2009年7月10日金曜日

サクランボ


サクランボが届いた。山形産のそれはそれは美味しいサクランボ。箱を開けると、赤く艶ややかでなんとも愛らしい果実の群れが、一斉にくすくすと笑い声をあげるようで、思わずこちらの頬もゆるむ。

「ういやつじゃの〜、どれどれお味を試してみるかの〜」と、エロ代官になったような気持で、程良く熟れたいたいけな果実をひとつつまみ、唇に寄せ、軽く噛めばぷりっとした感触とともに、甘酸っぱい果汁が口中に広がる。

このサクランボは、A学院の卒業生、Y子さんのお宅からの贈り物。もう10年近くたつだろうか、彼女が卒業して以来、毎年毎年、この季節になると届くのだ。だから、僕にとってサクランボの控えめで可憐な印象はY子さんの在学時代の印象に重なる。

彼女は中学を卒業して普通の高校に入る希望を持っていたが、学力的に難しく、A学院に入学してきた。勉強は苦手だったが、大人しく手がかからず、素直な性格で、やや内気なところが見受けられたが、意外と芯が強く、努力を惜しまないところがあった。

そして、彼女の芯の強さと「がんばり屋さん」の性格は卒業後の進路において有為に働き、比較的転職頻度の高いA学院の卒業生の中で、彼女は卒業と同時に就職した大手のクリーニング工場で、現在に至るまで元気に就労を続けている。

そのクリーニング工場は、当時A学院で実施していた「企業実習」というカリキュラムを通じての就労だった。「企業実習」は、ある一定期間、企業(クリーニング工場、清掃会社、流通業、飲食業、パン製造業、老人介護施設、等々)の現場に生徒を送り込み、職場体験をしてもらうという趣旨で行っていた。無報酬のトライアル雇用のようなものだ。

生徒の職場体験を主な目的とし、原則として「雇用を前提としない」ものとしていたが、企業側に好感触を得た生徒に関しては、さらに実習を重ね、就労をお願いするという思惑は当然こちら側にはあった。

「いえいえ、就職をお願いするわけではなくて、アルバイトもなかなかできない生徒たちなんで、将来のために職場というものがどういうものか、体験させて頂くだけで、こちらとしては大変ありがたいことなんです」と企業側担当者に頭を下げると、当時、平成不況の中にあった企業も、「そういうことであれば協力しましょう」ということになる場合が往々にしてあった。

そして、評価の高い生徒については、後日、「ところで、あの生徒についてなんとか、就職をお願いできないものでしょうか」と切り出すわけだ。方法論として、姑息な気もするが、企業側にメリットのある「福祉的雇用」ではなく、あくまで「一般雇用」のケースが多かったA学院の生徒の就労に関しては正攻法ではなかなか上手くいかない。

Y子さんの場合は、自宅からほど近いクリーニング工場での実習を行ったわけだが、僕が引率し、ある程度の期間、ジョブコーチ(本人のそばについて技術指導をする)のようなこともやった。

仕事は概ね単純な作業の繰り返しで、例えばプレス機から出てくるリネン類を折りたたみ梱包していくような作業があった。作業自体は難しいものではなかったが、機械のそばにカウンターがついていて、どれくらいの効率で仕事を消化していったかが、わかるような仕組みになっていた。

Y子さんは決して不器用な方ではなかったと思うが、慣れないことと、冬場だったので布に静電気が溜まり、ときおりバチっと音がする度、怖くなって(けっこう痛いんです、あれ)作業の手が止まった。

見かねて、僕がカウンターの数字を稼ぐため作業を手伝っていたところ、工場長がやってきて「だめじゃないか、先生! 手伝ったりしたら!」と大目玉を食らったのだった。工場長は、Y子さんにも「静電気なんて怖がってどうするんだ!」と叱りつけた。僕も相当きまりが悪かったが、Y子さんはみるみる目に涙を溜め、半泣き状態。でも、彼女は決して作業の手を休めなかったんですね。

そんなことがありました。その厳しい印象の工場長は既に異動されたようだが、その後、長くY子さんを可愛がってくださり、彼女にとって信頼の置ける大好きな人となったようだ。工場長という立場で採用する以上、あえて厳しく指導することが本人のためになるという信念をお持ちだったのではないかと今にして思う。

つい先日、本の出版記念ライブにY子さんとご両親が来てくれ、随分久しぶりに彼女と会うことができた。はにかんだような微笑みは変わっていなかったけれど、少女の印象しかなかった彼女が思いの外、「娘さん」になっていたので僕はちょっとどぎまぎした。「黄色いサクランボ」から「赤く艶やかなサクランボ」に彼女は健やかに成長していた。

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