2009年9月17日木曜日

鈍色の国府津に本多信介を訪ねる


♪自転車に乗ってちょいと捻ってぎっくり腰〜 をやってしまってちょうど2週間、いまだ腰のあたりわずかではあるが「わだかまり」のようなものが残っていて、それはほとんど「ぎっくりフォビア」とでも言うべきメンタルなもので、いつなんどきグキッとくるかもしれない恐怖に捕らわれてしまっているものだから、意識がともすれば腰に向かい、そのことが患部周辺の緊張を生み、イマイチ感が拭えないでいる。

しかし、いつまでも「ぎっくりフォビア」引きずっているわけにもいかないので、このところの腰具合の経過を鑑み、本日「ぎっくり明け宣言」を発表しようと思う。「ヘタレ腰地方は9月17日ごろ、ぎっくり明けしたとみられます」。


火曜日、編集者&ライターの浜野智さんに誘われて、東海道線小田原の手前、国府津にお住まいの、元はちみつぱいのギタリスト・本多信介さんを訪ねた。

昼すぎ、浜野さんと待ち合わせたJR国府津駅に降り立つと、煙るようなこぬか雨が降っていた。天候のせいもあって、鈍色に染まるあくまで地味な海沿いの町、そこはかとなく海の匂い、住んでみたい感じの町であった。

道路沿いの昔ながらの酒屋でビールを買い込み、小さな魚屋で刺身など求め、駅から七、八分ほど歩いたところに本多さんのお住まいがあった。玄関ドア前には大量のビールの空き缶。笑

本多信介さんとは、浜野さんが企画編集した『渋谷百軒店 ブラックホーク伝説』というムックの出版がきっかけでお会いしたことがあった。もう2年くらい前か。

僕がその本の表紙を描いたのだが、レコードを小脇に抱え、ロック喫茶「ブラックホーク」の前を鬱屈した表情で歩くロン毛若者を描いたんですね。まあ、「70年代長髪ロック系音楽好き若者」という括りの匿名的な感じの若者。モデルは特におりませんが、服装格好はディランの「フリーホィーリン」ジャケットから拝借したりした。

で、『ブラックホーク伝説』出版パーティの席に現れた本多さん、初対面の僕に「君がこの表紙を描いたのか、あれは俺じゃないか」と。「どう見てもあれは俺だ。俺以外の人物ではない」と。しきりに言うんですね。

30年以上前、本多さんもブラックホークに入り浸っていた若者の一人で、ブラックホークの前を「あんな風にレコードを小脇に抱え、あんな風にちょっと鬱屈気味に歩いていた」、そして、この表紙に描かれた若者の風貌はあまりにも自分の若い頃に似ている、ということだった。「あれは俺だよ」、と言う本多さんのぱい時代の写真など見れば、確かに似ておられる。

そんなことがあったのが本多さんとの初対面で、今回およそ2年ぶりにお会いしたのだが、なんとも愉快で気さくなお人柄で、僕はいっぺんに好きになりました。

昼間から、本多さん宅に持ち寄ったビールなど飲みながら、三人の「境界に立つおじさんたち」は談論風発、夕刻、僕のフェイバリット・スポット、元夕焼け楽団ギタリスト・藤田洋介さんのお店「パラダイス本舗」のことに話が及ぶと「行こう、行こう、今から行こう!」ということになり、酔っぱらった勢いで三人は東海道線→小田急江ノ島線と乗り継ぎ、パラダイス本舗のある中央林間へ。

それで、本多さん、パラ本に着いたら「洋介クン、セッションやろう!」ということになり、期せずして「元・夕焼け楽団ギタリスト」と「元・はちみつぱいギタリスト」のセッションと相成ったのでした。

洋介さんと本多さん、あまり面識もなくお互い30数年ぶりに会ったとのことだが、そこは同じ時代を生きてきた凄腕ギタリスト同士、良い感じのセッションだったな。

飲んべえでちょっと子どもっぽくて人好きのする本多さんだが、「ロックのスピリットでジャズの言語を操る」ということが目標のようで、僕はちゃっかり彼のソロである『晩夏』と『Guitar Resort』という2枚のアルバムを頂いたのだが、ボッサ・ジャズ風というのか、それはそれはリリカルで繊細な音楽であります。

結局、僕はいつものように終電までパラ本にいて、昼間から深夜にいたるまで飲み続けることになった。楽しい楽しい一日でありました。

画像は、雨に煙る国府津の海、傘さし海を見る人はたまたまいた人

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