2008年5月31日土曜日

家に帰ると、手伝いの前に


宿題を済ませます。家に電気がないので。

と、照れくさそうに笑った、と続く。西アフリカ、マリ、ネリコ村の小学6年生、ママさんの言葉。本日付朝日新聞一面、最貧国のひとつ、マリの「共同体学校」の現状をを訴える記事から。教師の給料は3万2500フラン(8千円あまり)。

国が何もしないから、貧しい村でありながら大人達がお金と労力を出し合って学校を建設した。しかし依然として、子ども達の多くは「重要な労働力」、勉強は仕事の合間に行う。それでも、子ども達は「毎日の学校が楽しみ」であると。

「リッチな国」のひとつ、日本の小学生は親の手伝いをする代わりに塾に向かう。そして、日本の小学生2万6503人、中学生11万2913人の計13万8696人が不登校状態(2001年度調査)。どちらの小学生が幸せであるか、「答えは風の中」。


金曜日は授業の日、リッチな国のプアな学校での昨日の授業は、午前中の2コマをさいて、「中国四川大地震」特集。「背に腹は変えられない」中国も日本の支援を歓迎し、大災害を「不幸中の幸い」とするにはいささか問題もあるかと思うが、胡錦濤訪日も大地震直前であったことも幸いし、ある意味、近年の日中外交の最大の成果を得ようとしている、と言えるのでは。

「いままで日本人は嫌いだったが、今は感謝している」という中国被災者の言葉になんだかほっとするお人好し日本人の僕も一人である。最初、救援に向かったレスキュー隊のみなさん、現在救援をしている医療隊のみなさん、ご苦労様。自衛隊機派遣はさすがに実現できなかったようだが、「災害エキスパート」の日本の善意と力を十分、中国に与えて欲しい、と願いますね。

2008年5月28日水曜日

生まれてから18歳まで、少女は良き両親を、


18歳から35歳までは美貌を、
35歳から55歳までは良き人格を、
55歳以降は金を必要とする。
     
アメリカの歌手、ソフィー・タッカーの言葉。これは「女の人生」に必要なもの、ということだが、男であれば、18歳から35歳までは屈強な肉体を、というところか。いや、美貌でも良いが、概ね男も女も年取れば金、ということだ。


双葉社「小説推理」今月号が届いた。今月から連載開始の山田正紀『復活するは我にあり』で挿絵を描いた。佐木隆三の『復讐するは我にあり』というのがあったが、タイトル・パロディなのであろう、こちらも冷血無慈悲な主人公が登場するハードコアな内容。

舞台はベトナム北部最大の港湾都市ハイフォン、主人公は不治の病を患う初老の実業家、冷徹非道なやりかたで富を築いた。彼には「親殺し」の忌まわしい過去があり…、と禍々しい。

ほっとけばどんどん過激になる、というか過剰になる絵の体質、さらっと描けない資質が僕にはあるが、そういう僕にぴったりの内容の小説。

画像左は、主人公の「親殺し」の場面、病床の父親の人工呼吸器を「笑いながら」引き抜くという極悪さ。こういうシーンだと、湯水のようにイメージが溢れてくる。困ったもんだ。

画像右は、病のせいで「勃起不全」となった主人公が、ハイフォンの安ホテルで女に「ストリップ紛い」のことをさせて、なんとか「復活」を謀ろうとするシーン。主人公は既に立ち上がることさえもできない車椅子の人であった。

昔、ペントハウス日本版という雑誌で連載された、イギリスの小説家、評論家コリン・ウィルソンの「恐怖の館」という、殺人鬼にまつわるノン・フィクションのイラストを描いたことがあるが、このときも嬉々として絵を描いたような。

時代はどんどん病んでいく傾向にあると思うが、出版におけるビジュアルは特にバブル以降概ね、健全で「明るく軽いタッチ」が求められる。その方が売れるということだが、今よりずっとシンプルで明るい時代であった70年代、横尾忠則、宇野亜喜良、辰巳四郎など、サブカル的というのか、少なくとも明るくオシャレな、という感じではなかった。出版界も黄金時代だったろう、あのカッコ悪くて貧乏くさいが、人々の思いが過剰気味だった時代。懐かしいが今は昔。

まあ、僕の絵はいくぶん過剰気味なところがありますが、本人はいたって優しくメロウなおじさんだと思うんだけどなあ。

2008年5月26日月曜日

問題は、“貧乏”という生活レベルの問題ではなく、


“情けない”という人間存在のあり方である。

橋本治のシリーズ・エッセイ集『貧乏は正しい!』から。90年代中期バブル崩壊が日本を覆う現象となっていた頃の出版物、「就職氷河期」の直中にいた鬱屈する若者に対してエールを送るような内容であった。

「貧乏は正しい!」というのは、清貧であれ! という意味合いではなく、「バブルが間違っていた」ということの言い換えであろうと思う。しかし、貧乏人には少しばかり勇気を与える言葉だ、「貧乏は正しい!」。

橋本治氏にはお会いしたことがある。イラスト仕事のオッファーがあり、バブル末期の90年代初頭、当時お世話になっていた編集者氏からの紹介で代々木だったか、仕事場にお邪魔した。

当時、橋本さんは金髪レザージャケットのいでたちで、妙なオーラがあり、その人柄に僕はけっこう魅了された。

結局、仕事は事情あって流れてしまい、プッシュすれば形になったかも知れないが、僕は肝心なところで押しの弱い性格なので、今思えば惜しいことをした。

その橋本治さんを紹介してくれた編集者K氏は、僕の古い友人であったO君の紹介で、そのO君と知り合ったきっかけはギタリスト洪栄龍で、洪さんが乱魔堂時代、演奏をしていた渋谷ロック喫茶「BYG」でレコード係をしていたのが、音楽ライター編集者の浜野サトルさんで、浜野さんからの依頼でジャズ・ロック評論家、相倉久人さんの本の表紙を書かせて頂き、その相倉さんが監督を務める草野球チームのメンバーに古い友人の国立ジャズボーカルのお店「sings」のオーナーのTさんがいて、のちにTさんとO君も知り合いであったことがわかり、そのTさん、O君、洪さん、編集者K氏とも知り合いであったという翻訳家の中江昌彦氏に浜野さんの紹介でお会いすることができたのが先週土曜日、ところは白山にあるジャズ喫茶「映画館」であった。

マイミクで「神奈川横浜以西派」同志Nさん、平凡社「若手(に見える)」編集者Fさん、浜野さん、僕、と集い、極上のオーディオ装置から流れるジャズの調べをぶったぎりながらお喋りな女子高生の集まりかと見まごうおっさん集団は、中江さんを囲んで業界四方山話に花が咲いたのだった。

中江さんの「クラプトン自伝」、憂歌団、天童よしみ関連の裏話等、テープで起こせば、相当に面白いと思うが、まずは公表されることはない。「悪口は酒が進む」と書けば、内容は推察されるだろうか。

しかし、僕の多くもない「業界人脈」が重なるこの狭い世界、悪いことはできないなあ、と心したのでした。(悪口言われるから。笑)


画像は、白山「映画館」の2代目看板猫「虎太郎」。良質なジャズを聴いて育ち、さぞやいい耳を持っていることだろう。酔いに任せて抱きしめたらすごく嫌な対応をされた。猫は酔っぱらいが嫌い。

2008年5月24日土曜日

猫に小判



どんな貴重なものでも、その価値が分からない者に与えては、何の役にも立たない。というポピュラーな諺だが、紙幣も猫にとってみればただの紙切れ、山羊にとってみれば食い物としての価値はあるだろうが。


昨日は、生徒を提携校社会科見学スクーリングの一環、日本銀行本店に引率。ここを訪ねるのは僕も初めて。旧館正面に入ると、そこは重厚な石造りの明治レトロの世界、「ネオ・バロック様式にルネッサンス意匠を加味する明治洋風建築中最重要な遺構」ということだが、日本の西欧模倣文化ハシリの代表的な一例であるとも言える。

玄関口で、「金属でできたものは持ち込まないように」と注意があり、空港なみのチェック、小銭なども一緒に荷物はロッカーに。城南信用金庫大和支店に入るのとわけが違う。もちろん内部は撮影禁止。

ガイドさんに案内され、赤絨毯が敷き詰められた建物内部へ。大理石をふんだんに使った内壁、金メッキ風エレベータードアなど、レトロ具合がなんだかディズニーランドのテーマ・スポットみたいな感じ。

50号くらいの歴代日銀総裁の油彩肖像画が通路脇にずらっと掲げられ、当時の「お抱え画家」の手によるものだろうが、こういう依頼があったらギャラはいくらくらいなのだろうか、と零細イラストレーターは思った。

見学のメインは地下金庫のドア、重さが15トンあるという。「ルパン三世でも無理かも」と、提携校生徒のひとり。現在はもちろん使われていないが、金庫内部は煉瓦造り、広さが「野球場のダイヤモンドくらい」で、紙幣、金塊を運搬したレール跡などもあり、国家を動かす規模の金がかつてここで蠢いていたのだなあ、とちょっと感慨した。

近隣の「貨幣博物館」も見学し、午後3時過ぎに解散。帰路も横浜まで生徒を連れて。前日金曜日は中央林間「パラダイス本舗」で12時近くまで飲み、昨日は朝っぱらから一日、あちこちと歩き、さすがに疲れて、昨夜は爆睡。


画像左:日銀本店中庭からのショット。背後にあるのは日本橋三井タワー、明治石造りと平成グラスタワーの対比。
画像右:見学のおみやげ、「紙幣の切りくず」。これで紙幣3枚分ある、とのこと。集めれば、猫のトイレにはなる。

2008年5月22日木曜日

人間のうちの最高の賢者さえも、


金を取りに来る人間よりは、金を持ってくる人間を歓迎する。

ドイツの物理学者、リヒテンベルグの言葉。長いこと契約している新聞の集金人に「新聞代が高いのでとるのをやめようかなあ」と言ったら、向こう3か月分を割引してくれた。言ってみるもんだね。


ピーカン五月晴れの昨日昼下がり、友あり遠方より来たる、シアトル在住の友人日本人夫婦の奥サマの方と東京方面で会食した。飯田橋駅前プラザビル20Fにある和食のお店で、奥サマご持参の「汚職事件」じゃなかった「お食事券」でウチのオクさん共々ゴチになった。

昨日は晴天、街は光の粒で溢れ、気温は高め湿度は低め、陽光の下にいるとやや暑いが、陰に入ると涼しい。日本にいて春秋の時折、かつて住んでいたロサンゼルスの空気を彷彿させるお天気の時がある。まさに昨日はそんな感じで、プラザビル付近は緑も多く、周辺を歩きながらちょっとロサンゼルスっぽい感じがした。

シアトルに住む友人夫婦とは80年代、ロサンゼルスに住んでいたときに知り合い、よくつるんで遊んだものだ。ダンナも奥サマも在米30年くらいか、いわゆる「新一世」という感じ。ダンナの方はそうでもないが、奥サマは日系人オーラがそこはかとなく漂う。やっぱり、歩き方とか視線の構え方とかが欧米っぽくなるんですね、長く住んでいると。

で、四方山話あれこれ。シアトルの陰鬱な冬の話、アメリカでの老後年金の話、当時、親しくしていた共通の友人(彼女は離婚し傷心のまま、最近帰国した)の話など。僕はロサンゼルスに7年住み、90年に戻ってきたが、あの頃はホントに楽しかった。7年間、一度も鬱屈するようなことはなかった。気候が人の気分を支配するということはある。

今日もまずまずのいいお天気だが、やや湿気が多いような。この湿り気が日本人の感性、ということだろうか。


画像は飯田橋プラザビル最上階和食レストランから、海鮮丼食いながら見た眺め。高層ビルが建ち並ぶ新宿あたり、シアトル在住奥サマに「あのビルは何? あのビルは?」と聞かれてほとんど答えることができなかった。都庁くらいはわかりますが、まるきし興味のない都市開発。

2008年5月20日火曜日

冨……


一人の人間の手に帰した多数の人間の貯蓄。

アメリカの社会主義・労働運動指導者、デブスの言葉。世界的な食料品の物価高騰、ことにアフリカのシリアスな食糧危機とその背景にあるバイオ燃料の増産と加熱する穀物投機。飢餓の民衆を踏み台にして築く富の構図ということだ。日本における「格差」の構造も同様。


ここのところ、小商いと学校関係諸々やるべきこと多くてばたばたしておりました。先週頭から多くもないイラスト仕事の締め切りが重なり、これはフリーランサー宿命の掟、When it rains, it pours.(降るときはどーんと降る)、あるいは「少ない仕事はいつもかたまってやって来る」。というのは零細イラストレーターの「マーフィの法則」。

土曜日はウチの生徒を引率し、提携校の「土曜コース」授業に参加。今年度、諸般の事情あり、他のサポート校生徒と共にスクーリング授業を受けなければならなくなった。

予想はしていたが、ウチの生徒達には難しすぎる授業内容で、四則計算もあやしい生徒達に今回の数学は「指数法則」の授業であった。Xm x Xn+ = Xm+n 、とか、(Xm )n = Xm x n 、とかいうやつですね。

まあ、高校の数学としたら、別に難しいわけでは全然ないけれど、ウチの生徒にとっては、アラビア語の読解くらい難しい。ヘブライ語の書取りくらい難しい。E=mc2を小学生にわかるように説明するくらい難しい。

僕とて、指数計算をするのは高校以来、ほぼ40年ぶりであろうか、記憶の底にこんなものもあったなあ、と、そしてこれに続く無理数、関数、虚数…、真面目で思い詰めるタイプの少年(想像もつかないだろうが、僕のことだ)は、数学さえなければどんなに救われることか、と思ったものだ。

結局、少年は不幸にも救われなくて、「不登校のさきがけ」となってしまうのだが、そんな苦い記憶も今となれば遠い昔。なんであんなに数学で悩んだのか、ただでさえ悩み多き年頃、もったいないことをしたものだ。

その数学の授業中、生徒のひとりの様子がおかしくなった。別室に連れて行き事情を聞くと「わけわかんなくて、キレそう」とのこと。ただ、座ってさえいれば単位は取れる、わかんなくてもぜーんぜーん問題ない(それはもう、経験者が言うんだから)、と説得したが、本人ストレス臨界点に達する感じで、結局早退させた。

僕としても、言葉と裏腹に「ただ、座ってさえいれば単位は取れる」授業などやらせたくない。今後、相当回数このスクーリング授業が予定されているが、現在変更を提携校に交渉中。

週が開けて、残りイラスト仕事をさきほどやっと片づけた。これは珍しく締め切りに余裕があり、しかしそれはそれで、なんども弄くって時間をかけすぎた。絵というのは絵の方から「もう終わりですよ」と語りかけてくる瞬間があるのだが、中にはなかなかそうは語りかけてくれない絵もある。大抵はダメになる。ま、しかし、終わりがあるのが締め切り仕事、妥協もせねばなるまい。

やれやれ、ちょっと一段落、忙中閑有り。 朝方の嵐もやんで、ぼんやりと陽が差し始めた。さてさて。

2008年5月10日土曜日

「金稼ぎの唄」


あ〜なたはアフィリエイトでタイムマシーンばかり♪
私はい〜つもビジネスのノウハウ♪
あぁ〜副業♪あぁ〜副業♪
きっと明日は英太郎〜♪

「問えば弾き語り 小松崎ジュン」http://splax.net/jun.html
おもしろそうなのでやってみた。

このところの最大の関心事「金稼ぎ」だが、本業ピンチで副業ばかりでは食ってはいけぬ。英太郎って誰だ? 金でも貸してくれるのか、英太郎。続けて「貧乏の唄」、「零細の唄」、「誰か金くれ!の唄」等、立て続けにリクエストしたら、

ちょっと続けてリクエストしすぎじゃない?
じっくり聴いてくれると嬉しいな♪
また来てね♪

と言われた。小松崎クン、すまんかった。


昨日は、授業後、3名の保護者と面談。ノンストップ3時間トーク。「できる限りのことはいたします」というのは字義通りの本音。「主体になって動いて頂くのはお母さん、あなたです」ということを言外に伝えることに努めた。「お母さんが、まず、いい生き方をしなきゃ」とエラそうなことも。

授業も含めて、ほぼ8時間強しゃべくりまくった。さすがに疲れて帰宅後、テレビを見ながらうたた寝、そのままベッドに。爆睡10時間。

2008年5月9日金曜日

富を欲するか。


ならば、恥を忍べ、傾絶せよ。故旧を絶ちて、義と背け。
(恥に耐え、命の限りに全力を尽くせ。旧友との交際を絶ち、義理に背け。)

孟子の言葉。まあ、ストレートに無理です、僕には。しかし、この中国の賢人の格言、近年の中国の国是でもあるのか。

ところで、胡錦濤という人、温和で実直そうなルックスと裏腹に彼の政策の基本とやってきたことは非常に強圧的だ。愛ちゃんと卓球をやっている光景がテレビで紹介されたが、ものすごく凶悪な顔をしてスマッシュを打ち込んでいた。親善卓球でそんな本気にならんでもよかろうに。やっぱり人間の本質は顔に出ます。


火曜日が歯医者の日だったが、連休でずれ込み本日午後、歯医者へ。まだ、歯医者へ通っているのだった。先々週、3月半ばから続けていた「根の治療」がようやく終わり、先週、歯を削り、仮歯装着。本日、型どり、来週には晴れて「差し歯」が出来上がる。早く解放されたい歯医者詣で。

帰路、買い物。ダイソー、ヤマダ電気といつものショッピングコース。ヤマダ電機のポイントカードは来店、買い物のたびにスロットルマシーンでポイントが付くサービスがあるのだが、以前は来店時10ポイント、買い物後90ポイント(またはその逆)で計100ポイント付くケースが多かった。

最近、方式が変わったのかどうか知らないが、2回のルーレットで10ポイントずつ、計20ポイントしか付かなくなった。ケチくさいぞ、業界1位だろがヤマダ電機、などと思っていたが、本日当てました、500ポイント。初めてです。ちょっと嬉しかった。

2008年5月6日火曜日

もしも心がすべてなら、


愛しいお金はなにになる。フランク・シナトラの言葉。もしもお金がすべてなら、愛しい心はなにになる、というのがビートルズ、Can't Buy Me Love。


甥が関西テレビの制作畑で働いている。彼からある日電話があり、「叔父さん、テレビで使うイラストを描いてもらえませんか。ギャラは安いんですけど…」と。聞けば確かにギャラは安いが愛すべき甥のため、テレビの仕事というのも面白そうなので引き受けた。

お笑いコンビ・チュートリアルがホスト役を務める「チュートリアルのチューして!」という関西ローカルのバラエティ番組に使用されるイラスト。イラストは番組の1コーナー「街角・男と女の恋愛格言」のタイトル画。「チュートリアルの二人の似顔の男と女がしっぽりしているところを浮世絵風に」というのが注文。

元絵は歌川国芳の春画、実はここに掲載するのもはばかれる艶めかしいものであった。バックで少し遊んで、飛行機やら車、郵便配達のバイクなど描いた。放送ではこの飛行機が左から右へ飛ぶような仕組みになっている。

番組は始まったが、関西ローカルなのでどんな感じでイラストが使用されているかわからなかったが、甥が収録DVDを送ってくれたので見ることができました。

2008年5月4日日曜日

人生に必要なものは、勇気と、希望。


それといくらかのお金だ 。

喜劇俳優、チャーリー・チャップリンの言葉。ごもっとも、勇気と希望だけでは生きられぬ。生きるために必要な「いくらかのお金」というのは、「経済アナリスト」森永卓郎がこだわる「年収300万」くらいだろうか。勇気と希望と「年収100万」くらいで生きられないものか。なあ、神様。


昨日は、音楽ライターにして編集者・浜野サトルさん、シンガー・ソング・アートディレクター・野田氏&奥様と近隣中央林間「パラダイス本舗」にてゲット・トゥゲザー。連休と言っても、零細イラストレーター、さして予定があるわけではなし、「そうだ、パラダイスに行こう」と誘い合わせたのだった。

「パラダイス本舗」は藤田洋介さん(洋麻 ex. 夕焼け楽団、現ミラクルトーンズ)のお店で、先々月、酩酊”Go Go!" 松尾さんのゴキゲンなDJ大会を覗きに初めて行ったのだが、店主洋介さんの温厚な「ご住職」然としたお人柄、店内スタッフの方々の温かいおもてなしに感銘し、ここを今後の憩いの場所本命と定め(家から近いのが何より。這ってでも帰れるぞ)、前回「これからもちょくちょく寄らせていただきます」と言い残し、今回が2度目の「ちょく」であった。

僕はこの日、ライブがあるとは直前まで知らず、おじさん達はビール片手に「クリエーター哀史及び出版フキョーの目も当てられぬ実態」から「やばいぞ、中国、どうなる日本」にいたる、どちらかと言えば(とても)景気の悪い話に花を咲かせていたところ、おもむろに店内でリハが始まり、ピーヒャラとブルース・ハープを吹くのはまだ少年の面影を持つ倉井夏樹君弱冠19才、バックでビンテージ・ギブソンL-00、オープンD仕様(マスターさん情報)を爪弾くのは佐藤克彦さん、なんだなんだ、めちゃくちゃいいではないか! と「ライブはあまり聴きたくないなあ、違うところに行こう」と渋る浜野さんを「聴きましょう、聴きましょう」と説得し、はからずものゴキゲンなライブを鑑賞することができた。

本番は倉井君、佐藤さんのデュオで始まり、途中、ドラムの田中さん、御大・洋介さんが加わった「ジョージア・オン・マイ・マインド」は白眉の演奏。後半、佐藤さんの奥様(?)、Sachikoさんのジョニ・ミッチェルばりの歌唱も聴かれ、大都市の辺境、大和中央林間界隈は大いに盛り上がったのでした。


画像:向かって左が超絶テクのブルース・ハーピスト、倉井夏樹君。5才からブルース・ハープを吹いていたという。右がギターの佐藤克彦さん。オープンD、ジャジーでベースランニングを効かせた演奏がセンス良いなあ、と。中央に藤田洋介さん、温かく且つ伸びやかでブライトなトーン、「なにも足さず、なにも引かない」良質なウィスキーのようなフレイジング、見事でした。

2008年5月3日土曜日

私は貧乏だったり、金持ちだったりしたわ。


信じて、金持ちの方がいいわよ。

30年代アメリカの映画女優、メイ・ウェストの言葉。僕は金持ちだったことがないので、「信じて」と言われれば信じるしかない。


毎週金曜日は授業の日、一時限目は「人体」の2回目。今回は「骨と筋肉」。内蔵クン2号を指しながら、「こんなふうに全身は筋肉によって覆われている。ああ、筋肉じゃないところもあるね。耳たぶとか、え? あそこ? うーん、あそこはね、筋肉じゃないの、海綿体っていってね…」。今年度は男子ばかりなのでこの辺りは気楽にトークできる。次は英語、ドラえもん英語「Body」2回目。「身体の部位を英語で言ってみよう」、理科と英語が連携しているという授業なんですね。まあ、たまたまですが。knee、elbow、toe、等の英単語を教えるのに、ニー・ドロップ、エルボウ・ドロップ、スピニング・トー・ホールド等のプロレス技を熱く紹介するがプロレスファンはおらず、反応は乏しかった。午後は久しぶりに工作、ペーパークラフト。アニメキャラを中心にダウンロード、画用紙にプリントしたものの中から好きなものを選んでもらう。今年度は大人しい生徒ばかりでみんな作業中は無言で淡々と作業に向かう。いや、悪いことではないのだが、むしろけっこうなことなのだが、あまりに静かなのでラジカセ搬入、FMで音楽を聴きながらの作業とした。いや、生徒が望んだことではなく、僕が。落ち着きのないうるさい生徒を相手にハイテンションな授業を長年やってきたサガというものが、私語、無駄話というモノがない授業はちょっと淋しく感じるのだった。いや、静かな授業は決して悪いことではなくて、良いことなのだが。