2009年7月12日日曜日

『発達障害 境界に立つ若者たち』書店用ポップ


先月発刊となった『発達障害 境界に立つ若者たち』の書店用ポップが出版社から送られてきた。僕のインタビューに応じてくれたA学院の卒業生たちの自画像をあしらったものだ。

これらの自画像は本書ではモノクロで、各インタビューイの章の頭に各自の簡単なプロフィールとともに掲載されている。そのカラーバージョンが、ポップとして使用されることになった。

自画像は、ほとんどの場合、インタビュー現場でデジカメ撮影したポートレイトのカメラモニターを本人に見せながら、その場で紙と鉛筆を渡し描いてもらったものだ。それを持ち帰り、スキャナーでパソコンに取り入れ、デジタル着彩は僕がやった。

美術の授業でさんざん生徒に自画像を描かせてきたから、自画像というものが描き手の人となりを表すのに効果的なビジュアルであることはよくわかっていた。あまりお上手でないものはそれなりに、お上手なものもそれなりに。

当初、この本の企画があったとき、彼らが語る自身のストーリーを「ひとり語り」形式でまとめようというアイデアがあった。そこで思いついたのが、「LD児たちのセルフポートレイト」というタイトルで、実際に彼らに自画像を描かせ、それを本に掲載しようというアイデアだった。

「ひとり語り」については、もとより自分自身を語る言葉の語彙がそんなに豊富ではない彼らが語る言葉の背景を、補足、説明しなければならず、そうするとどうしても彼ら本来の語り口のナチュラルさが損なわれ、「嘘くさく」なってしまう点があって、結局見送られた。しかし、自画像を掲載するアイデアについては実現したわけだ。

「名は体を表す」と言うが、「自画像は体を表す」。それぞれの自画像は、僕の思惑通り、それぞれの人物の体質、人間性まで表しているように思われ、どの作品もリアルに描かれたものではないが、今にも彼らの声音で語り出しそうに見える。

もっとも、これは僕が彼らのことをよく知っているからで、彼らのことを知らない読者にとっては匿名的な絵に見えるかも知れないが、それでも彼らが語る言葉とは別の次元で、読者が彼らを理解する糸口が見えてくることを期待した。

述べたように、僕は過去たくさん生徒たちに自画像を描かせたことから、その原画やコピーしたものを多く所有している。大胆で力強く描かれたものから、繊細な細い線で描かれたものまで、多様な自画像はそのまま多様で個性溢れる卒業生たちの思い出に重なる。

美術指導の初期の頃は、絵を描くことに苦手意識を持つことが多い彼らに自信を与えようと、手を貸し、筆を入れ、結果的に「お上手」に見える絵を完成させることが往々にしてあった。

そうした絵も何点か手元に残っているが、それを見ても、その絵を描いたはずのその子の記憶にはあまり結びつかない。僕の指導の痕跡の記憶がたどれるだけである。いつ頃からか、本人が描いた絵にあまり手を加えることをやめた。絵は基本的に「描かせっぱなし」が一番良いと気がついたのだ。

僕にとって、彼らが残していった(僕の手が加わらない)自画像は、今でも時折引っ張り出して眺めるにつけ、彼らの息づかいさえ思い起こさせるような生々しい記憶を喚起させるツールとなっている。写真よりもある意味、本人を伝えるパワーがある。それが絵の持つマジックだ。

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