2009年7月8日水曜日

僕らはみんな星くず





『星くず』 written by Yosuke Fujita

黒い雲に包まれて 何も見えなくなったなら
僕のこと 思い出して 名前呼んでおくれ
長い旅に疲れて 道に迷ってしまったなら
僕の歌 思い出して くちずさんでおくれ

僕らは みんな 星くず
陽の光を 浴びて 輝く
おまえも 涙をふいて 
歩き出すんだ おまえの道を

僕らは みんな 星くず
陽の光を 浴びて 輝く
おまえも 涙をふいて 
歩き出すんだ おまえの道を

黒い雲に包まれて 何も見えなくなったなら
僕のこと 思い出して 名前呼んでおくれ
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『陽の当たるところへ』と並ぶ、我らが藤田洋介の名曲であろう。
「30年前に作った歌、聞いてください」と前置きし、洋介さんはこの歌を歌い出した。


70年代、僕らは若く、貧しく(僕は今も生活レベルはそんなに変わってないが)、思えばウブであった。時代そのものがウブであった。

ひと世代上の「団塊」お兄さんたちの「熱狂」を少し離れた位置で眺めつつ、少年は心の内にその熱狂の飛び火のようなものを育てることになる。僕は地方の高校を中退し、17歳の春、上京した。1970年、学生たちに占拠されていた東大安田講堂が機動隊によって陥落した年の春だった。

そこから始まる僕の70年代は、当初、「祭り」への高揚した参加意識があった。晴れて足かせを解き、「混ぜてもらった」連帯感を感じていた。しかし、既に祭りは急速に終息に向かっていたように思う。

当時髪を伸ばし、音楽などいうものに足を突っ込み、時代の中で彷徨っていた僕は、「就職が決まって髪を切って来た(ユーミン『イチゴ白書』)」お兄さんたちに「そろそろ、頭を冷やして現実的に物事をとらえるべきだ」と諭されたのだった。

でも、僕の心の内の熱狂の飛び火は、それが完全燃焼することがなかったため、いつまでもくすぶり続けて、70年代中期以降、「祭りのあとのむなしさ(吉田拓郎)」漂う時代に「道に迷ってしまって」、「何も見えなくなって」しまった感じがあった。

そういうほの暗い時代にあって、しかし、それでも時代はまだまだウブで温かく、僕を含め、社会のエッジに生きていた若者たちは、お互い、黒い「家電」のダイヤルを回し、女子高生のように長電話し、夜な夜なアパートに集まり、酒を飲みつつ、ギターを弾いてボブ・ディランを歌ったものだった。

「ぼくらはみんな星くず」、このいくぶんセンチメンタルなフレーズも、僕の70年代においてはリアリティがあったのだ。

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