2009年8月1日土曜日

大井町のとある酒場で旧友と


昨日は、甲府に住むカメラマンの旧友が東京に所用あって出てくるのだが、久しぶりに会わないかということになり、さて何処で会おうかというので、友人が最近オープンした大井町にある音楽酒場で落ち合おうと思いついたのだった。

待ち合わせの時間より幾分早めに店を訪ね、ビールを飲みながら壁面に掛けてある「これがみんな本物だったら数百万(コピーモデル通の店主曰く)」というコピーモデルギター群をポロポロ爪弾いていたら、彼が現れた。

ここ何年かは年賀状のやりとりくらいしかなく、随分ご無沙汰していたが、再会を果たしてすぐに、会わなかった期間(十年近くになるだろうか)が嘘のように、お互いの近況、世間話に話が弾んだ。

久しぶりに会った彼は多少髪に白いものが目立つようになったとは言え(それはお互い様であろうが)、物腰、話し方、笑顔は昔とちっとも変わらず、そのことがとても嬉しかった。

彼は僕より少し年上だが、なぜか僕は彼のことを君付けで呼ぶ。なぜそうなったのかよくわからないが、僕は若い頃、二つや三つの年の差はみな「同級生」という考え方をしていて、友人をさん付けで呼ぶことに抵抗があった。

横柄なわけではなく、さん付けではイマイチ親しみが持てないと言うか、よそよそしい感じがしたのだろう。そして彼は僕より年上でありながら君付けの呼称を許してくれている。ちなみに彼は僕のことを「ちゃん付け」で呼ぶ。

いつの間にか、お互いを君付け、ちゃん付けで呼び合う友人は少なくなってしまったが、僕は相手の呼称についてはけっこう意識している方で、許されるならばより親しみが持てる感じがする君付け、ちゃん付け、あるいは苗字ではなく、名前をその人の呼称にしたいと思っている。

相手の呼称を意識するのは、アメリカでいい大人がお互いをファーストネームで呼び合うことの気軽さ、親しみやすさが気に入ったことがある。彼の地では、知り合ってすぐにファーストネームで呼び合うことが普通で、学校の先生に対しても近所のおじさんに対しても(さして親しくなくても)、ファーストネームで声を掛ける。あれはいいな、と。

件のカメラマンの友人、少なくなってきた君付け、ちゃん付けで呼び合う何十年来の友人が帰った後、入れ替わりのようにお店に現れたのが友人の友人であるTさんで、初めてお目に掛かったがお互い共通の友人が多いことからすぐにうち解け、音楽話が弾んだ。

旧友との再会の直後、「新友」との出会いがあった夜でありました。

人気ブログランキングへ

0 件のコメント: