2008年11月8日土曜日

横浜トリエンナーレ2008(その1)





さて、「横浜トリエンナーレ2008」の印象について、すぐには言い表せないようなどんよりとした不透明さがあった。それは全体的に辛気くさい「ハイ・アート」系作品群が多く、「現代美術というのは難解だ」という一般的な見解に対し、「おう、難解だとも、悪いでか!」とシリアスに居直ったアーティスト達の「青臭さ」というものが会場を漂い、若い頃ならまだしも、シリアスなものに対峙するエネルギーに欠けてきたこのごろ、ちょっと僕には重たかった、というところ。

前回、3年前の横浜トリエンナーレでは「肛門バー」(http://blog.goo.ne.jp/seijiyamashita/e/37632c491d84dacf9bcd6eb2890456e6)なんかがあって、いわゆる「ロウ・アート」系作品群は理屈抜きに楽しめたが、アートというのは楽しむばかりではないわけで、殊にコンテンポラリー・アートというのは宿命的に時代の空気と同調する傾向があり、そういう時代なのだという認識を持ったことが収穫と言えば収穫だったか。

シビアにシリアスに思考せよ、という時代。報道ステーションのフルタチの「辛気くさいしたり顔」を毎日のように眺めていて(嫌なら見るなと思われるそうだが、つい見てしまう報道ステーション)、「肛門バー」を見てにんまりするのが基本的に好きな僕としては「ほんとにしょっぱい時代になったなあ」と思う。


画像は、中ではロウ・アート系の東京生まれドイツ人アーティスト、ヨナタン・メーゼのインスタレーション。この人、若いんだろうなあ、と思っていたら1970年生まれ、このあたりの世代の「70年代回帰」というものを僕は感じているのだけど、どうだろう。備えられたテレビでは三島の「憂国」を流していた。

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