2009年4月28日火曜日

嵐の月曜日@サムズアップ


昨日月曜日は、気温はやや低めであったがまずまず穏やかな春の日で、もちろん「嵐」ではなかったのだけれど、「嵐の月曜日」と名付けられたライブステージを見に、横浜サムズアップに行ってきた。

月曜日に「嵐」という冠言葉が付くのは、ブルースファンであれば、当然のように知っているStormy Mondayという多くのブルースシンガーがカヴァーしている曲があるからであります。

They call it stormy Moday
But Tuesday's just as bad
They call it stormy Moday
But Tuesday's just as bad
Wednesday's worse
And Thursday's also sad

という感じの歌詞で、まあ救いようがないです。

それはともかく、昨夜のライブ、西広ショータさんというシンガーのソロ・パフォーマンスと、我らが石井啓介君がキーボードで参加している「西日本マンダム」、そして我らが藤田洋介さんの「ミラクルトーンズ」の三本立てでありました。

開演少し前、サムズアップ店内に入ったら、ステージ前の「かぶりつき席」に若い女の子たちがごちゃっとおりまして、しかもなかなか可愛らしい感じの女の子たちが多かったんですね。

すごく失礼なんですけど、ホントに失礼ですけど、ミラクルトーンズのファン層ではないなと、僕は思ったのね。で、これは啓介君とこの西日本マンダムのファンかと。西日本マンダムは初めてだったので、へえ、すごいじゃん、マンダム、と思ったのでした。

でも、あとで彼女たちは最初に出た西広ショータさんのファンであったことがわかりました。うーむ、マンダム……、と僕はちょっと残念でございました。ブルース基調の演奏はパワフル、ボーカルの方がむちゃくちゃパワフル、男臭い「マンダム」の歌世界でありました。

ともあれ、ともあれ。

洋介さんのミラクルトーンズも考えてみれば、初めて見ることになったのかな。この日は「いきなりチークタイムになりますが」という洋介さんのMCで「スリープ・ウォーク」から始まり、アンコールの「ラ・バンバ」まで、途中、ギターの飯田さんの「おしっこタイム」(演奏中に行きたくなったみたい)をはさみ、ソリッドでしかも温かく艶やかな洋介ギター満載で楽しめました。

ゲストとして、洋介さんがプロデュースしているブルースフレーバーたっぷりの有馬忍さんが2曲ほど彼らをバックに歌った。(有馬忍さんは土曜日にパラダイス本舗に聞きに行った。いい感じだよ。)

で、実は僕も彼らをバックに「陽の当たるところへ」を歌ったのだった。出番前、いきなり洋介さんから「歌いませんか?」と言われ、それじゃあ、と歌ったのでした。

これは想定外だったのだけれど、楽器を持たずにスタンドマイクの前で歌うのはめちゃくちゃ照れくさかった。というか、イントロ、間奏、どんなポーズを取って良いのか間が持たず、困った。特にこの曲は後奏が長くて、ホントに困った。あとで啓介君に「なんか寂しそうでしたね」と言われた。

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2009年4月27日月曜日

「特別支援学校」の最近事情

特別支援学校生が急増 教員・教室の不足深刻
http://www.asahi.com/national/update/0426/TKY200904250207.html
以下記事抜粋
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障害のある子どもが通う特別支援学校(旧盲・ろう・養護学校)の児童生徒が全国で増え続けている。文部科学省のまとめでは、08年度は11万2334人で98年度から28.5%増加。厳しい予算の中で教員採用が追いつかず、公立校の教員数が法定の基準を満たせない自治体は07年度で36道県に達した。教室不足も深刻化している。
 特別支援学校は、学校教育法改正で07年度にできた学校種。従来の盲・ろう学校、養護学校(知的障害、肢体不自由、病弱)に当たるが、法改正後は児童生徒を障害の種別で分けず、1校で複数の障害に対応できるようになった。
 文科省によると、児童生徒は90年代以降増え始めた。特に知的障害が対象の養護学校で生徒の増加が目立ち、98年度は5万3561人(全体の61.25%)だったのが06年度は7万1453人(同68.32%)に。08年度は他の障害との重複も含め、9万6924人に達している。
 一方、公立の特別支援学校の教員数は、生徒数や障害の程度などに応じ都道府県別に法で最低基準が定められている。文科省によると、07年度は36道県で計2656人不足。充足率が最も低いのは長野県の78%で、石川県の86%、群馬県90%が次いだ。
 児童生徒の増加について文科省特別支援教育課は「保護者が子どもの障害を受け入れ、就職も支援する専門教育を望むようになってきたためではないか」とみる。
 現場の教師には「注意欠陥・多動性障害(ADHD)など発達障害の子が増えている」との指摘も多い。普通学校で不登校になり特別支援学校を頼る例も目につくという。(杉浦幹治、太田康夫)
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昨日の朝日新聞朝刊一面トップの記事。
「特別支援学校」という名称に馴染みがない方も多いかと思われるが、いわゆる養護学校のこと。ちなみにかつての「特殊学級」も現在では「特別支援学級」と呼ばれている。つい最近のことだ。

今回、「発達障害」に関する本を書くとき、こうした障害にかかわる名称の表記にあたっては神経を使った。そもそも「障害」を「障がい」と表記する傾向も近年多く見られ(特に企業が使用する際に目立つ)、これについては理解するところもあるが、本当に当事者の方々がそうした表記を望んでいるのか疑わしいところもある。どこか偽善、事なかれ主義の匂いもしないではない。

「発達障害」という言葉につていても、これは英語のDevelopmental Disorders, あるいは、Developmental Disabilitiesの訳語であって、これだけ聞くとどういう障害なのか、一般の方々には説明を(しかもていねいなそれを)要するだろう。

「障害(特に軽度のメンタルな障害)も個性である」という言い方があって、賛否両論あると思うが、僕はこれに同意するものだ。しかし、「個性」と言い切ってしまえば、「制度」の中で排除されかねない危惧もある。

僕は、「境界児」と目される子どもたちが、どれだけ「障害」という言葉に拒絶感があって、自己否定につながる気持を持つに至るかを知っているので、彼らを「発達障害児」と呼称することには少なからず抵抗感を持ってきた。

前回の日記で、本の表題を『発達障害 境界に立つ若者たち』と、「分かち書き」にしたのはその理由からだ。それでも「発達障害」という言葉を題名に入れたのは、出版社の意向もあるが、発達障害児を持つ母親から「(本を探すとき)障害を特定した題名の方がいい」という意見を聞いて決断したわけだ。

障害の名称や病名の新しい表記ーー「認知症」や「統合失調症」などもこれにあたるがーー、が近年盛んに行われていることについて、僕は前述のように偽善めいた「お役所的事なかれ主義」の匂いもあり、当初はなんだかすっきりしない気持もあった。

しかし、それは健常者側の言い分。この傾向は障害を持つ当事者に対する気配り、配慮が行き届いてきたことからと受け止めることにしたいと思う。呼称をあらためることにより、当事者や周辺が「障害」をかつてより抵抗感なく受け入れることができるようになれば、それは良いことに違いない。

朝日のこの記事、「特別支援学校生、急増」の背景に、この新表記の理由も多少あるとも思われるが、公教育より先んじて(手前味噌で口幅ったいけれど)彼らを受け入れてきた私設、私立学校に入学させる保護者の経済力がここに来て急減したことが主な原因だと思う。特に今年度の、僕の知る境界児を受け入れるいくつかの学校は、入学者数をかなり減らしているようだ。反面、定時制高校への入学が増えていると聞く。

この記事では08年度の入学者数を「急増」の根拠としているが、09年度の入学希望者はさらに2割り増しくらいになるのではないか。こういう状態では入学希望者を全員受け入れることは非常に困難だろう。

この記事の関連で、急増する入学希望者に対処するため、長野県では医療系の専門学校生を講師として採用しているケースを紹介していた。うーん、どうなんだろう。彼らがどういう授業を展開しているかわからないので何とも言い難いが、安易な教員不足の穴埋めであれば、かえって問題となるケースもあるかもしれない。

また、こうした状況から「障害は軽度な場合は受け入れを断る自治体も少なくない」とあった。「軽度な障害」であるほど、「二次障害」に陥りやすく、社会的な自立が困難であり、より深い理解と支援が必要であることを僕は本に書いた。

「特別支援学校」への入学を希望する「軽度」の障害を持つ保護者は、「普通学校」の支援体制、理解への不備を入学希望の理由のひとつに挙げているという。僕は「軽度の子」は普通級で学ぶべきだという持論を持っている。それには「特別支援学校」の充実をはかると同時に、普通級での支援体制を強化していく必要があると思っています。大変だろうが、普通級の先生、がんばれ、と言いたい。

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2009年4月25日土曜日

書名、配本日決定

朝からの雨。ゴールデンウィーク(と言っても僕にはあまり関係がないが)の入り口の週末は全国的に雨模様となるようだ。しょうがない、雨の日はしょうがな〜い♪

今年のゴールデンウィークは曜日の「並びが良い」ことと不況の影響から、会社側も「まあ、休んでくれよ」ということで、近年にない「大型連休」になるようだ。「金もないのにこんなに休みがあっても困る」というサラリーマン氏のコメントをテレビで聞いた。

僕は基本的にヒッキー生活好きで、金はなくとも部屋の中であれこれしていればすぐに時間が経つ。で、その「あれこれ」の案件は次々とわき起こるので、暇を持て余すということはない。

ただ、すごくくだらなく愚かなこと、例えば、DLしたフリーのサンプルエロ動画ファイルを、オクさんの目を盗んで、選別してDVD-Rに焼いたりする作業をしていると「小人閑居して不善を為す」という言葉を思い出す。

ところで、今年1月末に脱稿し、足かけ3年に及んだ「発達障害」に関する本が世に出る体裁が、ここ数日間でばたばたと決まった。

書名は『発達障害 境界に立つ若者たち』
オビ文句が、
「一見、ふつうなんだけど、かんたんな計算ができなかったり、ちょっと変わっていたりする。だから理解されにくく、「居場所」が見つからない……。
そんな「ふつう」と「障害」のはざまにいる彼らは、実は、とても「ハートがピュア」な若者たち。仕事に恋に勉強に、いま悩んでいること、そしてこれからの夢を語った。
社会に「居場所」を探している「はざま」の若者たちの横顔」
などとつく予定。

僕が過去のガッコウの卒業生6人にインタビューした文面が主な内容で、発達障害関連の本は数多くあるが、「本人」が自分について、自分を取り巻く社会的環境について多く語っている本はあまりないと思う。

それと、18年間関わってきたガッコウの話を書いた。だから、僕の18年間の講師生活の総括でもある。

平凡社新書として6月15日に書店配本予定。価格は740円。

この本が発行できる運びとなったのは、ひとえにフリーランス編集者である浜野智さんのおかげ。彼の意見を尊重し、著者名を本名の山下成司でいくことにした。僕は長いこと、山下セイジ、とファーストネームをカタカナ表記でイラスト活動をしてきたので、山下成司という名前が活字になるとなんだか裸になったようで面はゆい。

なかなか内容、表記についてデリケートなテーマなので本名で著すことは、文責を背負うという意味でも身が引き締まる気がする。この本が世に出て、どういう反響があるか、実はあまり楽観視していない。しかし、ここまで来たら堂々といこうと思っている。

公の場で意見を述べるということは、こうした些末なネット日記も含めて、書いたこと、言ったことの責任を負うという意識を持たねばならないと、この頃強く思う。

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2009年4月20日月曜日

性懲りなく、紹興酒


土曜日、3月中旬に閉校となってしまったガッコウの関係者が集う酒席に招かれた。例年であれば歓送会となるところが、「送送会」もしくは閉校会となり、招かれた出席者全員が送られる立場となるわけで、僕もその一人。

経営者・学院長であったN氏夫妻はじめ、ガッコウの創生期から関わってきた講師や、僕の戦友とも言える講師、後輩講師、お目付役というのか、関わり深い三人の年配諸氏、それぞれ既に違う職場、立場となってしまったが、ガッコウ近くの中華料理屋での宴会におよんだ。

僕は早めに出かけ、長年使用してきた机まわりの整理と教室ロッカーの整理をした。いつもの春であれば、整理処分するもの、新年度にそなえるものと区分けせねばならず、整理下手の僕には時間がかかる作業であったが、考えることなくバンバンと捨てたので、案外早く終わった。

最後の卒業式を終えた直後は感慨あり、未練あり、放心していたが、ひと月以上経って、授業への未練は不思議となくなってきた。たぶん、やるべきことはすべてやり尽くした実感があったからかもしれない。

思い出話に花が咲いたが、生徒に関しては強烈な思い出の数々、枚挙にいとまがないほどで、今度彼らに関する本を出版することになっているが、その鮮烈、強烈な事例の半分も本に書くことができない。そのような思い出。

宴席では、僕は青島(チンタオ)ビールから始め、中国人が経営する本格中華の店だったこともあって、過去あまり飲む機会はなかった紹興酒を中心に飲んだ。

紹興酒は日本酒と同じ主に米から作る醸造酒だが、カラメルを加えることであの独特な匂いと甘みのある、ちょっとクセのある酒になる。中華料理にはやっぱり合うなあ、と言いつつ、かなり辛みの強い麻婆豆腐など肴に、調子こいてけっこう大量に(ボトル一本半は飲んだか)飲んだ。

タイの「魔の酒」、メコン・ウィスキーもかなりクセのある酒だが、僕は基本的にクセのあるものが好きなのかもしれない。人物についても、まあ変なところがある人に惹かれる傾向がある。

で、そういうものに出会ったら、一気にその世界にずぶずぶと入り込んでしまうところがあって、その日も後半、紹興酒オンリーで最後までいった。

泥酔寸前で深夜帰宅、倒れ込むようにベッドに潜り、寝たが、明け方、猛烈な胃痛で目が覚めた。僕は暴飲暴食してもけっこう平気な強靱な胃腸をありがたいことに持っているため、めったなことで胃痛など経験しない。

なので、胃腸薬系の常備薬もなく、とりあえず水を飲み、胃痛が治まるのを待ったが、今度は腹痛を覚え、胃痛+腹痛の二重苦となり、トイレに行き、便器にしゃがみ込んだ途端、脂汗というのか、どっと汗が出て、それはそれは苦しい思いをいたしました。

朝になり、少し痛みも和らぎ、少し寝て、10時過ぎにベッドから起きあがったが、いわゆる二日酔い。頭痛と胃痛と、こともあろうに歯痛まで。歯に関しては昨年春、長い歯医者通院生活を終え、以来何ともなかったのだが、一年経ち、また治療を要する歯が出てきた感じだ。

そんなわけで、今日は調子が最悪だった。夕方に一眠りして大分良くなった。今はもう平気。メコン・ウィスキーもこっぴどくやられた経験あり、今後の人生において二度と飲まない決意をしたが、紹興酒も二度と飲むことはないであろう。

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2009年4月14日火曜日

アンラッキー〜スラッキー、そしてディープ・メコン2

午後6時、南林間の駅に降り立ったら、毎回、豊田勇造さんのライブに誘ってくれる、編集者、音楽ライターの浜野智さんがおらっしゃった。某大手出版社編集者Aさんを伴い、駅からすぐそば、横浜銀行裏手にあるイーサン食堂へ。

勇造さんのライブはなんだかんだで四度目、イーサン食堂も三度目の訪問。ここはご主人Yさんとタイ人の奥さまがやってらっしゃるタイ・レストラン(というより、タイ食堂、「タイ衆食堂」的雰囲気)で、狭い階段を上ると、十二畳ほどの板張り座敷があり、演者も客も靴を脱いでのライブ観戦となる。

腰がウイーク・ポイントの僕としては座しての観戦は辛く、この前のスラッキー・フェスティバルも床に座って聴くものだったので、そこんとこ、ちょっと難点はあった。前回はたまたま座椅子があり、楽ちんだったが。

ライブの前に、シンハー(タイのビール)を飲みつつ、トムヤム・クン、空芯菜、タイ風お好み焼き、等、いくつかのタイ料理を平らげる。ここを初めて訪れたとき、少しばかり地獄を見た「メコン・ウィスキー」をAさんに無理矢理勧めたりした。(僕はもうメコン・ウィスキーを今後の人生において飲むことはないだろう)。

で、勇造さんのライブだが、日中のスラッキーとは降り立つ地平がまったく違う音楽であろう。スラッキーが海を渡る乾いた涼風のように響くのに対して、豊田勇造は亜熱帯の水田に吹く熱い風のように響く。

しかし、共に人の心に優しい。楽園で育まれた寛容と亜熱帯モンスーンで培われた寛容。どちらも、今の日本には欠けているもの。

ライブ終演後、勇造さんと話す機会があった。前回は「なぜ、豊田勇造の髪は黒々とふさふさしているのか」についてだったが、今回は、彼の使っていたギター(ギブソンの1942 J-45・リイッシューモデル)の話をした。

「勇造さんはギブソン、好きですよね」と言ったら、「好きってもんじゃないですよ」と。「マーチンも使ったことはあるけれど、やっぱりギブソンが大好きです」と顔をほころばせた。ギブソンの、あのゴリゴリした骨っぽい音は豊田勇造の作る音楽に合っている、というようなことを僕は彼に言った。

僕もギブソン・アコースティックギターのファンだったが、僕には「ゴリゴリした骨っぽい資質」はあまりないことに気がつくまで随分時間がかかった。楽器の中では最も軟弱な部類のウクレレが一番自分の体質に合っていることに気がついたのが、たかだか数年前のことだし。

「僕の持っているウクレレはギブソンなんですよ」と勇造さんに自慢。「へえ、珍しいですねえ」と穏やかに彼は微笑んだのでした。いい人です。豊田勇造。







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アンラッキー〜スラッキー、そしてディープ・メコン1

日曜日は、横浜で開催された「スラッキー・フェスティバル」で、敬愛するギタリスト藤田洋介さんがスラッキー・ギター(開放弦チューニングを用いるほんわか、ゆるめのハワイ発祥奏法)を披露するというので、オクさんと一緒に春爛漫の午後、いそいそと出かけたのだった。

午後2時を少し回った頃、会場の本多劇場入り口までやって来ると、そこには洋介さん始め、パラダイス本舗関係各位がお揃いであった。

「いやあ、さっき終わったんです」と演奏を終えたばかりの上気した表情で語る洋介さん、「予定より出番が早くなったんです」と。パラダイス・キャッツ、メンバーのNさんも洋介さんの演奏が終わって直後に来た、とのこと。

洋介さんの出演は午後2時半ごろと聞いていたのだったが、出演者多数のこの手のコンサートは「押す」のが通例だとの思いこみもあり、またこの日は「ダブルヘッター」の予定だったから、ゆっくり出かけたのだった。

残念だったが、まあ仕方ない。みんなして、「飲めるところ」を探し、西口界隈をしばし徘徊、居酒屋を見つけ、昼間からビールと相成った。

その後、僕とオクさんは「スラッキー・フェスティバル」をしばし覗くことに。




関西を拠点とする「オールドサザン・ジャグ・ブロワーズ」というバンド。スラッキーではないが、「いい感じのユルさ」という点では共通性がなくもない、20年代のブルースを再現するバンドであった。陶製のビン(ジャグ)をブォ、ブォと吹いて、ベースの旋律を作るところが、ジャグ・ブロワーズ。興味深うござしました。


フラとの「コラボ」も。ハワイ・ミュージックにはフラが似合う(当たり前か)。僕のオクさんもフラを習ってる。あんまし、オクさんのは見たかないが。


スラッキーギターの方(お名前はわかりません、失礼)のスラッキー仕様ペグ、2弦分がウクレレのペグみたいな「シングル・アクション」になっている。一発でペグを緩めることができ、「ペグ緩め奏法」(何というのか知りませんが)に効果的みたい。ふーん。

小一時間ほど、スラッキー・フェスティバルでお気楽なワイハモードに浸ったところで、豊田勇造ライブ@南林間イーサン食堂に行くため、横浜からUターン。これについては別日記に。

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2009年4月11日土曜日

公園の花絨毯

春うらら、陽が傾きかけるころ、歩いて数分の近所の公園に散りゆく桜を見に行った。



普段はひっそりとしていて地味な公園だけど、春の夕日を湛えて、花の絨毯が敷き詰められている感じだった。



赤いブランコも桜の花びらに囲まれて、嬉しそうじゃないか。



花の絨毯の上に僕の長い影法師



夢のような花絨毯





一陣の風がそよと吹けば、花びらが舞う。



なんとものどかな花絨毯




花積もる小道



花びらを集めて、嬉しそうな公園



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2009年4月9日木曜日

"Paradise Cats" Debut Live @ パラダイス本舗


4月4日、「パラダイス・キャッツ DEBUT LIVE @ パラダイス本舗」、なかなかの盛況の内、無事終えることができました。まだまだ演奏が荒い点、拙い点もあろうかと思いますが、全体リハもあまりできなかったデビュー戦としてはまずまずではなかったかと自己採点しております。

ご来場頂いた友人、知人、関係各位、あらためてお礼を申し上げます。そして何より、メンバーのみなさんに感謝したい。僕にとっては、何とも嬉しい嬉しい夜でした。ありがとうね、みなさん。


さてさて、このデビュー・ライブを大いなる助走として、今後も精進し、腕に磨きをかけ、さらなる飛翔に向けて、ぼちぼちとライブ活動をやっていきたい所存。よろしくお願いいたします。







"Paradise Cats" YouTubeサイト:http://www.youtube.com/hottaheru?gl=JP&hl=ja

Paradise Cats

藤田 洋介 :Yosuke Fujita (Guitar&Vo.)
山下セイジ :Seiji Yamashita(Vo.&Ukulele)
野田 高澄 :Takasumi Noda(Guitar, Mandolin, Steel Guitar & Vo.)
石井 啓介: Keisuke Ishii(Accordion & Melodion)
フジタヨシコ:Yoshiko Fujita(Bass & Vo.)

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2009年4月1日水曜日

Paradise Cats Debut Live Flyer





4月4日、中央林間「パラダイス本舗」でめでたくデビューとあいなります「パラダイス・キャッツ」のウェブ・フライヤーです。

よろしくおねがいします。

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