2008年5月28日水曜日

生まれてから18歳まで、少女は良き両親を、


18歳から35歳までは美貌を、
35歳から55歳までは良き人格を、
55歳以降は金を必要とする。
     
アメリカの歌手、ソフィー・タッカーの言葉。これは「女の人生」に必要なもの、ということだが、男であれば、18歳から35歳までは屈強な肉体を、というところか。いや、美貌でも良いが、概ね男も女も年取れば金、ということだ。


双葉社「小説推理」今月号が届いた。今月から連載開始の山田正紀『復活するは我にあり』で挿絵を描いた。佐木隆三の『復讐するは我にあり』というのがあったが、タイトル・パロディなのであろう、こちらも冷血無慈悲な主人公が登場するハードコアな内容。

舞台はベトナム北部最大の港湾都市ハイフォン、主人公は不治の病を患う初老の実業家、冷徹非道なやりかたで富を築いた。彼には「親殺し」の忌まわしい過去があり…、と禍々しい。

ほっとけばどんどん過激になる、というか過剰になる絵の体質、さらっと描けない資質が僕にはあるが、そういう僕にぴったりの内容の小説。

画像左は、主人公の「親殺し」の場面、病床の父親の人工呼吸器を「笑いながら」引き抜くという極悪さ。こういうシーンだと、湯水のようにイメージが溢れてくる。困ったもんだ。

画像右は、病のせいで「勃起不全」となった主人公が、ハイフォンの安ホテルで女に「ストリップ紛い」のことをさせて、なんとか「復活」を謀ろうとするシーン。主人公は既に立ち上がることさえもできない車椅子の人であった。

昔、ペントハウス日本版という雑誌で連載された、イギリスの小説家、評論家コリン・ウィルソンの「恐怖の館」という、殺人鬼にまつわるノン・フィクションのイラストを描いたことがあるが、このときも嬉々として絵を描いたような。

時代はどんどん病んでいく傾向にあると思うが、出版におけるビジュアルは特にバブル以降概ね、健全で「明るく軽いタッチ」が求められる。その方が売れるということだが、今よりずっとシンプルで明るい時代であった70年代、横尾忠則、宇野亜喜良、辰巳四郎など、サブカル的というのか、少なくとも明るくオシャレな、という感じではなかった。出版界も黄金時代だったろう、あのカッコ悪くて貧乏くさいが、人々の思いが過剰気味だった時代。懐かしいが今は昔。

まあ、僕の絵はいくぶん過剰気味なところがありますが、本人はいたって優しくメロウなおじさんだと思うんだけどなあ。

0 件のコメント: