2009年5月24日日曜日

デンデンムシノ カナシミ



デンデンムシノ カナシミ
新美南吉

イツピキノ デンデンムシガ アリマシタ。

 アル ヒ ソノ デンデンムシハ タイヘンナ コトニ キガ ツキマシタ。
「ワタシハ イママデ ウツカリシテ ヰタケレド、ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルデハ ナイカ」
 コノ カナシミハ ドウ シタラ ヨイデセウ。
 デンデンムシハ オトモダチノ デンデンムシノ トコロニ ヤツテ イキマシタ。
「ワタシハ モウ イキテ ヰラレマセン」
ト ソノ デンデンムシハ オトモダチニ イヒマシタ。
「ワタシハ ナント イフ フシアハセナ モノデセウ。ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルノデス」

 デンデンムシの悲しみは殻の中につまっている
 デンデンムシは悲しみを背負って生きているのです    
 この悲しみは どうしたらいい?

 スルト オトモダチノ デンデンムシハ イヒマシタ。
「アナタバカリデハ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパイデス。」
 ソレヂヤ シカタナイト オモツテ、ハジメノ デンデンムシハ、ベツノ オトモダチノ トコロヘ イキマシタ。
 スルト ソノ オトモダチモ イヒマシタ。
「アナタバカリヂヤ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパイデス」
 ソコデ、ハジメノ デンデンムシハ マタ ベツノ オトモダチノ トコロヘ イキマシタ。

 デンデンムシの悲しみは殻の中につまっている
 デンデンムシは悲しみを背負って生きているのです    
 この悲しみは どうしたらいい?

 カウシテ、オトモダチヲ ジユンジユンニ タヅネテ イキマシタガ、ドノ トモダチモ オナジ コトヲ イフノデ アリマシタ。
 トウトウ ハジメノ デンデンムシハ キガ ツキマシタ。
「カナシミハ ダレデモ モツテ ヰルノダ。ワタシバカリデハ ナイノダ。ワタシハ ワタシノ カナシミヲ コラヘテ イカナキヤ ナラナイ」
 ソシテ、コノ デンデンムシハ モウ、ナゲクノヲ ヤメタノデ アリマス。

 デンデンムシの悲しみは殻の中につまっている
 デンデンムシは悲しみを背負って生きているのです
 それは他のデンデンムシも おなじこと
 それはどんなデンデンムシも おなじこと
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『ごん狐』の作者、新美南吉の童話というか詩というか、「童話詩」とでもいうものだろうか。初出は1950年とあるから、敗戦からわずか5年、朝鮮戦争勃発の年だ。

日本はこれから「特需」に湧き、アメリカの「ポチ」となりつつ60年代の高度経済成長の時代へ突きすすむわけだが、このお話しが発表されたときはまだまだ戦後の混乱期で、戦争の生々しい記憶と焼け跡の貧しさの中で、人々の「カナシミ」もごつごつした手触りのある、ある意味、明快でわかりやすいそれであったろうと想像される。

以後60年近く日本が少なくとも「平和」であることは希な幸運であったのかもしれない。しかし、飽食の時代にあって、人々の「カナシミ」の質は変化し、多様化したのであろうが、「カナシミ」の種は尽きることがないように思う。

衣食足りての「カナシミ」は、むしろ、茫洋としていてとりとめがない分、重く深いのではないか。富める者もそうでない者も、知識のある者もそうでない者も、大人も子どもも、それぞれの「カナシミ」の質は違うだろうが、抱える「カナシミ」の本質と絶対量は同じだと思う。子どもの涙も大人の涙も結局は「おなじこと」だと思う。

このお話しを語り歌にしようと思ったのは、先月だったか、天皇成婚50周年に寄せて、朝日新聞『天声人語』に、美智子皇后がかつてこのお話を講演で朗読されたという逸話が書かれてあったのを読んでから。

「自分だけではないのだ。私は、私の悲しみをこらえていかなければならない。この話は、このでんでん虫が、もうなげくのをやめたところで終わっています」と皇后は語ったという。

誰もが「カナシミ」を「殻の中」に住まわせている。しかし、それを嘆いていてはいけない。「カナシミ」を受け入れた上で淡々と軽やかに生きるべきだと、新美南吉はこのお話しを通じて言っているのだろう。

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