2009年5月5日火曜日

ぼくの好きな先生


本日付、朝日新聞の朝刊、社会面に忌野清志郎さんに関する記事が出ていた。

http://www.asahi.com/national/update/0504/TKY200905040150.html
以下、記事抜粋
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清志郎「先生のこと歌に」… 「ぼくの好きな先生」秘話

♪劣等生のこのぼくに すてきな話をしてくれた——2日に58歳で亡くなったロックシンガー、忌野清志郎(いまわの・きよしろう)さんには終生慕う先生がいた。東京都立日野高校で担任だった小林晴雄さん(77)。初期のヒット曲「ぼくの好きな先生」のモデルになった。必ず闘病生活を乗り越える。先生と級友はそう信じてきた。

3日、都内で営まれた清志郎さんの通夜に、小林先生は参列した。ひつぎの中の教え子は穏やかな顔をしていた。「十分がんばってきたんだ。ゆっくり休め」。心の中で声をかけ、花を手向けた。

《十八になる私の子供はギターのプロになるのだと申します。私どもには何が何だかわからなくなりました》

69年11月、朝日新聞にこんな身の上相談が載った。清志郎さんの母からだった。

「大学に行っても4年遊ぶんだから、4年は好きなことをやらせてあげましょう」。気をもむ母を説得したのが、小林先生だった。

清志郎さんは67年に高校に入学した。俳優の三浦友和さんも同じ学年だった。

同級生の斎藤園子さん(57)によると、校内では物静かだった。小柄できゃしゃ。マッシュルームカットでひょうひょうと廊下を歩いた。

高校時代にバンド「RCサクセション」を結成。活動にのめり込み、欠席や遅刻が相次いだ。ただ、美術部顧問で、生徒の話にじっくり耳を傾ける小林先生にひかれ、絵画制作に熱中した。

「勉強が嫌いだから絵描きになった」という先生は、職員室が嫌いで、美術準備室でいつも一人でたばこを吸っていた。後輩の芝田勝美さん(56)は、部員でもない清志郎さんがショッキングピンクに染め上げた白衣を着て、放課後の美術室で黙々と絵筆を動かしていたのを覚えている。「本当に小林先生を慕っていました」

高校を卒業した70年にプロデビュー。2年後、「ぼくの好きな先生」が入った初アルバムを携えて美術室を訪れた。「先生のことを歌にしたんだ。迷惑でしたか」。先生は「照れくさかったけれど、やっぱりうれしかった」。

ステージでは、派手な衣装やメークに身を包んだ。でも同級生の岡田重子さん(57)は「普段は静かな人。あのお化粧は照れ隠しでしているんだなと思っていた」。清志郎さんの本名は栗原清志。先生や級友はずっと「栗原くん」と呼び続けてきた。

10年ほど前から、小林先生を慕う卒業生が開くOB展に清志郎さんも出品するようになった。06年にがんの闘病生活に入っても出品は続いた。

昨年2月。武道館で「完全復活祭」と銘打ったライブがあった。招待された小林先生は、同窓生6人と客席で見守った。終演後に楽屋を訪れてビールで乾杯し、「無理しちゃだめだよ」と皆で声を掛けた。清志郎さんは高校の頃と同じように「うん、うん」と照れくさそうにうなずいた。

だが、がんは転移した。

先生と清志郎さんが最後に会ったのは今年2月、OB展の会場だ。三浦さんと共に訪れた清志郎さんは、1時間近く思い出話に花を咲かせた。

まとめ役には「先生にどうしても会いたいんだ」と電話してきたのに、先生には、安心させようとしてか「もう大丈夫です」と笑ってみせた。

清志郎さんが逝った夜。同級生の坂崎隆義さん(57)はOB展のブログに追悼の文章を書き込んだ。「一緒に生きた幸せな時代。しんどい時代だけれど、なんとかしのいで生きていく。みんな。忘れないよ。合掌」(小島寛明、市川美亜子、鈴木暁子)

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朝日の「身の上相談」欄に彼の母親が投稿したことを、僕は知らなかったが、ファンであったオクさんは「有名な話よ」と言っていた。

「十八になる私の子供はギターのプロになるのだと申します。私どもには何が何だかわからなくなりました」というのは、今となればなんだか微笑ましい。

僕にも似たような経験がある。17歳の時に「高校辞めてイラストレーターになる」と親に言ったときに、親が当時の高校の担任に相談したのであった。

しかし「先生」が言ったことは、清志郎さんのケースとは間逆で、担任は僕の家まで訪ねてきてくれたが、親の面前で「(イラストレーターになるなどと)何を馬鹿なことを言ってるんだ!」と頭ごなしに罵倒された。

担任が「君のやりたい気持ちも分かるが、とりあえず高校は卒業しよう」とか言ってくれたら、僕は高校を辞めなかったと思う。英語を受け持っていて、キザったらしくて嫌みな、今思い返しても嫌なヤツだった。

ただ、先生という立場から、あまり無責任に生徒の夢や希望について、手放しで同調することはいかがなものか、と思うこともある。

僕が関わってきたガッコウの生徒の多くはいわゆる「境界児」であるが、電車の運転士、バスの運転手、保育士、アニメの声優、グラフィックデザイナー、漫画家、など、能力的にまず難しいであろう職種に就くことを希望していた。

親が客観的に子どもの能力を把握している場合は問題ないが、何人かの親は「子どもが望むなら」と、特に資格を必要としないグラフィックデザイナーや漫画家などになれる方策を相談されたこともある。

それで、無駄になるかもしれないと思いつつ(結局その生徒はデザイナーにはなれなかったのだが)、デザイン学校に生徒を推薦したこともあった。それは自分の体験から、生徒の希望をむげに否定することができなかったせいもある。

ひとり、ロックギタリストになりたいという生徒がいて(彼は6月に出る本に登場する)、ロックをやりたいというのは、もともと「私どもには何が何だかわからなくなりました」の類の夢であるから、僕は鷹揚に笑って「頑張れよ」と応援することにした。

彼は、比較的最近(今年度の卒業式・閉校式直前)、ギターを抱えてガッコウに訪ねてきて、新しくゲットしたレスポールタイプのギターを見せてくれた。彼には在学中、ちょこちょこギターを教えていたが、なかなか上達しなかった。

彼のギターを手に持ちながら、「練習してるか?」と聞くと「はい、やってます」と。ちょっと弾いてみたら、チューニングがかなり狂っていたので、「チューニング、狂ってるよ」と言ったら「そうですか?」と。

ロックギタリストへの道はかなり遠い気がしたのだった。

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