2018年7月11日水曜日

週刊「猫並日記」2018 (5.26)

2018年5月26日(土)
<鵜のごとく夫が待ちおり春岬>というのは母の句。父のリタイア後、父と母は二人で旅行をするのが楽しみだったようだ。実家に残された写真を見ると、近隣山口県内の観光地、九州方面、四国、沖縄、祖父母の喉仏が納骨されている福井永平寺等に行っていることがわかる。息子たちがいる東京、神奈川方面にも何度か二人で訪れた。父は油絵を楽しみ、母は俳句に夢中だった。「あの頃が一番楽しかったよ」と母が言ったことがある「あの頃」▶この句の「春岬」はおそらく、二人で出かけたどこかの観光スポットだろう。「ちょっとトイレに行ってくるから待っちょって」と母は父に言い、父は母を待つ。用を足して戻ってきた母の目に「鵜のごとく」首を伸ばし、ぼんやり岬を眺めている父の姿が映ったという光景。背景は春の海、老夫婦の旅先でののどかな雰囲気が感じられる▶5月19日先週土曜日から一昨日5月24日木曜日にかけて、秘書同行で母の四十九日ミッションに行ってきました。メインのイベントは四十九日法要と納骨だが、「せっかくだから」、初日の「新幹線途中下車の旅・岩国錦帯橋」を皮切りに、下関ミニトリップ、火の山ロープウェイ、山陰津和野日帰り旅、小雨に煙る門司港探訪、そして最終日の「新幹線途中下車の旅第2弾・尾道ぶらり旅」の5泊6日間。5日目は雨が降ったが、それ以外は天気にも恵まれ、観光を満喫した感じ。毎日1万歩から2万歩、歩きましたよ▶旅好きの秘書にすべての計画を丸投げし、ぼくはなーんも考えず、ぶらぶらと各地スポットの散策を楽しんだ。もとより出不精、旅行にあまり興味がないぼくだが、秘書同行だと万事楽で、二人旅行は悪くないなと思った。これからちょくちょく二人旅行を楽しもうかなと。「ちょっと待ってて」時間はちょくちょくあるけれど。

動画は下関の観光スポットのひとつ「火の山」、ロープウェイ(子どものときに乗って以来)で山頂まで行き、見下ろす関門海峡。向かって左側が門司、右側が下関。

週刊「猫並日記」2018 (5.15〜5.19)

2018年5月15日(火)
<一時間足らぬ一日かたつむり>というのは母の句。かたつむりの時間はゆっくり進むのだろう。だから、いつも1時間足らない日々を過ごしている。しかし、かたつむりは時間に追われ焦っているようには思えない。あくまで泰然自若。「ああ、もうこんな時間か」と一日を過ごしていて感じることが多くなった。かたつむりを見習いたい▶日曜日、ハードレイン降りしきる中、久々にパラダイス本舗のフォークデーに行った。ウクレレ軍団多数参戦ということで、センセーとしては、行かねばならぬ、ジーンズの裾、スニーカーの中、ぐっしょぐっしょになりながら、「走れメロス」の心境で駆けつけたのだった。で、メロスは仲間たちの歌を聞いたり、一緒に歌ったり、楽しい時間を過ごしたのでした。パラ本、良いとこ、一度はおいで、同じ阿呆なら歌わにゃ損損。

写真()はそのときの模様。

2018年5月19日(土)
<扇風機アルツハイマーのまま働けり>というのは母の句。どんな扇風機か想像がつく。たまに風を送るのを忘れたり、首を振ったり振らなかったり、首が戻らなかったり。昨年まで20年くらい使っていた扇風機の「最晩年」がそうだった。で、昨年、新しい扇風機を買ったのだった。その扇風機の今期初登板、スイッチを入れると「ぶぉ〜〜〜!」と風を切る音かやたらうるさい。うるさいわりに風が弱い感じ。「こんなんだっけ?」、秘書も「こんなにうるさくなかったよ」と。もう壊れちゃったかなとがっかりしつつ、初登板の日はとりあえずそんな感じで▶翌日、もしやと羽根を外し、反対に取り付けたら、静かにそよそよと風を送ってくれた。掃除のため、羽根を取り外していたのはぼくだが、その羽根を秘書が反対に取り付けていたのだった。よもやそんなこととはと、一件落着。羽根を反対につけると音がうるさくなり、風が弱くなる(一応、風は前向きに来るんですけどね)という実験と検証でした▶さて、今日から母の四十九日法要、納骨のため下関に向かいます。来週水曜日夜が帰宅予定。秘書も同行するので、「せっかくだから小旅行」も計画している。今日は新幹線途中下車の旅、岩国、錦帯橋を訪ねようかと。待っててくれる母ちゃんはもうこの世にはいないけれど。

写真()は生まれたばかりのアジサイ。

週刊「猫並日記」2018 (5.4)

2018年5月4日(金)
<隠れいし針みな出づる聖五月>というのは母の句。「聖五月」はカトリックの「聖母月」から発した初夏の季語。五月はカトリックの祝日である聖霊降臨祭と聖母祭があり、信者にとって重要な祭日が五月に多いことから生まれた季語、とのこと▶ぼくの通った幼稚園は聖母園というカトリック系の幼稚園だった。園児はキリスト降誕の劇をやることになっていて、ぼくはキリストの誕生を祝して贈り物を持って現れるという東方三博士のひとりを演じたが、人前でお遊戯めいたことをやるのが嫌で嫌でたまらなくて大泣きした記憶がある。そのぼくが、長じて、人前で歌など歌うようになったことは「三つ子の魂百まで」というのもあまりあてにならないということ▶ともあれ、その幼稚園の関係で母は一時期、カトリックの信者だったこともあり、「聖五月」という季語を使ったのだろう。隠れていた(紛失していた?)針がみな出てきた、というのはキリスト教的なひとつの奇蹟と母は解釈したのかもしれない。失せ物がみな出てくる「聖五月」の奇蹟。ちなみに母は女学校を出て洋裁学校に通った経験があって、針仕事はお手の物だった▶母が亡くなってちょうどひと月が経った。そして今日、5月4日は母の誕生日でもある。生きていれば94歳になる。母の誕生日をずっと長い間、5月5日と思っていた。最近、兄と母について話したりしたが、兄も長い間、母の誕生日は5月5日と思っていたようだ。母が子どもたちに嘘の誕生日を教えたわけだが、「なんでそんなウソを言うたん?」と聞くと、「そんなこと言うたかいねえ」と母がとぼけたのは、比較的最近のこと▶母の誕生日には(5月5日であれ4日であれ)、毎年母に電話をしていた。母が電話に出ることができなくなったここ5年くらいは手紙やカードを送ってきた。今日は心の中の「冥界電話」で天国の母に電話しようと思う。「母ちゃん、94歳の誕生日おめでとう!」

YouTube動画は、母が卒寿を迎えたときに贈った母の俳句写真集をスライドショーにしたもの。「母ちゃんの俳句をYouTubeにアップしたけえ、見てね」。天国では「冥界インターネット」でYouTubeでもなんでも見られることだろう。他の人に見てもらえば、母も嬉しいと思います。

週刊「猫並日記」2018 (4.27)

2018年4月27日(金)
<万華鏡ばかり廻して春の底>というのは母の句。実家の母の部屋は、かつて母が暮らしていたそのままの状態にしている。父が寝起きした部屋の隣り、北向きの薄暗いが妙に落ち着く六畳間。古い箪笥と窓に面して三面鏡が置かれている。三面鏡の上に置かれた小物入れの中に、千代紙細工の万華鏡が入っていた。母はそれをときどき取り出して、ひととき楽しんだのだろう。「春の底」は晩春の季語。初夏の季節を迎える少し前、なんだか心もとないような、気持ちがざわつく季節のように思う。そんな気持ちをなだめるように万華鏡を覗く。

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週刊「猫並日記」2018 (4.17〜4.18)

2018年4月17日(火)
<天の川おいしかったという幸せ>というのは母の句。かつての母がこしらえた夏の夕餉はどういうメニューだったろうか。焼き茄子とインゲン、キュウリの酢の物、やっこ豆腐にヒラメ薄作り……。父は缶ビールを飲みながら、母と差し向かいで食べたことだろう。おいしいものを食べる幸せ、大きいよね。でも、今の母の食事は味気なさそうなミキサー食。スプーンの先でほんの少しつついて、口に運び、しかめっ面をする。「おいしゅうないんかね?」と聞けば、哀しげに母は頷く。食べたくない、食べられない。「おいしかったという幸せ」を母は失ってしまった▶2年ほど前の投稿でこの句を紹介したとき、ぼくはこう書いた。母が誤嚥性肺炎に罹り、それまで暮らしていた特養から病院に移ったのがほぼ4年前。それから母の食事は味気なさそうなミキサー食になった。ほとんど食べないので、三度の食事が二度になり、一度になったが、それでも母はミキサー食にほとんど口をつけなかった。その代わりの「クリミール」という栄養ドリンクは、それだけが母の生命線であることをわかっていたのか、一日3本、計600kcalを律義に飲み干した。あとは点滴による100kcal、合計一日700kcalで亡くなるまでの4年間、体重変動もなく、健康状態も良好に過ごした▶母が亡くなった日の夜、病院に駆けつけたぼくに、看護師は「お母さんは亡くなる直前まで普段とそんなに変わらなかったんですよ。『何か好きなものを食べたい』というメモを渡されたくらい」と言って、ぼくに母のそのメモを見せてくれた。最近、発語が困難になっていたことから、看護師に何か伝えたいときはメモを書いて渡すようになっていたようだ▶右手指が硬直していたことから、紙片にたどたどしい筆跡で書かれた文字は「何かすてきな すき(な)物を」と読める。「何か好きなものを食べたいの?」と看護師が聞けば、母はうなずいたということだ。「でも、嚥下の問題があるから(好きなものを)あげられなかったですけど……」と看護師は申し訳なさそうに言った▶亡くなる日の午前中に書かれたこのメモはぼくが保管しているが、見るたびに切なくてならない。棺に母にまつわる品々と一緒に、母が好きだった苺クリームのお菓子を入れた。

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2018年4月18日(水)
<花吹雪あつまる夢の現住所>というのは母の句。散った桜の花びらが風に舞い、たどり着いたところが現住所。人間だって、風に吹かれるように生きてきて、そこかしこにたどり着く。また風が吹けば「住所変更」をするかもしれないが、やがて終の住み処に落ち着き、そこで朽ちるわけで。ここではない、何処か、それが「夢の現住所」▶母が亡くなった日の翌日、病院を訪ねたとき、バス停から病院に向かう途中にあるお寺の境内は、桜の花びらで敷き詰められていた。去年、訪ねたときと同じように。桜が散る頃、死出の旅に出ることを、母は決めていたのかもしれない。今、母が住むところは「夢の現住所」。

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