった手前、僕は急にシャイになってろくに話もできなかった。

多くの彼のファンが、彼のようになりたい、彼のように年を重ねたい、と願っているのではないか。僕もそのひとりになったようだ。後輩の僕が生意気な言い方をするようだが、「可愛い人だなあ」と自然に微笑んでしまうようなお人柄、パフォーマンスでありました。

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2009年7月21日火曜日

京急「青むし」駅


京浜急行の「青むし」という駅に降り立った。「青むし」という駅名は今まで聞き覚えがなかったが、改札口の上に掛かる駅名表示を確認したら、白と水色のツートンカラーの見覚えのある京急の駅名表示板に紺色斜体の文字で「青むし」とあるので、ああここは「青むし」か、と。

品川の手前の駅だろうと思いながら、改札口を出てなだらかな下り坂になっている狭い駅前通りをしばらく歩きながら、自分がなぜ「青むし」で降り立ったのか、思い出せず、このところ物忘れが顕著になってきたが、さすがにこれはマジにやばいなあ、と夢の中でも焦った。

「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせながら、T字路の手前で立ち止まり、かつてガッコウのあった金沢文庫に行こうとして横浜から上り下りを間違えて京浜急行に乗ったのではないかと推測した。でも、金沢文庫に行かねばならぬ理由も思い出せず、結局なぜ自分が「青むし」にいるのかはわからなかった。

気がついたら、自分はアイロン台のような布貼りの板を小脇に抱えていて、さらにクリーニング屋から戻ってきたようなビニール袋に入った黒の詰め襟学生服をぶら下げていた。なぜ、そのようなものを所持しているのかもさっぱりわからず、途方にくれた。

とりあえず、家に帰ろうと今来た道を戻り、駅に向かったが、眼前にプラットホームは見えるのだが、改札口がなくなっており、さっき改札口があったところはコンクリートで封印され、祠のようなものが置かれていた。

やや、困ったなと思いながら駅周辺をぐるぐる回ってみたが、どこにも改札口らしきものが見あたらない。そのうち、自分はどこに帰ろうとしているのかもわからなくなって、心理学で言う「ゲシュタルト崩壊」のような状態に陥り、叫び声を上げたところで目が覚めた。


さきほどまで、うたた寝をしていて見た夢。夢で不条理なことがあって、たまらず叫び(本当にでかい声で叫ぶのです)、自分の叫び声にビックリして目を覚ます、というパターンは昔からあり、それは自分の心の状態があまり良くないとき。素直な性格なので(自分で言うか)、そういうのがすぐに夢などに現れる。


先週は浮かれる事多く、週半ば、一昨日、昨日と善き人たちとの飲み会続き、楽しい時間を過ごしたが、その反動が一気に心に広がったような雨模様の一日。暑けりゃ暑いでやる気が起きず、涼しければ涼しいなりに諸々展望できず、うだうだしている。

思えば、今日7月21日は最愛の猫、ニンニンの命日だった。死んで丸5年がたった。

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2009年7月12日日曜日

『発達障害 境界に立つ若者たち』書店用ポップ


先月発刊となった『発達障害 境界に立つ若者たち』の書店用ポップが出版社から送られてきた。僕のインタビューに応じてくれたA学院の卒業生たちの自画像をあしらったものだ。

これらの自画像は本書ではモノクロで、各インタビューイの章の頭に各自の簡単なプロフィールとともに掲載されている。そのカラーバージョンが、ポップとして使用されることになった。

自画像は、ほとんどの場合、インタビュー現場でデジカメ撮影したポートレイトのカメラモニターを本人に見せながら、その場で紙と鉛筆を渡し描いてもらったものだ。それを持ち帰り、スキャナーでパソコンに取り入れ、デジタル着彩は僕がやった。

美術の授業でさんざん生徒に自画像を描かせてきたから、自画像というものが描き手の人となりを表すのに効果的なビジュアルであることはよくわかっていた。あまりお上手でないものはそれなりに、お上手なものもそれなりに。

当初、この本の企画があったとき、彼らが語る自身のストーリーを「ひとり語り」形式でまとめようというアイデアがあった。そこで思いついたのが、「LD児たちのセルフポートレイト」というタイトルで、実際に彼らに自画像を描かせ、それを本に掲載しようというアイデアだった。

「ひとり語り」については、もとより自分自身を語る言葉の語彙がそんなに豊富ではない彼らが語る言葉の背景を、補足、説明しなければならず、そうするとどうしても彼ら本来の語り口のナチュラルさが損なわれ、「嘘くさく」なってしまう点があって、結局見送られた。しかし、自画像を掲載するアイデアについては実現したわけだ。

「名は体を表す」と言うが、「自画像は体を表す」。それぞれの自画像は、僕の思惑通り、それぞれの人物の体質、人間性まで表しているように思われ、どの作品もリアルに描かれたものではないが、今にも彼らの声音で語り出しそうに見える。

もっとも、これは僕が彼らのことをよく知っているからで、彼らのことを知らない読者にとっては匿名的な絵に見えるかも知れないが、それでも彼らが語る言葉とは別の次元で、読者が彼らを理解する糸口が見えてくることを期待した。

述べたように、僕は過去たくさん生徒たちに自画像を描かせたことから、その原画やコピーしたものを多く所有している。大胆で力強く描かれたものから、繊細な細い線で描かれたものまで、多様な自画像はそのまま多様で個性溢れる卒業生たちの思い出に重なる。

美術指導の初期の頃は、絵を描くことに苦手意識を持つことが多い彼らに自信を与えようと、手を貸し、筆を入れ、結果的に「お上手」に見える絵を完成させることが往々にしてあった。

そうした絵も何点か手元に残っているが、それを見ても、その絵を描いたはずのその子の記憶にはあまり結びつかない。僕の指導の痕跡の記憶がたどれるだけである。いつ頃からか、本人が描いた絵にあまり手を加えることをやめた。絵は基本的に「描かせっぱなし」が一番良いと気がついたのだ。

僕にとって、彼らが残していった(僕の手が加わらない)自画像は、今でも時折引っ張り出して眺めるにつけ、彼らの息づかいさえ思い起こさせるような生々しい記憶を喚起させるツールとなっている。写真よりもある意味、本人を伝えるパワーがある。それが絵の持つマジックだ。

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2009年7月10日金曜日

サクランボ


サクランボが届いた。山形産のそれはそれは美味しいサクランボ。箱を開けると、赤く艶ややかでなんとも愛らしい果実の群れが、一斉にくすくすと笑い声をあげるようで、思わずこちらの頬もゆるむ。

「ういやつじゃの〜、どれどれお味を試してみるかの〜」と、エロ代官になったような気持で、程良く熟れたいたいけな果実をひとつつまみ、唇に寄せ、軽く噛めばぷりっとした感触とともに、甘酸っぱい果汁が口中に広がる。

このサクランボは、A学院の卒業生、Y子さんのお宅からの贈り物。もう10年近くたつだろうか、彼女が卒業して以来、毎年毎年、この季節になると届くのだ。だから、僕にとってサクランボの控えめで可憐な印象はY子さんの在学時代の印象に重なる。

彼女は中学を卒業して普通の高校に入る希望を持っていたが、学力的に難しく、A学院に入学してきた。勉強は苦手だったが、大人しく手がかからず、素直な性格で、やや内気なところが見受けられたが、意外と芯が強く、努力を惜しまないところがあった。

そして、彼女の芯の強さと「がんばり屋さん」の性格は卒業後の進路において有為に働き、比較的転職頻度の高いA学院の卒業生の中で、彼女は卒業と同時に就職した大手のクリーニング工場で、現在に至るまで元気に就労を続けている。

そのクリーニング工場は、当時A学院で実施していた「企業実習」というカリキュラムを通じての就労だった。「企業実習」は、ある一定期間、企業(クリーニング工場、清掃会社、流通業、飲食業、パン製造業、老人介護施設、等々)の現場に生徒を送り込み、職場体験をしてもらうという趣旨で行っていた。無報酬のトライアル雇用のようなものだ。

生徒の職場体験を主な目的とし、原則として「雇用を前提としない」ものとしていたが、企業側に好感触を得た生徒に関しては、さらに実習を重ね、就労をお願いするという思惑は当然こちら側にはあった。

「いえいえ、就職をお願いするわけではなくて、アルバイトもなかなかできない生徒たちなんで、将来のために職場というものがどういうものか、体験させて頂くだけで、こちらとしては大変ありがたいことなんです」と企業側担当者に頭を下げると、当時、平成不況の中にあった企業も、「そういうことであれば協力しましょう」ということになる場合が往々にしてあった。

そして、評価の高い生徒については、後日、「ところで、あの生徒についてなんとか、就職をお願いできないものでしょうか」と切り出すわけだ。方法論として、姑息な気もするが、企業側にメリットのある「福祉的雇用」ではなく、あくまで「一般雇用」のケースが多かったA学院の生徒の就労に関しては正攻法ではなかなか上手くいかない。

Y子さんの場合は、自宅からほど近いクリーニング工場での実習を行ったわけだが、僕が引率し、ある程度の期間、ジョブコーチ(本人のそばについて技術指導をする)のようなこともやった。

仕事は概ね単純な作業の繰り返しで、例えばプレス機から出てくるリネン類を折りたたみ梱包していくような作業があった。作業自体は難しいものではなかったが、機械のそばにカウンターがついていて、どれくらいの効率で仕事を消化していったかが、わかるような仕組みになっていた。

Y子さんは決して不器用な方ではなかったと思うが、慣れないことと、冬場だったので布に静電気が溜まり、ときおりバチっと音がする度、怖くなって(けっこう痛いんです、あれ)作業の手が止まった。

見かねて、僕がカウンターの数字を稼ぐため作業を手伝っていたところ、工場長がやってきて「だめじゃないか、先生! 手伝ったりしたら!」と大目玉を食らったのだった。工場長は、Y子さんにも「静電気なんて怖がってどうするんだ!」と叱りつけた。僕も相当きまりが悪かったが、Y子さんはみるみる目に涙を溜め、半泣き状態。でも、彼女は決して作業の手を休めなかったんですね。

そんなことがありました。その厳しい印象の工場長は既に異動されたようだが、その後、長くY子さんを可愛がってくださり、彼女にとって信頼の置ける大好きな人となったようだ。工場長という立場で採用する以上、あえて厳しく指導することが本人のためになるという信念をお持ちだったのではないかと今にして思う。

つい先日、本の出版記念ライブにY子さんとご両親が来てくれ、随分久しぶりに彼女と会うことができた。はにかんだような微笑みは変わっていなかったけれど、少女の印象しかなかった彼女が思いの外、「娘さん」になっていたので僕はちょっとどぎまぎした。「黄色いサクランボ」から「赤く艶やかなサクランボ」に彼女は健やかに成長していた。

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2009年7月8日水曜日

僕らはみんな星くず





『星くず』 written by Yosuke Fujita

黒い雲に包まれて 何も見えなくなったなら
僕のこと 思い出して 名前呼んでおくれ
長い旅に疲れて 道に迷ってしまったなら
僕の歌 思い出して くちずさんでおくれ

僕らは みんな 星くず
陽の光を 浴びて 輝く
おまえも 涙をふいて 
歩き出すんだ おまえの道を

僕らは みんな 星くず
陽の光を 浴びて 輝く
おまえも 涙をふいて 
歩き出すんだ おまえの道を

黒い雲に包まれて 何も見えなくなったなら
僕のこと 思い出して 名前呼んでおくれ
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『陽の当たるところへ』と並ぶ、我らが藤田洋介の名曲であろう。
「30年前に作った歌、聞いてください」と前置きし、洋介さんはこの歌を歌い出した。


70年代、僕らは若く、貧しく(僕は今も生活レベルはそんなに変わってないが)、思えばウブであった。時代そのものがウブであった。

ひと世代上の「団塊」お兄さんたちの「熱狂」を少し離れた位置で眺めつつ、少年は心の内にその熱狂の飛び火のようなものを育てることになる。僕は地方の高校を中退し、17歳の春、上京した。1970年、学生たちに占拠されていた東大安田講堂が機動隊によって陥落した年の春だった。

そこから始まる僕の70年代は、当初、「祭り」への高揚した参加意識があった。晴れて足かせを解き、「混ぜてもらった」連帯感を感じていた。しかし、既に祭りは急速に終息に向かっていたように思う。

当時髪を伸ばし、音楽などいうものに足を突っ込み、時代の中で彷徨っていた僕は、「就職が決まって髪を切って来た(ユーミン『イチゴ白書』)」お兄さんたちに「そろそろ、頭を冷やして現実的に物事をとらえるべきだ」と諭されたのだった。

でも、僕の心の内の熱狂の飛び火は、それが完全燃焼することがなかったため、いつまでもくすぶり続けて、70年代中期以降、「祭りのあとのむなしさ(吉田拓郎)」漂う時代に「道に迷ってしまって」、「何も見えなくなって」しまった感じがあった。

そういうほの暗い時代にあって、しかし、それでも時代はまだまだウブで温かく、僕を含め、社会のエッジに生きていた若者たちは、お互い、黒い「家電」のダイヤルを回し、女子高生のように長電話し、夜な夜なアパートに集まり、酒を飲みつつ、ギターを弾いてボブ・ディランを歌ったものだった。

「ぼくらはみんな星くず」、このいくぶんセンチメンタルなフレーズも、僕の70年代においてはリアリティがあったのだ。

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2009年7月7日火曜日

Paradise Cats@高円寺「楽や」





今日は梅雨の晴れ間。開け放した窓から、カーテンを揺らす風の向こうに梅雨晴れの青空が広がる。光の粒はもう夏のそれだ。遠くで飛行機の爆音が聞こえ、そのくぐもった音が妙に眠気を誘う。こんな初夏の昼下がり、世界中の猫たちは木陰でうたた寝を決め込む。ゴールデン・スランバー。

さて、日曜日は高円寺「楽や」でのパラダイス・キャッツのライブであった。4月の「デビューライブ」以来、これで3度目、僕なりにバンドで音を出すということが少しずつわかってきた感じ。

これまで、演奏中のミスについて、「すみません、間違えました」とすぐ言ってしまうヘキがあり、これはずっと生徒などに「間違いはさ、誰にでもあるもんだし、そんなに気にしないでもいい。でも、すぐに素直に謝ることが大事だよ」と言っていた手前、僕自身、身に付いてしまった習性なんだと思うが、「それはあんまり言わない方がいいよ」とメンバーに言われ、今回は言わないように努めた。

「言わないように努めた」というからには今回も所々ミスがあったからで、バンドの音源を聞きながら「自習」しているときは決して間違えるようなことはしないところを間違える。自習やリハの時によく間違えるところはやはり間違える。よく間違えるようなところを本番中クリアしたと思ったらその安堵感で別のところを間違える。

間違えなければいいのだが、元々「余の辞書には『完璧』の文字はない」という僕なので、すぐに間違える。まだまだ経験不足といえばそれまでだが、間違えることは想定内のこととして、これからはうまく誤魔化す術を身につけることが課題だと思っている。

ともあれ、ライブも無事終わり、年始の脱稿、「A学院」最後の卒業式、デビューライブ、本の出版、出版記念ライブ、今回のライブと「猫並暮らし」を生き方の理念ととする僕にしては、それなりに充ちた09年上半期が終わったように思う。

さてさて、これから、やるべきことはたくさんあるように思うが、ちゃんとちゃんと生きていくことはめんどくさいものだよなあと、梅雨の中休みの今日、やや倦怠、虚脱している。レイジー・ボーンの出自故。


動画はパラダイス・キャッツのメンバー、石井啓介による「ラブ・ハンター」、「腰の炎も消えない」恋に生きる男の歌。ゴキゲンな歌でしょう? わははのは。

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2009年7月4日土曜日

明日です!Paradise Cats Live@高円寺●楽や



7月5日(日)
高円寺「楽や」(高円寺駅北口純情商店街をまっすぐ、突き当たり)
開場午後7時、スタート午後8時
チャージ1000円+オーダー
http://www.luck-ya.com/index.html

Paradise cats are:
●藤田 洋介(Guitar&Vo.)
●山下セイジ (Vo.&Ukulele)
●野田 高澄(Guitar, Mandolin, Steel Guitar & Vo.)
●石井 啓介(Accordion & Pianica)
●フジタヨシコ(Bass & Vo.)


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しつこく告知、あいすいません。

パラダイス本舗でのデビューライブではご披露できなかったオリジナル楽曲を数曲&藤田洋介、不朽の名曲『星くず』なんてのもやっちゃいます。

高円寺「楽や」、雰囲気たっぷりのスペースでスタッフはきれいなおねいさんばかり、という噂。うんうん。

よろしく!

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2009年7月2日木曜日

I君からの手紙



先月の『発達障害 境界に立つ若者たち』の出版記念ライブには、本書に登場するA学院の卒業生たちが何人か来てくれた。

そのひとり、I君から手紙が届いた。I君は本書ではLD傾向を持つ「タケシ君」として僕のインタビューに応じてくれた「今どきのイケメン」の若者だ。

「出版記念ライブに参加させていただきありがとうございました」と始まり、「乱筆乱文失礼します」と括られた手紙は、便せんにペンで書かれ、多少不揃いな文字ながら漢字もしっかり使って、誤字も文章の破綻も特にない立派なものだった。

一生懸命ていねいに書こうとしたことがびんびんと伝わり、ところどころ修正液の跡がむしろ微笑ましく感じた。彼が文章を書くことが不得手であることを知っているから、よけいに嬉しく思ったのだ。

おそらく、書けない漢字は携帯の文字変換機能を使って調べ、文章の表現にも気を遣い、随分と時間をかけて書いてくれたのだろう(彼は国語の授業でよくそうしていた)。小振りの便せん4枚分、彼がこの手紙を書くにあたって、かけた時間を想像すると胸がじんときた。

「どこから見ても普通な」I君を文中で「LD児」であると規定し、発達障害を抱えている若者のひとりとして本書で紹介することには、いささかの躊躇があった(他のインタビューに応じてくれた卒業生たちも同様であったが)。境界域にある彼らは自分が「障害者」と呼ばれることに大きな抵抗感を持つ。彼らにとっては胸に突き刺さる言葉であろう。

文中でも書かれてあるが、I君は、自分が「LD」だと言われたことに落胆し、「やべえなあ」と答えた。彼はそれまで「LD」という言葉さえ知らなかった。勉強が大嫌いなことは十分に承知しながら、そこそこ勉強しても「なんで覚えられないんだろう」という自覚があった。

もとより、僕は、知的なりメンタルなり、「健常者」の中でややはみ出してしまう資質を「障害」という語彙でくくることに抵抗があった。当事者やその関係者に深く関われば関わるほど「障害」という言葉が無粋に響く。当事者サイドで話をするときは、この言葉は省いても十分に伝わるのであまり使用することはない。

それが偽善めいたことだと批判されようと、本書を刊行するにあたり、「発達障害」という言葉をタイトルに持ってくることには、僕自身、抵抗があったのは正直なところだ。「障碍」、「障がい」、等と表記を変えたりすることもあるが、どんなに言い換えようと、社会において彼らが十分に認知されていなければ、偏見と無理解の垣根は取り払うことができないだろう。

しかし、ある知的の子を持つ母親に「私たちは子どものための情報をいつも欲しいと思っている。もしあなたの本に障害という文字がなければ、本屋に行ってもあなたの本を見つけることができないかも知れない」と言われ、「発達障害」という言葉をタイトルに持ってくることに納得した。この本がより多くの読者の目に触れることになれば、彼らにとっても良いことであろう、と思うに至ったのだ。

I君の手紙には、「本を読ませていただきました。いろいろな事が書いてありびっくりしました。でも自分はインタビューを受けて良かったと思っています。ありがとうございました」と書かれてあった。「先生はウクレレが似合うな〜って、密かに思いました」とも。

こうした手紙を受け取ることの幸せを、神様に感謝しなければと思ったのでした。

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動画は「出版記念ライブ」での『デイドリーム・ビリーバー』
ウクレレ、似合いますか? 笑

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