2009年5月29日金曜日

猫町ジャイブ



猫町ジャイブ
詞・曲・ウクレレ・歌:堀田減之進

月のひかりが 路地を照らせば  
影絵のように 浮かびだす町 
そこは異次元の町、猫町
シュールレアルな 景色が 広がる
迷い込んで しまったら、最後
抜け出すことは難しいよ

魔法のような 不思議な町
磁石の針が くるりと回れば
そこは異次元の町、猫町
メタフィジカルな 景色が 広がる
見とれて しまったら、最後
抜け出すことは難しいよ

迷路のような 横丁を抜けて
彷徨うように 歩いてたのさ
ふと見上げれば 飾り窓から
こちらを見つめる 光る目二つ

四辻の陰に ひそんでいるのは
謎に満ちた 黒い影
ここは異次元の町、猫町
ミステリアスな 空気が 漂う
ラビリンスに陥ったら、最後
抜け出すことは難しいよ

はるか遠い 記憶の底に
眠り続ける 幻の町
ここは異次元の町、猫町
夢のような 甘い調べが聞こえる
うっとりしてしまったら、最後
目覚めることは難しいよ

青色硝子の 夜空に架かる
レモン色の 満月の下
どこからともなく 集まってくる
猫たちの宴が始まるよ

黒猫 白猫 黒白猫 ぶち猫 
三毛猫 サバトラ キジトラ サバトラ キジトラ
猫猫猫 猫猫猫 どこを見ても猫猫猫
ここは 猫町 ここは 猫町
磁石の針が くるりと回れば
そこは 異次元の町 猫町
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萩原朔太郎の『猫町』からインスパイアされて作った歌です。動画背景としてジョルジュ・デ・キリコの絵画に猫シルエットを加えた物を使用しました。今回は動画背景に少し凝ってしまった。これに丸二日かかってしまった。……仕事が暇だということです。

朔太郎の『猫町』は猫の不気味さを描いているが、僕は猫好きなので楽しげな歌にしたかったのでした。歌詞の中の「磁石の針がくるりと回れば」というのは、朔太郎の表現で、彼は(僕と同じく)すごい方向音痴だったらしく、散歩の道に迷子になり「迷宮」に陥り、猫町へと誘われていくさまが描かれている。

今回はキリコの絵を使ったけれど、『猫町』をモチーフにCD付きの絵本を作ってみたいなあ、と思っているのでした。


「ネコマチ」というところが「コマネチ」みたいだな、と思った。

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2009年5月25日月曜日

「出版記念ライブ」のお知らせ


6月15日配本予定の山下成司著『発達障害 境界に立つ若者たち』(平凡社新書)の出版にあわせ、以下の日程で「パラダイス・キャッツ出版記念ライブ」を行います。

日時:2009年6月21日(日) 午後5時30分開場/6時開演(8時位まで)
会場:コーヒーハウス・サギヌマ(田園都市線「鷺沼(さぎぬま)駅」徒歩2分)
〒216−0004 川崎市宮前区鷺沼1丁目2番地1
TEL:044-855-4218
参加費:2000円(食事+ソフトドリンク+ミュージックチャージ)


* 会場で『発達障害 境界に立つ若者たち』(定価740円)の即売もいたします。

4月4日のデビュー・ライブ以来、パラダイス・キャッツとしては2回目のライブとなります。前回の反省も踏まえ、今回はよりベターなライブを目指そうと思っています。

どうかひとつ、よろしくお願い致します。

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パラダイス・キャッツParadise Cats:
藤田洋介 Yosuke "Guitar Ronin" Fujita (Guitar&Vo.)
山下セイジ Seiji "Hotta Heru?" Yamashita(Vo.&Ukulele)
野田高澄 Takasumi "Master" Noda (Guitar, Mandolin, Steel Guitar & Vo.)
石井啓介 Keisuke Ishii(Accordion & Melodion)
フジタヨシコ Yoshiko "Yotcha" Fujita(Bass & Vo.)

パラダイス・キャッツ関連動画YouTubeサイト:http://www.youtube.com/hottaheru?gl=JP&hl=ja

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2009年5月24日日曜日

デンデンムシノ カナシミ



デンデンムシノ カナシミ
新美南吉

イツピキノ デンデンムシガ アリマシタ。

 アル ヒ ソノ デンデンムシハ タイヘンナ コトニ キガ ツキマシタ。
「ワタシハ イママデ ウツカリシテ ヰタケレド、ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルデハ ナイカ」
 コノ カナシミハ ドウ シタラ ヨイデセウ。
 デンデンムシハ オトモダチノ デンデンムシノ トコロニ ヤツテ イキマシタ。
「ワタシハ モウ イキテ ヰラレマセン」
ト ソノ デンデンムシハ オトモダチニ イヒマシタ。
「ワタシハ ナント イフ フシアハセナ モノデセウ。ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルノデス」

 デンデンムシの悲しみは殻の中につまっている
 デンデンムシは悲しみを背負って生きているのです    
 この悲しみは どうしたらいい?

 スルト オトモダチノ デンデンムシハ イヒマシタ。
「アナタバカリデハ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパイデス。」
 ソレヂヤ シカタナイト オモツテ、ハジメノ デンデンムシハ、ベツノ オトモダチノ トコロヘ イキマシタ。
 スルト ソノ オトモダチモ イヒマシタ。
「アナタバカリヂヤ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパイデス」
 ソコデ、ハジメノ デンデンムシハ マタ ベツノ オトモダチノ トコロヘ イキマシタ。

 デンデンムシの悲しみは殻の中につまっている
 デンデンムシは悲しみを背負って生きているのです    
 この悲しみは どうしたらいい?

 カウシテ、オトモダチヲ ジユンジユンニ タヅネテ イキマシタガ、ドノ トモダチモ オナジ コトヲ イフノデ アリマシタ。
 トウトウ ハジメノ デンデンムシハ キガ ツキマシタ。
「カナシミハ ダレデモ モツテ ヰルノダ。ワタシバカリデハ ナイノダ。ワタシハ ワタシノ カナシミヲ コラヘテ イカナキヤ ナラナイ」
 ソシテ、コノ デンデンムシハ モウ、ナゲクノヲ ヤメタノデ アリマス。

 デンデンムシの悲しみは殻の中につまっている
 デンデンムシは悲しみを背負って生きているのです
 それは他のデンデンムシも おなじこと
 それはどんなデンデンムシも おなじこと
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『ごん狐』の作者、新美南吉の童話というか詩というか、「童話詩」とでもいうものだろうか。初出は1950年とあるから、敗戦からわずか5年、朝鮮戦争勃発の年だ。

日本はこれから「特需」に湧き、アメリカの「ポチ」となりつつ60年代の高度経済成長の時代へ突きすすむわけだが、このお話しが発表されたときはまだまだ戦後の混乱期で、戦争の生々しい記憶と焼け跡の貧しさの中で、人々の「カナシミ」もごつごつした手触りのある、ある意味、明快でわかりやすいそれであったろうと想像される。

以後60年近く日本が少なくとも「平和」であることは希な幸運であったのかもしれない。しかし、飽食の時代にあって、人々の「カナシミ」の質は変化し、多様化したのであろうが、「カナシミ」の種は尽きることがないように思う。

衣食足りての「カナシミ」は、むしろ、茫洋としていてとりとめがない分、重く深いのではないか。富める者もそうでない者も、知識のある者もそうでない者も、大人も子どもも、それぞれの「カナシミ」の質は違うだろうが、抱える「カナシミ」の本質と絶対量は同じだと思う。子どもの涙も大人の涙も結局は「おなじこと」だと思う。

このお話しを語り歌にしようと思ったのは、先月だったか、天皇成婚50周年に寄せて、朝日新聞『天声人語』に、美智子皇后がかつてこのお話を講演で朗読されたという逸話が書かれてあったのを読んでから。

「自分だけではないのだ。私は、私の悲しみをこらえていかなければならない。この話は、このでんでん虫が、もうなげくのをやめたところで終わっています」と皇后は語ったという。

誰もが「カナシミ」を「殻の中」に住まわせている。しかし、それを嘆いていてはいけない。「カナシミ」を受け入れた上で淡々と軽やかに生きるべきだと、新美南吉はこのお話しを通じて言っているのだろう。

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2009年5月22日金曜日

大手町でハンバーガー


帰省から帰って以来、生活のリズムが狂ってしまい、このところ早寝早起きとなっている。早寝早起きとなったのだから、生活のリズムが「狂った」のではなく「正常に戻った」と言うべきだろうが、僕は基本的に夜型なので、夜型が正常なのだ。

一年中、規則正しいオクさんに比べ、僕は一年を通じ、寝る時間起きる時間食事、いずれもそのときそのときまちまちで、一般的には不規則な生活習慣だと思われるだろうが、不規則も何十年もやっていれば、これがわたしの規則的な不規則生活習慣、あらためようとは思わない。

しかし早起きすると一日が長く感じられ、それなりのお得感はある。今朝も7時には起床、一仕事片づけ、まだ日没に至らない。逆に昼前に起きる暮らしではあっという間に一日が終わる。空しくもある。

ただ、僕は夜眠る前にしか本を集中して読むことができず、早寝早起きの暮らしを続けるといっきに読書量が減る。読書量が減ったからといって困るようなことはないのですが。

昨日は、帰国しているシアトル在住の友人と大手町のレストランで会った。彼女はアメリカの永住権を持ち、アメリカ在住30年以上になる友人で僕がアメリカにいた頃、親しくしていた友人だ。同時期に親しくしていた共通の友人(彼女は昨年、やはり30年におよぶアメリカ生活を見切って日本に戻ってきた)、僕のオクさんと4人で会ったのだが、この組み合わせはロサンゼルス時代以来で、20年振りくらいになろうか。

二人とも日本人だが、長い滞米生活からか、そこはかとない「日系人オーラ」を出していて、どこがどうというわけでもないのだが、どこか一般日本人と違う。着るもののセンスも少し違うが、声の出し方、身振り手振りがやや大げさで、話すときこちらの目をじっと見て話す。そこらへんが「欧米か!」の特徴だと言える。

会話内容の中心はやはり懐かしいロサンゼルス時代のこと。僕は水があったのか、肌があったのか、ロサンゼルスにいたときは彼の地の空気のように心が軽やかで、悩ましいこともほとんどなく快適に過ごしていた。

7年ほど一度も日本に帰ることなく暮らして、ほっとけば永住する勢いだったが、諸々あって帰ってきたのだった。まあ、いずれは帰るのだろうとどこかで思っていたことは事実で、そういう半端な心構えで暮らしていたことが、どこか「旅先」という環境だったから軽やかに過ごせたのだとも思う。

とまれ、4人で再会を祝し、大手町ビルの地下にある「ウルフギャング・パックエクスプレス」というアメリカン・ダイナー風の店で、ハンバーガーを食べたのだが、アメリカで数少ない旨いもののひとつに、マクドナルド等のチェーン店以外(マクドナルドは日本のとほぼ同じ味、日本のがアメリカとほぼ同じ味、と言うべきだが)の独立系ハンバーガーショップのハンバーガーがあって、ハリウッドのダイナーで最初に「本場のハンバーガー」を食べたときはけっこう感激した。昨日食べたハンバーガーはそれに近く、まずまず旨かった。肉汁のしたたり感がいまひとつであったが。

ところで、先週末に北米から帰国した彼女、やはり税関を抜ける前に新型インフルエンザの検査があり、アンケート記入や体温チェック等があったそうだ。日本のやや過剰とも思われる反応について、アメリカでは逆に無関心な人々が圧倒的なので、むしろいいことではないか、と言っていた。アメリカでマスクをするということは、自分は保菌者であることをアピールするようなものだろう。

日本人はlaw-abidingという英語の言い方があるが、なんだかんだ言って従順に規則を守る国民性があると思う。良いところでもあるが、悪く言えば「右に倣え」の国民性。僕はアマノジャクなので、関東のまだこの段階でマスクをするのはなんだか抵抗がある。しかし、電車の中で空咳もできない息苦しさは感じた。


画像は「大手町ハンバーガー」、平均的アメリカ人はこれを食すのにケチャップを5、6袋は費やす。

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2009年5月20日水曜日

米寿の宴@猫岬ケアハウス


先週土曜日早朝の飛行機に乗り、月曜日までの二泊三日、夫婦で実家のある下関に行って来た。下関は一昨年夏以来で、あの時はこちらに帰る前日にぎっくり腰になり、介護帰省のはずが介護される始末となったのだった。

今回は介護目的ではなく、親爺の米寿を祝うための帰省だったが、おふくろは既に歩行がおぼつかなくなり、親爺にしてもこの2年でめっきり足腰が弱くなり、外で宴を開くのが難しいとの判断から、兄夫婦初め親族8名ほど、両親が居住するケアハウス内のゲストルームに集うことになっていた。

ケアハウスは既に何度も訪問しているが、ゲストルームを使用するのは初めてで、なかなか立派な部屋であったため、とても快適に二泊三日過ごすことができた。宿泊費は一日お一人様3千円で広いリビング、ダイニング、キッチン、ベッドルーム(和室、洋室)、浴室、素敵な中庭、玄界灘が眺望できる環境、下手なホテルよりはるかに豪華であった。

初日は件のゲストルーム内、ダイニングで、下関と言えば「ふぐ」(下関では濁らず「ふく」という)のコース料理をつつきながら和気藹々と米寿の宴を催した。親爺はまずまず元気で終始にこやかであった。

僕はこの日のためにウクレレを持っていき、親爺というより母親が好きだった喜納昌吉の「花」を歌ったが、老人性の欝病に罹り、喜怒哀楽が乏しくなってきたとは言え、おふくろの反応は今ひとつで、少しがっかりした。、以前は、僕に色々な歌を歌ってくれ、とせがむ母であったが。

兄夫婦は翌日の日曜日には帰京したが、僕達はもう一日滞在を延ばすことにしていた。次に夫婦揃って両親に会うこともあまりないだろうと思っていたからだ。

日曜日は生憎の雨模様だったが、午前中兄たちと共にケアハスを出て駅に向かい、帰京する兄たちと別れ、僕とオクさんとで下関観光に及んだ。

下関というところは漁業が基幹産業だが、その水揚げの中心地となる「唐戸市場」周辺に「カモンワーフ」というだじゃれた名称(関門とカモン)の観光スポットができたと聞いてそのあたり観光したのだった。

サンフランシスコに「フィッシュマンズワーフ」という観光名所があるが、それを真似たような造り、傘を差してそぞろ歩いている内に雨も上がり、関門海峡に架かる関門橋を一望できる場所からの眺めはなかなか良いものでした。

ちょうど唐戸市場は「土日市」の最中で、中に入るととけっこうな人出だった。海産物の出店ブースがずらりと並び、客はそこでお好みのばら売りのにぎり寿司など買い求め、階上のテーブルにつき食す、という仕組みになっていた。

旨そうな大トロやイカ、甘エビなどのにぎり寿司もあったが、ここはやはり下関だからということで、僕は「ふく」、「ふくの煮こごり」、「ふくの白子」、「クジラ」、「クジラのベーコン」などの寿司ネタを選んだ。「フクの唐揚げ」と「フクコロッケ」も追加、もちろんビールも。

で、ふくの握りは想像通り旨かったが、「クジラ刺身」の握り寿司はダメでした。ベーコンもダメ。もう「くさみ」が一杯で。僕はクジラはそんなに好きではなかったのだ。忘れてた。「さらしクジラ」というのは好きだけどね。

一番旨かったのが、「フクの唐揚げ」、魚類の唐揚げの中では一番イケルのではないだろうか。ビールにもぴったし。1本100円、安い。

その後、魚介乾物類を色々見て、僕の大好物である「わかめのふりかけ」(これが本当に好きなんですね。こちらでは紫蘇味のを時折見かけるけど、あれはだめ)を数種、瓶詰めのウニ(これも安い)、その他磯の香りがぷんぷんするブツを色々購入。

新しくなった水族館にも行きたかったが、下関ミニトリップも時間の都合でここまで。帰りはたまたま見かけた「ロンドンバス」に乗ることができた。オクさんは、下関は実に20年ぶりくらいなので楽しそうであった。

その日はケアハウスで両親と共に夕食を食べ、豪華で広々としたゲストルームに我々たった二人という夜を過ごしたのだった。まあ、34年連れ添ってますからロマンチックなことはな〜〜〜んにもないですけどね。



ケアハウスから見下ろす「プライベートビーチ」。小さな岬の形が猫が足をのばしてくつろいでいる風なので「猫岬」と名付けたのだった。



小雨に煙る海峡。対岸は門司・めかり



「唐戸市場」内出店ブースを行き交う人々。魚臭さと唐揚げの匂いで充満している。


上が「ふくの唐揚げ」、クジラの刺身、クジラのベーコンなどの握り寿司、下は「ふくコロッケ」(これはいもコロッケに少量のフグの肉片が入っているものでどうってことなかった)



ロンドンバス



ロンドンバス内部。けっこう古びている。実際ロンドンで使われていたものだろう。



これは下関駅構内のうどん(てんぷらうどん)。これが僕が日本で一番おいしいと思ううどんなのでした。

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2009年5月10日日曜日

Dっちの歌



彼は自由の 子ども エンジェルハートの持ち主
183センチ90キロの それは大きな子ども
チェシャーキャットの微笑み いつも浮かべてたのさ
僕の頭を そっと 撫でて立ち去った

春の陽射しを浴びて タイヤ置き場で昼寝
183センチ90キロの それは巨大な猫のよう
彼の心に触れる ことは難しいが
どんな人でも きっと彼を好きになる

ウー、思い出すよ 君の微笑みを
ウー、思い出せば 僕の心に 優しい風が吹き抜けるよ
彼は自由の 子ども エンジェルハートの持ち主

さかさま言葉の達人で すぐさま言葉を裏返す
わちにんこ らなうよさ うとがりあ すましいがねおくしろよ 
彼の心の世界が 少し見えたのならば
どんな人でも 彼に微笑むだろう 

すぐにどこかに消えて はやてのように現れる
いつも君をさがしてた いつも君を待っていた
さすらい猫のきままさに ふりまわされもしたが
君を本気で叱ることはできなかった

ウー、思い出すよ 君の微笑みを
ウー、思い出せば 僕の心に 優しい風が笑いかけるよ
彼は自由の 子ども エンジェルハートの持ち主

トイレに行けば一時間 お風呂に入れば二時間
ずっと歌を歌ってた お気に入りのフォークソング
ひとりの世界に遊ぶ 君の心の庭に
少しだけ  お邪魔してもいいかな

大好きなテレビは水戸黄門 人生楽ありゃ苦もある
食べることも 大好き 幸せそうに食べるのさ
君と出会ったことを 僕の人生において
神様に感謝したい気持ちさ

ウー、思い出すよ 君の微笑みを
ウー、思い出せば 僕の心に 優しい風が吹き抜けるよ
彼は自由の 子ども エンジェルハートの持ち主
僕の頭を そっと撫でて立ち去った
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

僕のかつての生徒、Dっちのことを歌にした。彼は自閉症を持っていたが、それはそれはキュートな生徒のひとりだった。

最初の歌詞の「タイヤ置き場で昼寝」というのは実際に彼がやったことで、初めての合宿のとき、合宿所の近くのガソリンスタンドで昼寝をしているところを従業員が見つけ、合宿所に苦情を言いに来たのだった。

183センチ90キロというのは掛け値なしの本当のことで、授業で身体測定をしたからよく記憶している。そんな大男なのに、ふんわりとした優しいオーラを放っていて、いつもニコニコしていてクラスの人気者だった。

急に人の目の前に立ち、ふわっと頭を撫で、さっと立ち去るようなことをするのだが、あっけに取られる人の反応を楽しんでいたようだ。通学途中の電車内で、見知らぬおばさんにそれをやり、警察に保護されたこともある。

歌にはしなかったが、やたらと立ち小便するクセがあって、通学路に自分の「マーキング・スポット」がいくつかあり、そのひとつの会社玄関の植え込みに立ち小便をしていて通報されもした。

「さかさま言葉」は本当に見事で、やや長い文でも、問いかけられると瞬時に裏返すことができた。数学も得意でウチのガッコウの生徒にはできないルート計算や、方程式もできた。

合宿でDっちがトイレや風呂に入ると延々出てこないので、毎回ドア越しに「早く出な、Dっち」と声をかけなければならなかった。「長い?」と言うので「長いよ、Dっち」と言うとしぶしぶ出てきたが。

トイレや風呂場ではエンドレスに歌を歌うことが多く、レパートリーはチューリップの「心の旅」や、かぐや姫とかの70年代フォークで、これはお母さんが好きだったからということを後から知った。

水戸黄門が大好きだったので、「〜でござった」とか、「〜しておる」とか時代がかった言葉遣いをしたが、長いセンテンスを話しかけることはなかった。しかし、文を書かせるとびっしりと強い筆圧で長文を書いた。漢字もよく知っていた。

行事などでどこかへ行くと、確信犯的にいなくなり、いつも彼を探さなければならなかったが、彼としては「鬼ごっこ」を楽しんでいたのだと思う。プロが出場するフットサルの試合に、生徒を連れていったことがあったが、観客席に彼はおらず、どこに行ったのだろうと思っていたら、プロチーム(横浜FC)の入場行進の最後尾について試合場に出てきたのにはまいった。

彼については数限りないそんな思い出がある。今思い返せば、どれも微笑まずにはいられない思い出だ。

卒業した後は神奈川の西の方の作業所に通っていたが、ここ数年連絡をしていないので、どうしているのかよくわからない。元気にやっていれば嬉しいが。

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2009年5月8日金曜日

お隣の猫等

先月くらいから、お隣のトヨコさんのお母さんが具合が悪く、彼女は実家(小倉)方面に行ったり来たりしている。彼女のご亭主も出張がちの仕事故、ここのところ、ちょくちょく夫婦でお隣の三匹の猫(チーちゃん♂、モモちゃん♂、ミャーちゃん♀)の餌やりなどのお世話をしている。

トヨコさんが二三日前に旅立ち、昨夜はご亭主も出張だということで猫等を我が家に拉致し、普段は猫等の健康を気遣い、あまり過剰に餌をあげない主義のお隣の意向を知っていながら、まぐろのぶつ切りなぞ、食わせまくったのであった。

今までもそんなことをよくしていたので、お隣の猫等は我が家が大好き。ウチのオクさんとトヨコさんがドアを開けて立ち話なんかしていると、どやどやと「勝手知ったる他人の家」(間取りは同じですから)に入り込んで、ごくリラックスして過ごすことになる。

僕らは長いこと猫を飼っていたが、最後の猫が死んでもう5年近くになる。そんなわけで、猫等はいつも大歓迎。「猫禁断症状」に悩まされることもなく、昨夜はけっこう幸せだった。よその猫だから「猫っ可愛がり」してもいいし。

チーちゃん♂とモモちゃん♂はなついているが、ミャーちゃん♀というチビ助はお年頃になってなつかなくなった。思春期の少女はなかなか扱いがめんどくさい。が、ここ数日の「餌付け作戦」でだいぶ心を許してきた。お友達になりたいならば、まずは「与えよ」、というのは人間も同じかも知れない。

チーちゃんはウチに来ると、まず観葉植物の葉っぱをカジカジする。


それで、必ず僕の椅子に座る。


モモちゃんは以前、こんなことをしてビビらせたので、関係の修復に少し時間がかかった。


でも、「マグロ作戦」で懐柔した。


ミャーちゃんは、かつてはウチに来てこんなにはしゃいでいたが、すっかり人見知り猫になってしまった。



三匹の晩餐



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2009年5月5日火曜日

ぼくの好きな先生


本日付、朝日新聞の朝刊、社会面に忌野清志郎さんに関する記事が出ていた。

http://www.asahi.com/national/update/0504/TKY200905040150.html
以下、記事抜粋
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清志郎「先生のこと歌に」… 「ぼくの好きな先生」秘話

♪劣等生のこのぼくに すてきな話をしてくれた——2日に58歳で亡くなったロックシンガー、忌野清志郎(いまわの・きよしろう)さんには終生慕う先生がいた。東京都立日野高校で担任だった小林晴雄さん(77)。初期のヒット曲「ぼくの好きな先生」のモデルになった。必ず闘病生活を乗り越える。先生と級友はそう信じてきた。

3日、都内で営まれた清志郎さんの通夜に、小林先生は参列した。ひつぎの中の教え子は穏やかな顔をしていた。「十分がんばってきたんだ。ゆっくり休め」。心の中で声をかけ、花を手向けた。

《十八になる私の子供はギターのプロになるのだと申します。私どもには何が何だかわからなくなりました》

69年11月、朝日新聞にこんな身の上相談が載った。清志郎さんの母からだった。

「大学に行っても4年遊ぶんだから、4年は好きなことをやらせてあげましょう」。気をもむ母を説得したのが、小林先生だった。

清志郎さんは67年に高校に入学した。俳優の三浦友和さんも同じ学年だった。

同級生の斎藤園子さん(57)によると、校内では物静かだった。小柄できゃしゃ。マッシュルームカットでひょうひょうと廊下を歩いた。

高校時代にバンド「RCサクセション」を結成。活動にのめり込み、欠席や遅刻が相次いだ。ただ、美術部顧問で、生徒の話にじっくり耳を傾ける小林先生にひかれ、絵画制作に熱中した。

「勉強が嫌いだから絵描きになった」という先生は、職員室が嫌いで、美術準備室でいつも一人でたばこを吸っていた。後輩の芝田勝美さん(56)は、部員でもない清志郎さんがショッキングピンクに染め上げた白衣を着て、放課後の美術室で黙々と絵筆を動かしていたのを覚えている。「本当に小林先生を慕っていました」

高校を卒業した70年にプロデビュー。2年後、「ぼくの好きな先生」が入った初アルバムを携えて美術室を訪れた。「先生のことを歌にしたんだ。迷惑でしたか」。先生は「照れくさかったけれど、やっぱりうれしかった」。

ステージでは、派手な衣装やメークに身を包んだ。でも同級生の岡田重子さん(57)は「普段は静かな人。あのお化粧は照れ隠しでしているんだなと思っていた」。清志郎さんの本名は栗原清志。先生や級友はずっと「栗原くん」と呼び続けてきた。

10年ほど前から、小林先生を慕う卒業生が開くOB展に清志郎さんも出品するようになった。06年にがんの闘病生活に入っても出品は続いた。

昨年2月。武道館で「完全復活祭」と銘打ったライブがあった。招待された小林先生は、同窓生6人と客席で見守った。終演後に楽屋を訪れてビールで乾杯し、「無理しちゃだめだよ」と皆で声を掛けた。清志郎さんは高校の頃と同じように「うん、うん」と照れくさそうにうなずいた。

だが、がんは転移した。

先生と清志郎さんが最後に会ったのは今年2月、OB展の会場だ。三浦さんと共に訪れた清志郎さんは、1時間近く思い出話に花を咲かせた。

まとめ役には「先生にどうしても会いたいんだ」と電話してきたのに、先生には、安心させようとしてか「もう大丈夫です」と笑ってみせた。

清志郎さんが逝った夜。同級生の坂崎隆義さん(57)はOB展のブログに追悼の文章を書き込んだ。「一緒に生きた幸せな時代。しんどい時代だけれど、なんとかしのいで生きていく。みんな。忘れないよ。合掌」(小島寛明、市川美亜子、鈴木暁子)

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朝日の「身の上相談」欄に彼の母親が投稿したことを、僕は知らなかったが、ファンであったオクさんは「有名な話よ」と言っていた。

「十八になる私の子供はギターのプロになるのだと申します。私どもには何が何だかわからなくなりました」というのは、今となればなんだか微笑ましい。

僕にも似たような経験がある。17歳の時に「高校辞めてイラストレーターになる」と親に言ったときに、親が当時の高校の担任に相談したのであった。

しかし「先生」が言ったことは、清志郎さんのケースとは間逆で、担任は僕の家まで訪ねてきてくれたが、親の面前で「(イラストレーターになるなどと)何を馬鹿なことを言ってるんだ!」と頭ごなしに罵倒された。

担任が「君のやりたい気持ちも分かるが、とりあえず高校は卒業しよう」とか言ってくれたら、僕は高校を辞めなかったと思う。英語を受け持っていて、キザったらしくて嫌みな、今思い返しても嫌なヤツだった。

ただ、先生という立場から、あまり無責任に生徒の夢や希望について、手放しで同調することはいかがなものか、と思うこともある。

僕が関わってきたガッコウの生徒の多くはいわゆる「境界児」であるが、電車の運転士、バスの運転手、保育士、アニメの声優、グラフィックデザイナー、漫画家、など、能力的にまず難しいであろう職種に就くことを希望していた。

親が客観的に子どもの能力を把握している場合は問題ないが、何人かの親は「子どもが望むなら」と、特に資格を必要としないグラフィックデザイナーや漫画家などになれる方策を相談されたこともある。

それで、無駄になるかもしれないと思いつつ(結局その生徒はデザイナーにはなれなかったのだが)、デザイン学校に生徒を推薦したこともあった。それは自分の体験から、生徒の希望をむげに否定することができなかったせいもある。

ひとり、ロックギタリストになりたいという生徒がいて(彼は6月に出る本に登場する)、ロックをやりたいというのは、もともと「私どもには何が何だかわからなくなりました」の類の夢であるから、僕は鷹揚に笑って「頑張れよ」と応援することにした。

彼は、比較的最近(今年度の卒業式・閉校式直前)、ギターを抱えてガッコウに訪ねてきて、新しくゲットしたレスポールタイプのギターを見せてくれた。彼には在学中、ちょこちょこギターを教えていたが、なかなか上達しなかった。

彼のギターを手に持ちながら、「練習してるか?」と聞くと「はい、やってます」と。ちょっと弾いてみたら、チューニングがかなり狂っていたので、「チューニング、狂ってるよ」と言ったら「そうですか?」と。

ロックギタリストへの道はかなり遠い気がしたのだった。

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2009年5月2日土曜日

世界卓球、佳純ちゃん、マツケン君、16才と18才がいいぞ!



ここのところ連日で、テレビで世界卓球を見ている。
昨日は女子個人で、愛ちゃん、平野早矢香選手と共にヨーロッパの格下選手相手に敗退した。二人とも、当初有利にゲームポイントを取りながら後半ずるずると自滅。二回戦で日本女子選手の中核が負けてしまったので残念だったな。

愛ちゃんは、早い打点からのレシーブ・攻撃が持ち味だったが、ここのところ、やや溜め気味に腕を振り上げるドライブ攻撃にシフトしていたのを、また元に戻そうとしているとかで、戦法に迷いがあるようだ。

14才で世界卓球ベスト8に入って以来、イマイチ成績が伸びない主な理由は、戦法のことより、彼女は性格が良すぎるのだろうなあ、と僕は思う。競技スポーツで勝利するためにはやっぱりね、もっと意地悪くいかなきゃいかんだろう。特に卓球は「姑息」、「小賢しい」、「せこい」といった負のイメージがついて回るが、愛ちゃんにはもっと堂々と「せこく」なって欲しいと願う僕は、練習の時の実力が試合では発揮できなかった「性格の良い」卓球少年であった。

愛ちゃん、平野選手、個人はダメだったが、ダブルスでは頑張っている。期待したい。ところで、もう一人の「天才少女」、石川佳純選手は世界ランキング10位の香港の選手に大逆転で勝った。3セットを失い、4セット目も6−9からの勝利で、そこから4セット連取、なかなか見応えのある試合だった。

今日は佳純ちゃん、同じ日本人選手、「王子サーブ」の福岡春菜選手との一戦だったが(僕は福岡さん、あのぽわっとした風貌がわりと好きなのでどちらも負けて欲しくない感じはあったが)、勢いの差で勝って、ベスト16入りを果たした。

しかし、今回すごくいい感じなのは男子。今日の個人三回戦で、吉田海偉、水谷隼、松平健太がそれぞれ勝ってベスト16入り。これはすごいんじゃない。ダブルスの岸川・水谷組も順当に勝った。彼らはマリオ・ブラザーズと言われていて、ドイツ・ブンデスリーガから招聘したドイツ人監督マリオさんの指導力の成果か。

特に「マツケン」松平健太君、イケメン卓球小僧の風貌は、映画「ピンポン」の「ペコ」を彷彿させるこの少年、当たり出したら凄いです。明日はアテネのチャンプ、馬琳との対戦、まず勝てないだろうけど、善戦を期待する。

てなわけで、4,5年前、ガッコウの生徒(元卓球部)とちょっと本気で卓球をして、ぎっくり腰になりかかって以来、実戦から遠ざかっている身としては、観戦だけでも楽しいのだった。


YouTube動画はエキジビションマッチの模様だろう。青いユニフォームの選手は明日のマツケン君の対戦相手、馬琳(まりん)選手だな。

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